2. 日本の知見や技術を伝える

  第二次世界大戦から60年以上になりますが、日本は終戦の年からわずか9年目の1954年に経済協力を開始しました。その間、いち早く戦後復興を成し遂げ、経済中心の国づくりにまい進し、瞬く間に高度経済成長を達成し、世界第2位の経済力を有するようになりました。その背景には、江戸時代以来の、教育や経済・資本の蓄積もありました。また、高度経済成長を軌道に乗せるためには、日本もまた海外からの援助が必要であったことを忘れてはなりません(注1)。戦後の荒廃から立ち上がり、石油などのエネルギー資源や天然資源がないという制約条件の下、現代の豊かな社会を築いてきた歴史・経験を通じて、日本では、アジアのみならず、開発を求める世界の途上国と共有することのできる貴重な技術・知見が多くの分野で培われてきました。
  例えば、日本の農村開発では、江戸時代以前から形成されていた村落自治に基盤を置く用水組合を前提とし、農民の主体性を尊重する形で、食糧増産のためのかんがい排水の開発整備や土地改良が行われてきました。この経験をいかし、日本は途上国において、農民参加型水管理組織の育成に協力しており、日本ならではの支援として高く評価されています。また、日本は、平野部が比較的少ない狭小な国土において、国土開発と産業振興を推進し、運輸・港湾、電力などの産業基盤と一体化した工業地帯を形成することにより工業化を図ってきました。これらの大工場群に、高品質の中間生産物を柔軟に供給する中小の企業の存在も重要でした。また、これらの産業政策の推進に伴った大気汚染などの公害問題や急速な都市化問題を克服することが求められました。これらの経験は、途上国の経済・社会開発支援にもいかされ、例えば、産業基盤と一体化した工業団地の整備支援が大きな成果を生み、公害や都市問題の経験は、途上国への環境協力にいかされています。日本は地震・台風などの災害大国でもあるので、防災を念頭に置いたインフラ整備や住民における防災意識の向上等の協力でも貢献しています。このように、幅広い分野で、自らの開発により培ってきた経験・知見を他の途上国に還元することは、日本の国際協力の基本的な考えです。高度経済成長を実現した自らの開発の経験には、それと表裏一体のものとして、アジアを中心とした開発途上国に対する50年以上にわたる経済協力の経験が蓄積されています。今後も日本は自らの歴史・経験に裏付けられた貢献を推進していく方針です。

神戸市の砂防ダムでの研修の様子
神戸市の砂防ダムでの研修の様子(写真提供 : 今村健志朗/JICA

日本の技術協力と有償資金協力の強み

技術協力
  「国づくりの基礎は人づくり」といわれるように、人材育成は開発途上国の自助努力と持続可能な発展の基礎であり、技術協力はそのための効果的な協力形態です。日本は技術協力によって、開発途上国の指導的役割を担う人々に対して日本がこれまで培ってきた知見や技術を伝えることで、被援助国の発展に寄与しています。日本の技術協力は、単なる技術の移転にとどまらず、途上国自身が主体となって自国の開発課題を解決していくことを重視し、途上国が個人のみならず、組織や制度として持続的な課題対処能力を向上させていくプロセスに対してきめ細かい支援を行うことに特徴があります。それに加えて、専門家が開発途上国の国民とともに汗をかきながら、日本の知見や技術を伝えることは、日本の「顔の見える援助」として、国民レベルの相互理解と親善を深め、親日感の醸成に貢献します(注2)。技術協力は、日本国内に対しても、例えば地方において実施される研修員受入事業などでは、開発途上国出身の研修員と地方とが相互理解を深め、多文化共生を進める機会となるなど、日本人自身の国際化を促進する効果も有しています。技術協力の主体は政府からボランティアまで多岐にわたりますが、この多様性もあって、技術協力は時代や開発課題に柔軟に対応しやすい援助手法といえ、政府開発援助全体の質を向上させるにあたり、重要な役割を担っています。
有償資金協力
  開発途上国の持続的な経済成長を可能とするような経済基盤、社会基盤の底上げには、円借款により、緩やかな条件に基づくまとまった資金を提供することが効果的です。円借款は、開発途上国に返済義務を課すことにより、その国の自助努力を一層促します。また、開発途上国は、援助を要請する段階から、協力案件を一国の開発計画に適切に位置付けることが必要となります。これは日本もまた経験したことでした(注3)。他の援助国の中には、政府開発援助として有償資金協力を実施していない国もありますが、日本はこのような考えから円借款の供与を重視しています(注4)



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