世界有数の熱帯雨林を擁するアマゾン地域の環境保全は、地球規模の課題です。また、現金収入を得るために、1970年代から砂金の採掘を行ってきましたが、金の精錬に使用される水銀により土壌が汚染されており、周辺地域の環境問題と地域住民の健康への悪影響が懸念されています。
そこでこうした問題に取り組むために、現地のNGOであるPOEMA(注1)は、森林を伐採せずにアマゾン原産の天然資源を利用・商品化することで、地域住民の生活向上を図るためのプログラムを実施しています。このプログラムに対し、2005年に水俣市は、JICAが実施している草の根技術協力事業(地域提案型)(注2)を通じて、専門家を派遣する技術協力を実施しました。
水俣市は、同じ水銀に起因する水俣病を踏まえた知見があります。同市が指定している環境マイスター(注3)の一人である紙漉職人の金刺さんは、従来の和紙の材料にこだわらず、様々な素材を利用した紙づくりを意欲的に行っており、2001年から連続してJICAの短期専門家としてPOEMAに派遣され、紙漉の指導を行っています。公害に対する啓発活動を行う傍ら、熱心に紙漉を指導した結果、現地で自生していたクワラ(パイナップルに似た植物)を使って紙をつくることに成功しました。現在、POEMAは、紙漉プログラムから「アマゾンペーパー」という会社を起こし、封筒やバインダーを売るなど、商品化につながっています。水俣浮浪雲工房の、金刺さんにお話をお伺いしました。
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紙漉を始められたきっかけとは何でしょうか?
25年前、胎児性水俣病患者の人たちの仕事づくりの一つとして紙漉に出会いました。15年前まで一緒に仕事ができていましたが、患者さんたちは、亡くなったり立ち上がれなくなったりして、現在、工房には患者さんはいません。
金刺さんが今回のプロジェクトに参加された経緯をお教えください。
紙漉を始めて間もなく、作家の故水上勉先生が工房を訪ねてくれたことがありました。先生は、「良い材料から良い紙ができるのは、当たり前。道端に無用なゴミとして置き去りにされている植物の嘆きがお前たちの耳には、聞こえぬか」と問いかけてきました。そのことが、和紙の三大原料だけではなくいろいろな植物から紙をつくる、今の私の紙漉のスタイルをつくりました。
「アマゾンにある植物を使って手漉きの紙をつくって見せてくれないか?」ちょっとした縁で私のことを知った現地の皆さんからの要請は、2000年にありました。休みなく14日間連続でアマゾン流域各地から、それぞれの村にある草や植物系農産廃棄物を持って集まった人たちとそれぞれの植物を使った紙をつくり続けました。それは、現地の人々に大きな驚きと関心を持ってもらうことになり、カボクロと呼ばれる貧困層の人々の就労の場づくりにいかしていくことになりました。
日本の紙漉という技術を、現地に根付かせることについて、その意義をお聞かせください。
代表的な温帯地域の文化である日本の紙漉は、もともと環境に優しいものです。歴史的に熱帯で紙がつくられたという記録はありません。気温が高く、微生物の活動も活発な熱帯では、日本と同じことは、とてもできません。しかし、熱帯地域には多様な繊維を持っていて有用かつ興味深い植物が、ただ朽ちることを待っています。環境負荷が低いライフサイクルの短い植物を使い、貧困層の人々の生活向上につながる仕事をつくり出す。この時代に日本の伝統的な技術を熱帯に移植し役立ててもらうことは、持続可能な発展や環境保全に必ずつながるものと考えています。
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地域住民と交流されて、プロジェクト前と人々がどう変わりましたか?
仕事を続けていく中で、彼らの中に自信や自分にしかできないといった自負心が出てきているのは、とてもうれしかったです。質問の内容が非常に高度なものに変わってきたことも頼もしく感じました。
注1 : 1991年に設立。東部アマゾンのパラ州ベレン市にあるパラ連邦大学内に本拠を置いている。
注2 : 日本のNGO、大学、地方自治体、公益法人団体等が、これまでに培ってきた経験や技術をいかし、開発途上国で国際協力を行う際、JICAがその活動を支援し、共同で実施する事業。
注3 : 水俣市が1998年から全国に先がけて開始した制度。環境や健康にこだわったものづくりをしている職人を認定している。2007年時点で、環境マイスターは26名。