2004年12月26日に発生したスマトラ沖大地震・インド洋津波災害は、全体で被災者約120万人、死者・行方不明者20万人以上という未曾有の被害を出しました。ひとたび大災害が起こると、家族や財産を失った被災者が生きる気力も失ってしまう場合が多くあります。NGOの(特活)ジェン(JEN)は、津波発生直後から、被害の大きかった地域の一つ、スリランカ南部のハンバントタ県(注)に入り、緊急支援物資の配布事業を行いました。さらにその後の復興には、心のケアも含めた生活再建支援が重要と考え、2005年4月から日本NGO連携無償資金協力によって、大人にも子どもにも前向きに生きる力を取り戻してもらうための、新たな活動を始めました。現地のソーシャルワーカーや心理学専門家とも協力しながら、大人には漁網づくり、ココナッツ・ロープづくり、野菜栽培等の技術訓練を通じた、経済的な自立支援を行い、また、子どもには集団でスポーツやゲームを行う場を提供します。現在までに合計2,000名以上が参加しています。
JENの事務所長として現地に赴任した田仲愛さんは、4週間の予定で行われる漁網づくり訓練の初日、参加者たちの様子にがく然としたそうです。「全員、すごく表情が暗かったんです。特に男性には自分の弱みや悩みを人に見せることに抵抗がある人も多く、誰もが内にこもっているように見えました」。しかし、皆で一緒に漁網をつくったり修復したりという作業をすることで、2週目くらいから、次第に参加者同士で言葉を交わす場面が見られ始めたといいます。津波での被災体験を心にしまい込んだまま、繰り返し思い出してしまっていた状況から、少しずつその痛みやつらさを外に出せるようになってきたのです。漁網づくりや野菜栽培などの作業は、技術訓練という側面だけではなく、協力して一つの作業を行いながら、同じ体験を持つ者同士がその喪失感を理解し合い、励まし合う場として大きな意味を持ちます。さらにソーシャルワーカーや心理学専門家との協力により、グループや個別でのカウンセリングも組み合わせ、きめ細かな対応ができるように配慮しました。
津波で妻と長女を亡くし、ローンで購入した船を失ったボニパスさんも漁網づくりに参加した一人です。作業をきっかけに、こもりがちだった家から出るようになりました。皆と集まり、手仕事をしながら話をしていくうちに、ソーシャルワーカーに対しても、残った子どもたちを一人で育てる悩みを打ち明けるようになりました。徐々に気力を取り戻したボニパスさんは、その後、参加者たちで立ち上げた地域の互助会でリーダーになったそうです。
「『漁網づくりより、漁網をくれないか』と言われたこともあります。活動の意義を理解してもらうのが、そもそも大変でした」と田仲さん。しかし、終了式の日、皆、見違えるような明るい顔で、「最初は訓練なんかと思ったけれど、今になって良かったと思う」、「知らぬ間に元気になれたよ」と言ったそうです。活動地域全体で、心的外傷後ストレス障害の割合が73%から22.5%に減少するなど、心のケアの成果は数字にも見られます。また、津波後、月平均漁獲高はそれまでの半分以下の279.8kgまで減少しましたが、訓練後は16%増の325.5kgとなり、着実に収入も増加しています。
一人ひとりの心にまで行き届くきめ細かい支援活動はNGOだからこそできるものであり、国際協力の場でその役割はますます期待され、重要になっています。
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注 : 津波によるスリランカ全体の死者は3万人を超え、南部海岸沿いにあるハンバントタ県の死者はそのうち4,500人余りを占める。