コラム 13 声なき感染症、シャーガス病との闘い

  「シャーガス病」という名前の感染症を聞いたことがあるでしょうか。この病気は、サシガメという虫によって媒介される寄生虫症です。治療を怠ると、10~20年後には心臓疾患等で死に至ることもあります。日本では余りなじみのない病気ですが、実は中南米ではマラリアに次いで危険な熱帯病といわれています。現在中南米全体では約1,000万人が感染しているほか、毎年約20万人が新たに感染しており、中南米諸国の多くの国民が今後の感染のリスクにさらされているといわれています。
  シャーガス病の最大の問題は、病気が進行すると治療法がない、ということです。また、自覚症状のないまま慢性期に移行することも多く、命を落とす人がたくさんいます。特に、サシガメが生息する土壁や萱葺き屋根の家で生活する貧困層の人々がかかりやすいため、「貧困層の疾病」とも呼ばれています。
  このような深刻な病気に対して、1998年に開催された第51回国連世界保健総会において、「2010年までにシャーガス病の感染中断を達成させる」ことが決議され、米州保健機関や中米の国々では様々な取組が実施されています。日本もJICAを通じて専門家や青年海外協力隊員を派遣し、シャーガス病への取組を率先して行っています(注)。現地の保健省と協力しながら、サシガメを駆除するために家屋内の殺虫剤散布を粘り強く行った結果、2000年から2007年の間に、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスの3か国で、47万2,000件の家屋においてサシガメが駆除され、230万人を超える人々が感染のリスクを回避できました。
  また日本は駆除活動に加え、専門家や協力隊員による住民に対する啓発活動にも力を入れてきました。2004年から2006年まで、ホンジュラスに派遣されていた青年海外協力隊員の山内志乃さんもこれに貢献した一人です。山内さんは、殺虫剤散布だけではなく、シャーガス病そのものを住民が理解する必要があると考え、プロジェクトの合間に奥地の村々を訪問し、シャーガス病についての説明を行いました。
  山内さんは自分でデザインしたTシャツを着て村を歩き回り、現地の住民と積極的に話をすることで、住民自らが病気に関心を持つように工夫をしました。「実は、サシガメを拡大した絵を見せたら、『こんな大きな虫がいるのか。見たことがない』と言われ、びっくりしたんですよ。それで、Tシャツをつくったときに、『サシガメはどこにいる?』と胸に書いて、実物大のサシガメを腕部分にプリントしたら、面白がってみんなが話しかけてくれたので、シャーガス病について話す良いきっかけになったんです」と山内さんは当時を振り返ります。現在も、このTシャツは一緒に活動した現地の保健ボランティアや他の協力隊員が着用し、シャーガス病の説明をするときに利用されています。

日本のホンジュラスに対する支援への感謝と友好親善の意味を込めて作成された切手。左が山内さん
日本のホンジュラスに対する支援への感謝と友好親善の意味を込めて作成された切手。左が山内さん

「サシガメはどこにいる?」とスペイン語で書かれたTシャツ。実物大のサシガメがTシャツの袖に描かれている
「サシガメはどこにいる?」とスペイン語で書かれたTシャツ。実物大のサシガメがTシャツの袖に描かれている

  山内さんは、プロジェクトが終わった後も住民自らがシャーガス病に向き合っていけるような活動をすることが大切だ、と感じたといいます。「私たちはずっと現地にいて、援助をすることはできません。ですから、一人でも多くの人が病気に対して理解するのを助け、私たちがいなくなった後は、自分たちの力で病気を撲滅していこうとする環境をつくることが大切です」と山内さんは訴えます。
  こうした地道な努力の成果は、対象国や他の援助国からも高く評価されるものとなっています。山内さんが活動している様子が切手の図案になったことからも、ホンジュラスにおけるその評価の高さがうかがえます。現在、山内さんは日本に帰国していますが、山内さんの熱意を引き継ぎ、次の隊員が現地で積極的に活動を行っています。シャーガス病が中南米からなくなる日を目指し、今日も彼らの活動は続いているのです。

ホンジュラスにおけるシャーガス病対策

シャーガス病の検査キットについて、子どもたちに説明をする山内さん
シャーガス病の検査キットについて、子どもたちに説明をする山内さん
(写真提供 : 山内さん)


注 : 2007年7月、マーガレット・チャンWHO事務局長の「Neglected Tropical Diseases(忘れられた熱帯病)イニシアティブ」の下で、シャーガス病撲滅に向けた新戦略が打ち出されたが、この新戦略が発表された国際会合においても、日本のシャーガス病に対する取組がクローズアップされた。



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