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インドの首都デリーでは、地下鉄と地上・高架鉄道からなる大量高速輸送システム(デリーメトロ)の建設が急ピッチで進められています。インドの鉄道は、これまで長距離輸送に重点が置かれてきたため、首都デリーにおいても、郊外と市の中心部を結ぶ近距離鉄道や市内の鉄道網が整備されていませんでした。そのため、デリー近郊における交通手段はバスや自家用車に頼らざるを得ない状況で、道路の慢性的な渋滞と、車の排気ガスによる大気汚染に悩まされていました。こうした状況を受け、デリー州政府は交通混雑を緩和し、環境への負担が少なく、時間に正確で効率的な大量高速輸送システムとして、デリーメトロの建設計画を進めています。
この事業の第1フェーズ(総延長約59キロ)に対し、日本政府は1996年度から6回にわたり総額約1,627億円の円借款を供与しました。2006年11月に全区間約65キロが開業し、2007年7月の時点で、1日当たり約60万人の市民に利用されています。さらに増大する交通需要に対応し、より便利な交通ネットワークを構築するために、第1フェーズで完成した路線の延伸工事(第2フェーズ(総延長約83キロ))が進められており、日本政府は2005年度からこの第2フェーズに対しても円借款(2006年度までに284.83億円)を供与しています。2011年に第2フェーズ部分が完成すると、6路線総延長約143キロとなり、デリー市内の基幹公共交通となることが期待されます。ちなみに東京メトロは8路線183.2キロ、大阪市営地下鉄は8路線129.9キロであることと比べると、分かりやすいかもしれません。
デリーメトロの建設には、日本のコンサルタント会社、建設会社や商社等も参加し、日本の技術や経験がいかされています。今までインドの工事現場には、安全帽・安全靴で作業をする習慣は定着していませんでした。この事業におけるコンサルタント会社の指導により、作業員の一人ひとりに至るまで工事現場内では必ず安全帽・安全靴の着用を義務付けました。また、工事区域とそうでない場所を看板で区切ること、蛍光ベストや安全帯を使用すること、工事現場内の資機材を常に整理整頓しておくことなど、日本の工事現場では当たり前に見られることをインドの工事現場に定着させました。さらには、朝決められた時間に集合して仕事を始めることや、定められた工期を守ることの重要性をインドの人に伝えました。
2004年(注1)にODA民間モニター(注2)としてインドを訪れた皆さんも、実際に日本の建設技術が伝わっている様子を見て、日本方式の浸透を肌で感じたようです。団長の泊誠さん((財)かごしま産業支援センター(当時))は、「振動もなく、乗り心地も良好でした。乗客に評判を聞くと『これまでバスを利用していたが、渋滞がなく早くて便利。これからはメトロを利用する』と言っていました。また、工事担当者が『日本の工事基準がインド企業にも浸透しつつあり、一つの建設文化も移転している』と話していました。この事業はデリー市の抱える問題の解決に役立ち、住民に安全・快適な交通手段を提供しました。そして、一つの文化ももたらしました。大きな効果と貢献があったと思います」と感想を述べています。
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こうした活動を通じて、インドの工事現場で働く人々の間に安全性や効率性の意識が浸透しました。本事業は、インド国内で高く評価されるとともに、インドの工事に文化的な革新を起こしたといわれています。今後のインドにおける大規模インフラの整備において、こうした経験がいかされることが期待されます。また、デリーメトロの整備により、デリー市民を悩ませてきた交通混雑の緩和と排気ガスの減少が見込まれます。デリーメトロは、デリー市の近代都市としての機能を向上させる上で、大きな役割を果たすものとして期待が集まっています。
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注1 : 2004年3月には、第1フェーズの1号線の全区間が開通。
注2 : 一般の方から公募・選出されたモニターが、実際の援助の現場に赴き、日本の政府開発援助案件を視察する。インドへは2004年8月22日から28日まで会社員、学生等10人が派遣され、本件デリーメトロのほか、チェンナイ市にある小児病院(無償資金協力)など7件の政府開発援助の現場を視察した。報告書は、外務省ホームページに掲載。