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2.シエラレオネ
 シエラレオネでは、1991年に反政府勢力と政府軍との間で武力衝突が起こって以降、内戦状態が断続的に続いていました。国際社会からの調停により、1999年10月より、国連平和維持活動として、国連シエラレオネミッション(UNAMSIL:United Nations Mission in Sierra Leone)が6,000名(最大時17,500名)規模で開始され、DDRが実施されました。その後、国際機関及び一部二国間ドナーによる同国国民の再定住を促すために復興へ向けた支援が本格化し、2005年末、UNAMSILの駐留が終了、2006年1月より、平和維持から復興開発プロセスに移行すべく、国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSIL:United Nations Integrated Office in Sierra Leone)が活動を開始しました。国連平和維持活動(PKO:Peace Keeping Operations)部隊撤退後の治安状況に対する懸念もありましたが、現在も安定した状態が続いています。
 内戦終結後実施された国勢調査では、シエラレオネ国民の約70%が一日1ドル以下での生活を余儀なくされている極度の貧困状態にあることが判明しました。この状況の改善を目指し、同国政府はPRSPを策定し、平和の定着、及び経済発展と貧困削減に向けた取組を開始しました。
 このように、平和の定着を着実に進めてきたシエラレオネは、不安定な情勢を抱える国の多い西アフリカ地域において、平和の定着が成功したモデル国になりうるものとして期待されています。日本としても同国の治安状況の回復を踏まえ、2005年1月にJICAフィールド事務所を開設し、同国の復興・開発に向けた取組に支援する方向性を話し合うために同年5月に経協政策協議を実施し、その協議を踏まえて7月に二国間経済協力を再開しています。いまだ不安定な要素も残っていることから治安情勢を引き続き見守りながら、当面は治安が比較的安定している首都のフリータウン及び北西部のカンビア県を中心として支援を展開しています。
 現在、内戦により最も住民に被害がでており、県人口の1割以上にあたる2.5万人が難民・国内避難民になったと言われているカンビア県において、日本は地域住民が積極的に参加する「分野横断型のコミュニティ開発支援」を実施しています。具体的には2005年10月下旬より「シエラレオネ国カンビア県子供・青年支援調査」(開発調査、3年間)を通じて、教育施設・教材、職業訓練、学校菜園の拡充を行っているほか、2006年2月より、かつて米の大生産地であった同県において、稲作を中心とした農業生産向上のための技術協力プロジェクトとして「カンビア県農業強化支援プロジェクト」を開始しています。これは、農民を主体とした農業技術支援体制の強化(米、キャッサバ、ナッツ、サツマイモ等)及び農業生産性向上のための技術パッケージの確立(生産量の増加と収穫後損失の減少)を目的としています。今後、水供給、保健等の分野においても支援の可能性を検討していきます。
 日本はこのように同一のコミュニティにおいて教育、保健、農業等の住民の生活向上に直接関係する分野を包括的に支援する「アフリカン・ビレッジ・イニシアティブ」の推進を提唱しています。シエラレオネでは、将来のコミュニティの担い手である子どもや青年を社会に組み込み、自立的で持続可能な開発の実現及び平和の定着を目指しており、同イニシアティブを他のアフリカ諸国でも順次展開しています。


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