前頁前頁  次頁次頁


column II-10 ニカラグア、対人地雷除去への道


 ニカラグアは1979年のサンディニスタ革命から、1990年のチャモロ大統領就任に至るまでの約10年間、右翼ゲリラのコントラとの内戦を経験しました。その間、ホンジュラスとの国境地帯から北部山岳部にかけての地域が激戦地となり、14万7,000個を超えるといわれる対人地雷が埋設されました。埋設当時は場所が特定されていましたが、度重なる土砂崩れや水害による土壌の流動等により埋設範囲が拡大し、地雷の所在を特定することが困難になりました。
 内戦終結後、近隣に住む子供をはじめとして一般市民が地雷の犠牲となっています。内戦終結からこれまでの負傷者は869名、死者は80名といわれています。また、コーヒー生産をはじめとする農業を主要産業としているニカラグアにとって、地雷除去が終わっていない土地は農地としての利用が出来ず、経済的にも大きな問題となっており、地雷は今なおニカラグアの人々の生活を脅かしています。
 そのため、1993年、対人地雷の除去が本格的に開始されました。1998年には「国家地雷除去委員会」が大統領府に設置され、この委員会の下で[1]地雷除去、[2]犠牲者支援、[3]事故防止のための教育・広報活動が行われています。これらの活動には日本をはじめとする12か国とEUのほかに、米州機構(OAS)、UNICEF、UNDP等の国際機関が協力しています。
 日本は、2001年以降最新鋭の地雷除去機の提供や、除去作業に対する技術支援を重点的に実施してきました。これにより、現在では、地雷除去に携わる1部隊が1日に可能な除去数の10倍の処理(50~60個)を、1台の機械で行うことが可能となりました。その結果、約3年半にわたる活動で、1万2,000個以上の地雷を除去することができました。また、2004年には地雷原へのアクセス道路(地雷除去後は農道として利用される予定)の建設も行われ、作業効率の向上に寄与しています。
 国際機関を通じた支援としては、日本は2003年7月から翌2004年12月にかけて、UNICEFが実施した「地雷や爆破装置による事故防止のための情報・教育プロジェクト」に対し、国連PKO局地雷対策サービス部(UNMAS)を通じ、15万ドルを拠出しました。具体的には、地雷事故に遭いやすい児童を教育し、彼らを通じて地雷事故防止に対する啓蒙活動を行おうというものです。この活動の模様は、「警告の声」と題されたTV番組として全国放映され、大きな反響が寄せられました。
 こうした様々な支援の結果、地雷除去が完了した地域は43万2,000m2にのぼり、約2万3,000人の安全に寄与するとともに、農地の回復も図られました。そこでは良質な輸出用のコーヒー豆が栽培されるなど、地雷の除去は農村開発や経済発展にも貢献しています。今後地雷の被害に遭う人々が1人でもいなくなるよう、ニカラグア政府の計画に基づき、対人地雷の完全除去に向けて、地雷除去作業は今日も地道に続けられているのです。

日本が供与した地雷除去機
日本が供与した地雷除去機

地雷についての説明を熱心に聞く人々(写真提供:UNICEF)
地雷についての説明を熱心に聞く人々(写真提供:UNICEF)


前頁前頁  次頁次頁