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column II-8 ミャンマー ~援助実施の原則と真に人道的な支援の観点から~


 日本はこれまで、開発途上国における民主化や人権状況に好ましくない動きがあった場合、ODA大綱の援助実施の原則に従った上で、それぞれの国の抱える事情などを考慮し、援助の停止や削減も含めた見直しを行ってきました。しかし援助の停止や削減に至る場合、最も影響を受けるのがその国の貧困層の人々です。日本はこうした人々に対する支援については特別な配慮をしています。2006年現在、日本はミャンマーに対する新規の経済協力を原則見合わせていますが、ミャンマー国内での貧困問題などを考慮し、緊急性が高く、真に人道的な案件に対しては内容を慎重に吟味した上で支援を実施しています。
 こうした支援の対象となっているのが、コーカン族をはじめ多くの少数民族が暮らす、コーカン特別地区です。この地区は、ミャンマー国内でも山岳地帯に位置しており、土地が痩せていることから作物の収穫も多くありません。そのためこの地区に住んでいる農民の多くは貧しい生活を送っており、古くからケシを栽培・販売することで、肥料や食糧等の購入に必要な現金を得ていました。
 しかし、1980年代に入ると、アヘンを含む麻薬の乱用者の増加が世界中で問題となり、国際社会が協力して麻薬撲滅に取り組むことになりました。こうした取組を受け、1998年には、ミャンマー政府は国際公約として、2015年までにケシの撲滅を行うことを表明しました(注1)。コーカン特別地区もケシ撲滅の対象地域となり、中央政府と共同で粘り強く撲滅対策を推進しました。その結果、同地区はミャンマー国内最大の麻薬生産地(注2)であったのにも関わらず、2003年までにケシ栽培をほぼ消滅させました。
 ただ、こうした対策により、ケシの栽培を停止した農民は現金収入の途を失うことになりました。それに加え、同地区はインフラの整備や公共サービスが大きく立ち遅れるなど、以前から慢性的な貧困問題を抱えていました。こうした問題が重なった結果、貧困状態が急速に悪化し、2003年には、100人以上の餓死者が出たほか、4,000人以上がマラリアに感染し、270人以上が亡くなる事態に陥りました。
 こうした状況を受け、日本政府は1997年から貧困対策として、JICA専門家を派遣しケシの代替作物を導入することで農民の収入向上を図りました。また、インフラやサービスを改善するために、道路建設のための機材供与や村落の電化、小学校の改修の支援を無償資金協力により行っています。また、2003年から日本政府は国連世界食糧計画(WFP)によるケシの代替作物の栽培を促進する事業を支援しています。そして2005年からは農民の貧困対策と地域の発展を目指し、マラリア感染の撲滅、食糧支援、インフラ整備等の支援を包括的に行う技術協力プロジェクトが開始されています。
 このように援助実施の原則を考慮しながら、少数民族が住む同地区の貧困問題が改善されるよう、日本はミャンマーに対する支援を実施しています。

図

配布した種子の栽培方法を説明する様子(写真提供:JICA)
配布した種子の栽培方法を説明する様子(写真提供:JICA)

注1:ミャンマーはかつてタイ、ラオスとともに麻薬の「ゴールデン・トライアングル」(黄金の三角地帯)と呼ばれたケシの一大生産地であった。
注2:コーカン特別地区のアヘン生産量は、1989年の停戦当時、ミャンマー国内の約80%を占めていた。


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