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column II-16 サリーに織り込まれる日本の養蚕技術



 インドの伝統的な女性の民族衣装といえば、幅約120cm、長さ5mから9mの一枚布をブラウスとペチコートの上に巻き付けて着るサリーがあります。サリーの素材は綿や羊毛など様々ですが、女性達の憧れの的といえばシルク製です。近年順調な経済発展を続けるインドでは、中間所得層の人口が増え、高品質のシルク・サリーを求める女性も増えてきました。ところが、インドは中国に次いで世界第2位の生糸の生産量を誇るにもかかわらず、インド製の生糸は弱くて切れやすく、サリーをはじめとした絹織物には適さないとされ、毎年1万トンの生糸を中国などから輸入してきました。こうしたことからインド政府は、生糸を何とか自給したいと、国内生産の増大と品質の向上を課題に掲げ、日本に養蚕技術の指導を要請してきました。
 インドで伝統的に行われてきた養蚕で飼育される蚕は、1年に3回以上孵化するものが中心です。これは日本や中国で飼育されている二化性蚕(自然状態の孵化は1年に2回)と比べると、繭の収量や生糸の品質が大きく劣ります。そこで日本は、インドの環境に適した二化性蚕を開発し、二化性養蚕技術を広めて品質の良い生糸を自給し、さらに養蚕農家や生糸業者の収入を向上させることを目指して技術協力を行ってきました。
 二化性養蚕を広める上で、インドの養蚕の方法が障害となっていました。二化性蚕は伝染病に弱いため、蚕室をこまめに消毒する作業が欠かせません。ところが、インドでは、消毒するといるという慣習はほとんどなく、一部の農家は、ヒンドゥー教の聖なる動物である牛のふんを塗ると蚕が病気にならないと信じ、蚕室の土間にそれを塗っていました。今では日本人専門家達の指導により、多くの農家が、何百年も続いてきたそうした慣習をやめ、換気窓とハエよけのネットを備えた蚕室を建て、消毒をこまめに行うようになりました。
 かつて、養蚕は日本を代表する産業でした。しかし人件費の安い輸入品に押され、世界に誇る日本の養蚕産業は衰退してしまいました。その日本の技術が今、インド南部で拡がりを見せています。3年前から二化性繭を生産している農民の一人は、「何より現金収入が増えたのが嬉しい。消毒など今までになかった作業があるけれど、それを差し引いても十分お釣りがくる。蚕室を作ったときの借金も返したことだし、来年はさらに規模を大きくしたい」とやる気を見せています。

サリーを着たインド人女性(写真提供:JICA)
サリーを着たインド人女性 (写真提供:JICA)

地域の農民に指導する養蚕普及所職員(写真右)(写真提供:JICA)
地域の農民に指導する養蚕普及所職員(写真右) (写真提供:JICA)


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