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column II-2 スマトラ沖大規模地震及びインド洋津波に活きた日本の貢献



●マレ島の護岸 注1)及び離岸堤注2)整備
 スマトラ沖大地震では、モルディブ共和国の首都であり同国最大の島であるマレ島も推定約3メートルの津波に襲われました。しかし、日本の支援により建設された護岸及び離岸堤が島を守り、マレ市街は浸水したものの死者は出ず、家屋の流出などの大きな被害も免れました。
 マレ島は海抜わずか1メートル台で地形が平坦な上に、かつては珊瑚の塊を積み上げただけの護岸しかなかったこともあり、高潮による浸水の被害をたびたび受けていました。特に1987年に発生したサイクロンでは、島の3分の1が浸水し、首都機能が麻痺するという事態に陥りました。
 そこで、日本は、現地の調査や技術的な指導を行った後、無償資金協力により護岸などの整備に協力することにしました。まず、1987年から3年間で離岸堤を建設、1994年からはマレ島の西、東、南側の護岸を順次整備し、2002年に島の玄関口である北岸護岸の整備が完了し、15年の歳月をかけた高潮対策事業が完了しました。この工事により、マレ島は島の全周約6キロメートルにわたり、護岸で守られることになりました。
 日本の支援によって作られた護岸が、スマトラ沖大地震の際に津波の被害を食い止めたことについては、報道でも取り上げられており、「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」という地域住民の声を伝えています。また、モルディブのガユーム大統領も、「日本の援助で建設されたマレ島の護岸がマレの人々を災害から守ってくれた」と語っています。

●アチェ州でのヒューマン・ネットワーク
 今回の地震と津波は、震源地近くのインドネシアのナングル・アチェ・ダルサラム州に壊滅的な被害をもたらしました。しかも、同州はインドネシアからの分離・独立をめぐる武力衝突の深刻化により、2003年5月に非常事態宣言が発出されて以来、外国人の入域制限がなされたため、緊急援助を受け入れる基盤が整っていませんでした。災害直後、インドネシア政府の決断により、外国の援助団体が入れることとなりましたが、日本をはじめとする援助国はいずれも現地での宿舎・輸送などの活動基盤が確保できず、支援態勢の構築に窮していました。
 そのような状況のもと、アチェ州在住のJICA青年招へい事業 注3)同窓会のアチェ支部長ミクダル氏からJICAインドネシア事務所に一本の電話が入りました。それは、日本の支援要員に宿舎の提供、通訳の手配などを申し出るものでした。また、日本の円借款などを通じて過去に支援が行われてきたシャ・クワラ大学には、日本留学経験者も多く、彼らが、日本の被災地への支援の展開を様々な面で助けてくれました。このように長年にわたって築かれた人的ネットワークにより、日本の緊急援助を円滑に実施することができ、国際緊急援助医療チームの活動は、現地の多くの被災した人たちから感謝されました。

マレ島の周囲に建設された護岸
マレ島の周囲に建設された護岸

マレ島の位置(図表提供:国土交通省)
マレ島の位置 (図表提供:国土交通省)

注1)海岸が波や流水によって削り取られないように、海岸を保護するために設置する構造物のこと。
注2)海岸を防護するために、沖合に海岸線と平行に作られる構造物のこと。
注3)開発途上国の国づくりのための人材を育成するべく、開発途上国の将来を担う青年達を日本に招く事業。専門分野に関する研修とあわせ、日本の一般市民との交流にも焦点をあてている。


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