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第5節 援助実施の原則の運用状況

 新しいODA大綱では、基本的に旧ODA大綱の「原則」を踏襲した形で「援助実施の原則」が盛り込まれました。それは、旧ODA大綱の原則の基本的考え方、そして、原則に掲げられている4つの諸点の妥当性、重要性は今日においても失われていないとの考えのためです。
 援助実施の原則は、ODA大綱の理念(目的、基本方針、重点課題、重点地域)にのっとり、国際連合憲章の諸原則(特に、主権平等及び内政不干渉)及び下記に示した4つの諸点を踏まえ、途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断した上でODAを実施すべき旨規定しています。

図

 援助実施の原則の運用に当たっては、特に途上国の軍事支出や武器の輸出入、民主化、人権保障等の諸点について各国の状況をモニターして適時・適切に対応しています。相手国に好ましい動きがあった場合には、他の外交的手段と併せ、援助を通じてもそうした動きを積極的に促進することが重要です。逆に、好ましくない動きがあった場合には、相手国に対し事態の改善を求める等の外交的働きかけを行った上で、相手国の政治・経済・社会状況や置かれている安全保障の状況、さらにはそういった状況が過去と比較して改善されているか等を含め総合的に判断の上、必要に応じ援助の停止も含め当該国に対する援助を見直すこととしています。
 なお、その具体的な運用に際しては、一律の基準を設けて機械的に適用するのではなく、その背景や過去との比較等も含めて相手国の諸事情を考慮し、総合的にケース・バイ・ケースでの判断が不可欠です。
 また、援助実施の原則の適用にあたっては、途上国国民への人道的配慮も必要です。日本が援助実施の原則を踏まえ、援助の停止(削減)に至る場合において、最も深刻な影響を受けるのは当該途上国の一般国民、特に貧困層の人々です。したがって、援助の停止(削減)に至る場合でも、緊急的・人道的援助の実施については、特別な配慮を行うなどの措置が必要となることもあります。
 ODA大綱の援助実施の原則はすべての援助について踏まえられるべき原則ですが、以下では、「援助実施の原則」の適用が特に問題となった最近の幾つかの具体的事例について説明します。なお、2003年版ODA白書59頁も参照して下さい。

1.ミャンマー
 日本の対ミャンマー経済協力は、1988年の軍事政権成立以降、原則として停止していましたが、1995年、国民民主連盟(NLD: National League for Democracy)のアウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁解除など事態の改善にかんがみ、ミャンマーの民主化及び人権状況の改善を見守りつつ、当面は民衆に直接裨益する基礎生活分野を中心にケース・バイ・ケースで検討の上、実施することとしました。
 2001年1月以降、ミャンマー政府においては、拘束していたNLD等の政治犯の釈放やスー・チー女史の行動制限を解除するなど民主化及び人権状況に改善の動きが見られました。しかしながら、2003年5月にはスー・チー女史及びNLD関係者が当局に拘束され、NLD党本部等も閉鎖されるという新たな事態が発生しました。
 日本は、上記事件の直後から、事態を懸念し、スー・チー女史を含むNLD関係者等の自由な政治活動の速やかな回復、事態の全容の国際社会への説明、国民和解・民主化プロセスの進展をミャンマー政府に求めてきました。このような中、2003年8月に就任したキン・ニュン首相は、就任演説において、7段階からなる民主化のための「ロードマップ」を発表し、2003年9月にはスー・チー女史が自宅に移送され、政治犯も順次解放されるなど、民主化へ向けた一定の動きが見られています。
 2004年5月には1996年以降休会となっていた新憲法起草のための国民会議が再開されましたが、なおもスー・チー女史は自宅軟禁下に置かれており、NLDを含む3政党は国民会議に参加していない等、国民会議はすべての関係者の関与が得られないまま開催されています。日本としては、ミャンマーの民主化へ向けた動きを促進するとともに、現政権とスー・チー女史を含む民主化勢力の双方に対しねばり強く働きかけていく方針です。
 このような中で経済協力については、同事件以降のミャンマーの状況にかんがみ、基本的に新規案件を見合わせていますが、ミャンマーにおける劣悪な生活環境等を考慮し、緊急性が高く人道的な案件等については、同国の政治情勢を注意深く見守りつつ、個別に慎重に吟味した上で実施しています。


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