columnI-15 内戦後の中米の民主化、経済復興に貢献したODA
中米のニカラグアやエルサルバドルにおいては、特に1980年代、激しい内戦が行われ、死者は11万にも達したと言われており、国土は疲弊しました。特にニカラグアにおいては、1万%以上のハイパ-インフレが生じるなど、経済的にも不安定化しました。しかし、1990年にニカラグア、1992年にエルサルバドル、1996年にグアテマラにおいて和平が成立し、その後各国においては大統領選挙が民主的に継続的に実施されるなど民主主義が着実に定着してきています。また、GDP成長率もプラスを続け、インフレ率も一桁に落ち着くなどマクロ経済も安定化の傾向にあります。今や、中米地域は政治的経済的に安定した地域となっています。
このように、中米諸国が、短期間のうちに民主化・復興開発の分野で大きな成果を上げられたのは、各国政府・国民の自助努力と日本をはじめとする国際社会の支援がうまくかみ合ったことによるものです。
日本は、紛争を平和的に解決すべしとの立場から、中南米地域内の和平努力を一貫して強く支持してきました。1987年、倉成外務大臣(当時)がグアテマラを訪問した際、真の和平達成の暁には復興開発にできる限りの援助を実施する用意がある旨表明し、和平の進展を促しました。実際、日本は中米各国が和平を達成した直後に食糧増産援助、経済構造調整支援のためのノンプロ無償、拠点病院等医療機材整備、帰還兵士及び内戦避難民に対する緊急無償援助、民主化セミナ-と、多岐にわたる援助を実施し、その後も経済復興、民主化の定着のための支援を継続してきました。
更に日本は、米国の提唱で1991年に始まった民主開発パ-トナ-シップ(PDD)注)に参画し、1993年にはPDD東京特別会合を主催し、紛争後の国の復興支援においては、民主主義と経済開発が車の両輪であり、両者のバランスのとれた支援が必要であることを内外にアピ-ルしました。
中米各国は、日本の支援に大変感謝し、折に触れて謝意を表明してきており、特にニカラグアは日本の支援で建設された橋や道路の写真を配した記念切手を発行し、感謝の気持ちを表しています。
現在、平和構築は、日本のODAの重要な柱の一つとなっていますが、このように1990年代初頭には中米で取り組みを開始し、実績を上げてきている分野です。
注:PDDは、1990年、米国が中米の民主化・経済開発の支援に向け連絡・調整することを目的に提案した多国間フォ-ラム。1991年、正式発足。中米域内、周辺10か国、先進国20か国、国際機関が参加。

倉成外務大臣(当時)のグアテマラ訪問

グアテマラの女性達