columnI-14 アジア通貨危機における日本の対応
1997年7月のタイ・バーツ下落に始まったアジアにおける一連の通貨・経済危機は、インドネシア、韓国などの国々へと次々に伝染し、地域経済全体を巻き込む未曾有の経済危機となりました。「東アジアの奇跡」と賞され、高成長を続けていたこれらの国々における実体経済は急激に悪化し、翌1998年は各国ともに大幅なマイナス成長となりました(タイ▲10.5%、インドネシア▲13.1%、韓国▲6.7%)。
一連の危機は、これらの国の社会経済に深刻な影響を与えましたが、それに止まらず、日本を含む世界経済全体に対する多大な影響が懸念されました。日本は、タイの金融支援国会合を東京でホストしたのを手始めとして(1997年8月)、国際機関、G7各国等と協調しつつ、当初の危機対応において、二国間支援の主導的な役割を果たしました。また、一時的な資金不足を補填する流動性支援のみならず、円借款を含む日本の政策的金融手段を総動員して、長期の安定的な資金を供与し、アジア各国の実体経済の回復、安定化に対して全力で取り組みました。
日本政府による一連の対策を時系列で並べると以下のとおりです。
[1]IMFを中心とする国際的枠組みの中での二国間支援(1997年8月から12月)
[2]東南アジア経済安定化等のための緊急対策(1998年2月)
[3]総合経済対策(1998年4月)
[4]新宮澤構想(1998年10月)
[5]緊急経済対策(1998年11月)
[6]新宮澤構想第2ステージ(1999年5月)
このうち、1998年10月のIMF・世銀年次総会において発表された新宮澤構想は、アジア諸国の実体経済回復のための円借款・輸銀融資等による中長期の資金支援を含む合計300億ドル規模の資金支援スキームを用意するものであり、一連の支援策の中でも最大級のものでした。このような大規模なクレジット・ラインの供与は、危機に直面している国々への日本の揺るぎない支援姿勢を鮮明にし、国際社会におけるこれらの国々の信用回復に対する大きな後ろ盾としての役割を果たしました。また、同構想の下での具体的支援の中には、インドネシア向けの雇用創出・保健・栄養プログラム等を盛り込んだソーシャル・セーフティー・ネット円借款(1999年3月、3.8億ドル程度)等も含まれており、日本政府は、一連の支援実施において、経済危機の影響を受け新たに貧困層に落ち込むことを余儀なくされた人々に対しても十分に配慮しました。また、こうした取組に加え、特別円借款(影響を受けた国々に対する経済構造改革支援のための優遇条件借款)や構造調整支援のための優遇金利制度の導入といった対応も行っています。
この他にも、日本は、人材育成等環境整備のための専門家派遣、研修員受入等の技術協力や、食糧・医療品等の緊急支援及び人道・医療・保健対策面での無償資金協力も行いました。
このような支援策の結果、これらの国々は危機を短期間のうちに乗り越えました。