columnI-7 帰国後活躍する途上国の研修員の姿
研修員受入事業は、1954年に日本がコロンボ・プランに加盟したことを契機に、日本最初の政府開発援助として、アジアからの研修員16名の受入をもって開始されました。途上国から、国づくりの担い手となる人材を研修員として日本に受け入れ、行政、農林水産、鉱工業、教育、保健等多岐にわたる分野で専門的知識や技術を移転することを目的としています。現在、日本で実施する研修(国内研修)の他にも、途上国内において実施する研修などがありますが、日本での研修については、研修本来の成果に加え、日本に滞在することにより日本の文化・生活様式に触れ、また、お互いの考え方や行動様式を理解し合う機会を与えることで、国民相互の友好親善にも貢献しています
現在、世界77か国において、帰国した研修員による同窓会が形成されており、帰国研修員たちは、それぞれの国の発展に貢献するとともに、現地の日本大使館あるいはJICA事務所等と緊密な関係を維持し、日本との友好促進にも貢献しています。こうした活動の一例を挙げれば、2003年12月、タイにおいて、「ASEAN帰国研修員同窓会地域会議」が、クラッセ首相顧問(元外務大臣)等要人の参加を得て開催され、参加した帰国研修員から同窓会活動の拡大やネットワーク構築等につき活発な意見が出されました。ホスト国となったタイの帰国研修員会会長からは、日本からの技術支援及びその後のフォローアップに対して謝意が表明されるとともに、「日本から移転された技術を、困難に直面する周辺諸国のために役立てたい」とのメッセージが寄せられました。
こうした帰国研修員の中には、帰国後、日本での研修を生かしつつ、さらなる研鑽を積み、閣僚、各省庁主要幹部、地方自治体の長、公団総裁等、国を代表する要人となった例もあり、閣僚級の要職についた帰国研修員は40名を超えるという実績もあります。代表的な例としては、1989年に実施された「アジア太平洋貿易振興セミナー」にモンゴルから参加し、その後首相となったエンフサイハン氏がいます。同氏は現在でも野党党首を勤めており、モンゴル政界の重要人物として、モンゴルの更なる発展及び日・モンゴル間の友好関係強化のために活躍しています。また、1976年に実施された「結核対策セミナー」にペルーから参加したヤマモト氏は、その後厚生大臣、そして首都リマの日ペルー友好病院(母子病院)の病院長に就任するなどしています。
このように、日本での研修は、単に研修時における技術移転を超えて、長期的な観点からも、途上国の人づくり、国づくりに大きく役立っています。

帰国研修員の同窓会(タイ) (写真提供:国際協力機構(JICA))

帰国研修員の同窓会でのプレゼンテーション風景(サモア) (写真提供:国際協力機構(JICA))