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ColumnI-7 奥大使・井ノ上一等書記官が遺したもの

 2003年11月29日、イラクの復興支援のために尽力していた奥克彦参事官(当時)と井ノ上正盛三等書記官(当時)、ジョルジース・スライマーン・ズーラ運転手(20年にわたり在イラク日本国大使館勤務)の3名が、何者かの襲撃により殉職するという無念極まりない事件がありました。
 奥大使と井ノ上一等書記官は気温50度を越える夏の日にもイラク各地をめぐって、日本の援助を必要とする現地の人々の生の声を聞き、そして多くのプロジェクトを形成してきました。両名の働きは日本のイラク復興支援に大きな足跡を残しました。このような二人に対して、イラクの人々から次のような声が届けられました。

[1] 2003年秋、二人の努力もあり、日本は、バグダッドで総額約3,900万円の草の根・人間の安全保障無償資金協力を実施しました。具体的には、バグダッドのラシード地区自治評議会の事務局に対する机、椅子、事務機器等の供与(約890万円)、同地区の小学校8件及び工業学校1件の整備(約2,500万円)、及びヒバトゥッラー・ダウン症障害児センターに対する障害児教育に必要な教材(主にアイロン等の家庭科機材)の供与(約510万円)の3件ですが、これら日本の協力に対して、同年11月11日、アリ・ハイダリー・バグダッド市諮問評議会副議長および同評議会の職員が在イラク日本大使館を訪れ、奥大使に対して礼状を手渡すとともに以下のとおり謝意を表明しています。
   「既に日本からラシード地区評議会への事務機器等の供与、マンスール地区小学校8校のリハビリ、技術学校のリハビリのための支援をいただいており、大変感謝している。マンスール地区では、加えて、ヒバトゥッラー・ダウン症児童のための学校にも支援をいただいていると承知している。市評議会としては、『日本は口先だけではなく、真にイラクの人々を助けてくれている』と認識しており、その気持ちをぜひお伝えしたいと思い、お礼状を持って参上した次第である。」  
[2] 11月29日の事件後、二人の死に対し、イラクから多くの弔意が寄せられました。バグダッド市評議会メンバーも在イラク日本大使館を訪れ、次のような弔意を表明しています。
   「このような凶行に志半ばで倒れられたお二人に、バグダッド市民を代表して心からの追悼の意を表明し、ご家族の皆様に心からのお見舞いをお伝えいただきたい。お二人は私たちの真の友人であられた。一般のイラク人はすべて、貴国の精神や歴史、戦後の復興を尊敬しており、目下のイラクの復興への強い支持を示しておられる貴国及び日本人をほかのどの国の誰よりも近く感じて感謝している。亡くなられたお二人は、市内の貧しい地域にまで実際に足を運ばれて、私たちと同じ立場に立って物事を見ていただいた。そんなことをする他の国の人たちはあまりいない。お二人が『自分たちは、イラク人と一緒にいることが一番安全に感じるのだ』とおっしゃっていたことを心熱く思い起こすが、もし仮にお二人がまた私たちの地区にお見えになるのであれば、自分たち住民が身の盾となってお二人を守りたいとすら思う。この気持ちを是非とも日本の国民の方々にお伝えしたい。」                    

 これらの言葉は、奥大使と井ノ上書記官が日本のイラク復興支援の原動力として、日夜粉骨砕身してきたことを示しています。同時に、彼ら二人を通じて、日本がイラクの人々にどう映っているのかという面も伝えています。二人を通じてイラクの人々が日本に抱くようになった気持ちこそ、まさに二人が私たちに遺してくれたものと言えるでしょう。

奥大使(前列右から2人目)
奥大使(前列右から2人目)

井ノ上一等書記官
井ノ上一等書記官


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