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15 「共に考え、共に歩んできた40年」-ブランタス川開発事業-



 わが国は、インドネシア・ジャワ島の東を流れるブランタス川の流域において、ダム建設による水資源開発及び洪水防御、灌漑設備の建設、農薬・農機具の無償供与による米の増産、水力発電によるスラバヤ近郊工業地帯への送電など、長期的かつ総合的な開発援助を行ってきました。その結果、同地域はインドネシア有数の穀倉地帯となり、またスラバヤは、国内第2の都市として発展を遂げてきました。2001年は、この日・インドネシア協力の金字塔とも呼べる本事業に対する援助を開始してから、ちょうど40周年目にあたりました。
 この事業に関して特筆すべき点は、円借款は単に「物」を作るだけでなく、「人」を作る協力ができるということです。同事業の実施を通して、日本人技術者からインドネシア人技術者に対して技術移転が行われ、ブランタスで育った多くの技術者は官庁で、また、技術コンサルタント、コントラクターとして活躍しています。現在インドネシア全土で、彼らは水資源開発分野などにおいて指導的な役割を果たしているのです。
 彼らインドネシア人技術者は、「ブランタス・スピリッツ」の持ち主として「ブランタス・マン」と呼ばれています。ブランタス川総合開発の生みの親といわれている初代ブランタス川総合開発事務所長の故スリヨノ氏は、“It was then not clear, which one was the main objective, to build dams or to build men.”(ダムを造ることと人を作ることと、どちらが主目的なのか分からなくなっていた。)と述べ、「ブランタス・マン」の誕生を表現しています。そして、その「ブランタス・マン」の一人であるスナルノ氏が、メガワティ政権で居住地域インフラ大臣に任命されるに到りました。
 このように、ブランタス川の総合開発は、わが国からの一方的な支援ではなく、日本とインドネシアが「共に考え、共に歩んできた」40年にわたる成果です。インドネシア人に大変感謝され、インドネシア人自身の誇りともなっている同事業は、地域の経済発展だけでなく、インドネシアを支える人材の輩出にも貢献したと言えるでしょう。


同事業40周年を記念して作られたポストカード



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