本編 > 第III部 ODA大綱原則の運用状況
92年6月に閣議決定された政府開発援助大綱(ODA大綱)には、国際連合憲章の諸原則(特に主権、平等、内政不干渉)及び4つの原則(注)を踏まえ、相手国の要請、経済・社会状況、二国間関係等を総合的に判断した上でODAを実施すべき旨規定されています。
また、ODA大綱原則の運用に当たっては、特に軍事支出や武器の輸出入、民主化、人権保障等の諸点について、各国の状況をモニターして適時・適切に対応しています。相手国に好ましい動きがあった場合には、他の外交的手段と併せ、援助を通じてもそうした動きを積極的に促進することが重要です。逆に、好ましくない動きがあった場合には、相手国の政治・経済・社会状況や置かれている安全保障の状況、さらにはそういった状況が過去と比較して改善されているか等を含め総合的な観点から検討の上、適切な措置をとっています。以下、その具体例について、中国、インド、パキスタン、ミャンマーについて説明します。
中国は改革・開放路線を積極的に進める中で、93年3月に「社会主義市場経済」の原則を憲法に明記し、99年3月には多様な所有制・分配方式を容認する方針を明記する憲法改正を実施し、2001年11月にはWTO加入が認められるなど、ODA大綱原則中の「市場志向型経済への移行努力」という観点からは好ましい動きが見られます。
一方で、わが国の再三の申入れにもかかわらず、95年に中国が核実験を実施したため、同年8月以降、日本は無償資金協力のうち緊急・人道的性格の援助及び草の根無償協力を除く全援助を凍結しました(96年9月に中国が包括的核実験禁止条約(CTBT:Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty)に署名したことを踏まえて、97年3月に凍結を解除)。
わが国はODA大綱に鑑み、中国の軍事支出や武器輸出等の動向を注視しており、種々の機会を通じてODA大綱の考え方を中国側に説明し、わが国国内に中国軍事費の増加等について懸念があることを伝えるとともに、軍事面での透明性向上などを働きかけています。2000年5月の日中外相会談や、同年8月の河野外務大臣(当時)訪中の機会等を捉え、唐中国外交部長に対し、わが国では厳しい経済・財政状況の中で対中ODAにつき厳しい意見もあり、対中ODAの実施には国民の理解と支持が必要であると説明し、中国が国防政策の透明性を高める努力を行うよう求めました。
こうした中、2000年10月の朱鎔基総理訪日の際、森総理(当時)より、対中ODAは日本国民の理解と支持の下に行われるべきであり、そのために中国側が広報努力を促進するよう促したのに対し、朱総理より、わが国の対中ODAを高く評価し、今後は広報を強化する旨、また、朱総理訪日直前に合意した特別円借款について感謝の表明がありました。さらに、日中間において海洋調査活動の相互事前通報の枠組みについての作業を加速することや安保対話、防衛交流の強化について合意がなされました(注)。また、2000年10月、中国政府が北京で開催した日中経済協力20周年記念式典には、中国側より呉儀国務委員、谷牧元副総理ら、日本側より与党三党訪中団(団長:野中広務特派大使)など、総勢約270名が出席しました。
中国の人権状況には、民主化の進展及び基本的人権の保障の観点から、依然として種々の懸念材料がありますが、憲法改正による法治の明記、刑法や刑事訴訟法の改正等基本法制の整備、司法改革、各国との人権対話の実施、人権白書の発表等のほか、2001年2月には経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約を批准するなど人権に配慮した前向きな動きもみられます。今後、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約に引き続き、市民的及び政治的権利に関する国際規約についても早期批准が求められています。わが国は、日中人権対話(前回は2000年1月に開催)等種々の場を活用し、中国側に対し人権の擁護・促進を働きかけているほか、法制度整備などの分野において同国の民主化に資する支援にも取り組んでいます。
いずれにしても、ODA大綱原則の考え方については、2001年10月に公表された対中国経済協力計画にも述べられているとおり、ODA関連の協議に限らず、ハイレベルを含む二国間のさまざまな協議の場などあらゆる機会を活用して中国側の認識と理解を深めるよう最大限の努力を払っていきます。特に、安全保障、軍備管理・軍縮、人権などの分野ごとに両国の関係当局間の協議が実施されており、これらはODA大綱の趣旨についての中国側の認識と理解を深める良い機会でもあります。わが国は、こうした協議の場を積極的に活用しながら、主張すべきは主張し、相互理解と相互信頼を増進させ、中国が国際社会の主要な一員としての責任を一層果たしていくよう働きかけるとともに、中国自身のそうした方向での努力を支援していきます。
98年5月、インドが地下核実験を実施したことから、わが国は直ちにインド側に対し強く抗議するとともに、核実験及び核兵器開発の中止、及び核兵器不拡散条約(NPT)と包括的核実験禁止条約(CTBT)への早期加入を改めて強く申し入れました。また、わが国は、ODA大綱原則を踏まえ、新規の円借款並びに緊急・人道的性格の援助及び草の根無償資金協力を除く無償資金協力の停止等を内容とする官房長官談話を発表し、以降さまざまな対話の機会を捉えCTBT署名を中心とする核不拡散上の具体的進展をインド側にねばり強く働きかけています。
また、パキスタンもわが国を含む国際社会の強い自制の呼びかけにもかかわらず、98年5月、インドに続き地下核実験を行いました。これに対し、わが国は同国政府に強く抗議するとともに、インドに対して行ったのと同様の申し入れ及び新規の円借款並びに緊急・人道的性格の援助及び草の根無償資金協力を除く無償資金協力の停止等を内容とする措置をとりました。
さらに、99年10月、パキスタンにおいては、軍部によるクーデターが発生しました。シャリフ首相が軍により解任され、ムシャラフ陸軍参謀長が行政長官に就任するとともに、憲法を暫定的に停止、国会及び地方議会の機能も停止しました。わが国としては、これらが民主的手続きによらない政権交代であることから、CTBT署名を中心とした核不拡散上の具体的進展と併せて民主化の進展を同国に対し働きかけています。2001年6月、ムシャラフ行政長官は、停止中の上下院・州議会を解散し、自ら大統領に就任するとともに、同年8月、2002年10月までの上下院・州議会選挙の実施、憲法改正を含む民政復帰へ向けたロードマップを発表しました。
2000年8月、森総理(当時)は南西アジア諸国を訪問し、インド・パキスタン両国首脳にCTBTの早期署名を改めて働きかけ、パキスタンのムシャラフ行政長官(現大統領)、インドのバジパイ首相及びシン外相からは、各々CTBT発効までの核実験モラトリアムの継続を確認したほか、両国ともCTBT署名についての国内でのコンセンサス形成に最大限努力することを明らかにしました。
2001年9月に発生した米国における同時多発テロに際し、パキスタンにおいてはアフガニスタン難民が流入する一方、治安状況の悪化等により経済状況の悪化が顕在化しました。これに対しわが国は、緊急の経済支援として47億円の二国間支援、公的債務の繰り延べ、国際金融機関を通じた融資への支持・支援を行うことを発表、すでにそのほとんどを実施しました。さらに11月には、パキスタンに対し、教育・保健分野を含む貧困削減支援のため、前述の47億円の二国間支援を含め今後2年程度で3億ドルの無償資金協力を行う等の追加的経済支援を、また、12月には、その一環として、9億9,700万円の無償資金協力を発表し、テロに対する国際的取組に協力する同国への支持・協力姿勢を改めて表明しています。
今次テロとの闘いにおいてパキスタンの安定と協力は極めて重要であり、国内的に大きな困難を抱えている同国を中長期的な観点から支援していくことが必要です。また、インドについても、今後のテロへの取組及び南西アジア地域の安定化のために大きな役割を果たすことが期待されています。さらに、両国は、過去3年にわたり核実験モラトリアムを継続し、今後ともこれを継続する旨表明しているほか、核・ミサイル関連物資・技術の輸出管理についてもその厳格な実施を表明してきており、わが国の措置は相応の成果を挙げたものと考えます。こうしたことを踏まえ、わが国は、2001年10月、両国に対する前述の措置を停止することを発表しました。なお、わが国は今後ともインド及びパキスタン両国に対してCTBT署名を含む核不拡散上の進展を引き続きねばり強く求めていきます。また、核不拡散分野における両国の状況が悪化すれば、本措置の復活を含め然るべき対応を検討することとしています。
ミャンマーに対しては、88年の民主化要求運動による政情混乱、その後の国軍によるクーデター以降、わが国の援助は原則停止されていましたが、95年のアウン・サン・スーチー女史の自宅軟禁解除などに見られる同国における事態の進捗に鑑み、従来の方針を一部見直し、同国の民主化及び人権状況の改善を見守りつつ、当面は継続案件や民衆に直接裨益する基礎生活分野の案件を中心にケース・バイ・ケースで検討の上、実施することとしました。
この方針に従い、2000年度は、母子保健サービス改善計画、シャン州国境地域飲料水給水計画、ヤンゴン総合病院医療機材整備計画の3件に対して計約15億円の無償資金協力を実施したほか、文化機材の供与、債務救済、草の根無資金償協力など、合計約35億円の無償資金協力を行いました。
また、99年11月の日・ミャンマー首脳会談の際に、小渕総理(当時)よりタン・シュエ国家平和開発評議会(SPDC:State Peace and Development Council)議長に対し、民主化及び人権状況の改善を直接働きかけるとともに、経済改革を支援する用意があることを伝えました。これは、ミャンマーの民主化に向けた政治改革のための環境造りを促すことを目的としたものです。これを受けて、ミャンマーの人材育成や経済改革のための政策提言を行うべく経済構造調整支援が開始され、日・ミャンマー双方の学識経験者、産業界、政府関係者からなる分野別タスクフォースにより調査、検討が進められています。
なお、2000年10月には、同年4月に国連事務総長特使に就任したラザリ氏(マレーシア元国連大使)の働きかけもあり、政府とスー・チー女史との間で直接対話が開始されました。その後、政府は、2001年1月から3月にかけて国民民主連盟(NLD:National League for Democracy)青年部員等の政治犯100名あまりを釈放し、さらに同年6月以降、NLD国会議員やスー・チー女史の従兄弟等の釈放(8月下旬までに約60名)を行ってきています。その他、政府は、国営メディアにおけるスー・チー女史やNLDへの非難を中止したり、いくつかのNLD地方支部の活動再開を許可したりする措置をとっています。わが国としては、今後もこうした状況の推移を引き続き注視し、適切な対応を取っていく考えです。