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人権・人道

作成及び採択の経緯


 人権の尊重は、国連が最も大きな関心を払ってきたことの1つです。例えば、国連憲章第1条は、国連の目的の1つとして、「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と規定しています。また、1948年に採択された世界人権宣言は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と宣言しています。
 しかし、現実には、1959年~60年にかけて、ゲルマン民族の優越性を主張して、反ユダヤ主義思想を扇動したりするネオ・ナチズムの活動が、ヨーロッパを中心に続発したほか、当時南アフリカ共和国では、アパルトヘイト政策による人種差別が行われていました。このような人種、民族に対する差別は、国連憲章や世界人権宣言に謳われている人間の尊厳や権利についての平等を否定するものであり、また、一国のみならず、諸国間の平和及び安全をも害するものです。
 こうした憂慮すべき事態が起きていたことを背景に、1960年の第15回国連総会において、社会生活における人種的、宗教的及び民族的憎悪のあらゆる表現と慣行は、国連憲章及び世界人権宣言に違反することを確認し、すべての政府がそのような慣行等を防止するために必要な措置をとるよう要請した「人種的、民族的憎悪の諸表現」と題するナチズム非難決議が全会一致で採択されたほか、植民地主義及びこれに関連する分離及び差別のすべての慣行を終結しなければならない旨の内容を盛り込んだ「植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言」が採択されました。
 しかし、人種、民族に対する差別は依然として存在し、このような差別を撤廃するためには、法的拘束力のない決議のみでは十分でなく、こうした決議に加え、各国に対し、差別を撤廃するためのより具体的な措置の履行を義務づける文書の採択が必要とされました。
 こうして、1962年の第17回国連総会において、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する宣言案及び条約案の作成」に関する決議が採択され、1963年の第18回国連総会には、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国連宣言」(注1)が採択されました。その後、既に、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の作成作業が行われていたにもかかわらず、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の草案の起草のための審議が優先的に行われ、その結果、宣言の採択からわずか2年後の1965年、第20回国連総会において、この条約が全会一致で採択され、1969年1月4日に効力を生じました。

1959年~
1960年
ネオ・ナチズムの活動がヨーロッパにおいて続発
1960年 第15回国連総会において「人種的、民族的憎悪の諸表現」と題するナチズム非難決議が全会一致で採択される。また、同総会において「植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言」が採択される。
1962年 第17回国連総会において「人種的偏見並びに民族的及び宗教的不寛容の諸表現」と題する決議案及び 「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する宣言案及び条約案の作成」に関する決議案が採択される。
1963年 第18回国連総会において「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国連宣言」が全会一致で採択される。
同年、国連人権委員会において、その下部機関である差別防止・少数者保護小委員会の意見を考慮しつつ、条約案を優先的に審議することを要請する旨の決議が採択される。
1964年 国連人権委員会に、差別防止・少数者保護小委員会より条約案が提出される。
1965年 12月21日、第20回国連総会において「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」が全会一致で採択される。
1969年 1月4日、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」が発効する。
1995年 12月15日、日本が「条約」に加入し、146番目の締約国となる。
1996年 1月14日、日本について「条約」の効力が生じる。

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