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第2回国連軍縮札幌会議軍縮教育セミナーにおける 平成16年7月28日 はじめに本日は、軍縮・不拡散教育につきお話しする機会を与えて頂き、大変に感謝している。私は、外務省で軍縮・不拡散を担当しているものであり、教育に携わっているわけではないが、国連で行われた軍縮・不拡散教育に関する政府専門家グループに政府専門家として参加した経験があるので、その経験も含めてお話ししたい。 本日お話しするのは、軍縮・不拡散教育とは何か、なぜ軍縮・不拡散教育が必要か、日本がどのような活動をしているか、また、今後の課題は何かである。 1.軍縮・不拡散教育に関する国連報告 2002年秋に開かれた国連総会で、「軍縮・不拡散教育に関する国連報告」が採択された。この報告書は、2000年の国連総会でメキシコが提出した国連決議に基づいて設立された政府専門家グループが準備したものである。もともとのアイデアはモントレー研究所のポッター教授の提案と承知している。 政府専門家グループはメキシコ(議長)、エジプト、スウェーデン、日本、ニュージーランド、セネガル、ポーランド、ペルー、インド、ハンガリーの10ヵ国の政府専門家で構成されている。私も、日本の政府専門家として参加した。また、ポッター教授は政府専門家グループのすべての会合に出席し、貴重な助言をいただいた。 この政府専門家グループの任務は次の諸点であった。すなわち、軍縮・不拡散教育とは何か、軍縮・不拡散教育の現状はどうなっているか、軍縮・不拡散教育促進の方策についての勧告、情報革命を含む最新の教育手段の活用、軍縮・不拡散教育に関連する国連機関の連絡調整の方策についての勧告、紛争後の平和構築への軍縮・不拡散教育の活用につき検討することである。会合は合計4回開催され、学者、平和・軍縮運動家、NGOなどの意見も聴取し、2002年に国連事務総長に報告書を提出した。 この報告書で特に重要なのは、最後の章に記載されている34の勧告である。このすべてを紹介すると長くなるので、差し控えるが、34の勧告の内15は、比較的少ない費用で早期に実現できるとされているので、紹介することにする。
軍縮・不拡散教育に関する報告書の日本による実施状況および今後の課題については次の項で議論することとし、この項では、現在の軍縮不拡散の状況と軍縮・不拡散教育の背景と必要性について述べる。 ●核軍縮と無関心 私の見るところ、冷戦後、特に21世紀に入って以来、核軍縮に対する関心が急速に後退している。たとえば、1982年に開かれた第2回国連軍縮特別総会の際には、数千万人の日本人が核廃絶を求める署名を行い、国連事務局に持ち込んだ。署名の量が余り多かったので、国連の床が抜けるおそれがあり、全部は持ち込めなかったほどである。今や、核軍縮についてこれだけの人々が関心を持つ状況ではない。 それでは核軍縮は順調に進んでいるかと言えば、必ずしもそうとはいえない。確かに、米ソの戦略的対立の解消により米ロの戦略核兵器の削減は進んでいるが、戦術核兵器の削減は十分とはいえない状況である。中国の核戦力は不透明であり、具体的な形で核軍縮を行っているという報告はない。インド、パキスタンの核戦力については、核実験を行った1998年以来、核保有が既成事実化してしまった感がある。日本があれほど熱心であったCTBTは未だに発効しておらず、早期発効の見通しも立っていない。兵器目的の核物質の生産を禁止するカットオフ条約に至っては、交渉開始の見通しも立っていない。 このような状況にもかかわらず、核軍縮の促進を求める声は必ずしも大きくない。もちろん、今でも米国の小型核兵器の研究開始に対する反対の声などはあるが、冷戦時代に比べると核軍縮に対する内外の関心は大幅に低下している。大多数の人々は核軍縮の現状に満足しているのであろうか?核軍縮をあきらめたのであろうか?あるいは、関心をなくしたのであろうか? 私としては、いずれが原因なのかよく理解できないでいるが、現状は極めて残念である。私は、一般的な見方とは異なるかもしれないが、冷戦後の今こそ更なる核軍縮のチャンスがあると考えている。第1に、米ロはもはや戦略的対立関係にないので、巨大な核戦力を持ち続ける必要に乏しい。第2に、巨大な核戦力を持ち続けることは、不拡散の観点からリスクを伴うことになる。もちろん、核軍縮の促進は容易ではないが、現在の安全保障環境から考えれば、更なる核軍縮の可能性はあると考えるのが合理的である。軍縮・不拡散教育を通じ、より多くの方々に核軍縮に関する関心を再び持っていただきたいと考える次第である。 なお、核軍縮の観点から、ご紹介したいのは、旧ソ連邦諸国への非核化協力である。プーチン大統領の言葉によれば、「冷戦が終わってみると、ロシアには大量破壊兵器と借金の山が残った」とのことである。核兵器を解体するとプルトニウムと高濃縮ウランが回収される。これを放置しておくと再び核兵器に使われる恐れがあるので、高濃縮ウランについては米国が買い取って低濃縮ウランにうすめ、原発で燃やしている。プルトニウムについてはロシアの原発で燃やす計画があり、日本が試験的に燃料体3体を燃やしたが、本格的なプロジェクトはまだ開始されていない。また、日本はロシア極東部で、原子力潜水艦の解体を行っており、日本海の環境保護と軍縮に役立っている。かつては、核軍縮といえば、核兵器国に対して「呼びかけ」ていればよかったが、核軍縮が現実に進むようになると、非核兵器国も人、金、知識を投入して参加する可能性が生ずる。核軍縮に必要な資金は膨大であり、技術、検証も必要となる。核兵器は核兵器国が作ったのであるから、その廃棄も核兵器国の責任で行うべきだという議論は正しい議論であるが、非核兵器国が協力すればより早く軍縮が進むことも事実である。そして、このような協力の是非を検討し、核解体に貢献できる人材を育ててゆくためには、軍縮・不拡散教育が必要であるとおもう。 ●通常兵器に対する関心の高まり 核軍縮への関心の低下とは対照的に、小型武器や地雷をはじめとする通常兵器の分野では世界的な規模で関心の高まりが見られる。 もともと、軍縮が叫ばれるようになったのは19世紀の後半、科学・技術の進歩に伴って残虐な兵器が出現したことが1つの動機であった。例えば、1868年のセントピーターズブルグ宣言はその好例である。人道主義の伝統は、第一次大戦と第2次大戦の間の期間および冷戦期を通じて、軍縮の底流として生き続けたが、具体的な軍縮条約には結びつくケースはまれであった。冷戦期に作成された軍縮条約で人道主義を強く反映した条約は、1981年の特定通常兵器禁止条約(CCW)くらいである。 ところが、冷戦終了の前後、特に1995年から、対人地雷、小型武器の被害が次第に脚光を浴びるようになった。その背景には、冷戦の終結と前後して多くの地域紛争が起こり、多数の死傷者が出たほか、埋設地雷・不発弾や非合法に蓄積された小型武器が、紛争後の復興を妨げていることがあげられる。 地雷・小型武器の分野でも、軍縮・不拡散教育の果たす役割は大きく、また、多様である。オタワ条約に見られるように、対人地雷の分野では、市民社会が強力な推進者になった。この問題に関心をもった市民が、自発的に深く研究し、仲間を拡大し、結果に結び付けていった。国連の政府専門家会合でも繰り返し指摘されたことであるが、軍縮・不拡散教育というのは確立された考え方を教えることではなく、「批判的に考える(critical thinking)」ことの重要性を教えるものである。また、対人地雷への取り組みに当たっては、関心を持った市民がインターネットで情報を交換し合い、映像を用いた力強いpresentationが多用されているが、政府専門家会合でも、情報革命の成果を活用することが奨励されている。多少観点は変わるが、地雷教育は対人地雷による子供や市民の被害を減少させるのに大いに貢献しており、私もアフガニスタンの難民キャンプでその現場を見てきた。ここでお話したのは、ほんの一例であるが、ひとびとの意欲と想像力があれば、軍縮・不拡散教育を通じて様々な意味のある成果が引き出せると思う。 ●大量破壊兵器の不拡散問題 現在の国際社会が直面する最も大きな問題のひとつが、大量破壊兵器の拡散、なかでも、大量破壊兵器がテロリストなどの手に落ちることである。 冷戦の時代は、核兵器をはじめとする大量破壊兵器を持つことは米ソ間の戦略バランスを崩すことにつながったため、大量破壊兵器を持つことは極めて困難であったが、冷戦終了前後からこのような国際的な枠組みがゆるみだした。加えて、近年、情報、知識、教育、技術、物資の移動と普及が大量かつ迅速になった。その結果、大量破壊兵器は、開発途上国を含む核兵器国以外の国、および、非国家主体にとっても入手が可能になった。 現在の国際社会では、大量破壊兵器を持とうとするものとそれを阻止しようとするものとの間で激しい戦いが続いている。この戦いで勝利を収める、すなわち、大量破壊兵器の拡散を阻止するためには、多くの国、政府の中の機関、企業、メデイアなどが、不拡散問題の重要性を理解し、拡散を阻止するための方法を考え、能力を高め、協力してゆかなければならない。 不拡散の分野でも、軍縮・不拡散教育は、大きな力を発揮しうる。大量破壊兵器の拡散を防止するためには、幾つかの面で措置を執らなければならない。国内法制による規制、輸出管理、税関での水際措置、輸送段階での阻止などが政府として執りうる措置である。また、国家間の協力、機微な資機材を生産する企業の意識の向上、メデイア・世論の支持も必要である。このような目的を達成するためには、不拡散との戦いに従事する政府職員、企業、メデイアなどが、不拡散についての知識と経験を積むことが必要であり、軍縮・不拡散教育はそのための有効な手段となりうる。 また、国際的な不拡散体制を支えてゆくためには、知識と経験を持った人材が必要である。たとえば、CTBTOやOPCWでは査察官が勤務しており、核兵器や化学兵器の拡散防止・廃棄に大いに貢献している。日本は教育水準も高く、原子力や化学産業も発達している割には、これらの国際機関で働く日本人の数は少ない。より多くの日本人がこれらの国際機関で働けるようにすることは、私の仕事の一つである。是非、一人でも多くの日本人が軍縮・不拡散の分野に関心を持ち、研鑽と経験を積んで、国際機関で活躍されることを願ってやまない。 3.日本の活動とこれからの課題 軍縮・不拡散教育の分野で今必要なことは、国連報告に盛り込まれた34項目の勧告を少しでも実施することだと思う。残念ながら現実を見ると、実施ぶりは必ずしもはかばかしくないが、相対的に見て日本は熱心に活動を行っているので、その一部をご紹介したい。 ●日本政府が行っている活動の一つに軍縮フェローシップがある。日本政府は、1983年以来毎年約25名の若手外交官を日本に招待し、広島市および長崎市のご協力を得て、両市訪問を行っている。2003年現在までで約480人がこのプログラムで来日しているが、その方の多くがその後も軍縮・不拡散分野で活躍しており、また、ジュネーヴの軍縮大使として活躍している方もいる。1989年以降は、国連、地方自治体、日本政府の協力により、日本各地で国連軍縮会議を開催しており、この札幌軍縮会議もその一環である。この場を借りて札幌市のご協力に感謝したい。また、2002年からは一年に一人のペースではあるが、外国から軍縮教育の専門家を招き、全国で講演を行ったり、被爆者との交流を行ったりしている。これは、外国の経験を日本に紹介してもらうだけでなく、来日した専門家が日本で得た経験を外国に持ち帰って紹介してもらうことを目指しており、そういった意味で、双方向的なものである。さらに、日本国際問題研究所の軍縮・不拡散促進センターでは、2004年の春から若手の研究者、ジャーナリストなどを対象に軍縮・不拡散セミナーを行っている。国際場裏での働きかけという点では、日本政府はNPT運用検討会議準備委員会、国連第一委員会などで必ず軍縮・不拡散教育の問題を取り上げたり、日本の活動を紹介する作業文書を提出したり、志を同じくする国々とともに軍縮・不拡散教育促進のための作業文書を提出するなどの努力を行っている。これは、より多くの国に軍縮・不拡散教育の重要性を理解してもらい、実施してもらいたいという意図に基づくものである。また、今年秋に開かれる国連第一委員会に際しては、ポッター教授とともに軍縮・不拡散教育に関するサイドエヴェントを行いたいと考えている。長くなるので具体的事例の紹介はこの程度にするが、最後に、今年の春、外務省は「日本の軍縮・不拡散外交」を監修・発行し、外務省のホームページにも載せているので、ご紹介しておきたい。この刊行物は、近く英語にも翻訳される予定である。また、最近の話題については外務省のホームページ「軍縮・安全保障」の欄に載せているので参照して頂きたい。 ●さて、今後の課題であるが、私の考えでは、「実施」につきると思う。日本はこの問題に熱心に取り組んでいるが、まだ、始まったばかりであり、さらに活動を広げてゆく必要がある。なお、この分野では政府としても努力してゆく考えであるが、地方自治体や市民社会の活力、熱意、創意工夫が非常に重要な分野であり、その活躍に期待したい。札幌国連軍縮会議はその良い例であり、このような活動が広がることにより、日本の軍縮・不拡散に関する知識と経験が広がってゆくものと思う。国際社会に目を向けると、まだ、軍縮・不拡散教育に関する関心は低い。政府専門家会合に専門家を送った国が中心になって、軍縮・不拡散教育についての認識を高めてゆく努力を行っているところであるが、まだ、十分浸透しているとはいえない。その意味でも、日本政府・市民社会の取り組みは、日本の活動は諸外国に対しても大いに参考になると考える。 軍縮・不拡散教育は、地味かつ息の長い活動である。また、活動の幅も広く、焦点がやすいという問題もある。しかし、長い目で見れば、十分に投資する価値のある分野なので、皆様のご理解とご協力を賜りたい。 |
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