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日時:1999年2月9日、19:00~21:00
場所:外務省飯倉公館
【第一部】 <研究会開会に当たって>
座長: 行天 国際通貨研究所理事長 司会: 篠原 国際通貨研究所専務理事
司会:篠原委員それでは始めさせていただきます。本日はお集まりいただきましてありがとうございました。私、国際通貨研究所の篠原でございます。これから第一回国際経済・金融システム研究会を開きたいと思います。
まず外務大臣のお言葉を。高村外務大臣
本日、国際経済金融システム研究会のスタートに際し、一言ご挨拶を申し上げます。先ずは座長をお引き受け頂いた行天豊雄国際通貨研究所理事長、委員に加わって頂きました各界を代表する皆様方に厚く御礼を申し上げます。また国際通貨研究所には様々なご支援を頂くことになっており、この場を借りて研究所の皆様に御礼を申し上げます。
一昨年のアジア経済危機、金融危機はその後ロシア、ブラジル等の新興市場諸国に波及し、世界経済全体を大きく揺るがせた事態に発展をいたしました。このことはブレトンウッズ体制を軸とする戦後の国際金融、経済システムや各国の政策協調の在り方が、グローバリゼーションに象徴される世界経済の実態の急速な変化に十分追いついていないことを示しております。また経済合理性のみによって動く巨大な市場が一般国民に対してもたらし得る脅威に対し、市民社会の懸念が高まっていることも見逃してはなりません。ここは市場経済のダイナミズムを最大に発揮さすと同時に、人間性を十分捕らえたシステムを構築するという新たな課題を与えられつつあると申せましょう。本年の5月にOECD閣僚理事会、6月にはケルン・サミット、9月にはAPEC首脳会議等が開催され、更に来年にはわが国でG8サミットが開催される予定でありますが、こうした場ではこの新たな秩序作りが最も重要なテーマになると思われます。
このように、この問題は金融経済問題に留まらず、その域を越えて政治外交全体に大きな比重を占めるものとなっております。わが国としても、アジアの視点を踏まえ、その歴史的とも言える知的作業に積極的に貢献していくことは、国際的権利であるとともに、国民に対する義務であると考えております。また世界経済が困難に直面する中、実体経済の面でも各国が保護主義に後退することなく、貿易投資の自由化の促進を通じて、多角的貿易体制を強化させる必要があります。2000年からの世界貿易機関の次期交渉に向けて、わが国としていかにすべきかとの戦略を検討すべき時期を迎えております。こうした課題に関し、各界を代表する皆様から金融、貿易、投資、開発等の相互関係を考慮した広い視点に立って自由にご議論頂き、21世紀に向けて日本が能動的な外交を展開していくための指針を示して頂くことが、まさにこの研究会の目的であります。私といたしましてもこの研究会の成果を今後、国際会議等の場で、できるだけ紹介できるよう各会合での議論をフォローしていく所存でございます。委員の方々の積極的なご参加をお願いして、簡単ではありますが私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。篠原委員
ありがとうございました。
それでは行天座長、よろしくお願い致します。行天座長
高村大臣、ありがとうございました。ただいま大臣のお話にございましたように、私、この国際経済金融システム研究会の座長を拝命いたしました行天でございます。先ずは高村大臣をはじめ、外務省の皆様、それから大変お忙しいところ委員をお引き受け頂きました皆様方に、心から御礼を申し上げたいと思います。
本日は第一回の会合でございますので委員の方々もお互いにご存じない方がいらっしゃいますので、お名前とご所属だけでもお話し頂けるとありがたいのですけれど。外務省経済局の大島でございます。よろしくお願いいたします。
伊藤委員 : 一橋大学の伊藤隆敏です。 浦田委員 : 早稲田大学の浦田と申します。よろしくお願いいたします。 岡本委員 : 岡本アソシエイツというコンサルティング事務所をやっております岡本行夫と申します。 小川委員 : 一橋大学の小川です。 楠川委員 : 富士総合研究所の楠川でございます。 小島委員 : 日本経済新聞の小島でございます。よろしくお願いします。 近藤委員 : 伊藤忠商事の近藤でございます。よろしくお願いします。 下村委員 : 政策研究大学院大学の下村でございます。 竹中委員 : 慶応大学の竹中でございます。 長谷川委員 : トヨタ自動車の長谷川でございます。 茂木委員 : キッコーマンの茂木賢三郎と申します。 山澤委員 : 一橋大学の山澤でございます。いまJETROアジア経済研究所も兼務しております。 どうもありがとうございました。ただいま大臣からもお話がございましたように、80年代の半ばに冷戦が終わりましてから、これから一体、世界の経済とか、金融の新しい秩序、システムというのはどのようなものであったらいいのかということを考え始めていたと思います。しかし現実には頭の中で考えているのよりはるかに早く、振り返ってみますと一つにはいわゆるグローバリゼーションの流れ、もう一つは俗に言う市場原理の尊重と申しましょうか、市場の力への尊重という動きがございます。三番目にはすさまじい情報化の流れというものがあって、こういう三つの流れの中で、なんとなく新しい秩序というものが事実上、動き始めてしまったように思うのでございます。
ところが10年以上経ちました今日、自然に我々を支配し始めた三つの力というものに対して、本当に無条件でかつ無制限に流されてしまっていいのかという感じが出てきていることも事実のように思います。まさにその点が先程、大臣がご指摘になった新しい秩序というものに対する新たな関心の高まりになって現れておるのではないかと思います。
特にこの新しい秩序に向けての関心というのは、一昨年のアジアの金融危機に触発された面が非常にあると思います。したがってこの研究会の役割というのはそういう背景の中で日本の視点、この場合はアジアに主な軸足を置いている日本の視点というものを中心にして、新しい経済金融秩序の問題について勉強をしていくということではなかろうかと思っております。今年いっぱいという限られた時間もございます。多分、会合は大臣を始め皆様のご都合等々もございますから、一月に1回ということで10回位かと思います。そうしますとその10回の会合で非常に整合性のある、精緻なグランドデザインを作ると言うことは、常識的に考えても無理だろうと思いますが、ただ先程、大臣もおっしゃいましたように、貿易とか、投資を含んだ資本の流れの問題、途上国に対する援助とか協力の問題、四番目には国際的な通貨の問題というような視点で、できるだけ具体的に皆様に議論して頂いて、それをいくつかのレポートにまとめて大臣へのご報告ということにさせて頂けるものと思っております。
私、今、考えておりますのは、これは皆様とご相談してでございますけれども、どういうテーマについて毎回、議論するかということをまず決めまして、それぞれのテーマにつきまして委員の中からお一人の方、あるいはお二人の方にレポーターになって頂いて報告をして頂く。それに対して議論をできるだけ深めるという意味で、同じく委員の中のどなたかにコメンテーターということで、レポーターのレポートに対して、いろいろ更に幅広い立場から意見を言って頂いて、その後、委員全員で議論を深めると、このようなスタイルがよろしいのではないかと思っております。具体的なテーマあるいはレポーター、コメンテーターの割り振り等につきましてはできるだけ早く、私ども事務局の方で案を作らせて頂いて、お知らせをできればと思います。時間的な制約がございますから委員の皆様方それぞれ研究の分野、あるいは実務の分野で大変、幅広い造詣を持っていらっしゃる方でございますので、お聞きしたいこと、ご意見を拝聴したいことがたくさんあるのでございますが、できるだけいつも簡にして要を得ているということを念頭に留めていただいてご議論を交わして頂ければありがたいと思います。
本日は委員の方、皆様にご出席頂きたかったのでございますけれど、残念なことに田中明彦さんと連合の鷲尾さんはご都合が悪くて欠席でございます。それから吉冨さんはこのセッションはご都合が悪いのですけれども、次の夕食とディスカッションには出るとおっしゃっておりました。
第一回のテーマは、先程申しましたようにやはり、大臣のお言葉にもございましたけれども、この問題を触発した一つの大きな契機でもあり、それからおそらく今後、この問題を考えるに当たって絶えず我々が戻っていかなければならない非常に貴重な経験でもある「アジアの通貨危機の政治経済学」「アジアの通貨危機の分析」というテーマで伊藤隆敏 委員にお話を頂いて、それに対しまして篠原委員からコメントをして頂きます。
それをもって第一部を終わって食事に移るということにさせて頂きたいと思います。<基調報告並びにコメント>
基調報告
30分あるかなと思って用意してきたものがありますので、2倍のスピードでしゃべって時間に収めたいと思います。
伊藤委員:「アジアの通貨危機の政治経済学-アジア通貨危機の分析-」
これからしゃべります内容は、一橋経済研究所の『経済研究』という雑誌の最新号の論文、『国際問題』という雑誌の最新号の論文、それから『外交フォーラム』というところの最新号の論文、その三つを合わせた話をまとめてお話ししたいと思います。
「アジアの通貨危機とその政治経済学」ということでお話しさせて頂きますけれども、アジアの通貨危機に関しましては論文がもう何本も出ておりますが、これは私の理解では一つの原因ではとても切れない、いくつかの各国に共通の要因もあるけれど、各国それぞれ個別の要因もある。これをきっちり分析、区別しておかないと、その原因はこっちはこっちだと、いやあっちはあっちだと言っても、全く埒があかないということになると思います。
私の整理ですと共通要因としては三つある。これはドルペッグを採用していたということ、それから脆弱な金融システムがあった、それから短期資金流入が非常に大きかった。この三つは大体どこの国にも共通でありまして、個別の要因としてはタイにおいては資産バブルが非常に大きかった。インドネシアはあまりなかった。投機筋の通貨攻撃も、これはタイとそれからマレーシアについては非常に大きかったけれども、インドネシアや韓国ではあまりなかった。資本逃避はきわめてインドネシアで大きかったけれども、タイや韓国ではそれほど大きくなかった。それから投資家の群集行動ということでは、これは主に銀行の行動を考えているわけですが、これは韓国について非常に大きく当てはまっているということだと思います。
こういう整理が何が役に立つかというと、経済危機が経済ファンダメンタルズの弱い、つまり国が政策をまちがった、自業自得であるという問題なのか、あるいはスペキュレーターが悪い、あるいは貸し手の群集行動がいけないんだと、これはまあ先進諸国の方が悪いんだというような意味合いを持つことになるわけですが。はたまた居住者が先に逃げているではないか、あるいは大統領自らが資金を外に持ち出しているみたいだねというような、また自業自得な話と、いろいろ政治経済学的なインプリケーションがその裏にはあるということも見逃すことはできないと思います。
次に個別の国についてざっとおさらいしておきますと、タイについては1997年7月2日に通貨の実質的な切り下げが行われまして、アジアの通貨危機の震源地とされているわけですが、実は危機はそれ以前に始まっていたわけです。経常収支の赤字のサステナビリティーにとって重要な指標である経常収支赤字/GDP比率が8%を超えていました。8%という水準は1994年のメキシコの通貨危機とほぼ同じ水準でありまして、これは極めて危険な水準という意味でファンダメンタルズが確かに悪いわけです。輸出が95年から96年にかけて非常に急激に下落しまして、95年には前年比20%以上で上昇していたものが96年には前年比でマイナスということで非常に輸出が下落した。これで一気に経常収支赤字のサステナビリティーの問題というが投資家の間でクローズアップされた。
その一方、国内はバブルが生じて、弾けておりまして、生じたのは93年、94年にバブルがありまして、これは日本と全く非常によく似ておりまして、株が2倍になる、不動産が2倍、3倍になる、ゴルフ会員権が上がる、絵画が上がるということが起こりまして、これが95年、96年で、バブルが弾けます。それで不良債権になるというお決まりのパターンで、通貨危機になる前にすでに国内のバブル崩壊を受けて金融機関は不良債権まみれになっていたということなのです。そういう意味ではファンダメンタルズが確かに悪かったんだということで、その通貨危機に先立って国内金融危機がすでに発生していたということが言えます。
ところが通貨危機を実際に先鋭化させたというか、実際に最後の引き金を引いた、最後の藁の一本を置いたというのはやはり投機だった。これは今ではよくドキュメンテーションがされているわけですけれど、1997年5月13日、14日、この二日間で巨額の、100億ドルとか、150億ドルという巨額の投機売りが入った。これは先物のバーツで売りが入ったわけですけれど、これによって中央銀行の外貨準備が、バランスシートの外貨準備ではなく先物の外貨準備を、先物で外貨準備をという意味でオフバランスでなんですけれども、外貨準備を失ってしまった。外貨準備がなくなれば固定相場というのは成り立ちませんから、これは当然、通貨の切り下げにつながるということです。したがって、ファンダメンタルズが悪くなる、投機が入った、外貨準備を失った、切り下げ。非常にわかりやすいパターンなわけですね。
こういうわかりやすいときにはIMFが入って来るとやることが決まっていて、財政を引き締めろ、金融を引き締めろ、その情報を公開しろというような形で入ってくるのです。これが8月です。ところがメキシコのときと違ってバーツがなかなか回復しない、だらだらと下がっていく。これはなぜ下がったかというのはまたいくつか仮説がありますけれども、一つは政権がなかなか言うことを聞かなかった、IMFがいろいろ指示を出すのにそれをきちんとやらなかったというのがIMF側の言い分になるわけです。確かにそういう面もあったと思います。
実際にIMFプログラムが動き出し、実際に実行に移されるのは、11月の政権交代を経てからになります。これで現在のチュアン首相、タリン蔵相のコンビが97年11月に登場しまして、これ以後、忠実にIMF路線を進んで行くという改革が進んでいます。
まず最初にやったのは破綻金融機関の処理、これは金融機関が痛んでいるからコンフィデンスが起きないんだ、だから金融機関は悪いものは全部処理しなくてはいけないということで、これをやったのが1997年12月になります。ところがそれに先立つこと一ヶ月間、実は破綻金融機関のどれを再建して、どれを清算するのかということについて、金融再建庁というところでコンサルタントを雇って全部見直しをするのですね。これは世銀で350万ドルだったか、もっと巨額でしたね、その世銀の支援がありまして、コンサルタントを雇ってやるわけです。誰が来るかと言うと、結局、プライスウォーターハウス、クーパースとかそういうところから200人ぐらい国際的な会計士が入ってですね、不良債権の塊であるファイナンスカンパニーというところの債権記録を全部見るわけです。これは後で話しますけれども、これを全部見るということは要するに彼らの頭の中にタイの金融機関はどれぐらいの価値があるのかというのは全部インプットされてしまうということです。そこに日本人は誰もいないということですね。
少し脱線しますと、例えば日本の不良債権処理というものが4年早く終わっていれば、95年の住専がごちゃごちゃやっていたときにもさっとやっていれば、そこで不良債権処理のノウハウというものが蓄積されていて、97年にアジア通貨危機が起きたときにはみんなが出て行って日本ではこうやったんだぞというような形でコンサルタントになっていたのに、それができなかったという非常に恥ずかしい状態だったと思います。
98年に入りまして、この破綻金融機関を処理したにもかかわらず景気は回復しません。この辺りからそのIMF路線に疑問がつきまして、いつまでも財政を引き締めていていいのだろうか、全然景気が悪いままじゃないか、この辺からIMFも徐々に舵を変えまして、財政に関しては緩めるということで、当初、当初というのは97年8月のプログラムでは黒字1%だったのが赤字1%、次に赤字2%というように長期財政に関してはどんどん緩めていきます。これが98年です。ところが商業銀行に今度は不良債権がやってくるという形でどんどん実体経済の悪化と金融問題の深化というものが進んできます。最後に昨年の12月に、先程言いました破綻金融機関の債権の売却というのの最終段階で、商業ローンを非常に大量にワンビリオン・ダラーズ・セールを行うという形で売却をしようとしたのですが、これがなかなかうまくいかないということで一応、失敗ということになっています。国内では資産の叩き売りじゃないかという批判が持ちあがるし、国際的にもせっかく外資を入れて国内の不良債権を処理しようとしたのに失敗したということで、批判が高まっているということで、ちょっとここのところまた苦しい状況になっている。第二次の売却が3月に行われますが、これでどういう結果になるかというのが当面の焦点になっています。
インドネシアに話を移しますと、これはタイの場合とはちょっと違ってまして、インドネシアにIMFが入ったのは97年の10月の末です。このときにはインドネシア経済は少なくともマクロで見る限りはかなり健全だったんですね。タイに関しては患者が病気になってから医者のところに来るから医者が一生懸命にやってもだめなんだということで、IMFはタイでうまくいかなかったと正当化しようとするんですけれど、インドネシアの場合には健全な患者が念のため健康診断を受けておこうか、予防接種を受けてみようと言って予防接種を受けたら、やはり病気になってしまったというような感じがあります。せっかくプログラムを作ったのにむしろそれが逆効果になった。それではなぜ逆効果になったんだという分析が必要なのですが、一つは国内の政治的な派閥争い、改革派対スハルト・ファミリーというところにIMFが絡んでいってしまったという問題だと思います。したがってプログラムに合意したんだけれど、よくよくスハルト大統領の、よくよく中身を見てみると、どうもファミリーにとってよくないということで、合意した後でそれを後戻りするというようなことを始めた。そうすると今度、市場の信頼が失われていくという形で、極めてこれは政治的なものにどんどんなっていったのです。経済危機ではなくて、これはもう政治危機であるということになりまして、何をやってもうまくいかないというで12月、1月とどんどん、どんどんルピアが下がって、危機の前の6分の1の価値まで下がってしまったということになっています。
その過程で何が起きたかというと、IMFのプログラムがどうもうまくいっていない、銀行危機が起きて資産凍結になるかもしれないということで、居住者、特にお金持ち、これは要するに華僑ですけれども、これがどんどん海外に逃げるという過程で12月、1月にルピアが底無しのところに落ちて行く。これはまさに経済危機から政治危機になり、それが資本投機を起こし、また政治危機、経済危機になるというパターンであったと思います。したがってこれは政治危機になってしまったわけですから、政治家が解決しなければ何も解決しないということで、今年の6月の国民の総選挙、その後の国民協議会それから大統領選挙というところまでいかないとインドネシアの先は見えてこない。いくらIMFプログラムを作ったところでうまくいかないということだと思います。非常に不幸な事態だと思います。
韓国の場合には、韓国の財閥の破綻ということ、それから財閥にくっついていた総合金融公社というマーチャント・バンクと呼んでいますけれども、これが破綻していたというのが通貨危機の前から起きてました。韓宝(ハンボウ)というところが、製鉄所が破綻したり、起亜(キア)という自動車も作っているところが破綻していたというのは韓国が通貨危機に陥るずっと前にすでに起きていたことです。しかもタイやインドネシアで危機が起きているときも、韓国ではそれほど通貨は下落していなかった。韓国が下落し始めたのは11月に入ってからですから、極めて急激に、突然、ウォンが下落していくということであったわけです。
一つの動きはですね、インドネシアからどうも伝染効果が起きたようだ。これは理由がありまして、韓国がインドネシアに持っていた債権というのは非常に大きいものがあったわけです。これがインドネシアが不良債権化する、そこで韓国が苦しくなって外国に持っている他の資産を売ってなんとかロスをカバーしようとする。これがブラジル、ロシアに飛び火していくというようなことが起きまして、韓国がインドネシアからある意味で伝染効果を受けたというのは明らかなのです。
これともう一つ非常に韓国にとって不幸だったのは、お隣の日本で金融危機が起きていた。これが11月です。山一、北海道拓殖銀行が11月ですから。これが韓国の危機と同時に起きているわけで、これを国際投資家から見るとですね、韓国、日本、どうもなんかお隣同士の国でお互いに一方がガタガタしているねということで、ジャパン・プレミアムだったのがいつのまにかコリア・プレミアム、それがまたジャパン・プレミアムに跳ね返りということで、これは非常に不幸なタイミングだったと思います。
これ以外に関しては、よく言われている「日本責任論」というものは、例えば輸入を全然しないからアジア通貨危機が起きたとか、円安だからアジア通貨危機が起きたとかいうことはほとんど立証できないことだと思います。輸入は98年の初めぐらいまでは非常に堅調だった、円安にもかかわらず堅調だった。円安が急降下を起こしたというのも少なくとも97年はあまりなかった。98年になったら多少あるんですが。したがって少なくとも回復は遅らせたかもしれないけれども、危機を起こしたという責任は日本にはないと思います。ただ韓国に関しては多少、その金融危機の増幅という意味ではあったかもしれない。
それから実際に韓国がどんどん危機に陥っていったというところのメカニズムというのは、まさに日・米・欧の銀行団が韓国に対しての貸していた金の借り換えをどんどん拒否していたということです。これはまさに銀行が国際的な取り付け騒ぎにあっていたというのと同じことでありまして、資産をいくら持っていても銀行というのは長期の資産、まあ貸付を行っているわけですから、短期的な取り付けが起きれば、その預金者が全部預金を返してくれとある日突然来れば、これは倒れてしまうわけです。それと同じことが国際的な規模で起きていたというふうに理解するのが一番手っ取り早い。
ではなぜ日・米・欧の銀行が談合したわけでもないのに突然、韓国に対してのロールオーバーを拒否し始めたのかというところがミステリーでありまして、国際銀行団は何を見ていたのか。おそらく短期借入の比率というのを見ていた。短期借入というのはBISの指標でありまして、国際的な先進国の銀行が韓国にどれだけ貸しているかという数字があるわけです。これも公表データなんです。それと韓国の外貨準備を比べても、そうしますと短期借入割ることの外貨準備という比率が韓国の場合2を超えているのです。つまり銀行が全部、短期のロールオーバーを拒否すると、外貨準備というのは6ヶ月ぐらいの間に底をついてしまうということはわかっている。そうするとみんなやっぱりロールオーバーを拒否する。因みにこの比率が1を超えていたのはタイとインドネシアです。それ以外の国、フィリピンとかマレーシアとか中国は全部1以下、つまり外貨準備を全部使って返済すれば、返済できるということです。例えば国際銀行団も急にこのことに気が付いて短期借入というのは危ないねと、この比率を見てみようということをしたとすると、これがその流動性の危機に繋がっていったということがあったのかもしれない。
それから韓国の場合、12月4日にIMFのプログラムができるのですが、これは見事に失敗します。これはウォンの下落を止める何の役にも立たない。これは実は24日にG7とそれからIMFのいわば行政指導によって、国際的な銀行団に借り換えをしなさいということ言うのです。これによって結局、事態が沈静化するということで、韓国の危機の本質というのは要するに借り換え拒否ということで起きていた。従ってIMFがこれに対して、スタンド・スティルという言葉を使いますが、要するにロールオーバーしなさい、強制ロールオーバーを命じたことによって危機がそこで収束するという非常に不思議というかドラマティックな危機の終わり方だったわけです。それ以降はロールオーバーさせておいて、後は外貨準備がどんどん積み増して、要するに経常黒字になって外貨準備をどんどん積み増していって、ほとんど今や誰も韓国のことは心配していない。国内の財閥改革とか労働市場改革というのは残っていますけれど、それはむしろ国内問題で、いかに効率的な経済の再構築をしようかということです。国際収支については誰も心配していないという状況に一年間でなっているわけです。
したがって言いたかったことは、国によってファンダメンタルズがどのぐらい悪かったのか、それから流動性がどのぐらいきつくなっていたのかというと、国によって、あるいはその国のどの月の話をしているかによって全然違うということを理解していただきたい。その中で結局、投資家、ソロスが悪いとか、その国の自業自得だということはいろいろ出てくるわけですが、これはどの国のどの時期のことを言っているのかということをはっきり押さえて頂かないと、非常に的外れな議論になってしまうのではないかなあということを訴えたかったわけです。
ちょっと視点を変えて政治経済的に見ていきたいと思います。この過程で日本がおそらく唯一、非常に積極的に貢献しようとした、そして挫折したのがいわゆるアジア通貨基金構想です。これは97年秋、これはタイに対しての支援パッケージで、日本が中心になりまして、IMFと協調で支援をまとめたわけですが、これの成功に気をよくしてというか、これが成功したことを受けて、他の国に波及するのをなんとか抑えようということで、IMFの資金では足りないということを踏まえて、アジアの中でこういう資金を支援する、IMFと協調で融資するような機構を作ろうという構想です。これはASEANからの提案を受けて、日本がそれに呼応したということになっています。この構想が漏れまして、アメリカが非常に反発してこれを潰しにかかる、IMFも一緒になって潰しにかかるということで結局、潰れてしまったわけですね。その過程で中国も反対に回ったということで、米・中・IMFが反対して潰れたということになっています。その反対された理由なんですけれども、一つは資金コミットメントを求めるものだったのが、そんな資金コミットメントはできないということ。これは二重ではないかと。それから事務局を作ろうとしたのですが、この事務局もIMFとの二重投資だと、けしからんと。それからコンディショナリティーもIMFのコンディショナリティーと別なものを作ろうというのはけしからんということで、それはどうせ仲間内で優しくなってしまうからその国のためにならないというようなことで次々潰されまして、結局うまくいかなかった。
おかげでと言うか、一つの副産物は、インドネシア、韓国の場合に、IMF以外の国の支援が第二線準備いう名前でいくつかの国が載っているわけです。最初に出ていくのはIMFと世銀とADB。残りのアメリカ、日本、シンガポールなどは第二線準備という形で出ている。タイの場合は平等に出て行くのです。並行して、パラレルで出ますから、日本の輸出入銀行とIMFというのは同時に並行して出てくる。これに対しインドネシア、韓国の場合には後からしか出られない。結局、アメリカはその第二線と言ったって、全然出す気はなくて、未だもって出していない。それでインドネシアに関して日本は前倒しで出していますけれども、この辺がやはりその第二線準備になってしまったというところが、アジア通貨基金構想が挫折した一つの副産物だったと思います。
それから経済外交として非常にまずかったと思うのは、日本が金融危機になったときに、「日本発の世界恐慌、金融恐慌は起こしません」というような発言が非常に目立ったわけですけれでも、首相をはじめ大蔵大臣も言っていたと思うのですが、これは非常にネガティブなメッセージだったと思うのですね。例えて言うと「不可は取りませんからなんとか可を下さい」というようなメッセージで、中国が言っていた「元の価値を引き下げても通貨危機の防波堤となります」。これは、「私は優を取ります」という宣言をしている。このぐらい違いがあったのです。この辺はかなりPR、パブリック・リレーションで随分損をしたなというような感じを持っています。
それからアメリカは中国を誉めそやしたというのは非常に不愉快だという日本人が多いのはもっともで、これは資本規制をしているから元の価値が維持できる訳で、タイとかマレーシアとかに資本規制はけしからん、どんどん自由化しろと、危機になっても危機を回復するのは自由化だと言っているのと比べると雲泥の差がある。そこを全然説明していないと思う。同様なアメリカのダブルスタンダードというのは対アジア戦略と対ブラジル政策でも明白でありまして、ブラジルに対して言ってみれば非常に甘い。その時間がないのでくわしいことは言いませんが非常に甘い。これに対してアジアに対しては厳しいということで、これはダブルスタンダード以外の何物でもないということだと思います。
あと少し飛ばしていきますとですね、これからのIMFの役割というのは二つ方向があると思います。一つは最後の貸し手、レンダー・オブ・ラストリゾートになるか、もう一つはバンクラプシ-・コートになる。破産管財人になる。これはどういうことかと言いますと、例えば韓国のように投機あるいは群集行動だけが問題である、ファンダメンタルズには問題がない、あるいは債務超過ではない、サステーナブルだというのであれば、これは非常に大きな金額を見せ金としてバンと積めば、危機は治まるというのかもしれない。もう一つのやり方は、バンクラプシ-・コートというのは、投資家も問題でしょう。そんな投資家に全部返す必要はないのです。非常な高金利に釣られて入ってきた投資家というのは当然リスクを知っているはずですから、そのリスク、プレミアムの部分は責任を取ってもらいましょうという行き方で、ただこれを単発的にやりますと、やるということがわかっていると、急にみんな逃げ出しますから、どんどん逃げていくということで、あるところでさっとドアを閉めて、順序をつけて返していかなくてはいけない。そういうような役割は誰かがやらなければいけない、これをIMFにやらせましょうという提案が、IMFは破産管財人になるべきだという提案で、これは主に、その投資家のモラル・ハザードが問題なのだということを考えると、こういう提案が出てくるということになる訳です。したがって一番最初に言いました危機がどのような要因によって起きているのか、ファンダメンタルズが悪いのか、投資家の行動がいけないのか、そういうところの認識の差によってですね、改革の方向も違ってくる、これは当然ですけれども、こういうところに、IMFの役割に関しても、そういうところが出てくるということになります。
最後にですね、最後の一分で、日本の進むべき道ということですが、これはやはりIMFにおいての発言力を増す、それからアジア地域における地域的な協力の枠組みを積極的に作っていく、この二つに尽きると思います。この場合にやはり資金だけではなくて人やアイデアもどんどん出していかなくてはいけないというで、これは国際的なインターナショナルな活躍ができるような人材を惜しげもなく、やはりそういうところには投入していかなければならないということだと思います。アジア通貨基金構想というのはやはりいいものだったのだと、新宮澤構想というのも中身は違いますけれどもスピリットでは同じだというふうに考えると、やはりこういうものをどんどん積極的に打ち出していってアジアの信頼を勝ち得ていくということが非常に重要ではないかなあと思います。
あとアメリカとどう付き合うか、中国とどう付き合うか、ここら辺、非常に難しい問題で、やはり一つは筋を通すと、正しいことは正しいと言うことが非常に重要で、アメリカがおかしなことを言っている、中国がおかしなことを言っているという場合には必ずきちんと指摘してエンゲージメントしていくということが重要だと、やはり正論というのは最後は勝つと思うのですね、勝たなくても尊敬されるいうことで、議論を常に仕掛けていくというのが非常に重要ではないかなと思います。
時間を超過してすみませんでした。行天座長
どうもありがとうございました。
それでは早速ですが、篠原委員にコメントをして頂きたいと思います。コメント:篠原委員
伊藤さんがプレゼンテーションされたことにつきてしまう面が多いので、少し違った方向から違ったことを申し上げます。
アジア地域における通貨危機の政治経済学、それに対しての新しい国際通貨経済システム、アジア地域で考えられるものはないかということで、伊藤さんが最後に言ったアジア通貨基金構想というところに話しを拡大してコメントしたいと思います。
先程の伊藤さんの話しにもありましたが、危機になってからいろんなものが出ました。いろんなものが出ましたけれども大きく分けると三つあったと思います。一番最初はドル・ペッグ悪者論でした。タイに行っても、マレーシアに行っても、分かったドル・ペッグ、悪かった、止める。ペッグと言う言葉に心理的嫌悪感を持つくらい嫌ってますね。と言うことは、これのインプリケーションは非常に大きいです。例えば自分の通貨をドルで計算しません。ドルで安定を語りません。というようなことになります。最適バスケット、最適為替政策、最適為替相場というようなことに関して、今後、彼らは悩んでいくんだろうと思います。取引の中でのドル離れというのは徐々に進んでいくでしょう、円建てを進めたいという意向を主体的に持ちたいという声を出してきた人達がいるくらいです。
その次に、およそアジアはアジア的であったからダメであったという論が随分出ました。これはインドネシア、韓国が次々にIMFのお客さんになった辺りです。今から振り返って結果としてみますと、確かに金融は強かったとは言えないでしょうし、監督も充分であったとは言いにくい、あるいはクローニズムと呼ばれるところが社会を歪めていたことも否めない局面があります。
アジアの中にはやはりIMFの言っていることに対する、例えばサイズの違った下着を着させられているというような感じから、もっと強い感情的な反発までいろんな人が持っていると言えます。考えてみれば高い貯蓄率、質の高い労働者、総じて健全な財政状況、上方志向が強い人達、政府及び一般、あるいは教育投資を惜しまない人達、非常に特質をもっているのが言ってみればアジア的なものであったのかもしれない。これは基本的に変わってないんであろうと思います。したがって市場原理を鏡として自分たちの姿を見ながら、もしかするとこれからアジア的なものをもういっぺん再確認し、再構築していくというのが彼らの問題意識でもあり、我々の問題意識でもあるんだろうというふうに思います。
三つ目の論は国際的な短期資本が悪かったのだというので、これに適切な規制が加えられるべきであるというのが随分出ました。天網恢々疎にして漏らさずみたいな網はないよと、そうすると出す国の方で何かやるかね、これもなんとなく健全性とか、倫理規定とかやると、日銀の窓口規制というのもありますし、ヘッジファンドは例えば誰がどうやるかねというような議論になってしまいます。ということは入る方の国の適切な管理、規制が必要だという話しに段々落ち着いてきています。ということは中国はちゃんとしたことをやってます、マレーシアの実験というのは極めてロジカルです、であれば全く逆の処方を抱えたタイや韓国はこれからどうしていくのか大変大きな問題を抱えていることになります。言ってみればこういうような状況で今に至っておるなかでアジアの友人達としゃべりますと、あのアジア通貨基金構想そのものは大変によかったのでもういっぺんやって欲しいというふうに強く言われますし、アメリカの方にもあれをモラル・ハザードとデュプリケーションという二つのキーワードでレッテルを貼って、お蔵の中に入れてしまったのは間違いであったと言う声も上がりつつあるくらいです。したがって我々はこれをもう少し丁寧に考え直して、問いかけ直して、それで育てていくべき時に来ているのであろうと思います。
機能としては三つ程、持たされるのかなあと思ってます。一つはマクロ政策の対話、お互いに時にピュア・プレッシャーをかけあうマニラ合意を引き継ぐもの、危機の対応能力、資金動員能力はIMFのGAB的なラインと市場調達とそれから保証機能というのを合わせて1,000億ドル位、最後はメンバー国の外貨準備の底積み運用部分みたいなものを信用供与の最後の砦として資金調達能力を持たせるというようなことであろうと思います。それからもう一つは、少し技術的になりますが、危機防止のためのネットワークみたいなものを作る、あるいはイニシアティブを取る。これには二つ三つ考えられまして、その昔のアジア版BISと語られた構想のいいところを全部ここに持たせるということが可能だと思いますし、先程ドル離れが進みますねという論理的な帰結としてアジア通貨同士の取引、アジア通貨同士の為替等が今後増えてきますので、これの集中決済ネッティング・システムを基金の下にぶら下げるということもできるでしょうし、あるいはアジ銀が研究所を作ったように、ほとんど半本能的欲求として、アジア通貨基金研究所のようなものを持ちたがるのだろうと思います。ここでは先程申し上げました最適為替理論、成長・開発に関しての理論、あるいは受けてサイドの短資規制みたいな実態的な話し等々、研究アジェンダはいくらでもあるのではないかなと思います。したがって日本はこの構想の実現に努力する、それよりも以前に自国の経済を一生懸命にやる。まあ金融機関は掃除が段々進んでいると思います。伊藤先生は円の国際化に尽力なさっておられるということで、いい方向にかつ99年はエポックメーキングな年になるのかというふうに期待しています。行天座長
どうもありがとうございました。
伊藤さんの話し、それから篠原さん、いずれも皆様方の間にじっくり議論をしたいという問題点をたくさん提起して下さったことと思います。そこで冒頭ご案内申し上げましたように、一応これで第一部を終わって、場所を変えまして食事をしながら議論とさせていただきたいと思います。
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