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第七回国際経済・金融システム研究会


日時:1999年11月25日、8:00~10:00
場所:帝国ホテル「梅の間」


【第一部】

<基調報告>

行天座長

 いよいよこの研究会もだんだん終盤に差しかかってまいりまして、今回が第7回ということで、一応第8回目まで予定しておりますので、英語で言うとペナルティメイトミーティングと、こういうわけですね、今日は。
 本日はご案内のとおり、竹中委員と小島委員と茂木委員と、お三方にお話をいただきたいと思います。一応の今回のテーマについては、「途上国の経済危機再発防止と経済発展のための日本としての望ましい貢献のあり方」ということになっておりますが、お三方にはそれぞれのお考えで、幅広くも幅狭くもご自由にお話しをいただきたいと思います。大体お一人15分以内ということでお願いいたしまして、その後、委員の皆様の間でのフリー・ディスカッションということにさせていただきたいと思います。それでは早速ですが、竹中委員、よろしくお願いいたします。

基調報告
竹中委員「発展途上国の経済危機と日本」

 それでは、今までの議論を踏まえまして、少し思うところを簡単に話をさせていただきます。ただ、今、座長からもお話がありましたけれども、もう7回目でありまして、随分議論を私自身もさせていただいて、あまり新たに付け加えることはないなというような感じもありますので、少し論点の整理のようなことになりますけれども、議論をさせていただきたいと思います。
 たまたまですけれども、ひと月ぐらい前になりますでしょうか、クルーグマンが日本にやってきまして、彼は1日だけ、1泊だけ日本に滞在して、半日間シンポジウムで彼に付き合いました。クルーグマンは幾つかの、例によってプロボカティブなことを言っていたんですけれども、その中で自分はアジアに対する見方を間違っていたと。自分の見方は誤っていたということを、かなりはっきりと大勢のシンポジウムの人たちの前で言ったんですね。要するに、アジアはもっと悪くなるだろうと思っていたら、ご承知のようにV字型の回復をして、こういうV字型の回復をするということは、私は全く予測できなかったと。
 しかし彼が同時に言ったのは、しかしアジアの問題の何が解決したかというふうに問われると、何も解決していないというふうに、やはり答えざるを得ないというような、例によって例の言い方をしたわけなんですけれども、実は同じような議論が、これまた3、4週間前にありましたワールド・エコノミック・フォーラムの東アジア経済サミットで、シンガポールでこの人たちが集まったときに、この中にも何名かの方が参加しておられましたけれども、やはり大きな議論がありました。アジアは確かに、予想を上回るようなV字型の回復をしたけれども、個別の国について、じゃあ問題と言われた観点、いろいろ、いわゆるここの構造を改革しなきゃいけないということがなされているかというのを見ると、実はどうも個別に見たら見るほど、あまりなされていないということになって、最近需要が増えたのは、ことし需要がV字型に増えているわけですが、それは、去年需要が減ったからだというような議論しか出てこなかったわけです。その意味では、実はかなり多くの問題がまだ残されているということを認識した上で、もちろん一般論としての日本の貢献もさることながら、具体的な日本の貢献を考える必要があるんだろうというふうに思います。
 これまでの議論の繰り返しになるかもしれませんけれども、経済危機が起きた、特に90年代に入ってからの経済危機、特にどうしてもアジアに焦点がいきますけれども、簡単にその外回りの辺りだけ整理しますと、やはり次のようなことになるのかと思います。第 1の問題。グローバル経済の構造がやはりかなり大きく変わって、市場の圧力というのが画期的に高まってしまった。それによって、今までとは違った意味での市場の不安定性というのが、結構出てきたということだと思います。これはいろいろな考え方がありますけれども、レスター・サローは少し前の本の中で、東西冷戦が終わって市場、マーケット・エコノミーは1.5倍になったというような書き方をしていますけれども、私は別の計算の仕方でやると2倍近くになった、2倍になったという言い方もできますし、いずれにしても、世界のマーケットの規模そのものが非常に大きくなった。
 以前は社会主義のもとにあって、マーケット・エコノミーとは直接は連動していないところの人たちが、全員がマーケット・エコノミーの中に入って、市場経済人口が一気に今60億近くになった。1.5倍から2倍になったということです。そうすると何が起こるかというと、これは基本的に見るとマーケットが広がったんだからチャンスであると。チャンスであるからということで、かなりスケールの違った競争を、多くの世界中の人が意識するようになって、その非常に大きな競争に日本も巻き込まれているし、アジアも巻き込まれている、まさにメガコンペティション。
 市場の圧力が高まると何が起こるかというと、まあいろんな意味でのマーケットというのは非常に多角的に、いろんな変数を調整していくメカニズムがあるわけですけれども、その調整メカニズムが働かないようなところがあった場合には、そこに非常に圧力がかかってしまって、例えば通貨、為替レートがある均衡レートからゆがんでしまうと、それを押し戻すために非常に大きな力が一気に、ある何かのショックをきっかけに働くというようなことが起こってきます。もちろんこれは、市場を安定化させる正常化のプロセスではあるわけですけれども、この正常化に至る動きが非常に不安定な動きを伴ってしまうということではないかと思います。こういったグローバル・マーケットの性格、大きさ、その変化が第1にあったということではないか。
 第2の問題ですけれども、いわゆる相互依存度の高まり、これはショックの連鎖性を著しく高めていく。これももう言うまでもありませんけれども、物の取り引きもさることながら、お金の流れがそれに加速的に加わってくる。さらに情報の依存度、情報の流通速度というのが非常に速まってしまって、一瞬のうちに非常に大きなショックが起こり得る。これは特にアジアにおいては、やはり非常に顕著であったのではないかと思います。
 これはちょっと逸れるかもしれませんけれども、大阪大学の森口親司さんが前から非常におもしろいことを指摘しておられるわけですけれども、メキシコに対してIMFの一種のショックセラピーが効果を発したのに対して、アジアの国々ではなぜそれが必ずしも効果を発しなかったか、ないしは非常に強い反発をもって受け入れられたかと。1つの要因は、やはりアジアの中での相互依存の強さであると。メキシコは、ある意味では地域の中で小国の論理のようなものが働いて、小国においてはああいった一種のショック・セラピーを取ることによって、一気に回復させることが可能だったかもしれないけれども、非常に相互依存度の強いアジアの国でそれを、しかも幾つかの国で同時にやってしまうと、この小国の論理が成り立たなくて、引き締め政策をとったことによって全体でものすごいデフレ圧力が働いてしまって、それによってその引き締め政策を、結局転換せざるを得なかった。引き締め政策を転換した後のアジアの経済というのは、それなりに立ち直っているわけで、そういう相互依存が非常に高いということが、発展するときはお互いに非常によく働くけれども、落ち込み始めたら非常にその連鎖が大きいという問題を伴ってくるわけです。
 しかし、この1と2は、考えてみると発展途上国の問題じゃなくて、先進国の世界全体の問題でありますけれども、特に第3番目になってくると、これは特に発展途上国、特に一部の国については非常に大きな問題でございます。これは、まさに市場に代表されるような、一種のチェック&バランスの機能が、幾つかの国の幾つかのマーケット、幾つかの部門においては欠如していたということだと思います。
 これも非常に直観的なオブザベーションになりますけれども、1990年代に入ってから、世界中の多くの国々がいわゆる経済危機と言われるものを経験しているわけですけれども、その中で比較的そういった経済危機というものから無縁に、割と健全にやってきたところが、気が付いてみると、大きな国としては2カ国あります。それはアメリカと中国であるということになります。アメリカというのは、最も多重的な、多層的なマーケットを活用して、そのマーケットのチェック&バランスの機能、政治においては民主主義というチェック&バランスの機能を活用させていた国であったということ。
 マーケットが不安定であるとするならば、マーケットの不安定性を抑える最大の力はマーケットであるという、そのまさに多元主義を利用するわけでありますけれども、そういうチェック&バランスを徹底的に持っていた国がアメリカであるとするならば、そういったマーケットとか多元主義をできるだけ抑えてきた国が中国であった。その両極の国がそんなに大きな被害を受けていないのに対して、その中間にあった国、もちろん日本も含めてですけれども、韓国もタイも、基本的には市場経済の国だったんだけれども、多元主義でチェック&バランスを持っていたはずなんだけれども、一部分においてはチェック&バランスを持っていなかった。日本は銀行部門、金融部門がそのチェック&バランス機能を持っていなかったし、タイでは、まあタイだけではありませんけれども、多くのアジアの発展途上国では、外国為替市場において、ドルに名目レートをリンクさせるというメカニズムを実質持っていたために、チェック&バランスが働かなかった。インドネシアについて言うならば、民主主義というチェック&バランスの機能が働かなくて、そこから経済全体、政治から経済が悪化するというようなメカニズムを招いてしまった。
 第4番目に危機の背景を挙げるとするならば、国際的な政策体制の不備、その意味では経済危機であると同時に、多くの国々において政策危機を伴っていたということも重要なポイントではなかったかと思います。この点については吉冨委員が少し前にお出しになった本の中で、経常収支危機ではなくて、あくまでも資本収支危機なのだと。IMF体制というのは経常収支の危機に対する対策を決めたものであって、資本収支というようなものが前提にはなっていないということで、明快にお書きになっています。その問題がまさにこのキーになろうかと思います。
 あえて言うならば、国際的な政策体制というと、これはIMFの問題ということで、ここでも随分議論をしましたけれども、IMFの基本的な考え方にあるワシントン・コンセンサスというのは、いわゆるアメリカ流のエコノミクスであって、開発経済論で言うならば、ラテンアメリカの経済に体系として基づいた1つの論理というものであって、そういうものがアジアの幾つかのシステムには直接当てはめられない性格を持っていた。この点は、地域的な特性をどのように国際経済政策の中に織り込んでいくかという、非常に大きな問題提起にもなったわけであります。
 次にアジア諸国の危機というふうに書いておりますけれども、これは実は、時間の関係もありますのでもう申し上げませんけれども、申し上げたかったのは、それぞれ先程言ったアメリカと中国を1つの極にすると、中間領域にある国々ばかりがいろいろな意味での被害を受けていて、それぞれやはり、ここで言うと、タイで言うと金融市場がチェック&バランスの機能を持っていなかったこと。特に個別で言うと、ご承知のようにバンコクのオフショア・マーケットから直接民間の企業が外貨を取り入れる。つまり、アウト・アウトじゃなくて、アウト・インといいような形でそこから取り入れてしまって、かつドルとバーツのリンクで、国内での必ずしも十分な金融政策が対応されていなかったことから、インフレが非常に高進してしまった。名目為替レートを固定しておきながら、国内でインフレが進むということは、これは実質為替レートが切り上がるということを意味してしまいますから、実質為替レートが切り上がったことで、経常収支が極端に悪化してしまうというようなことが起こってしまいます。
 韓国でやはりチェック&バランスがうまく働かなかった最大の理由は、これはもう財閥という存在であります。財閥というところに資源を集中投下することによって、一種の規模の利益を活用しながら発展していくという形の経済でありますけれども、その財閥全体が一種のモラルハザードを起こしてしまったと。特にこれは具体的には、財閥が対外的な投資で失敗してしまったというのが非常に大きかったと思います。特にロシアに対する投資、インドネシアに対する投資、そういう問題が起こってくる。さらに言えば韓国の財閥は銀行を丸抱えにしていましたから、金融機関がモニタリングを通して民間の企業の投資行動をチェックするという、そういう意味でのチェック&バランスのやり方ができなかった。インドネシアは、基本的にはやはり政治のチェック&バランス、日本の場合は金融の問題が大変大きかったと思います。
 世銀で以前、こういう調査を行ったことがあるんです。戦後、世界的に発生した100ぐらいの経済危機と言われるものも集めてケース・スタディした。どういう場合に回復までに一番時間がかかっているかということを議論したのがあるらしいですけれども、これはいわゆる通貨危機といいますか、外貨の不足によって生じた危機、国内の何かドメスティックな経済ショックがあった場合、いろいろあるわけですけれども、一番やはり問題が長引くのは、バンキング・セクター・クライシスであるという結論が出ているわけでございます。その意味では、日本がその典型に実はなっているわけですけれども、恐らくこれはタイも韓国もそういう問題を伴っているわけで、この問題に具体的にどのように対処していくかということが、具体的な政策としては重要なことかと思います。
 そういった中で、日本は一体何ができるだろうかということになりますけれども、不安定性、連鎖性、脆弱性、政策危機というような観点から、グローバル、地域、二国間での貢献を、これも議論されたことだと思いますが、改めて整理してみますと、グローバルな貢献としては、やはり新しいルールづくりというのがどうしても必要になってくるだろうと思います。明らかに自由な資本移動が必要であります。しかしそれにしても、資本の移動、資本の逃げ足が時にあまりに早過ぎて、結果的には暴力的な動きを示してしまうということは、これはもう否定できない事実でありまして、グローバル・キャピタリズム、グローバル・キャピタル・マーケットそのものが持っている本質的な問題は、これはアジアとかラテンアメリカとかの問題じゃなくて、グローバルな問題としてやはり認識しなければいけない。
 これももう言うまでもありませんが、アメリカのメーン・ストリームのエコノミストの間では、私の知る限り、このグローバルな問題をもう少し厳しく議論しようではないかというような機運は意外と高いというふうに思います。具体的にはトービン・タックスのようなものが短絡的には出てくるわけですけれども、あれが本当にフィージブルかどうかは分かりませんけれども、何かそれをグローバルなシステムとしてできるか、個別のスキームとして取るべきかどうかというのはわかりませんけれども、何か資本の逃げ足をやはり重くしておくような制度というのは、1つの政策としては、私はやはりあり得るんだと思います。
 先週、フレッド・バークステンが日本に来ていまして、お会いになった方がたくさんいらっしゃると思いますけれども、彼なんかに、国際的にトービン・タックスについてあなたはどう思うかというふうに聞きましたら、トービン・タックスというのはやっぱりできないんだろうと。しかし、これはタイなんかにもありましたし、ラテンアメリカの幾つかのところにありましたけれども、個別の国が、外貨が入ってくるときに、一種の預金準備を積み増しさせるとか、一種のトービン・タックスのようなものを個別にやるということは、今後必要になってきて、そのためのルールづくりのようなものは考えてもよいのではないかという意見だったように思いますけれども、そういうものが1つ考えられるのではないでしょうか。
 地域的な貢献ということになりますけれども、これも幾つか議論が出ましたけれども、私はアジアという経済における、お互いの地域の非常に強い依存性、問題の連鎖性、それと情報の不完全性ということを考えると、私はローカルな危機に対応できるような機関、エイシアン・マネタリー・ファンドのようなものが、考えられて当然よいのではないかと。これは大蔵省が改めて体制を建て直して、随分と頑張る気構えを持っているようでありますけれども、私も方向としてはそういう方向でよいのではないだろうかと。私が知る限りでは、AMFの話が出てきましたときに、アメリカでは非常に強く反対したと言われていますけれども、どうもアメリカの認識もここに来て大分変わっているというように考えられます。その点は大変重要ではないかと思います。
 それに関連して言うならば、やはり日本自身の貢献としては、日本のバブルの総括のようなもの、日本の経験の総括を、知的資産として世界に発信していくというような姿勢が、やはりどうしても必要だと思います。アジアの国々に先駆けて日本はバブルを経験して、そのバブルの崩壊も経験しているわけですけれども、それを知的な資産として、考え方を日本で必ずしも十分に総括して、東南アジアに対して知的な発信はまだできていないというふうに思われるわけです。
 二国間の話でありますけれども、これはこれで大変重要でありまして、宮沢構想は、私はあれは二国間の積み重ねだと考えればいいと思いますけれども、アジアの国々と日本と根本的に違うのは、貯蓄強化、貯蓄不足という、その貯蓄に関して決定的な違いがあって、つまり外貨不足の問題というのが多くの国々で生じたわけですけれども、日本ではこんなものは全く生じていないと。したがって、日本の貯蓄をいかに活用するかという貯蓄政策、貯蓄活用政策をやるという位置付けもできるかと思います。
 最後に、時間がなくなりましたので、ちょっと戦略的な視点ということで挙げておきたいと思いますが、二国間協定の活用というのは、よく国際的な協力体制を議論する時に、グローバルか、リージョナルか、バイラテラルかというような議論をしてきまして、理論的に考えると、これはグローバルが一番いいというような議論をするわけですけれども、現実にはもちろんそうではなくて、ご承知のようにこの3つのものが、トリプル・トラックが非常に密接に、ダイナミックにかかわり合うわけです。アメリカのその状況を見ていますと、表向きはグローバルというふうによく言いますけれども、もちろんアメリカの本音としては、グローバルな機関なんか頭から信用していないというふうに私は思っていますけれども、一方で非常に多くの二国間の話し合いの場を持とうとしている。
 これはまずNAFTAならNAFTAをつくりますけれども、今度はNAFTAとEUという関係のバイラテラルな、リージョナルとリージョナルの間のバイラテラル、そういう関係を持とうとしています。以前、アメリカが今後持とうとしているバイラテラルな関係マップというものを書いたことがあるんですけれども、アメリカのそのバイラテラルな関係を足し上げていくと、世界の人口の半分強がカバーされてしまうということになってしまうんですね。日本はどちらかというと、やはりAPECを大切にしてきたし、グローバルなWTOを大切にしてきた。それはそれで大変重要なことなんですけれども、同時にバイラテラルとグローバルというのは、決してオルタナティブなものはなくて、コンプリメンタリーな要素が非常に強いという認識のもとに、やはりバイラテラルなネゴシエーションの活用というのはあり得るのだと思います。
 これはもうご承知のように、最近の通産省は、二国間で自由貿易協定を多くのところに呼び掛け始めています。これは、通産省そのものはやっていませんけれども、JETROを使ってそういうことを非常にやっているようでありますし、それはそれで1つの考え方ではなかろうかと思います。
 あと円の国際化という観点からいうと、私はこういう多くのアジアの国々が困難に陥っているときに、円を貸し付けるといいますか、円建ての債務を持ってもらうということは、円の国際化の大変重要な一歩であろうかと思います。実はドルの国際化のプロセスというのが、まずいわゆるドルをばらまいたと言いますか、ドルをばらまいて、ドル建ての債務を世界中で作らせる。ドル建ての債務を持っている限りは、その準備資産としてドル建ての債券、ドル建ての資産を持たざるを得なくなってきますから、それでそのドルという資産が国際通貨になっていくといったプロセスがあったのではないかと思います。そういう 1つの戦略性を持つべきだ。宮沢構想では半分が円、半分がドルだということだと思いますけれども、これは例えば全部円でもよかったのかもしれません。もちろん原資がドルであったというようなこともありますけれども、そういう観点からも必要だと。
 最後に、アジアの国々、日本もそうですけれども、いわゆる構造の組み換え、リストラクチャリングをしなければいけないんですけれども、いわゆるリ・アクティブなリストラというのと、プロ・アクティブなリストラ、受け身なものと攻めのものというのが、やはりあるんだと思います。リ・アクティブなリストラの典型は、債務を返すこと、過剰な債務、過剰な不良債権を処理すること、過剰な債務を切り捨てること等々、これがリ・アクティブな問題ですけれども、プロ・アクティブなものというのは、新しい21世紀のIT革命にどのように対処していくかとか、21世紀型のシステムをどのように作っていくかとか。日本は今、まさにリ・アクティブなものとプロ・アクティブなものを同時にやろうとしているわけで、その分、余計、いろいろな経済情勢がしんどいわけでありますけれども、同じような問題をやはりアジアの国々は抱えているのではなないだろうか。
 その意味では、プロ・アクティブなものに関しては、これは別にIMFが何かできるものではありませんから、IMFができるのは基本的にはリ・アクティブなもので、プロ・アクティブなものについての、これはまさにシンボリックな何かプロジェクトという、シンボル・プロジェクトのようなものになるかもしれませんけれども。これは例えばアジア型のIT戦略構想とか、かつてあって、今でもありますけれども、メコンの開発というのは、あの地域における1つのシンボリックな、シンボル・プロジェクトであったというふうに思います。そのようなものを日本が追求するということは、貯蓄活用政策という観点からも、十分に可能性があるのではないかと思います。

行天座長

 どうも大変包括的な、いろいろプロヴォカティヴなお話をありがとうございました。それでは次に小島委員、お願い致します。

基調報告
小島委員 「途上国の経済危機再発防止と経済発展のための日本としての望ましい貢献のあり方」

 一つは、これは基本的にアジアの危機に関係なく、日本が対外的にどういう視点で一番貢献すべきかということの考え方なんですけれども。アジアの危機で、例えば韓国で危機が起こった97年の末ですが、日本の通りにやってきた、それなのに危機が起こってしまった、こういう。公式の場では日本大嫌いですが、基本的にはあの国、日本大好きであって、もう何かと言うと、どこかで審議会を作ると同じことが、要するに1ヶ月か2ヶ月後にできているような状況で、日本を徹底的にまねしてきたんですね。日本のまねをすればよくなると思っていた、日本の背中を見てやってきた韓国が、突然危機に陥ったと。よく見ると日本の背中も見えなくなったという。その他のASEANの国との議論でも、やっぱり日本のモデルというものを非常に期待していたのに、突然おかしくなった。
 やはり日本が先ずしっかりした背中を見せ続けることが、一番の貢献だろう。それから日本が、要するに技術力であれ、経済全体のマネジメントであれ、文化の力であれ、強い、いい意味で強い、健全な立派なパワーを持つ、能力を持つ。それでそのモデルに近付きたいというような国が、それを活用できるという仕組みが一番重要なのではないか。ごく最近のこの10年間は、それが山がなくなって、逆のネガティブな山、反面教師としてのモデルとしてしか日本は提供してなかった面もあるんですが、やはり長期的に見ると、山を作るということ。日本が外国と相対的に物価が高くても、山が本当に本物になっていけば、オウンリスクで各国はその山に登り、日本がかつて欧米の高い山に、所得の少ないときに一生懸命登ろうとして、それで得るものがあったようにするのが基本の基本ではないかということです。
 それから第2は、ハノイに行天座長とたまたま最近行って来まして、日本とASEANの協力のあり方というのがテーマでした。要するに、日本は経済が大分おかしいな、しかしお金が余っている、貯蓄超過だ、だから金をくれというのがどうも各国の発想みたいですね。政策そのものとかシステムそのものをしっかりお互いに議論して組み立て直すという関心よりも、日本から期待したいのは、やっぱりお金だというような感じが強い、そういうニュアンスの発言が多かったような印象を受けました。
 それと関連しましては、 3点目は、前から言っている援助の投げ方ですが、お金をやるということだけではない。つまり食いたいから魚を与えるだけじゃなくて、魚の釣り方、釣竿の作り方、あるいは使い方という、要するに技術移転をする。かつ、恐らく覚えた魚の釣り方を日本を釣り場として使いたいという話だと思うんです。危機の最中にはアメリカもバイの援助もしなかったし、アメリカは冷たかったわけですね。アメリカに対するアジアの失望感はあるんです。ここへ来てまた、今ご指摘があったとおり、急速にアジアが回復してきた。先ほど竹中委員が言われたワールド・エコノミック・フォーラムのアジア・サミットでもアジア各国は大分、自信を取り戻して、次はIT革命なんていうと、ワーッと人が集まって、そっちのほうに話が移っちゃったみたいに、あの時の危機的なショックは過去のものになっている。
 危機が過ぎ去ると、やはりアメリカがマーケットでは一番頼りになるとか、日本は輸出市場として十分開いていないという話も、また段々とやり始めているわけです。かつ、日本とアジア諸国の貿易のインバランスというのがまた頭をもたげてきている感じがあるわけで、またまた危機を超えると、そういう問題にまたアジアの関心が移ってしまうという気配もあります。その辺はしっかり位置付けておかなくちゃいけないということです。
 ちょっと、南原さんという、いつもダジャレを言っている日銀のOBがいますが、あの人がこの前、ぱったり道で会ったら、アジアの危機のことを言い出しました。実はアジアの危機の時、タイが危機の始まりであって、日本にすぐトップが来た、金を貸してくれと。それでバイでお金を出した。その時来たのはタノムさん。そうしたら次にタリンさんがやって来て、また足りん足りんと言い出した。やはり金だけでは日本の貢献というのは限界があって、援助交際だけの路線はそろそろやめておこうということかもしれません。
 それから4番目は、今、竹中委員も一生懸命説いたアジアの危機との関連なのですが、先ずアジア自体については、健全なマクロ経済状況を維持するということが改めて重要になっています。相対的にマクロの状況はよかったのに、アジアが危機に見舞われた。その原因はマネーの世界だとみられている。しかしその後マネーの方が少し落ち着いて経済が動いてきたのは、マクロの状況が一時期の発展途上国の経済危機と比べると、今回、アジアでは相対的にはよかったためだと思いますし、新しい要素としてキャピタル・アカウントの問題があっても、全体的なマクロの状況というものは、絶えず健全な状況であることが重要である。それは日本のバブルとその後の状況を見れば、また明らかであろう。
 それから、これはもう毎回この会で議論された、それぞれ途上国で、弾力的な為替レート政策でいかなくちゃいけないということです。
 次には、要するにキャピタル・アカウントの問題でも、経済インベストメント、直接投資とコントロールド・インベストメントとは決定的に違うし、発展途上国アジアにとって、引き続き今後とも継続して、安定的に直接投資が行われていくということは重要であるし、そのために何が必要なのか。法的な制度と、あるいは商慣行などについて点検の要があると思います。
 それからハノイの会議の際に痛感したのですが、世界からベトナムにほとんどいい金が入っていかなくなったということがあります。ベトナムはドイモイで改革すると思っていたが、あそこの国は日本以上にコンセンサス社会で、ほとんど変わっていない。それからあと変わったのは、お金が入り出した官僚はもっと欲張りになって、いろいろなところで賄賂を要求する。日本の企業もうんざりしていまして、欧米の企業もそれについてやはり失望して、もう今、ハノイはと言うか、ベトナムは惨憺たる状況であるという印象を受けました。
 やはり長期の経済発展のために、良質の直接投資が安定して流れるということが決定的に重要でしょうから、マネーの議論をする時に、やっぱりマネーの種類ということを峻別して、そのうち直接投資について発展的な流入、誘致のための条件は何かということをしっかり議論して、そしてそれを制度化してやるということが、途上国自身にとってはもちろん重要であるし、日本みたいな周りの国がアドバイスする場合、極めて重要なポイントになると思います。
 それから今回、危機についてもう一つ言えば、外貨建て短期債務がアジアの国では急に増えたわけですが、やはりそこにもチェックポイントがあったはずです。外貨準備に対する短期外貨建て債務の比率はある水準を超えると危機が起こる。やはりその辺は、少なくともチェックポイントとして見ていく必要があるという教訓があったと思います。
 次の教訓は、これは日本の問題とも重なるんですが、金融システムの問題です。日本もそうですが、あまりに金融システムがバンク・セントリック・システムであって、キャピタル・マーケットが十分機能していない。アメリカでも、かつてバブルが起こり、その後の不良資産問題があったんですが、キャピタル・マーケットが相対的に機能したために、対応がやりやすかったということがあると思います。それから、その金融も企業の投資も含めたコーポレート・ガバナンスの問題として、情報公開をやって確立するんだ、充実していくんだということが、もう1つのアジアの問題ではないかというふうに思います。
 それから次は、竹中委員がおっしゃられた地域的な協力の面について、恐らくこれは引き続きアジアの国々に必要なんだというふうに考えて、議論を続けると思いますし、日本もこの面に積極的に関与しなくてはいけないと思います。ただ、円を中心とした協力だけですので、中国、元をどう考えるかということで、アジアでは中国も入れた東アジア経済の通貨基金みたいな、あるいは通貨制度を考えたらいいという話が出てきたり、中国あるいは元の問題をどう考えるのかが重要。そうでないと、恐らく日本の場合、今の宮沢構想の拡大で終わってしまうのではないかという感じがします。
 その次は、日本自体の立場から以上の問題について考えますと、日本自体も円・ドルの関係がおかしくなって、アジアの危機の1つの原因となった。その前はアジアの発展の一因にもなったんですが、円・ドルレートというか、先進国、主要国の為替レートそのものも、安定化をどうするかということ。どう議論したってアジアの地域通貨の安定、特定通貨の安定ということだけでは議論しきれないと思います。これは、グローバルな制度問題とも直結する問題です。
 それから次は、繰り返しになりますが、バンク・セントリックなシステムをもう少しソフトにした、資本市場、直接市場そのものをしっかり定着させる、懐を深くするということだと思います。ここにおいては、日本のバブルの総括とおっしゃいましたが、日本のバブル・ブームと崩壊後の調整ということは、今後、資本市場の問題に直結することでありまして、そういう視点から総括する必要があるという感じがします。
 日栄の問題というのは、日本で今、大騒ぎになっていますが、どうしてプライムレートから数パーセント台の金利の世界と、いきなり40%の金利の世界があって、その中間がないのか。キャピタル・マーケットというお目付があって企業の信用を踏まえて、いろいろなレートが成立するという仕組みが欠如しているわけですね。それからもう一つは漠然とですけれど、日本における新しい産業フロンティアあるいはベンチャーの育成というものは、要するに融資、レンディングではなくて、インベストメント、投資が必要である。それが恐らくアジアにおいてもこれから極めて重要だと思います。融資は返してもらわなくてはいけないし、リスクは取らないということで、リスク・マネーにはならない。投資はリスク・テークであり、投資成功の確率が10分の1でも、その10分の1の成功が何百%の収益であれば、十分投資も入ってくる。そういうところの投資の機能というか、それを支えるキャピタル・マーケットの機能を、日本の教訓も重ね合わせてアジアに提示していく必要があるということです。
 それから次は、緊急時の流動性危機、今回日本がやったわけです。それはIMF以上に前の宮沢構想でやったわけですが、長期にそれをやることは難しいわけです。その度やってしまって、もう返してくれなくていい、そういうギフトではありませんから、結局これは信用保証というのはやっぱり返ってこなければ欠損になりますから困るわけです。ファイナンス、融資という格好でのこういう対応というのは、要するに短期の流動性危機の時に限定して、それを乗り越えた後は、やはり長い直接投資あるいはリスク・マネー、投資資金が継続的に流れる仕組みが重要であるということが言えます。
 それからもう一つの点は、グローバルなシステムをどうするかですが、最近IMFで議論しているアーキテクチャーの作り方という議論に直結するわけですが、IMFというのはGATTと並んでブレトンウッズ体制を形成してきたわけですが、そもそもは吉冨委員の話ではありませんが、キャピタル・アカウント・クライシスに対応するシステムじゃなくて、経常収支の一時的な困難に対して、一時的な、緊急的な対応策を支援するという仕組みであったわけです。
 その背景として、そもそもはマネーは管理、GATTの下で貿易やサービスはなるべく自由にするという2つの組み合わせで、要するにマネーは管理をし、物・サービスはより自由という格好でずっときた。管理の典型は固定相場制ですが、それを維持するためにいろいろな為替、資金の管理もあったわけですが、そのマネーの管理がどんどん自由になった結果出てきたのが、グローバル・キャピタル・マーケットである。グローバルなマネー・フローであり、それがジョージ・ソロスすら認めるような、要するにバーチャル・マーケット、バーチャル経済を生み出して、リアル・エコノミーと違って、その世界では古典経済派の経済学でいう均衡点から関係なく、価格つまり金利や為替レートが決まってしまう。それがリアル・エコノミーに重大な影響を及ぼすという仕組みに変わってしまったということが、そもそも最近の議論ですが、そういう面が多分にあると思いますが、このIMFの問題というか、マネーの問題を、IMFを含むグローバルなシステムの中でどう考え直すかという点が問題だと思います。
 マハティールがやったマネーの管理というのは、古い形のIMFに1つ戻したわけですね。それでまたそれを、ある程度経済が上向いたらまた一歩進めたということになって、もしこのシステムがうまく組み立て直せないとすると、恐らくいろいろな国が、危機に対してIMFのもっと古い時点に、つまりマネーを管理するという方向に戻って来ると思うのです。それで多くの国で連鎖的に危機が起こって、みんな管理の方向に向かった場合には、今度は世界のグローバル経済がどうなるか、グローバルなキャピタル・マーケットやマネーの動きはどうなるのかと、こういう心配もあります。そういう側面で議論をしなければだめではないか。
 マネーが管理できなくて自由になって、経済が危機になりました。場合によってはマネーの管理の方に戻るだけじゃなくて、貿易の面、物・サービス、ずっとGATT、WTOを通じて自由にしてきたものに、制限、管理を加える、つまり保護主義になる恐れもあるわけです。物における管理と、マネーにおける管理というもの、それも連動してくるかもしれませんし、恐らくそれはIMFだけじゃなくてGATT、WTOと両方セットで、考えなくてはいけないという感じがします。
 最後になりますけれども、アジアの危機が起こった時、日本はバブルがはじけて不況の最中でしたから、またマイナス要因が来たと。当初、1年間位は、アジアの危機が新たにどのぐらいのマイナス要因になるかということを中心に、日本では議論をしていたような感じがします。振り返って当時のいろいろなリポートを見ますと、そういうリポートが圧倒的に多かったということなんです。
 それともう1点、国際政治を議論している人の中で、ワード・ポリティックス、言葉のポリティックスという言葉を使う人がかなり出てきました。というのは、例えば日本悪者論というのが、アジア危機の最中でありました。それは1997年の危機の年、起こった年と翌年の秋位までそうですね。なぜそうなったか。そもそも例えばエピソードで言えば、98年の1月のスイスのダボスでの会議で、日本悪者論がばっと出てきたんです。中国はアジアの危機の防波堤になるから、人民元を切り下げないと堂々と言って、拍手喝采を浴びた。それに対して日本は為替を安くするだけで、危機の後、内需を全然増やしてくれない。日本はアジアの危機にとって重要なファクターであるという議論がそこで出まして、そのトーンが、アジアで開かれた、ASEANとヨーロッパ首脳会議で同じように引き継がれた。この過程で日本についての議論の大勢が決まってしまった。その後、日本は何をやっても悪者だという感じでした。いいこと、いい政策をやっても、重要な舞台で必要なメッセージを、タイミングよく出せるかどうかというのが、恐らくこれからの教訓としては重要なことだと思います。アジアの危機で日本がどう議論されてきたかということを点検し直してみるということが1つ重要なポイントで、日本にとっても中国にとっても重要かもしれない。
 それから、さっきちょっとお話ししましたが、21世紀型の危機だという議論があります。榊原英資氏は自分が作ったみたいに言ってますが、どうなんですか。調べてみたら1997年12月にワシントンで、IMFの今度辞めると宣言したカムドシュさんが、記者会見で、これは21世紀型の危機だという言葉を使ったんですね。21世紀型危機であって、それは数年前から始まった、メキシコの危機からそうなったと。それは、彼の議論をそのまま言いますと、キャピタル・アカウントの危機であった、グローバル・マーケット、キャピタル・マーケットができて、そういう中で起こった危機である。それからポスト冷戦の中で起こった危機である。そういう議論です。「21世紀型危機」という表現は、彼にオリジナリティがあるのではないかとは思います。それも、恐らく今回の危機を議論する時に重要なポイントです。要するに21世紀型というのは、メキシコ以降の危機というのは、それぞれアジアとメキシコとは違いがあっても、それ以前の多くの危機とは決定的な違いがあるということだと思います。

行天座長

 小島委員、どうもありがとうございました。耳の痛いお話でした。それでは最後に茂木委員、お願い致します。

基調報告
茂木委員 「経済学への疑問と期待」

 この研究会ではいつも、専門的なテーマについてオピニオン・リーダーの方々からお話を伺って、勉強させていただいておりまして大変ありがたいことと思っております。今日も、途上国の経済発展あるいは経済危機再発防止について、竹中委員からお話があったわけです。私もコメンテーターとして指名されておりますから、テーマに直接関連することを申し上げるべきだと思うんでございますが、直接結び付かない内容で恐縮でございますけれども、私がここのところしばらく感じていることを、疑問乃至は問題提起というような形で申し上げさせていただいて、皆様方からご教示をいただきたいと思うわけでございます。
 テーマとして「経済学への疑問と期待」とさせていただいております。我々の経済社会の運営を考える際に、言うまでもなく経済学の理論、あるいは経済学的な考え方、物の見方というものがそのバックボーンであるわけでございますけれども、もし私が感じている経済学そのものについての疑問が、多分私が不勉強であるがゆえのことかもしれませんが、いささかなりとも根拠があるとするならば、それについて皆さん方からご教示をいただけるということが、意義のあることではないかと、こういうふうに考えたわけでございます。
 まず経済学の使命は何かということを考えてみたいと存じます。経済という言葉が、経国済民ないしは経世済民という言葉から来ているんだということを聞いておりますが、かつて私が出来の悪い弟子でございましたが、中山伊知郎先生のゼミの隅っこのほうでお教えをいただいたときのことを思い出しますと、中山先生は経済の安定と進歩に役立つことであると、こう言っておられました。因みに、中山先生の還暦記念論文集のテーマが、「経済の安定と進歩」、こういうタイトルであったわけでございます。すなわち言い換えれば、経済学というものは、「人類社会をよりよく運営するための理論的枠組みの提供と政策提言を行うこと」、こんなふうに定義してもいいのではないかと思うわけでございます。言うまでもなく、経済学そして多くの経済学者が、今日までこの面で多大の貢献をしてきていることは間違いのないことでございます。前回でございましたか、竹中委員から、茂木は経済学は役に立たないと思っているらしいなんていうことをおっしゃられましたが、全くそういうことはございませんで、経済学は大変な貢献をしてきている、竹中委員をはじめとする経済学者は非常な貢献をしてきているという、これは私も十分認識をしているところでございます。
 さて、まことにプリミティブな、いわば書生論的な議論でございますけれども、人類社会というのは一体どうあるべきかということを考えてみたいと思います、人類社会の将来ビジョンと言ったらいいかと思います。単純に整理しますと、「全人類ができるだけ平和で、できるだけ快適な生活を永続的に送れること」、これが、私は将来ビジョンではないか、あるべき姿ではないかというふうに考えるわけです。キーワードとして「平和、快適、永続」というふうに言ってもいいのではないかと思います。そのための課題は何かと言うと、これまた非常に単純すぎる整理かもしれませんが、2つあるように思います。 1つは地球環境問題、広い意味での地球環境問題への対処だと思いますし、それから2番目は、全地球的な安全保障体制の確立ではないかと思います。実はこの二つは、後でもしかしたら触れる時間があるかもしれませんが、非常に密接に結び付いていると思うんでございますけれども、今日はとにかく、こういう会でございますから、2の問題はしばらくおくとして、1の問題、地球のキャパシティーの問題と経済学との結び付きというようなことを考えてみたいと思うのでございます。
 ところで、余談でございますが、実はこの安全保障も非常に重要なテーマでございまして、経済同友会では、安全保障問題委員会というのが、研究会とか委員会というような形で、過去10年近く存在しております。ここにおられる楠川委員は、その委員会の前委員長でいらっしゃいますし、近藤委員が現在の委員長でございまして、私も近藤委員長のもとで副委員長を務めさせていただいております。
 さて、ところで、この地球環境問題については、最近は段々理解、認識が広がりつつあると思うんでございますけれども、どちらかというと、従来、地球環境問題についての誤解があったように、私は思うんです。それは何かと言いますと、一つは、地球環境問題というのは反企業的運動家の関心事ではないかと、こういうふうな決め付けですね。これは恐らく、そもそものスタートが、企業によって起こされたいわゆる公害問題、この辺りからスタートしたことによるのではないかと思いますが、今日ではそういう段階をはるかに超えているように思います。
 2番目には、環境原理主義的な人々の関心事であるという見方です。文化的な生活ではなくて、山の中でテントを張って暮らすようなことが一番人間にとっていいんだというような考え方の人がいるわけでございますが、そういう問題だというふうな誤解があるように思います。
 3番目は、地域的に限定された問題であるというものです。これは、もう6、7年前でございましょうか、多分、楠川委員もその席におられたと思うんでございますが、ある有名なアメリカ政府の元高官が日本にやってきたときに、同友会で昼食講演会がございました。その時に、全人類にとって重要な問題は何かというようなテーマでお話しになって、彼は安全保障問題を一つ採り上げましたが、もう一つは、拡大しつつある貧富の差、何かワイドニング・ディファレンシャル・オブ・ウエルスとか何とか言っていましたけれども、その二つを挙げたわけでございます。環境問題には全然触れなかったものですから、その後で私が、環境問題についてはどうお考えになりますかということを質問しました。そのときに彼いわく、それはハドソン川の水やニュージャージーの上空の空気が汚れているというような、極めて地域的に限定された問題であるというようなことを、言ったわけですね。まあ、その方も恐らく今日ではそういう認識ではなくなっていると思いますが、そういう誤解があるということです。
 4番目は、これが専ら今ホット・イシューとして議論されていると思いますけれども、個別・技術的問題であるという認識です。地球温暖化とか、それからオゾンホールの問題だとか、これは個別・技術的といっても、全地球的な広がりを持っているわけですけれども、その他に例えば酸性雨の問題、あるいはさっき申し上げました川とか海とか空気の汚染の問題、あるいは砂漠化の問題、熱帯雨林の消滅の問題とか、もちろんこれらの技術的な問題も非常に重要な問題であるわけでありますけれども、地球環境問題とはそういう問題なんだという認識が、恐らく最近では、残っている誤解のうちの一つではないかと思います。
 私はよく考えてみますと、地球環境問題というのは、言うならば地球のキャパシティーの問題ではないかと思います。人類がこの地球の上でどう暮らしていくかの根本問題ではないかというふうに、実は考えているわけでございます。例えばその中には食糧やエネルギーの需給の問題も含まれるわけでございます。そうなって参りますと、まさに経済学の重要なテーマではないか、経済学が正面から取り組まなければならない問題ではないかと感じられるのでございます。
 ところで、ふと考えてみますと、経済学はこの地球のキャパシティーのことをほとんど考えていないんではないか、分析の枠組みの中に入れてきてないんではないかという疑問を、実は私は持っているわけでございます。恐らく経済成長は、いろいろな要因で起こるんだと思うんですけれども、その中でも人口の増加とか、資源の開発だとか、あるいは技術革新だとか、こういったものが、経済をダイナミックに成長させる上で非常に重要なファクターだろうと思います。まあ技術革新についてはいろいろな議論があろうかと思いますけれども、あるいは限界がないということが言えるかもしれません。しかし人口や資源については、どう考えてもある種の限界というものがあるんだろうと思います。
 例えば世界人口にいたしましても、確か今年の10月12日、1カ月半ばかり前でございますが、国連の人口基金の推計では、その日に世界人口が60億を突破したということになっておりまして、恐らく当たらずとも遠からずの推測だろうと思うんです。これが過去40年間で倍になっておるという状況でございます。その中で、エネルギー及び食糧の需給というものが、現在ではまだそれほどタイトに感じておられないかもしれませんけれども、これは大変な勢いで人間が増えつつあって、しかも一人当たりの消費量というものが昔と比べると格段に増えているわけでございまして、化石燃料が、今でも専らエネルギーの供給の本当に重要なソースだろうと思うんですが、これも現在、今のペースで使っていくと、あと35年か40年だろうというようなことが言われております。
 人類がエネルギーを使い始めてから今日までの間に使った累積エネルギー消費量は、何と90%が過去40年間で使われているというようなことを、どこかで読んだ記憶があるんですが、これはなるほどそうかもしれませんね。というのは、人間が倍になってしまっているわけでございまして、それから一人当たりの消費量が格段に多くなっている。私など、子供の頃は、田舎であったせいもあるかもしれませんが、寒い真冬でも、朝、顔を洗うときにお湯を使うなんていうことは考えられることではなかったですね。一番威張っていたからかもしれませんが、親父だけがお湯を使っていた。実は、それはひげを剃るために仕方なしに使ったわけでございまして、当時もう70過ぎていた祖母も冷たい水で顔を洗っていたように覚えております。大体、栓をひねってお湯が出るなんていうことは、当時は全く考えられなかったわけでございますけれども、今日では小学生でも朝シャンをやる時代でございますから、それを考えますと、人間が最近になって猛烈な勢いでエネルギーを使っているという状況だということが理解できるわけでございます。
 食糧についても、レスター・ブラウンというワールドウオッチ研究所の有名な方が、たしか「飢餓の世紀」という邦訳でございましたね、もう5、6年前でしょうか、食糧需給についての大変悲観的な本を出しまして、一部の方からは、あれは悲観的すぎるという批判も出ているわけでございますけれども、しかし、そうそう楽観もしておられない状況ではないかと思います。
 それから狭義の地球環境、さっき申し上げました個別・技術的問題。これも非常に深刻化しておりまして、これが人間のいわゆるクオリティ・オブ・ライフへの脅威として、非常に顕在化してきておる。こういう状況であろうと思います。
 そういたしますと、これは私が言い出したことではないんでありますが、GNPというものが専ら経済のパフォーマンスのメルクマールとして使われるのですけれども、これが欠陥概念ではないかということを言っている人がおります。その人は、実は阪神大震災が起きた後、あれだけの破壊のことはちょっと横に置いてしまって、その後に起こるであろうところの復興需要ですね、そのフローの面だけを専ら経済論議の中で採り上げられているということに疑問を感じて、そういうことを言い出したわけでございますけれども、私はそれに加えて広義の地球環境問題について、GNPの概念の中には全く取り入れられていないということから、どうもやっぱりGNPだけに頼っていていいのかなという疑問を持つに至ったわけでございます。
 というのは、専ら短期的な、せいぜい数年ぐらいのスパンでしか物を考えずにいる時には、これが妥当するんだろうと思いますが、長期的に考えますと、矛盾が起きてくるのではないかということの心配なんです。合成の誤謬ということを学生時代に教わったわけでございますけれども、部分最適を足していっても、必ずしも全体最適にならないということだろうと理解しておりますが、これを時間軸に直しますと、短期最適ばかりを追い求めていって、それが長期最適を実現するかと言うと、必ずしもと言うよりも、決してそうはならないのではないかという疑問ですね。
 例えば、高度成長期の末期、あるいはバブルの間にどういうことで経済が成長したかといいますと、もちろんいろいろな要因があるんですけれども、そのうちの一つとして、GNPの主要部分である消費ということなんですね。消費を刺激するということが非常に重要だと言われておりますが、例えば耐久消費財などにいたしましても、高度成長が始まる頃に、たまたま私は大学を卒業したわけですけれども、当時は、今日ではほとんどの家庭に普及しているあらゆる耐久消費財の普及率が、物によっていろいろでございますが、恐らく押しなべても、5、6%からせいぜい10%位しかなかった時代でございまして、そういう耐久消費財がどんどん普及していく過程で非常に旺盛な購買行動が起きて、それがGNPの成長にとって大きなファクターであるということ、これは間違いないことだろうと思うのでございます。この普及率が100%近くになりますと、そういう普及率が上がっていく過程における急速な伸びというものはなくなるわけでございまして、言うなれば市場に、この社会に存在している耐久消費財のトータルの台数を、いろいろなファクターを平均した形での、あらゆる意味での平均耐用年数と言ったらいいんでしょうか、それで割った数しか、年間に恐らく売れないというのが、普通の姿だろうと思うのでございます。そうなりますと、メーカーも流通段階ももうけがあまり伸びなくて困るわけでございますから、手を変え品を変えして買わせるように努力するわけですね。つまり、色を変え、型を変え、機能を変えて、今、家庭で使われている耐久消費財を強制的に陳腐化させる。それによって、まだ使えるものを捨てさせて、そして新しいものを買わせるという、こういう買い換えサイクルを速くするというやり方、これで売り上げが伸びる。そうしますと、製造段階、流通段階で付加価値が発生致しまして、そのトータルがGNPに反映されていく、こういうことだろうと思うのでございますが、しかしそうなりますと、まだ使える物を捨てることによって、粗大ゴミが発生を致しますし、まあいくらリサイクルの努力をしても限度があるわけですね。それから、要らないものを無理やり作るということで、エネルギーも相当使われると、こういうことでございますから、少なくともその面ではGNPの成長ということと、広い意味での地球環境問題というものが、矛盾した関係になってしまうのではないかと、こういうことが言えると思うんです。
 実は私は、自分が不勉強ですから間違っているかもしれないということで、恐る恐るいろいろな方に今まで疑問を投げかけて、いろいろご教示を仰いでいるわけでございますが、その中で出てきている一つの答えは、価格メカニズムによって何とか調整されていくだろうと、こういうことであるわけであります。つまり、食糧が不足すれば、食糧の価格が高騰して増産意欲が高まる。したがって、供給がふえて、タイトになった需給関係が緩和されるだろうと。それからエネルギーが不足すれば、もちろん今から化石エネルギーが、今の使っているペースに追い付くようなスピードで、地球上のどこかでできるわけはないわけでありますから、代替エネルギーの開発が促進されるだろうと。研究投資がそろばんに乗って、やがてはいろいろな代替エネルギーというものが利用可能になるから、大丈夫だというわけです。
 それから環境、狭義の地球環境が悪化すれば、それを改善ないしは解決するニーズが高まる。ニーズが高まれば、何とかそれを解決するための方法が発明されるはずだと。こういうふうに、経済学的には考えられるというか、考えざるを得ないということかもしれませんが、人類社会の今の生活の状況を見ますと、果たしてそれが本当にうまくいくのかなと疑問に思わざるを得ません。もっと政策的に、積極的な広義の地球環境問題への対処というものを、政策提言することが経済学に求められているのではないかなというふうに、私は感じておるわけでございます。
 いろいろな方からコメントを頂戴しておりまして、中には「君の考えは分かるけれども、それはまあメーンストリームの考えではないな」というコメントもいただいております。それから「あなたの言うことは一応理解できるけれども、ほかにどなたかそういうことを言っていますか」、つまり、もっと有名な権威のある方が言っていますかというわけですね。私はまだ見ていないんですが、何か最近、ガルブレイスがどこかでそういう話をされたようですね。ガルブレイスさんが権威者かどうかよく分かりませんけれども。
 日本の経済学者の中でも、例えば最近、もうだいぶお年を召しましたが、飯田経夫先生がどこかでそういう講演をなさっておられまして、私はその講演録を読んで非常に共感を覚えましたし、それから我が母校の石井学長が、「環境税の話」というような本を岩波新書から出しておられますし、もともと環境の分野から経済学の分野へ入っていった方々は、当然のことながら環境問題について非常にご熱心なんですが、いわゆる正統的な経済学の勉強から経済学を専門としておられる方々の中にも、この問題についてかなり関心を示す方が増えつつあるように思いまして、これは心強いことであるわけでございます。
 いずれにいたしましても、間もなく21世紀、あと1年ちょっとで21世紀になるわけでございますけれども、本当に長期的な観点から、人類社会運営の基本的なパラダイムというものを織り込んだ経済学というものが求められているのではないかと感じております。是非、優秀な経済学者、エコノミストの皆さんの間でこういう議論が深められて、長期的な人類社会の安定と進歩に役立てていただくことを、私としては大きな期待を持っておるわけでございます。以上でございます。



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