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日時:1999年9月21日 8:00~10:00
場所:帝国ホテル
【第一部】 <基調報告>
行天座長
本日はお忙しいところ、どうもありがとうごいざいます。
ご案内いたしましたとおり、本日は、下村委員から「途上国の開発政策への支援の新展開」、それから原委員から「アジア諸国開発への支援」ということでプレゼンテーションをしていただいて、その後ディスカッションということにさせていただきたいと思います。お2人のテーマはごらんのとおり、まさに開発援助についての非常に哲学的というか、レゾンデートルそのものに突っ込んだお話をいただくことになっております。時間は大体お1人20分ぐらいということで、あまり厳密にお考えいただかなくても結構でございます。それでは早速、下村委員からお願いいたします。
基調報告
下村委員「途上国の開発政策への支援の新展開
-経済改革から政治改革への移行の意義と問題点」それではお話をさせていただきますが、私に与えられたテーマは、開発政策への支援という非常に広いテーマですので、時間の制約を考えまして、今日は1点に絞ってお話をしたいと思います。その結果、例えば日本政府のイニシアチブで展開されている新開発戦略というような、新しい注目すべき点については捨象させていただきます。
今日、私が主としてお話ししたいと思うのは、一言でいえばコンディショナリティの話です。これまで東アジアの金融危機の関係で、国際機関、特にIMFの出しているコンディショナリティが、いろいろな点で問題があるという話が出ておりますけれども、これまでのところ、それは主として経済的コンディショナリティが実情に合っていないとか、あるいは無理があるとかという話ではなかったかと思います。
ただ、コンディショナリティという点で見ますと、1980年代は経済的コンディショナリティの時代でしたが、90年代になりましてから、いろいろな形で政治的な面にドナーのほうの関心が向いてきたということで、あえて言えば、80年代が経済改革重点の時代だったのに対して、90年代はドナーにとって政治改革中心の時代になったというふうにいえるかと思います。
こういう変化が起きた背景をざっと見てみたいと思いますけど、まず最初は、冷戦が終結して西欧型の「普遍的価値」、これが本当に普遍的なのかどうかというのはいろいろ議論があるかもしれませんが、かぎ括弧つきの普遍的価値が確立した。これによって、民主主義とか市場経済原理を世界的に広めたいという意欲が先進国のリーダーに強くなったわけですけれども、それを受けまして、OECDの援助調整部門であるDACが、90年にハイレベル・コミッティのステートメントということで、民主主義・人権・グッド・ガバナンスなどの価値が貧困の解消、これは裏返して言えば、経済発展、持続的な発展ということであろうかと思いますけれども、これに密接な関係を持っているということを宣言しまして、これが契機になって、政治あるいは統治についてのテーマが、援助と密接に関連づけられるようになりました。
これと並行しまして、90年代初頭にいろいろな主要ドナーが、政治改革重視の姿勢を強調しております。この中には、アメリカのように改めて強調した国もありますけれども、新たに強調した国もあります。政治改革を援助の条件とする場合、IMFが経済面で非常に厳密にやっているような形で標準的な形の条件づけをしますと、政治的コンディショナリティということになります。
フランスとかドイツとか日本などは、政治的コンディショナリティとは一線を画した立場をとっているというふうに言われています。ただそうは言いましても、日本を含めて、ある意味で緩やかであっても援助を供与するかどうかということと、政治あるいは統治の点とを結びつけるという意味で、緩やかであっても政治的コンディショナリティが導入されてきたというふうには言えると思います。
日本については、ODA大綱の中に「原則」というものがあるわけなんですけれども、その「原則」では「国連憲章の諸原則」を踏まえて総合判断するという留保条件を慎重に示してはおりますけれども、いろいろな政治あるいは統治の条件と援助とを結びつけているということが言えるかと思います。これが1番目の背景です。
2つ目の背景としまして、80年代から非常に世界で支配的になりました構造調整アプローチ、市場原理の導入強化を中核としたソブリンものの支援が、いろいろな国で、いろいろな地域で限界に直面したということがあります。特にサブ・サハラと旧ソ連圏で限界に来たんですが、サブ・サハラについても、構造調整アプローチの挫折を踏まえまして、世界銀行では、やはり健全な経済政策を強調するだけでは持続的発展は無理だ、やはり途上国側の政治とか統治面の条件が不可欠だという認識が生まれたということです。
3番目の要因ですが、これは主要ドナーに今蔓延しております援助疲れと関係があると思います。東西対立が消滅して、他方で財政状態が悪くなったために援助疲れが起きているわけですけれども、その結果、援助をするのであれば、効果がはっきりしていないといけないという状況が生まれました。その結果、ドナーが幾らしっかりしても、レシピエントの側が問題があれば、援助の効果が上がらないということで、途上国側の政治・統治への関心というものが増大したということが言えるかと思います。
こういう形で、政治的コンディショナリティであるかどうかを問わず、政治改革に援助の世界が非常に関心を持ち始めたという状況の中で、ブレトン・ウッズ体制は非常に微妙な対応を迫られたということが言えると思います。ご承知のように、ブレトン・ウッズ体制は非政治的理念の原則をうたってきておりまして、融資基準として、対象国の政治的要因を考慮してはならないということになっているわけですが、ブレトン・ウッズ体制はこういう状況の中でどう対応したかと言いますと、グッド・ガバナンスという概念を重視するということで対応したということが言えると思います。グッド・ガバナンスは、よい統治ということですけれども、政治的概念でもありますが、政治的でないということも言えます。
グッド・ガバナンスの概念ですけれども、これはあまりはっきりした定義はないんですが、いろいろなことが言われております。民主主義的政治体制、説明責任・透明性・公開性・法の支配、腐敗・汚職の抑制された効率的な政府、過度の軍事支出の抑制という4つの要素が挙げられると思いますけれど、注目すべきことは、その中に、民主主義的政治体制という政治体制の問題が入っています。OECDはこういう定義で、世界銀行は民主主義的政治体制を除いた狭い定義をとっておりますけれども、いずれにしてもグッド・ガバナンスを重視するということですが、世界銀行は、政治的な理由からグッド・ガバナンスを求めるのではなくて、グッド・ガバナンスがないと資源配分の改善ができないという経済的な理由から、これを重視するということを強調しております。
それからまたIMFは、97年の8月に「ガバナンスに対するIMFの役割についてのガイドライン」というものを出しまして、途上国経済の安定と持続的成長に不可欠だという視点、また、IMFのコンディショナリティを実施する能力を持っているかどうか判断する視点から、ガバナンスを重視するということを言っています。ガバナンスとのかかわりは、経済的側面に限定するということを言っておりますが、これが果たしてどれだけ判別できるかどうかということについては、このガイドラインの中でも、IMF自体が懸念を表明しています。
こういうグッド・ガバナンス重視ということは、ブレトン・ウッズ体制の1つの重要な姿勢だと思いますが、この背景に世界政治とか経済運営に関する新しいコンセンサスがあるということを、プリンストン大学の近代史の教授であるジェームスが言っておりますけれども、この中で注目すべき点は、腐敗した政府の追放が、市場原理の効果的な働きや社会的公正にとっての前提条件だということを言っております。
これをかなり反映していると思われる発言が、IMFのスタンリー・フィッシャーによって、98年の5月、ちょうどインドネシアの情勢が極めてクリティカルになったときに行われております。「IMF理事会メンバーの政府が選択を迫られるのは、経済困難を緩和するための改革を助言するか」、これは経済的コンディショナリティを課して、それを実施して、それによってうまく問題を解決させるということですけれども、「あるいは支援をとめて経済状態を悪化させ、恐らく政治的変化(political change)を引き起こして、結果として事態を改善することを期待する」、2 つの選択があると。「どちらをとるかは、対象国の政府をどう判断するかにかかっている」と言っております。
したがって、対象国の政府がいいガバナンスを実行することができないと判断すれば、選択肢の1 つとして支援をとめて、政治的変化を起こすということも考えられると。これが、ハロルド・ジェームスのいう、新しいコンセンサスを反映している1つの発言ではないかと思います。
こういうふうにドナー主導で政治改革を行うということが今の新しい流れだと思いますけれども、政治的コンディショナリティだけでなくて、国際機関が、より緩やかに、一見経済的コンディショナリティのように見える、適切な政策を実施する能力について判断するケースを含めてドナー主導の政治改革というふうに考えますと、これにはいろいろな問題があると考えます。もちろん途上国側の政治とか統治の状況が非常に悪ければ、持続的発展も経済発展も望めないわけですから、政治改革とか統治の改革が重要だということは賛成できるわけですけれども、それをドナー主導で援助と結びつけて行う場合に、いろいろな問題が出るのではないかと思います。
先ずどういう根拠で行うのか。これは国際法的な根拠だけでなくて、政治改革がどれだけ持続的発展に不可欠かということはまだ検証されていないと思いますので、どういう根拠でこれを言うのか。単にドナー側の信条に基づいて言っているのか、あるいは何か検証された根拠があって言っているのかということが問題でありますし、それからブレトン・ウッズ体制の場合は、例えばIMFが主権国家を除去する、政府を除去すると言う場合、そういう決定をしてアクションを取ることをどういう形で受権しているのかという問題があると思います。
それから2番目として、ドナー側の能力ですけれども、途上国の政治・社会状況をどれだけ把握しているのか、政治的変化を要求するだけの本当に能力があるのかという問題がありますし、判断ミスが起こった場合、途上国側の判断ミスはペナライズされますけれども、ドナー側の判断ミスというのはどのようにフィードバックされて、調整されるのかという問題があると思います。
それから、よく言われるダブル・スタンダードの問題です。エジプトは米国の援助の最大の受益国です。エジプトが政治的自由度、これもどの程度信頼できるかということはありますが、フリーダムハウスの政治的自由度指標の非常に低い、アルジェリアとかインドネシアとかイランとあまり変わらない国が、アメリカの援助の最大の受益国だということです。あるいはIMFとロシアの関係。ロシアの場合、経済的な問題だけがこれまでずっと国際社会で言われてきたんですけれども、ガバナンスの問題はほとんど取り上げられてこなかったわけですが、インドネシアと比べて、ロシアがどれだけガバナンスがすぐれているのかということは大変疑問であると言わざるを得ません。この辺、ダブル・スタンダードという古い問題があると思います。
4番目として、国際機関は政治的側面を排除しながら、純粋経済的な面に限ってガバナンスの問題を取り扱うと言っておりますが、それは技術的な可能なのかどうか。IMFのガイドライン第7条で、これは難しいと自ら認めております。
5番目として、援助を止めると、援助を止めた結果、政治的変動が起こって、最終的にはよい統治の民主的な政権ができて、経済がよくなるというシナリオを描けるかもしれませんが、その過程で、貧困層は援助停止によって非常にダメージを受けるわけで、そういうヒューマン・クライシスというものが、果たしてガバナンスを改善するために許容されるコストなのか、許容されるべきかどうかということを、ドナー側がどれだけ深刻に考えているかという問題があると思います。
最後に、ドナー側の政治的判断がどの程度の透明性を持って、アカウンタビリティを持って行われているか、途上国側に、その判断のプロセスとか内容をどれだけ情報提供されているのかという問題もあるかと思います。
こういう複雑な問題を抱えているということが理解されていれば、政治的コンディショナリティは1つの選択になると思いますけれども、危惧しますのは、援助を出しているんだから相手の方には相当いろいろ踏み込んでいってもいいんだ、踏み込むべきだということが、あまりにもイージーに言われすぎているんじゃないか。特に永田町の方々が、そういうことをこのごろ言いすぎるという感じがあります。確かに援助を出しているということは重要な要因かもしれませんが、援助を出している側が何でもできるというわけではないと思います。行天座長
下村さん、どうもありがとうございました。それでは引き続いて原さんからお話を伺って、その後で討論に入りたいと思います。では原さん、よろしくお願いいたします。
基調報告
原委員「アジア諸国開発への支援」今、下村委員からおもしろいお話があったので、それに引き続くような話になるのではないかと思うんですけれども。ちょっと最初に妙なことを言いますけれども、やはり今、下村委員がおっしゃったことと絡むんですが、改革というのは、外からばっとやらないとできないものだなと僕は思っておりまして、実はきのう、有馬文部大臣が変なことを言ったもので、実は今日もまた午後、評議会とかいろいろございまして、今くたくたで、東大も同じことで外部から言われて、アカウンタビリティを高めろとか。これから東京大学といいますか、国立大学も5年計画を立てて、それにアチーブしてないと、リソース・アロケーションを減らしますよと。ちょっとくたくたな状態で、東大の中で分捕り合い合戦が始まりそうで、部局長としては、いかに旧体制を維持して自分の部局を守るかという必死の状態に今、追い込まれております。
ちょっと妙なことを言い出したんでけれども、その中で私のおります東洋文化研究所というのは、役に立たないことをやっている唯一の研究所でして、世の中のご用に立つことを一切やらないという主義で来ておりまして。突然変な話をしますけれども、真珠湾攻撃が12月8日ですけれども、その2週間前に、戦前最後の国立の研究機関で設立されたのが私の研究所なんです、それで東京大学で引き継いだ。そのときに設立目的を見ますと、大東亜共栄圏の研究をするとちゃんと書いてあるんです。
実は戦後、東京大学もGHQが入ってきまして、戦争協力ということで、随分本郷の先生方はパージに遭っているんですけれども、東洋文化研究所というのは、そういう名目だけどだれもパージに遭わなかった。なぜかというと、大東亜の研究をするのに、考古学とかそういうことばかりやっていたものですから、あまりご用に、役に立つ先生がいなかったために生き延びられたというのが私の研究所でして、なぜそんな変なことをあえて言い出したかといいますと、今、下村委員がおっしゃったことを考えるときに、やっぱり当面、そのときそのときにいろいろなイシューがあると思うんですけれども、アカデミズムがもし世の中に役に立つことがあれば、長い目で見る、歴史的な視点で見るというような、ちょっと格好いいことを言ってるんですけれども、そんなふうなことではないかということを感じているからなんです。
私の今日お話しすることも実はそのことに絡んでおります。
まず下村委員がおっしゃられました経済改革から政治改革へというのが、私の文脈では、ヨーロッパとアジア、あるいは現代のアメリカとアジアというふうに限定をして、アフリカとかラテン・アメリカのことはちょっと捨象しますけれども。私の非常に仲のいい友人の1人に、京都大学に白石隆君という親友がいるんですけれども、彼が今『中央公論』に連載している「海の帝国」というのがあるんですけれども、その7月号にうまいことを書いているんですが、考えてみますと、実はラッフルズが19世紀初めにシンガポールを統治します。そのときにラッフルズが描いていた、東アジアの政治経済秩序の夢というのを、彼が7月号に書いているんですが、彼は前からそのことを言っていまして、初めて文章にしただけなんですけれども。
考えてみますと、実はこのラッフルズが言っていたことが、今の構造調整、今日の下村委員と同じことをもう既に始めていた。彼はそれを自由主義プロジェクトというふうに、イギリスのアダム・スミスの経済自由主義、それから当時の、いわばビクトリア王朝時代のさまざまなイギリスの議会政治、こういったものをアジアに持ってこようと思ったら、あまりにも違うと。華僑というのは身内だけでやってるから、これはもうインサイダーだと、そういうことが当時から山ほど言われていた。ずっとそういう自由主義プロジェクトを、1820年ぐらいですから、今から2世紀前ぐらいから始めていた。
それでこう来るわけですけれども、話は全然すっ飛ばしていきますけれども、結局成功した。最近、元世界銀行で、プロフェッサー・ミントと一緒に、ラルミント・プロジェクトというのがありまして、これは「インステーション・ミラクル」ほど読まれた本ではありませんし、あまりにも歴史学的なというかあれなんですけれども、ラルミントというプロジェクトは、リーパック・ラルという非常に有名なインドの経済学者がいまして、この人は開発経済学は要らんということを書いたので有名な人なんです、普通の経済学でいいと。
このラルが、最近「アンインテンデッド・コンシークエンス」という本を書いておりまして、この中で彼が最後にこういうことを書いているんですね、これは今年出た本です。この新古典派の経済学者なんですけれども、彼が、アメリカが今やろうとしていることは、結局2世紀前にインドでイギリスがやろうとしたことと同じことだと、そういう非常に厳しい調子で、そういう話を書いているということではないかと思います。
細かい話は一切抜きますけれども、実は忙しい合間を縫って、数年前に科研費をもらったもので、報告書をつくらないといかんということで、また怒られそうなので、必死になって夏休みに100枚ほどのある論文を書いたんですけれども、それはもうじき出ますので、お配りします。そこで少し細かく検討しておきましたけれども、例えば世紀の変わり目にインドへのイギリスの経済政策というのを見ますと、全く今言っている構造調整と同じことを言っているんですね。それはいろいろございまして、為替レートをどうするかという場合に、要するにインドに膨大にイギリスから投資がありますから、そういう投資のリターンだとかいろいろなものを本国に、ホームチャージという言葉が当時インドで使われていて、ホームチャージの価値を維持するために、為替レート、ルピーはルピー高で維持しろと。いろいろなことをやっておりまして、それと同時に、さまざまなデモクラシーとか私的所有権を持ち込もうとする。しかし、完全にインドの伝統的な土地所有の形態を忘れていたために、例えばインドの一部の地域ではザミンダールというような名目上の、もともとは単なる徴税請負人であったものを地主にしてしまうような大ミステークをやるとか、いろいろなことがインドで起こっていると。
そういう、2世紀ぐらいにヨーロッパとアジアとの間で起こったことという歴史の文脈、それを白石君の言葉を使いますと、自由主義プロジェクトと。結局その背景は何であったかというと、言うまでもなく白人の義務、文明開化、そういうメッセージのもとに、さまざまな政治的価値、経済的価値の導入が試みられてきています。しかし、もちろんアジアのほうは変わっていきますけれども、その夢は常に見果てぬ夢で終わっていると。そういう歴史をずっとたどってきているのではないかと思うわけです。
そういう文脈で、私の言っていることは、先ほど一番最初に言いましたように、何の役にも立たないことを言っているんですけれども、その先にどういう意味があるのかと言われてもちょっと困るんですが、何を言いたいかといいますと、別の言い方をしますと、やっぱり微妙なバランスの問題ではないかと思うんです。
それはどういうことかといいますと、地域主義とか、私のように東洋文化研究所で、アジアの地域というのは地域に個性があるんだということを言わないと研究所がつぶされますので、地域研究が重要だとかということばかり言っているわけですけれども。地域研究といいますと、例えば今日、下村委員のお話の中にあった、例えば透明なマーケット、あるいはデモクラシー、こういった普遍的な価値だった仕組みというものについて、どうしても否定的になっていきますけれども、だからといって、そういう普遍的な価値みたいなものが不要であるわけではない。しかし、問題はバランスの問題ではないかという気がしているわけです。
もちろん地域主義とか、アジアの国の個性をいいますと、では強権政治を肯定するのかとか、こういった難しい問題が出てきます。したがいまして、答えはないのではないかと。これまたもっと役に立たないことを言い出しておりますけれども、バランスということがやはり非常に重要で、下村委員がちょっと言われた、多分同じようなことになっているんじゃないかと思うんですけれども、いらいらして、わっと押しつけると失敗が起こると。
そういうことを前提にして、アジアの中の日本へということは、今言ったようなことなんです。これは我々、私は、もちろんそうなんですけれども、日本は先進国、アジアは後進国、だから援助、つまり日本とアジアという発想には、脱亜論以来のそういうことがあるのではないか。そのときに、では日本の位置がどこにあるのかというのが非常に不安定である。これはもちろん福沢以来、福沢がそうであったかどうかは別にしまして、「日本は先進国である」まではいいんですが、ヨーロッパかと。
先進国なんだけれども、日本とアジアは全く違います。私は、日本とアジアが同じ価値観を持っているとか、似た面はいっぱいありますけれども、例えば日本と中国の違いぐらい世界で大きい違いはないんじゃないかと思っておりまして。しかし、世界の中における日本の位置というのを考えるときに、日本とアジアという発想が強すぎるので、どこかアジアの中の日本と、そういった視点がスローガンとしても必要になってきているのではないか。これは変な意味でのアジア主義じゃなくて、アジアと日本はものすごく違うんだということをわきまえた上での、それで日本はヨーロッパでもない、何かそういう視点みたいなものというのを今考えているんですけれども、これについては、もう既にいろいろなことをちょっと言いましたので、これ以上深入りはしません。
そういうことの具体的あらわれで、これは実は下村委員も最初に関係していただきまして、ベトナム市場経済化支援開発調査を3年間やりました。このきっかけは、小倉大使がハノイにいらっしゃいまして、そのときにたまたま、今インドネシアから帰ってこられた服部氏が経協の参事官でいらっしゃいまして、彼に私が電話で呼び出されてやり始めたプロジェクトなんですけれども。
これはいろいろなことがありますけれども、知的支援ということで、私もこれは、初年度は下村委員にも随分お手伝いをいただきまして、やり始めたプロジェクトなんですけれども、いろいろな評価はありますが、知的支援の方法というので、1 つはもちろん市場支援をするために知恵を出すということだけなんですけれども、そのときに徹底的に日越共同研究という体制をとったと。日本人だけがいろいろなテーマについて議論するのではない。これは今でもいろいろ問題があります。つまり向こうの論文のクオリティの問題、それから向こうはMPIというのを持ってて、MPIが握ったために、例えば大蔵省、それからほかの省庁のエコノミストとかが、MPIと向こうのビューロクラシーの壁があって、なかなかうまくパティシペートしてくれなかったとか、さまざまな問題はあるんですけれども、あくまで日越共同研究という体制で進めてきて、それをいわばある種のポリシー・オプションとして、ベトナム政府に物を言うという姿勢を貫いたということが1点。
2つ目は、日本側の基本的視点というんですけれども、これは石川先生の、石川経済学の基本になっているわけですけれども、市場経済が非常におくれている場合に、そう世銀のような、なかなか市場経済というのは発達しないので、市場経済を発達させるインフラ、ソフトなインフラも含めたものをつくらないといかんというようなことをかなり重視をしたと。この辺が、後でちょっと述べるいろいろな問題にもかかわってきます。
3番目が、徹底的にとにかく現場を見るということで、日本人はベトナムのことをほとんど何も知りませんから、とにかく現地を見るということで、なるべくハノイにいる滞在日数をミニマイズすると。現地に行くという姿勢を貫いたというこの辺が多分、知的支援、ほかのところを私はよく知りませんけれども、そういう形でやってきました。
そのときに、やはり国際機関との若干のコンフリクトと書きましたけれども、例えば具体的には、工業化のために、ある種の保護貿易というんですか、アフターの時間内に関税云々で、ある種の幼稚産業、保護的なことも、石川先生のペーパーは必要だとは書いてないんですけれども、こういうタイミングでこういう条件がそろえば、こういうオプションもあり得るというような表現がレポートの中に出てきました。それに対して、世銀、IMFが、非常に強いクレームをつけてきた。それは実はペーパーがまだ流れていない段階で、そういう話が出てくる。
石川先生はこれを大変苦慮されまして、ちょっと雑談風に言いますと、それが宮沢ファンドのときに、ある大蔵省の課長さんが随分苦労されて今度まとまりまして、民間企業の育成云々を一種の緩やかなコンディショナリティにしてという、あのプロセスの中で、やはりどうもベトナムの党の幹部に、日本は文句を言わずに金を貸してくれるみたいな雰囲気がいつの間にかでき上がっていたようなんです。それは、我々が意図したわけではないんですけれども、ちょっとその石川先生の対応もやはり何か影響していたように聞いております。
しかしそういうことはあれなんですけれども、いずれにせよそういう意味で、国際機関との間で、そういうコンディショナリティをめぐっても、いろいろなコンフリクトが起こると。そういう経験をしまして、結局ベトナムに対して、日本のJICA、あるいは簡単に今略語でいいますけど、石川プロジェクトの評価はもうちょっと後にならないとわからないと思います、どれぐらい役に立ったかということについては、まだ判断が非常に難しいと思います。ただフェーズ3というのを今年度から始めるということで、もう一回続けるということで、石川先生は今準備をされております。
細かい内容はここで一切省きますけれども、やはりそこで、先ほど言いましたように、国際機関との若干のコンフリクト等を経験をしながら、ベトナムが今置かれている状態がどうで、ベトナムがこうで、改革はこれぐらいのスピードでしかいかないんじゃないかということを我々が考えて、それに対して、ある種の普遍論理みたいなものでぐっと来るときに、このバランスをどうとりながらベトナムと対応していくのかと。多分そういうバランスをとるということに、石川先生は一番苦慮されたんだろうと思いますし、多分このベトナム市場経済化支援の開発調査が、まだオンゴーイングですけれども、このことはまだまだ、特にアジア危機以降、ベトナムの経済はそれほど、思ったほどよくなっておりませんし、このコンフリクトはまだ続いていくだろうと思っております。
いずれにせよそういう意味で、答えは何もないんですけれども、先ほどの下村委員の話と、多分僕流に勝手に受け取っているわけですけれども、常に民主主義、市場経済という普遍のロジックと、1個1個の国が持っている個性という乱暴なことを言ってしまいますけど、このバランスをとりながら、日本としてどう援助していくのか。特に政策、通常、知的支援と言われている取り組みのときに、答えはないんだと思うんです。常にいわば相対主義と普遍主義と、このバランスをどうとっていくか、そのことに尽きるのかなと。これはケースケースによりますし。
最後に一言いっておきますと、我々の石川チームも、日本人の中のアカデミッシャンと言われる若い人を中心にして、大体その作業を非常に具体的にやった人数を含めますと20名ぐらいになるんですけれども、もちろん我々の中でも意見は対立をしておりました。それは逆にベトナム側にもいろいろな意見がありますから、あれなんですけれども。1つに大きくイデオロギーでまとめるのではなくて、バランスをとりながら、どういう形で知的支援のようなことを続けていくか。フェーズ3が石川先生を中心にもう一回動きますけれども、その間中、多分私が今言った難問、答えは、エンドレスに続くのではないかなというような予感がしております、多分そこに何かイシューがありそうな気がしております。
気楽なのは言うことを聞かないと金をやらんよと言ってもいいと思うんですけれども、なんか金、小遣いをちゃんとやるから塾へ行けと言ってるようなもので、塾へ行くかというとわかりませんよね。ですからその辺が、どういう子供なのかというところと似たようなところがあるような気が僕はしてまして。
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