第2章 分野ごとに見た国際情勢と日本外交

 第1節 平和と安定の確保

   1.日本の安全の確保

(1)総論-日本の安全保障政策の三つの柱

 冷戦終結後も、国際社会には多くの流動的な要素が存在している。日本が位置するアジア太平洋地域においても、98年中は、インドやパキスタンによる核実験、北朝鮮のミサイル発射等、地域の潜在的な不安定要因が顕在化し、新たな不安が生まれつつある。
 このような安全保障環境の中、日本は三つの柱からなる安全保障政策-日米安全保障体制の堅持、適切な防衛力の整備、国際の平和と安全を確保するための外交努力-を推進している。
 日米安保体制については次項において詳述する。
 防衛力の整備については、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、節度ある防衛力の整備に努めている。この基本方針に則り、95年11月、「防衛計画の大綱」(76年10月国防会議・閣議決定)が19年振りに見直され、「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」(新防衛計画大綱)が安全保障会議及び閣議にて決定され、現在に至っている。
 国際的に相互依存関係が深まりつつある今日、日本の安全と繁栄は、アジア太平洋地域、ひいては世界全体の平和と繁栄と密接不可分の関係にある。このような状況下、日本の安全と地域の平和と安定を確保していくためには、この地域における米国の存在を前提としつつ、様々なレベルでの努力-個々の紛争・対立の解決に向けた努力と地域の安定に向けた二国間ないし関係国間の対話と協力、アジア太平洋諸国相互の政策の透明性と信頼醸成に向けた政治・安全保障対話や協力、域内諸国の経済発展への支援・協力を通じた地域の政治的安定性の増大-を積み重ねていくことが重要である。
 以上の努力に加え、軍備管理・軍縮及び不拡散体制の強化、紛争予防や平和維持活動(PKO)等紛争のあらゆる局面における取組、欧州との安全保障面での対話・協力なども、世界の平和と安定に貢献する観点から重要であり、引き続き積極的に取り組んでいく必要がある。

(2)日米安全保障体制

【日米安全保障体制の意義】

 96年4月に日米首脳により発出された日米安全保障共同宣言に示されているとおり、日米安保体制は、依然不安定性・不確実性が存在するアジア太平洋地域において米国の存在と関与を確保するとともに、国際社会における広範な日米協力関係の政治的基盤となっている。
 98年9月20日の日米安全保障協議委員会(SCC、いわゆる「2+2」)や22日の日米首脳会談では、日米安保体制に対する双方の揺るぎないコミットメントが再確認されるとともに、特に、8月31日の北朝鮮によるミサイル発射が、日米両国の安全保障とこの地域に対する重大な脅威であるとの日米の共通の認識が改めて表明された。

【新たな「日米防衛協力のための指針」の実効性の確保】

 97年9月に公表された「日米防衛協力のための指針」(「指針」)は、平素及び緊急事態に際して、より効果的かつ信頼性のある日米協力を行うための堅固な基礎を構築することを目的とするものである。政府は、97年9月の指針の実効性確保についての閣議決定の趣旨を踏まえ、法的側面を含めた国内体制の構築の検討を進めた結果、(イ)「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」案(周辺事態安全確保法案)、(ロ)「自衛隊法の一部を改正する法律」案、及び(ハ)「日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定(いわゆるACSA改正協定)」を98年4月国会に提出した。
 また、「指針」の実効性を確保し、「指針」の下での日米防衛協力を効果的に進めるためには、平素より、日本に対する武力攻撃に際しての「共同作戦計画」についての検討及び周辺事態に際しての「相互協力計画」についての検討を含む共同作業を行う必要がある。98年1月20日に行われた防衛協力小委員会(SDC)及び同日のコーエン国防長官と小渕外務大臣・久間防衛庁長官との会談では、このような作業のために包括的なメカニズムを構築することが了承された。現在、本メカニズムの下で、計画についての検討や共通の基準及び実施要領等の確立といった日米共同作業が防衛当局内で進められている。

【技術・装備面での日米の防衛協力】

 日米の防衛技術交流を更に進めることは、日米安保体制の効果的な運用を確保する上で重要な課題である。現在、ダクテッド・ロケット・エンジン、先進鋼技術、戦闘車両用セラミック・エンジン、アイセーフ・レーザー・レーダー、ACESⅡ射出座席、先進ハイブリッド推進技術の、6案件につき共同研究・改修が進められている。
 冷戦終結後、核をはじめとする大量破壊兵器や弾道ミサイルは拡散しており、弾道ミサイル防衛(BMD)は、専守防衛を旨とする我が国の防衛政策上、重要な課題である。98年9月20日にニューヨークで行われたいわゆる「2+2」において、日米両国の関係閣僚は共同技術研究を実施する方向で作業を進めていくことを表明した。これを受け検討が進められた結果、12月25日、政府は安全保障会議の了承を得て、平成11年度から海上配備型上層システム(NTWD)を対象として米国との間で共同技術研究に着手することを決定した。

【在日米軍に関する諸問題】

 在日米軍の活動が施設・区域の周辺住民に与える影響をいかに小さくするかという問題は、日米安保体制を円滑に運用していく上で大きな課題である。米国側も、在日米軍の駐留にとって施設・区域周辺の住民の理解と支持が不可欠であることを十分認識しており、11月23日に米国国防省が発表した1998年度「東アジア戦略報告」(EASR)においても、アジア太平洋地域において約10万人の米軍プレゼンスを維持する旨を表明するとともに、駐留米軍が地元住民と「良き隣人」関係を築くことの重要性にも言及している。このような認識に基づき、日米両国は、緊密に協力し、在日米軍の円滑な活動を確保するとともに、地元社会に対する種々の影響を軽減するために様々な措置に取り組んでいる。
 特に、日米両国政府は、在日米軍の施設・区域が集中している沖縄県民の負担を軽減することが極めて重要であるとの認識に立ち、96年12月にとりまとめた「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」最終報告の着実・迅速な実施に向け、強力に取り組んでおり、これまでいくつかの案件につき成果を上げてきている。98年においては、嘉手納飛行場における遮音壁の建設が進められるとともに、安波訓練場の返還が実現するなど、SACO最終報告は着実な進捗を見ている。
 普天間飛行場の返還については、SACO最終報告では、同飛行場の代替施設として海上施設を建設することとなっており、これを受けて政府は、「海上ヘリポート基本案」を作成し、地元に提示したが、98年2月、太田知事は同案を拒否する旨を表明した。今後、98年11月15日の沖縄県知事選で当選した稲嶺知事の意見を十分に聴取しつつ、同県の理解と協力の下、本問題の解決に向けて取り組むこととしている。
 稲嶺知事は、SACO最終報告の着実な実施が重要であるとの立場の下、米軍基地問題に取り組んでおり、99年3月1日、「普天間飛行場、那覇港湾施設返還問題対策室」を設置した。政府も同県の同プロジェクトチーム等を支援するため、3月2日、政府検討支援グループを編成した。こうした中、沖縄においては、いくつかの市町村が移転施設の受け入れを表明する等の動きも見られるようになった。
 また、政府は、沖縄に於ける米軍の基地に係わる問題等や米軍基地のもたらす経済社会上の負担の解消、長年の歴史的経緯やその結果としての地域格差を念頭において、沖縄の経済社会の振興に取り組んでいる。最近では、稲嶺知事の就任を受け、沖縄地域の振興開発について県の要望を聴取し協議する場として96年9月に設置された「沖縄政策協議会」を約1年ぶりに再開し、98年12月11日及び99年1月29日に東京で同協議会を開催した。

(3)地域の信頼醸成に向けた取組

 アジア太平洋地域における安全保障上の不安を減ずるためには域内各国間の信頼醸成に向けた努力が不可欠である。このような信頼醸成のためには、各国の関係者が頻繁に接触・コミュニケーションを図ることにより互いの意図を、また、各国がその軍事力・国防力の透明性を高めることにより互いの能力を、それぞれ認識・確認することが基本となる。98年、日本は、金大中韓国大統領の訪日、小渕総理大臣の訪露、クリントン米大統領と江沢民中国国家主席の訪日など、地域の主要国との一連の首脳外交を通じて域内対話を緊密化し、また、アジア太平洋地域における全域的な政治・安保に関する対話・協力の場であるASEAN地域フォーラム(ARF)等を通じて各国間で信頼醸成に努めてきた。これらの取組に加え、98年6月の韓国との初めての安全保障対話を含め、最近、中国、インドネシア、タイ等との間でも安保・防衛対話を推進している。さらに、この地域の関係各国間の協力としては、北朝鮮の核兵器開発を封じるための日米韓を中心とする協力、北朝鮮及び韓米中による四者会合等があるが、今後とも中長期的な観点から北東アジア地域の安定化について議論するための適切な枠組みを模索していくことが重要である。
 ARFについては、95年に開催された第2回会合において、ARFの活動の方向性として、3つのプロセス-信頼醸成の促進、予防外交の進展、紛争へのアプローチの充実-を漸進的に進めていくことで一致が見られた。また、実施すべき具体的な措置を検討するために、信頼醸成、PKO、捜索・救難の3分野において実務レベルでの会合を開催することで一致し、これらの諸会合は96年1月から順次開催されている。
 98年は、国防大学・研究所長会合、国防政策ペーパー作成に関するセミナー等の信頼醸成措置が実施され、ARFの活動はさらなる充実を見せた。また、7月にマニラで開催された第5回閣僚会合においては、アジア経済危機の安全保障上の影響、ミャンマー情勢、カンボディア情勢等、地域情勢につき率直かつ活発な意見交換が行われたが、特に、議長のイニシアティヴによって、インドとパキスタンによる核実験に対する重大な懸念と強い遺憾の意が議長声明に盛り込まれたことは、当事者であるインドがARF参加国であること、ARFにおける意思形成はコンセンサスによることに鑑みれば、画期的なことであった。
 アジア太平洋地域の安全保障環境を向上させていくために、今後ともこのような二国間・多国間の対話の枠組みを重層的に整備・強化していくことが重要である。アジア太平洋地域は各国の発展段階、政治・経済体制等の面で多様性に富んでおり、この地域の安全保障分野における協力関係は漸進的に進展していくと考えられるが、各国が長期的に安定したアジア太平洋地域を実現していくための努力を継続することが期待される。

   2.軍備管理・軍縮及び不拡散体制の強化

 核兵器を始めとする大量破壊兵器及びその運搬手段であるミサイルの拡散の危険は冷戦終結後も存続しており、これらの軍備管理・軍縮及び不拡散体制の強化が国際社会全体が取り組むべき緊急の課題となっている。98年には、インドとパキスタンによる核実験、北朝鮮のミサイル発射等があり、核兵器やその運搬手段の拡散への取組強化の必要性が国際社会において強く認識された。一方、対人地雷や小火器をはじめとする通常兵器が、冷戦終結後頻発している局地的紛争の主力となり、また、紛争終結後の復興の障害になっている。こうした現状を踏まえて通常兵器の分野においても国際的な取組が強化されつつある。

(1)大量破壊兵器

【核兵器】

  • 南アジアの核拡散の脅威への対応
     5月にインドとパキスタンが相次いで核実験を実施したことは、核不拡散・核軍縮に向けた国際社会の取組に対する重大な挑戦として受け止められた。日本はG8諸国等と協力しつつこれらの核実験への対応に努め、国連安保理において共同提案国として国際的な核不拡散体制の堅持・強化を目指す決議を提出し(安保理決議1172として採択)、G8外相会合においてタスクフォースの設置を提案し、「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」開催を提唱するなど、国際的なイニシアティヴを発揮した(第1章2.(1)参照)

  • 核兵器不拡散条約(NPT)体制の堅持・強化に向けて
     9月にブラジルの加入を得て締約国数が187に達したNPT体制は引き続き核軍縮・核不拡散のための国際的な取組の柱であり、今後とも同体制の堅持・一層の強化に取り組んでいく必要がある。また、核拡散を阻止するための具体的な手段である国際原子力機関(IAEA)保障措置を強化し効率化するための取組が継続している(本章第3節6.参照)

  • 包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を目指して
     CTBTは、その批准が発効の要件となっている44カ国のうち、インド、パキスタン、北朝鮮が未署名であるが、インド、パキスタンについては国連総会での両国首相の演説など前向きな動きがあり、99年9月までの批准が期待される。日本は、CTBT早期発効に向けて高村外務大臣が関係国に批准を呼びかける書簡を発出するなど「CTBT批准促進イニシアティヴ」を実施している。99年秋に批准促進会議が開催される可能性があり、今後批准国数を更に増やし条約の早期発効に努めることが重要である。

  • カットオフ条約交渉の開始
     CTBTに続く多国間の核不拡散・核軍縮に向けた措置であるカットオフ条約(核兵器のための核分裂性物質の生産を禁止するための条約)については、核軍縮を巡る各国の意見の違いから交渉が開始できない状態にあったが、これまで交渉に消極的だったインド、パキスタンが態度を改めたことにより、ジュネーブ軍縮会議は8月にこの条約を交渉するための特別委員会の設置を決定した。従来よりこの条約交渉の開始に向けて努力してきた日本としては、今後、交渉の円滑な進展と早期妥結を目指して引き続き積極的な貢献を行う考えである。

  • 国連総会決議:今後の核軍縮・不拡散の道筋の提示
     第53回国連総会において、日本は、核兵器国に一層の核軍縮を求め今後の核軍縮・不拡散の道筋を示す「究極的核廃絶に向けた核軍縮決議」案を提出した。この決議案は、CTBTの早期発効、カットオフ条約交渉の早期妥結、STARTⅡの早期発効、STARTⅢ交渉の早期開始と妥結等に加え、核軍縮に関する将来の措置についての多国間の議論及び5核兵器国による交渉を通じた核戦力の削減を掲げた。核兵器国との調整は容易なものではなかったが、結果として、すべての核兵器国を含む160カ国の支持(反対0、棄権はインド、パキスタン、北朝鮮など11)を得てこの決議案が採択されたことは、今後の核軍縮・不拡散に向けた道筋に関し、国際社会の一致した立場を示すものとして意義深い。

  • 核軍縮の実施に向けた協力
     STARTプロセスなどにより大量の核兵器が削減されるのに伴い、核兵器の解体、解体された核兵器から取り出された核分裂性物質の管理と処分、核分裂性物質の密輸の防止、冷戦期に大量破壊兵器の開発等に携わってきた科学者の流出の阻止などが、核軍縮の推進と核拡散防止上ますます重要な課題となっている。日本はこれらの分野でもロシアなどと具体的な協力を進めている。

  • 核関連の輸出管理レジーム
     74年のインドの核実験を受けて創設された原子力供給国グループ(NSG)は、原子力専用品・技術の輸出管理に関するガイドラインを採択して出発したが、その後規制対象を原子力汎用品・技術に拡大し、参加国数も35か国に拡大するなどその活動を強化している。なお、日本はNSGの事務局機能を引き受けている

【生物兵器】

 生物兵器禁止条約(BWC)は、生物兵器、毒素兵器の開発、生産、貯蔵、保有等を包括的に禁止するが、化学兵器禁止条約と異なり、検証規定が存在しない。このため、95年1月以降「検証措置を含めた新たな法的枠組み」の作成作業が行われている。9月にニューヨークにおいて非公式閣僚会合が開催され、検証体制の早期成立に対する各国の決意を表明する共同宣言が採択された。現在2001年までのできるだけ早期に作業を妥結するよう審議が重ねられており、実効的な検証体制に向けて各国がどれだけ歩み寄れるかが焦点となる。また、イラン・イラク戦争中イラクによる化学兵器の使用が明らかになったことを受けて、85年に発足したオーストラリア・グループ(AG)は、化学・生物兵器の不拡散を目的とする輸出管理レジームであり、BWCやCWC(下記の項参照)を補完するものとして引き続き重要な役割を果たしている。

【化学兵器】

 97年に4月に発効した化学兵器禁止条約(CWC)は、未だ北朝鮮や一部の中東諸国などが未締結であるが、締約国数は121カ国に達し、本条約の実施機関である化学兵器禁止機関(OPCW)による査察も98年には全世界で約280回実施された。日本においては、98年秋に有毒ガス「サリン」の製造施設であったオウム真理教団の「第7サティアン」が廃棄され、12月、OPCWの査察団による廃棄の確認が行われた。日本は、技術事務局の査察局長などの重要なポストに邦人職員を派遣するなど積極的に貢献してきているが、今後とも、各国と協力して条約の普遍性と実効性を高める努力を継続していく考えである。(化学兵器関連の輸出管理レジームについては前項参照。)

【大量破壊兵器の運搬手段としてのミサイル】

 98年にパキスタン、イラン、北朝鮮が相次いで行ったミサイル発射は、地域の安定のみならず国際社会全体の平和に対して深刻な脅威をもたらす出来事であった。日本は、これらの国に対してこうした懸念を伝達するとともに、様々な機会を通じてミサイル関連活動の自制を働きかけている。また、32カ国が参加するミサイル輸出管理レジーム(MTCR)は、大量破壊兵器の運搬手段としてのミサイルの不拡散を目的とする唯一の多国間の枠組みとして、北東アジア、南アジアや中東地域等のミサイル拡散問題への対応において重要な役割を果たしている。日本は97年10月から98年9月までの一年間MTCRの議長国を務めた。

(2)通常兵器

【通常兵器一般】

  • 国連軍備登録制度
     軍備の透明性と公開性を向上させることを目的として、日本やECのイニシアティヴにより92年1月に発足した国連軍備登録制度の下で、毎年日本を含む90カ国以上が、戦車、戦闘機などの7種類の主要な兵器の輸出入数量等を報告している。日本は、この制度に未だ参加していない諸国への働きかけ等を通じ、その運営に大きな役割を果たしている。

  • ワッセナー・アレンジメント(WA)
     冷戦の終焉に伴い、旧共産圏に対する戦略物資及び技術の輸出規制を目的とした輸出規制調整委員会(ココム)は解消されたが、地域の不安定化を防止する観点から、通常兵器及び関連汎用品・技術に係る国際的輸出管理レジームの必要性が強く認識され、96年7月にワッセナー・アレンジメント(WA)が新たに設立された。WAにおいては、通常兵器及び関連汎用品・技術の移転や懸念地域に関する情報交換が強化されてきており、また、紛争地域への武器輸出を自制するといった政策協調が参加国間で図られつつある。

【対人地雷】

 対人地雷問題について、日本は、普遍的かつ実効的な対人地雷の禁止の実現と地雷除去活動及び犠牲者支援の強化とを車の両輪とする包括的アプローチをとることが不可欠と考え、「犠牲者ゼロ・プログラム」を提唱し、「犠牲者ゼロ」の目標の実現に向けて積極的に取り組んでいる。
 「禁止」について日本は、対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等を禁止し、その廃棄を義務づけるオタワ条約を、98年9月に国会の承認を得て締結した。同条約は99年3月1日に発効したが、日本としては、同条約の普遍化と実効性確保に向けて努力していく考えである。また、ジュネーブ軍縮会議において、当面オタワ条約を締結する見込みのない国々も参加し得るような対人地雷の移譲禁止に関する条約の早期交渉開始に向けて関係国と共に取り組んでいく。
 「除去及び犠牲者支援」については、「犠牲者ゼロ・プログラム」の具体化として、98年には、カンボディア、モザンビーク、クロアチア等の地雷除去活動に対し資金協力を実施、ボスニア地雷対策センターの立ち上げを支援した。また、NGOを通じた地雷教育、犠牲者支援の分野に対する協力も行うとともに、二国間援助による支援の具体化に向け、カンボディア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにプロジェクト形成調査団を派遣した。さらに、98年10月、カンボディア地雷対策センターの主催で「地雷除去及び犠牲者支援に関するプノンペン国際フォーラム」が開催されたが、日本は資金面、組織運営面を含め全面的に支援した。このフォーラムでは、97年3月の対人地雷に関する東京会議で唱われた「オーナーシップ(被埋設国自身が主体的に地雷問題に取り組むこと)」と「パートナーシップ(この問題に取り組む被埋設国に対して、援助国、国際機関、NGO等が対等の立場で協力すべきこと」の原則が参加者の間で定着するとともに、地雷除去及び犠牲者支援の経験を地雷被埋設国間で共有すること(南南協力)の重要性についても認識された。

【小火器】

 拳銃、機関銃、携帯用対戦車ミサイルなど比較的小型の兵器が近年の紛争における主要な武器となっているが、日本は95年、97年に続き98年の国連総会で小火器問題への取組を推進する決議案を提出したほか、国連政府専門家グループで議長を務めるなど指導力を発揮している。また、98年の国連総会において、2001年までに国連主催の国際会議が開催されることが決定されたことから、今後国連専門家グループを中心に準備が進められる見通しである。

   3.世界平和の実現に向けた取組

(1)総論

 個々の人間が形成するコミュニティー同様、国家を中心に様々な主体より構成される国際社会においても種々の衝突が生じることは避けられない。一方、全人類が基本的人権の尊重の下で平和のうちに生存するためには、国際の平和と安全を維持する努力が必要不可欠である。国家間の意見の対立が武力紛争にエスカレートする前に調整されることが望ましいが、国際の平和と安全を脅かす紛争については、国連憲章が示す通り「平和的手段によってかつ正義及び国際法の原則に従って」その解決を図っていかなければならない。このような紛争解決に向けた努力は、紛争のあらゆる局面における取組を必要とする。紛争の発生を未然に防止するためには、貧困を始め紛争の背景にある諸要因を総合的に把握して問題に取り組むという「包括的アプローチ」が重要であり、日本は、このような考え方に立った「新たな開発戦略」を数年来提唱してきている。一方、実際に紛争が発生した場合にはその拡大や激化を抑え、平和的解決に導く国際平和協力が不可欠である。地域紛争では、各地域の機関や関係国の果たすべき役割が大きいので、普遍的な国際機関である国連と各地域機関等とが緊密に協力し合っていくことが必要であるという「地域的アプローチ」が重要である。また、紛争に伴う難民問題の解決や紛争後の和平努力など、真の平和回復に向けた国際支援も重要である。本章においては、これらの局面のうち紛争防止と紛争発生後の対応に焦点を当て、「紛争予防」、「国際平和協力」、「難民問題」、そして98年を通じて紛争状態が継続している「コソヴォの問題」を取り上げる。

(2)紛争予防

 紛争予防とは、あらゆる次元で武力紛争に発展する虞のある対立関係の所在を事前に察知し、これを解消あるいは沈静化することを通じて、武力紛争の発生を未然に防止することである。
 冷戦中の武力紛争は類型的にはほぼ二極構造に収斂し、また、冷戦中の最大の焦点は米ソが核戦争の引き金を引かないことにあった。一方、冷戦構造の崩壊は、二極構造の下で封じ込められてきた様々な政治的、経済的、社会的問題、例えば公権力による人権抑圧、貧困や飢餓、民族間の対立などに起因する紛争を噴出させることとなった。紛争を未然に防止するためにその背景にある諸要因を総合的に把握する包括的な取組が必要であり、国際の平和及び安全の維持を第一の目的に掲げる国連が紛争予防に果たす役割への期待がますます高まっている。また、国連のみならず、欧州安全保障・協力機構(OSCE)、アフリカ統一機構(OAU)、ASEAN地域フォーラム(ARF)など地域的機関あるいは地域的枠組みにおいても紛争予防は大きな関心事であり、OSCEやOAUでは独自の地域紛争防止のためのメカニズムを有している。このように紛争予防に向けた国際的、地域的なレベルでの関心が高まり、取組が強化されている一方、紛争発生件数や難民数などのここ数年の推移を見ると、総じて減少傾向にはあるものの、必ずしもこういった取組の効果が十分に表れているとは言い難い。このような事態を打開すべく、1月、日本は、紛争予防の分野における第一人者を一堂に集めて「紛争予防戦略に関する東京国際会議」を開催し、そこでは紛争予防戦略の方向性について密度の濃い議論が行われた。この会議においては、紛争を未然に防止するためには、国際社会の構成員の政治的意思が何より重要であり、また、国連が地域的機関と協力して紛争予防の能力を強化していくための具体的方策が検討された。また、10月に日本は、国連及びアフリカのためのグローバル連合(GCA)と第2回アフリカ開発会議(TICAD II)を共催し、東京行動計画のとりまとめに当たるなど、紛争との連関をも視野に入れた開発促進へのイニシアティヴをとった。
 日本は、世界的にも認識が深まりつつあるこの包括的アプローチの考え方を一層推進していく考えである。すなわち、紛争に発展するおそれのある事態をいち早く察知して迅速に対応するとの危機管理的な側面から、紛争の根本に存在する経済・社会開発問題に取り組むとのより長期的な側面に至るまで、こうした問題への国際的取組に積極的に貢献していく。

(3)国際平和協力(国連平和維持活動等)

【現状】

 国連平和維持活動(PKO)は、国際の平和と安全の維持のために重要な役割を果たしてきている。98年は、最初のPKOと呼ばれる国連休戦監視団(UNTSO)が設立されてから50周年を迎えたことを記念して、10月にPKO50周年記念国連総会が開催され、日本においても、3月に国連PKOの現状と将来についてシンポジウムが開催され、PKOの今後の展望について様々な議論が行われた。
 国連PKOの最近の傾向としては、第一にソマリアや旧ユーゴーにおける経験を踏まえ、停戦合意の存在、紛争当事者の受け入れ同意、中立性、自衛以外の場合の武器の不使用といった伝統的なPKO諸原則の重要性が広く再認識されるに至っており、現在展開しているPKOは全てこのような原則に基本的に従っているものである。また、要員確保や財政上の問題等もあり、旧ユーゴーやルワンダで見られたような大規模なPKOは設立されなくなっており、これに代わって、比較的小規模なPKOが、従来から行ってきた停戦や軍の撤退の監視といった任務に加え、文民による選挙監視、難民帰還支援、人権状態の監視、人道救援活動の支援・調整、行政事務に関する助言等複雑な任務を果たすようになってきている。さらに、国連PKOと地域的機関が協力して地域紛争を解決し、和平を維持するために努力する例も現れてきている。例えば、旧ユーゴー地域における欧州安全保障・協力機構(OSCE)や北大西洋条約機構(NATO)を中心とする活動、グルジアやタジキスタンにおける独立国家共同体(CIS)の活動、あるいはシエラ・レオーネにおける西アフリカ諸国経済共同体監視団(ECOMOG)の活動など、地域的機関が国連PKOと共に活動し、一定の成果を挙げている。
 98年12月現在、同年新たに設立された2つのミッション(国連中央アフリカ共和国ミッション(MINURCA)、国連シエラ・レオーネ監視ミッション(UNOMSIL))を含め、16の国連PKOが展開されており、約15000名の要員が平和維持活動に従事している。

【PKOを巡る議論】

 PKOを効率的かつ効果的に実施するための質的向上の必要性が認識されており、このための具体的方策の模索が引き続き行われている。
 まず、PKOに機動的に対応するために、国連加盟国が一定期間内に提供可能な要員の種類や数を予め国連に通報する国連待機制度については、98年12月現在、80か国が参加の意図を表明しており、登録された兵力は約10万人に達している。また、PKO設置決定の直後に先遣隊として現地に赴き、立ち上げに必要な作業の中核を担う「緊急展開司令部」構想については、10月、必要な予算の一部が国連総会によって認められ、実現に向けて大きく前進した。さらに、北欧諸国を中心として設立が提案されている国連緊急即応待機旅団については、国連待機制度の枠組みの中でより即応性が高い部隊を迅速に派遣することを目的とする組織であるが、運営委員会や計画機関といった基本的組織は既に活動を開始しており、99年以降、本格的な運用体制が整備される見込みである。
 一方、近年、PKOに従事する要員、特に文民要員の死傷者数が増加の一途をたどっており、98年には初めて文民要員の死傷者数が軍事要員のそれを上回った。また、7月、日本から国連タジキスタン監視団(UNMOT)に派遣されていた秋野豊政務官(前筑波大学教授)を含む4名の国連要員が反政府勢力により殺害されるという事件が発生した。このような背景をも踏まえ、日本は「国連要員及び関連要員の安全に関する条約」の早期発効のための各国への呼びかけを一層強め(日本は、既に95年に2番目の締約国となっている)、この結果、12月、発効に必要な22か国の批准が実現し、同条約は99年1月に発行する運びとなった。また、この問題に関連し、98年7月、アナン国連事務総長は国連の関係部局に対し、PKOや人道的な救援活動に取り組む要員及びNGO要員の安全策について、総合的な見直しを指示した。

【日本の協力】

 日本は、92年の「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)」施行後、アンゴラ、カンボディア、モザンビーク、エル・サルヴァドルのPKOに参加してきており、現在は、中東地域の平和と安定に向けた日本の包括的取組の一環として、96年2月からゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に後方支援部隊43名と司令部要員2名の計45名を派遣している。その活動振りは現地司令官を含む国連関係者及び派遣先国から高く評価されている。
 また、国際平和協力法が95年8月に施行後3年を迎えたことから、同法附則に基づき、いわゆる法律の見直し作業が開始され、98年6月に改正法が成立・公布された。国連を中心とした国際平和のための努力に対し、政府として一層適切かつ効果的に寄与するため、以下の3点に関する改正が行われた。

  • 国連PKO以外の形態により国連や一定の地域的機関が関与して行われる国際的な選挙監視の活動への協力を行えるようにする。
  • 停戦合意がない場合であっても、一定の国際機関によって実施される人道的な国際救援活動のための物資協力を可能とする。
  • 部隊として参加した自衛官等の武器使用を、原則として現場にいる上官の命令によらなければならないとする。

 9月に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいてOSCEが行った選挙監視活動は、この法改正に伴って新たに協力の対象となったものであり、同選挙監視活動に、日本からは選挙管理要員25名と選挙監視要員5名を派遣した。

(4)難民問題

 冷戦終結に伴い民族的、宗教的対立が各地で表面化したことにより、世界の難民数は90年代に入って急増し、95年には3000万人に達したが、その後はインドシナ難民問題の収束、大量のモザンビーク難民及びルワンダ難民の帰還により減少傾向に転じ、98年1月現在では約2600万人となっている。一方、世界各地に滞留する難民や紛争などのためにやむなく居留地を離れ流浪する大量の国内避難民の存在は、人道上の問題であると同時に、関係地域ひいては世界全体の平和と安定に影響を及ぼしかねない地球規模の問題となっている。日本は、難民・国内避難民に対する人道援助を国際貢献の重要な柱の一つと位置づけており、ユーゴスラヴィア内のコソヴォ地方で大量発生した難民等への緊急支援をはじめ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)、赤十字国際委員会(ICRC)など中立的な立場にある国際機関を通じて積極的な支援を行っている。
 98年に緒方貞子国連難民高等弁務官が再任されたが、日本としては今後ともUNHCR等の国際機関と連携しつつ、難民問題の恒久的な解決に向け取り組んでいく考えである。
 難民問題の恒久的な解決には、単に人道的立場から支援を行うというだけでなく、紛争の予防や、帰還民が再び難民化するのを防ぐため、地域の安定化を図るような支援を行うことが必要である。そのためには、紛争予防への取組が強化される必要があるほか、紛争発生後は、緊急人道援助から復興支援、本格的な開発支援へと一連の支援がスムーズに展開されていくことが重要であり、その実現には実際に支援にあたる各国政府、国際機関、NGOなどが調整・連携を強化していくことが不可欠である。また、アフガニスタン等におけるUNHCRやWFPの職員殺害など、難民支援活動にもしばしば困難な状況が発生しており、人道援助要員の安全確保も難民支援における重要課題となっている。

(5)コソヴォ問題

 ユーゴスラヴィア連邦共和国(ユーゴー)内のセルビア共和国コソヴォ地方(全人口200万の9割がアルバニア人とされる)では、独立を求めるアルバニア人住民とセルビア当局との間で従来より緊張関係が続いていたが、2月末にこれが武力衝突に発展し、銃撃戦等により多数の死者が生じた。また、この衝突により、20万人を越える大量の難民や国内避難民が発生し、人道状況の悪化が強く懸念された。
 これに対し、欧米諸国は事態の打開には強力な措置が必要であるとの考えから、NATOによる武力行使の可能性を示しつつ、ホルブルック米特使が事態の鎮静化を強く働きかけた。その結果、10月、ユーゴは、安保理決議1199が要求する治安部隊の撤退、難民帰還の促進、交渉の開始等の6項目の履行を約束するとともに、履行状況の検証方法及びコソヴォの地位に関する交渉の進め方についても同意した。履行状況の検証方法について、同月ユーゴと欧州安全保障・協力機構(OSCE)は2000人規模のOSCEのコソヴォ検証ミッションを現地に派遣することに合意し、年末より一部派遣を開始した。コソヴォの地位に関する政治的解決については、米国による仲介努力が進められているが、両当事者の立場の相違は大きく、これが早急にまとまる見通しは立っていない。
 日本は、コソヴォ情勢の悪化の責任がセルビア当局の過剰な武力行使にあるとの認識の下、欧米主要国と協調してユーゴー政府の資金の凍結及びセルビア共和国向けの新規投資停止等の措置をとっている。一方、コソヴォ難民・国内避難民等を支援するため、日本は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)及び赤十字国際委員会(ICRC)に対し、8月に総額231万米ドルを緊急無償援助として拠出した。この資金は一時収容施設の設置、水供給、食糧・生活必需品の提供、医療・衛生活動等の支援活動に充てられた。さらに、9月から10月にかけ、日本の立場を関係諸国に伝達するとともに、更なる貢献策を調査するためのコソヴォ調査ミッションを現地に派遣した。10月、その報告に基づき、国際機関を通じた総額約730万ドルの追加的人道支援や、難民・避難民を支援するための草の根無償の実施を中心としたコソヴォに対する日本の貢献策を発表した。