|
|
|
【中国とその周辺】
中国は近年インフレを抑制しつつ高い経済成長率を維持してきているが、同時に構造的な改革を要する種々の課題に直面している。こうした状況を踏まえ、98年3月に開催された全国人民代表大会(全人代)において選出された新たな指導部は、国有企業改革、金融改革及び政府機構改革を3年以内に終えることを決定し、人民解放軍を3年以内に50万人削減する方針を示した。一方、このような改革に伴い失業問題等が新たに生じることが予想され、今後中国がこうした困難を乗り越えていかに諸改革を実現していくかが焦点となる。また、アジア通貨・金融危機との関連で、人民元レートの動向が注目されたが、中国は切り下げを行わない方針を維持している。 【朝鮮半島】
韓国においては、厳しい経済状況の中で2月に金大中大統領が就任し、国民会議と自民連の両党による連立政権が発足した。これは韓国憲政史上選挙による初めての与野党政権交代であったが、「与小野大」という国会事情もあり金鍾泌(キム・ジョンピル)自民連名誉総裁の国務総理指名や国会議長の指名等を巡って与野党が対立し、政権発足後約半年の間国会が空転した。その後、野党議員の与党側への相次ぐ移籍に伴い、9月には連立与党が野党ハンナラ党を議席数で上回ることとなったが、与野党間の厳しい対立状況は、依然として継続している。また、経済については、ウォン/ドル・レートが一定水準で安定的に推移し外貨準備も増加するなど、一時期の通貨危機は脱した。現在、韓国政府は金融改革や財閥を含む企業の構造調整に取り組みつつ、失業・倒産の増加や内需低迷等の困難な状況の克服に向けて努力を傾注している。 【東南アジア】
東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は、97年に発生したアジア経済危機による政治、経済など様々な面での極めて深刻な影響への対応に迫られており、現在調整期にあると言える。最も重要な懸案である経済危機克服のための対応としては、ASEANの枠組みにおいて、経済危機克服を目的とした、域内経済活動の自由化、金融システムの強化等の具体的措置の導入が決定されている。また、12月にハノイで開催された第6回ASEAN公式首脳会議においても、政治的結束の強化、ASEAN自由貿易地域(AFTA)やASEAN投資地域(AIA)の実現目標年の前倒し等の経済危機克服のための域内協力の推進が合意された。 【南西アジア】 5月にインドとパキスタンが相次いで核実験を行ったことから、両国の緊張関係が一気に高まったが、7月の第10回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会合及び9月の国連総会の機会に印パ首脳会談が行われ、10月には印パ外務次官級協議が再開されるなど緊張緩和に向けて一定の進展が見られた。一方、経済面では、1月にインド、パキスタン、バングラデシュ三ヶ国の首脳の参加を得てビジネスサミットが開催されたことをはじめ、核実験後の7月の第10回SAARC首脳会合においては、南アジア自由貿易地域(SAFTA)実現への取組が再確認される等経済自由化と域内協力への動きが引き続き見られる。 【大洋州】
豪州では、アジア経済危機にもかかわらず好調な経済が維持され、現保守連合政権が10月の連邦議会選挙に議席を減らしながらも勝利した。この選挙において近年急速に躍進してきている極右のワン・ネーション党は、上院では新たに1議席獲得しつつも下院ではハンソン党首が唯一の議席を失うなどその弱体化が見られる。一方、アジア経済危機の影響を受けて今年マイナス成長に陥ったニュー・ジーランド(NZ)では、8月に連立政権が解消され、国民党は少数単独政権をかろうじて維持している。豪州とNZは、アジア太平洋経済協力(APEC)やASEAN地域フォーラム(ARF)等の枠組みに積極的に参加するなどアジア太平洋重視の外交政策を継続しており、日本と両国は、みなみまぐろ資源など立場を異にする問題はあるものの、3月のシップリーNZ首相の訪日、11月の高村外務大臣の両国の訪問や同月のAPEC首脳会議の際の小渕総理大臣とハワード豪首相の第一回定期首脳会談などを通じて良好で幅広い協力関係を発展させている。 【アジア・欧州協力】
96年3月に発足したアジア欧州会合(ASEM)は、4月にロンドンにおいて第2回首脳会合を開催し、両地域間の対話のフォーラムとしての礎を固めつつある。同会合では、アジア経済情勢が主要テーマの一つとなり、各国首脳はアジア諸国が市場の信認を回復するとともに、このような状況下においても保護主義を排除し、貿易・投資の自由化を一層促進するとの共通の認識を確認した。特に、日本はアジア経済回復の観点から、内需拡大に向け努力すること、アジア諸国の金融セクター改革支援の為設立されたASEM信託基金に関連し、世界銀行、アジア開発銀行の日本特別基金を通じた従来からの支援の増額を発表した。また、政治対話として、アジアと欧州が共通の関心を有する国際・地域情勢について首脳間で忌憚のない意見交換が行われた。さらに、中長期的な視野に基づいたASEMのあり方も検討され、ASEMの活動の枠組みを定めた「アジア欧州協力フレームワーク」が採択されたほか、21世紀に向けた中長期的ヴィジョンを策定するための「ヴィジョン・グループ」が発足した。 | |
|
|
【米国】
【カナダ】
カナダでは、クレティエン首相の率いる自由党が高い支持率を維持して安定した政局運営を行った。単年度としては27年振りに財政赤字解消に成功し、また、国内需要の伸びは鈍化したものの、対米ドル・レートの下落、好調な米国経済に支えられ輸出が伸び、実質GDP3.0%の成長を記録し、全体として経済は順調に推移した。失業率は依然8%台にあるものの漸減傾向にある。外交面では、従来より積極的に取り組んできている国連平和維持活動や対人地雷問題に加え、最近では平和構築や人間の安全保障の構想に焦点を当てている。これらの問題への取組をも含め、カナダは安全保障理事会非常任理事国(99年任期開始)として国連を通じた外交政策を強化することが予想される。また、カナダは北米自由貿易協定(NAFTA)を通じての北米市場統合の推進、米州自由貿易地域(FTAA)構想や大西洋経済パートナーシップ(TEP)構想への積極的な参画、WTO等多国間の枠組みでの自由化推進等を経済外交の主な柱としている。日加関係については、2月にアックスワージー外相が訪日して日加外相会談が行われたほか、11月のAPEC会合の際に日加首脳会談及び外相会談が行われた。また、9月に日加両国の官民が参加して「平和と安全保障に関するシンポジウム」が開催され、10月に賢人会議「日加フォーラム」の第2回会合が開かれるなど、日加間の協力分野も拡大している。経済関係も基本的に良好であるが、日本の対カナダ輸出が順調な伸びを示す一方、日本の輸入の減少が目立った。
| |
|
|
98年は、中南米地域の安定と繁栄に向けた動きとグローバリゼーションの負の側面が同時に現れた年であった。また、民主化をめぐる動き、ハリケーン被害、エル・ニーニョ現象や修好・移住記念周年を契機とした日本と中南米諸国との関係強化など98年を通じて多くの動きが見られた。 【地域の安定と繁栄に向けた動き】 1月のローマ法王のキューバ訪問や3月の米のキューバ制裁緩和措置の発表等にみられる一連の動きもあり、キューバを取り巻く国際環境やキューバ側の動向に一定の好ましい変化があった。日本も10月にキューバと初の二国間政策対話を実施した。麻薬取締を強化しているペルーは97年までにコカ栽培を最盛期に比べて4割削減することに成功しているが、11月にブラッセルにおいてペルー麻薬対策支援国会合が開催され、日本の14億4000万円の無償資金協力を含め国際社会による支援が表明された。19世紀から懸案となっていたペルー・エクアドル国境紛争については、95年以来交渉が継続していたが、国境画定・和平を目指してフジモリ・ペルー大統領とマワ・エクアドル大統領が直接交渉に乗り出し、アルゼンティン、ブラジル、チリ、米の4保証国が首脳レベルで調停を行った結果、10月に最終和平合意に達した。11月には町村外務政務次官がエクアドルを訪問し、歴史的な和平成立の支持と和平合意の実施に向けた支援の姿勢を表明した。また、日本のイニシアティヴにより7月及び10月に開催されたインドとパキスタンによる核実験への中長期的対応を検討するためのタスクフォースに、中南米からブラジルとアルゼンティンが参加したほか、11月にアルゼンティンにおいて第4回気候変動枠組条約締約国会議が開催される等、中南米諸国による国際問題への積極的な関与が見られた。 【経済的交流の推進】 経済面では、4月にチリのサンチアゴで開催された第2回米州サミットにおいて、2005年までに米州自由貿易地域(FTAA)を創設するための具体的交渉の開始が決定され、中南米を含む米州全体の経済統合プロセスは新たな段階に入った。このような動きの中で6月に東京において日本と中南米との経済関係の強化を目的とするシンポジウム(日本輸出入銀行・米州開発銀行共催)が開催され、日本からの多数の参加はもとより、中南米諸国からフジモリ・ペルー大統領、サンギネッティ・ウルグアイ大統領をはじめとする政界・経済界からの参加を得て、大いに経済関係強化の気運が高まった。また、10月、ブラジルにおいて日本とメルコスール(構成国:ブラジル、アルゼンティン、ウルグアイ、パラグアイ)との間で政府間会合が開催されたほか、11月のAPEC会合の前後に日本とメキシコ及びペルーとの二国間首脳会談が行われるなど、アジア太平洋協力の枠組みを通じた日本と中南米諸国との関係強化も進んでいる。 【グローバリゼーションがもたらす負の側面】 第2回米州サミットにおいてはFTAA交渉の開始が一つの大きな焦点となったが、他方で所得格差の拡大や貧困の問題などグローバリゼーションのもたらす負の側面も取り上げられ、これらの問題解決に当たって初等・中等教育が果たす役割が重要であることが強調された。このように、米州においては、グローバリゼーションの負の側面を克服しつつそのダイナミズムを最大限活用して経済自由化を進めていくとのバランスのとれた対応を目指している。一方、8月以降、中南米諸国において株価が急落し、大量の資金が流出した。これはアジアやロシアの経済危機が、新興市場諸国全体に対する信認低下を招き、中南米諸国の経済基盤の脆弱性(財政赤字、経常赤字、石油・銅等の一次産品価格の下落、メキシコにおける金融機関の不良債権問題等)への危機感を高めたことによると考えられる。最も深刻な影響を受けたブラジルは、政策金利の大幅な引き上げ、均衡財政を目指す財政調整プログラム等の対策を相次いで対策を発表し、これを受けてG7、IMF等が総額410億ドルを上回るブラジル支援策を発表した。しかし、依然として不安定な状況は続いており、ブラジル経済の信頼性を回復するためには、財政調整プログラムの早期実施や経常収支赤字の削減が必要不可欠とされている。世界経済全体の不安定化につながる危険性をはらむブラジル経済の今後の動向に注視していく必要がある。 【中南米諸国の民主化をめぐる動き】 10月、英国滞在中のピノチェット・チリ終身上院議員(元大統領)は、大統領時代の軍事政権下における殺害・失踪事件の責任を問われスペイン予審判事の要請を受けた英当局に逮捕された。これに対し、チリ政府は、ピノチェット議員の外交特権及び刑事裁判の属地主義の観点から一貫して同議員の早期帰国を求めてきている。この事件はまた、チリ国内における左右両派の対立を先鋭化させている。アルゼンティンにおいても、6月に、軍事政権下で殺害され、あるいは行方不明になった左翼活動家等の子供が密かに養子に出されていた事件にビデラ元大統領が関与していたとして逮捕されたが、これも過去の軍政下における人権抑圧を糾弾する動きの一つに数えられる。96年のクーデター未遂事件の首謀者であるオビエド将軍の処遇が懸案となっているパラグアイ、92年のクーデター未遂事件の首謀者であったチャベス氏が12月の大統領選挙で当選したヴェネズエラ、依然として政情が不安定なハイティ等これらの諸国の民主化動向に今後とも注目していく必要がある。 【エル・ニーニョ現象及びハリケーン被害】 98年中、中南米諸国は多くの災害に直面した。今世紀最大と言われるエル・ニーニョ現象により、南米大陸は豪雨に見舞われ、ペルー、エクアドル、チリ、アルゼンティン、パラグアイでは洪水等大きな被害を受けた。9月にはハリケーン「ジョージ」がカリブ諸国を襲い、日本は被害が甚大であったハイティ、セント・クリストファー・ネービス、アンティグア・バーブーダ、ドミニカ共和国、キューバの5カ国に対し、日本は合計約6700万円の緊急援助物資の供与及び25万ドルの緊急無償資金の供与を行い、また、ドミニカ共和国に対しては国際緊急援助隊医療チームを派遣した。さらに、11月に中米諸国(ホンデュラス、ニカラグア、グアテマラ、エル・サルヴァドル等)を襲ったハリケーン「ミッチ」は、総計1万8000人を超える死者・行方不明者、670万人以上の被災者を出す等、甚大な被害をもたらした。日本は、これら4カ国に対して、合計約6000万円の緊急援助物資供与及び合計150万ドルの緊急無償資金供与を行った。さらに、ニカラグアに国際緊急援助隊医療チームを派遣し、ホンデュラスに対しては、国際緊急援助隊派遣法に基づき、自衛隊の部隊を国際緊急援助隊(医療・防疫チーム)として初めて派遣した。同部隊は、14日間の活動期間中4000人を超える患者の診療を行うとともに、首都テグシガルパ市の旧市街地中心部のほぼ全地域を消毒する等の成果を収め、ホンデュラス政府、国民より高く評価された。今回の派遣により、海外で大規模な災害が発生した場合の国際協力の新たな形態として、自衛隊部隊の活動の実効性が裏付けられたことは意義深い。 【修好・移住周年を契機とした日本と中南米諸国との関係強化】
日本は、従来より移住・修好記念周年記念行事を通じて中南米諸国との関係強化を図っている。98年は、ブラジルへの移住90周年、アルゼンティンとの修好100周年、メキシコとの修好110周年、キューバへの移住100周年に当たり、6月に小渕外務大臣がブラジルのサンパウロ等において開催された日本人ブラジル移住90周年記念式典にカルドーゾ・ブラジル大統領、ランプレイア同外相らとともに出席し、9月に秋篠宮同妃両殿下がアルゼンティン(日・アルゼンティン修好100周年記念式典への御臨席)を御訪問され、12月にメネム・アルゼンティン大統領が国賓として訪日した。
| |
|
|
【躍動する欧州】 欧州では、98年を通じ、単一通貨ユーロの導入(99年1月からのEUの経済通貨統合の第3段階への移行)に向けて、欧州中央銀行(ECB)の設立などの準備が集中的に進められた。また、3月にEUの拡大交渉が開始され、年末に欧州の防衛協力の強化について英仏両国がイニシアティヴを取るなど、政治・経済・安全保障面で新たな秩序造りを目指した動きが顕著であった。9月末に行われたドイツ総選挙の結果、社会民主党と緑の党の連立によるシュレーダー政権が誕生し、EU15ヶ国中13ヶ国が中道左派政権で占められることとなった。その結果、EUにおいて雇用問題が最重要課題として位置付けられ、「雇用協定」の締結に向けEUレベルで協議が行われることとなった。 【欧州統合の進展】
【NATOの動向】
【欧州経済情勢】 世界のGDPの約3割を占めるEU経済は世界経済の動向に大きな影響力を持つ。98年のEU域内のGDP成長率は2.8%と比較的堅調であったが、99年は世界的な経済情勢の悪化の影響を受けてやや減速するものと見られる。しかし、ユーロ導入に向け、域内各国で進められている財政健全化のための諸策が効を奏し、EUのファンダメンタルズは引き続き良好である。一方、失業率は依然として10%程度の高水準にあり、失業問題が引き続き欧州における最大の課題の一つである。こうした状況下、各国では失業対策・景気刺激重視型の経済政策を優先させる傾向にあり、「安定成長協定」に基づき財政健全化を進めるEUの政策と各国の雇用政策との間にジレンマが生じている。12月のウィーン欧州理事会においては「欧州雇用協定」の締結を目指していくこととなっている。なお、中・東欧諸国経済は全体的には堅調に推移している反面、民営化等経済改革に成功している国とそうでない国との間に格差が生じている。 【日欧関係】
1月にブレア英国首相が英国祭UK98の開幕に合わせて訪日し、橋本総理大臣との日英首脳会談の後、「21世紀に向けての日英共通ヴィジョン」が発出された。橋本総理大臣は2度訪英し、4月の第2回ASEM首脳会合の際に日英、日西首脳会談、5月のバーミンガム・サミットの際に日英、日独首脳会談、9月の国連総会の際に、小渕総理大臣とブレア首相の間で日英首脳会談が行われた。このように、98年は、日英間でハイレベルでの交流が数多く行われるとともに、2月のイラク危機に際して日英が共同で安保理決議を提案し成立させるなど、政策面でも緊密な協調が図られた。特に5月には、27年ぶりに天皇皇后両陛下が英国を公式訪問され、日英関係にとって特別の年となった。 | |
|
|
【ロシア】 98年、ロシアは政治面では2度の内閣改造とエリツィン大統領の健康不安、経済面では深刻な金融不安を中心に緊張した情勢を迎えた。その中で「ポスト・エリツィン」を睨んでの動きが活発化しつつある。
【NIS諸国】
98年中、幾つかのNIS諸国においては政情の不安定化が見られた。2月、グルジアでシェヴァルナッゼ大統領の暗殺未遂事件が発生し、また、同月、アルメニアで、ナゴルノ・カラバフ問題の処理をめぐり、テルペトロシャン大統領が辞任して、強硬派のコチャリャン大統領が就任した。タジキスタンでは、97年に達成された和平プロセスの進行がはかばかしくなかったことに加え、和平プロセスに参加していない武装勢力や同プロセスに従わない武装勢力が、政府要人等を誘拐・暗殺し、7月に秋野国連タジキスタン監視団政務官等国連職員の殺害事件も起きた。11月に、北部においてウズベク系武装勢力により政府機関が一時占拠される事件も起きた。一方、アゼルバイジャンでは、10月に大統領選挙が行われ、現職のアリーエフ大統領が再選されるなど、その他のNIS諸国での政情はおおむね安定していた。 | |
|
|
中東地域は、日本の原油輸入の8割以上を供給しており、エネルギーの安定供給の上で死活的な重要性を有しているのみならず、国際社会全体の平和と安定にとっても極めて重要な地域である。このような認識から、日本は、この地域との関係を一層強化すると同時に、この地域の平和と安定の確保のために積極的に関与している。 【中東和平を巡る動き】
91年に開始された中東和平プロセスは、パレスチナ暫定自治原則宣言、イスラエルとジョルダンの平和条約締結などの重要な成果をあげてきたが、イスラエルのネタニヤフ政権による97年3月の東エルサレムのハル・ホマ入植地建設を契機に、イスラエル・パレスチナ間交渉は中断した。97年9月には和平交渉が再開されたが、西岸におけるイスラエル軍の更なる再展開(撤退)、治安問題、入植地建設問題等の懸案を巡り交渉は停滞を続けた。 【イラン】
イラン国内では、春頃より「市民社会の形成」、「法の支配」等を掲げるハタミ大統領の改革路線に対する保守強硬派の巻き返しが強まり、権力抗争が激化した。ハタミ大統領は、今後も改革の推進に努めると見られるが、石油価格の低迷の影響を受けた経済状況の悪化もあって、困難な政局運営を余儀なくされている。 【湾岸協力理事会(GCC)諸国】
日本は、サウディ・アラビア、アラブ首長国連邦、カタル、クウェイト、オマーン、バハレーンからなるGCC(事務所本部はリヤドに所在)6ヶ国に原油輸入の約7割を依存している。日本は、97年11月の橋本総理大臣によるサウディ・アラビア訪問及び同総理の特使によるその他GCC諸国の訪問を踏まえ、これらの諸国と政治、経済及び新分野(教育・人造り、環境、医療・科学技術、文化・スポーツ)における多角的・包括的な友好協力関係の構築を積極的に推進している。98年には、アブドッラー皇太子、サルマン王子(リヤド州知事)をはじめとするサウディ・アラビアの政府要人が多数日本を訪問したほか、クウェイトからサバーハ第一副首相兼外相が訪日するなど、人的交流を中心に日・GCC諸国間関係に着実な進展が見られた。
| |
|
|
民主化の一層の進展や着実な経済成長などの「新しい風」が定着し、主体的な国造りの努力が成果を上げた諸国がある一方で、エティオピア・エリトリア間の国境紛争、ギニア・ビサオにおける内戦、コンゴー民主共和国(旧ザイール)をめぐる紛争などが新たに勃発し、解決すべき課題が依然として多く残されていることが明らかになるなど、98年はアフリカ諸国間の格差が顕著に現れた一年であった。 【98年の動き】
政治面では、シエラ・レオーネにおいて97年5月に軍事クーデターにより首都を制圧した政権が、2月に西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の監視団(ECOMOG)により駆逐され、3月に民主的に選出された大統領が帰還したことや、6月に内戦が勃発したギニア・ビサオにおいて周辺諸国及びECOWASの仲介努力により和平に向けて進展がみられたこと等、アフリカ諸国自身の紛争解決努力が一定の成果を挙げた。また、アフリカ最大の人口を有する大国ナイジェリアにおいて、急逝した元首の後を継いだ新元首の下で、政治犯の釈放、複数政党制下での地方選挙の実施等、99年5月の民政移管に向けての具体的な進展がみられたことは明るい動きであった。 【日本との関係】
日本は、従来より、アフリカの安定と発展は国際社会全体が取り組むべき重要な課題と認識し、アフリカ諸国自身の主体的な努力を積極的に支援してきている。
|