第1章 総括

   1.21世紀を迎える世界と日本
 1998年を通じて、日本外交は新たなかつ多くの困難な課題に取り組んできた。それらの中でも特に、インドとパキスタンによる核実験の実施及び北朝鮮によるミサイル発射などの安全保障にかかわる問題から、97年のアジア通貨・金融危機に続くロシア、中南米の金融不安などの経済面での動揺に至るまで、地域や世界の安定を損ないかねない新たな事態への対応が大きな焦点となった。このような状況の下、98年の日本外交は特に(1)アジア太平洋地域、ひいては世界の安定と繁栄を一層増進していくとの観点から米露中韓及び多くの国々との間で積極的に首脳外交を展開したこと、さらに(2)大量破壊兵器の拡散防止から紛争の予防、更には紛争の根本原因のひとつである貧困への対応といった様々な局面で、包括的かつ独自のリーダーシップを発揮したことに特徴付けられる。
 まず、積極的な首脳外交については、3回に及ぶ日米首脳会談を通じて、アジア太平洋地域の平和と安定の基礎である日米関係を強化し、両国が幅広い分野で緊密な協力を行っていくことを改めて確認した。ロシアとの間では、ハイレベルの「間断なき対話」を通じて、東京宣言に基づく2000年までの平和条約締結に向けた交渉を含むあらゆる分野で二国間関係が着実に進展した。日中関係についても、日中平和友好条約締結20周年という節目の年に、日中両国首脳は「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」の名の下に日中共同宣言をとりまとめるとともに、33分野にわたる協力項目について共同プレス発表を行った。また、日韓両国首脳は「日韓共同宣言-21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名し、過去の問題に区切りをつけて21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップを構築していくことで一致した。その後の日韓閣僚懇談会開催などを経てこの共同宣言は着実に実践されつつある。さらに、ハノイにおける日・ASEAN首脳会議やクアラルンプールにおけるAPEC首脳会議の場を通じて、日本経済を再生させるとの強い決意の下、アジア経済の回復のためにもアジア太平洋における地域協力の推進を引き続き重視する日本の姿勢を改めて強調した。
 第二にこのようなアジア太平洋地域の安定と繁栄の基盤である域内諸国との友好協力関係を一層強化する努力に加え、98年中に起こった様々な出来事に対応して、日本は包括的かつ独自の外交を展開した。
 まず、深刻な安全保障上の問題を提起したインドとパキスタンによる核実験実施に際し、日本は、両国に対して断固たる抗議の姿勢を示すとともに、G8や国連安全保障理事会などの場を通じて国際的な核不拡散体制を堅持・強化していくべきことを強く訴え、国際世論を喚起した。また、核不拡散・核軍縮のための国際レジーム強化のための有識者の英知を結集するために「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」を開催したり、国連総会において今後の核軍縮・核不拡散への道筋を示す決議案(圧倒的多数の賛成を得て可決)を提案するなど、積極的にイニシアティヴを発揮した。
 さらに、北朝鮮によるミサイル発射に対しては、これを日本の安全保障に直接脅威を及ぼす極めて遺憾な行為として、北朝鮮に対して国交正常化交渉の開催や食糧等の支援の当面の見合わせ等毅然とした厳しい対応をとった。また、日米韓三国の緊密な連携を維持・強化しつつ、国際社会に対しても積極的に問題提起を行い、その結果、国連安保理議長による対プレス声明の発出をはじめとし、国際民間航空機関(ICAO)、ミサイル輸出管理レジーム(MTCR)等の国際場裡においても日本の懸念が広く共有された。
 一方、新たな形態の危機としては、97年以来のアジア通貨・金融危機、さらにそれが引き金となったロシアの金融不安や中南米経済の不安定化への対処が挙げられる。このような国際的な経済・金融危機の発生を防ぎ、また発生した際に適切に対応していくために、5月のバーミンガム・サミットをはじめ、IMF・世界銀行等の一連の会合において国際金融システムの強化策が検討された。日本は、金融システムに焦点を当てたグローバルな取組への積極的な参加に加え、97年の通貨・金融危機からの回復が最優先課題となっているアジア諸国に対して、98年末までに総額約800億ドルの支援策を表明し、これを着実に実施してきている。
 次いで紛争への取組については、フン・セン、ラナリット両首相間の確執が顕在化していたカンボディアにおいて国民和解が遂げられ、自由で公正な選挙が実施されるなど、いわゆる「四項目提案」をはじめとする日本の努力が実を結んだ。また、第2回アフリカ開発会議を開催し、紛争との関連をも視野に入れた開発促進へのイニシアティヴをとり、アフリカの開発に携わる関係国・国際機関から高い評価を得た。
 これらの取組に加え、日本は、6月に改正された国際平和協力法に基づき、9月にボスニア・ヘルツェゴビナに選挙要員を派遣し、また、大規模なハリケーン災害に見舞われた中南米諸国のうち特に被害が深刻であったホンジュラスに対し、11月に初めて国際緊急援助隊として自衛隊の部隊を派遣した。いずれも従来以上の目に見える日本の貢献として、関係国から高い評価を受けており、グローバルな脅威から世界の平和と安定を守っていく上で日本が果たし得る役割も広がりを見せつつあることを示した。
 このような98年の締め括りに当たり、小渕総理大臣はアジアの21世紀を展望し、「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」の構築というビジョンを打ち出した。このビジョンを支える行動分野のひとつに「人間の安全保障」の重視が謳われているが、これは、人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取組を強化していくことを目指すものである。日本は、また、危機に瀕したアジア諸国の安定と繁栄の実現に向けて、経済危機のしわ寄せが深刻な社会的弱者層を救済し、社会の安定化を図る必要があるとの考え方に立脚し、98年末までにこれらの国に対して世界最大規模の支援策を表明した。こうした日本の取組はアジアのみならず国際社会の多くの国から高く評価され、アジア太平洋地域の安定と繁栄の確保を目指す日本外交の基本方針が改めて国際社会において明確に認識されたことは、今後の日本外交の展開にとって積極的な意義をもつ。
 以上、98年の日本外交の主要な動きについて概観したが、最後に、21世紀を迎えようとするこの機に、世界を特徴づける今後の大きな流れをどう見るべきか、3つの側面に整理して捉えてみたい。

【脅威の多様化】

 まず第一に挙げられるのは「脅威の多様化」である。今日の国際社会において大規模な戦争が発生する可能性は低下しているものの、個人の生命や安全にとっての最大の脅威は依然として武力紛争である。冷戦終結後局地的な紛争は多発しており、これに対応する形で、過去10年間に新たに展開した国連平和維持活動の数はそれ以前の約2倍に膨らんでおり、紛争の原因は、民主化をめぐる政府と反政府勢力の対立、領土やアイデンティティー(宗教、民族等)をめぐる対立など多岐にわたっている。紛争の地域的分布についても、ここ数年の紛争発生件数が最も多い地域はアフリカとアジアであるが、欧州等他の地域もその脅威を免れてはいない。実際の紛争における武力行使の手段に着目すると、紛争の局地化現象と相俟って対人地雷や小火器等の使用が増加し、それが紛争の激化や人的な被害の拡大・深刻化を招いていることがわかる。すなわち、冷戦期において脅威の主たる源となり、その規制が議論されてきた大量破壊兵器や弾道ミサイルのみならず、通常兵器も今や現実の脅威となっている。このように、武力紛争の増加とともに、その形態、原因、手段が多様化していると言える。
 一方、武力紛争とは異なる次元で人々の生命や安全を脅かす問題が出現している。それは環境破壊、テロ、国際組織犯罪、薬物、人権侵害、難民、感染症等であり、これらが国境を越えた広がりを見せ、人類共通の問題として我々の前に立ち塞がりつつある。そして、広がる問題に対処する人類の側も協調を迫られている。従来国家の専権事項とされてきた分野において国際的な規範が形成されつつあるなど、近年の主権国家間の協調に基づく対処のあり方は、主権平等の原則や内政不干渉の原則が絶対視されていた近代においては想定し得なかったものであろう。しかし、今日においては、こうした問題に関しては国家がその主権の及ぶ範囲で個別に問題に対処することでは足りず、国際社会全体の協調・協力が決定的に必要とされている。しかし、これらの分野における国際的取組は、必ずしも常に円滑に進んでいるとは言えず、一国の短期的な利益と国際社会全体の長期的な利益とがしばしば衝突するという困難を抱えつつ進められているのが現状である。さらに、国際テロのように、テロ組織や個人など主権国家以外が国際社会に脅威を及ぼす主体となっていることが問題への対処を更に複雑にしているものもある。

【国力の多元化】

 第二は「国力の多元化」である。190か国近い主権国家が共存する今日の国際社会においては、他の国家との関係の処理、すなわち「外交」を支える国力の源泉にも多様性が現れている。帝国主義列強がその勢力を競い合った近代においては、強大な軍事力が外交関係を大きく左右していたが、冷戦が終結し、世界の一体化が進む現在の世界では、軍事力のみならず、経済力、技術力、文化の力など様々な要素が外交に影響を与えている。現実の国際政治において、秩序維持・回復のための最終的な手段として軍事力が引き続き一定の役割を果たしていることは疑いないが、今日、外交を通じて国益を実現していくためには、軍事力以外の様々な力を背景に国際的な発言力を増していくことがますます重要になってきている。また、21世紀を視野に入れた新たな国際秩序の形成においては、構想力、設計力、説得力といった能力も国際社会を自国に有利な方向に牽引していく上で必要不可欠な資質である。

【グローバリゼーションの進展】

 第三はグローバリゼーションの進展である。特に経済面において、今世紀後半急速に進展したグローバリゼーションは、今後とも不可逆的な一大潮流として継続していくものと考えられる(第2章第2節1.(1)参照)
 移動・情報通信技術の発達やそれに伴う国境を越えた経済活動の拡大を通じて、世界は未曾有の繁栄を享受している。一方、活発な貿易・投資や巨額の民間資本の流れは、世界規模での経済の効率化を進めると同時に世界を一種の運命共同体と化した。アジアの通貨・経済危機やロシアの金融危機がその後中南米などに飛び火し、全世界を震撼させたことはいまだ記憶に新しく、これが国際金融システム強化の議論を呼んでいる。また、グローバリゼーションがもたらす世界規模での競争の激化は、開発途上国のみならず先進国においても、競争における敗者や競争から取り残される者を生み出し、社会の不安定化を招く危険性を孕んでいる。これについては社会的弱者に対するいわゆるセーフティー・ネットの構築等の対応がとられつつある。グローバリゼーションの波は不可逆的であり、また、そのうねりを完全に制御することは不可能である。我々はこのことを十分認識した上で、そのダイナミズムを世界の安定と繁栄の一層の増進に最大限活用していく工夫を続けていかねばならない。

 以上、21世紀を迎える世界を特徴づける潮流を3つに整理して敷衍した。99年は、この潮流を視野に入れつつ長期的展望に立った日本外交のあり方を見定めていくべき重要な年と位置づけられよう。

   2.98年の注目すべき動き
(1)インドとパキスタンによる核実験

 インドでは総選挙の結果、3月にインド人民党(BJP)を中心とする連立政権が発足し、核政策の見直しと核兵器導入オプションの行使に言及した共通政策綱領が発表された。一方、隣国のパキスタンでは4月6日に「ガウリ」中距離ミサイルの試射が実施された。こうした南アジアにおける緊張の高まりを懸念して、日本は、橋本総理大臣発ヴァジパイ・インド首相宛親書を通じて同国の核政策における慎重な対応を求めるとともに、パキスタン政府に対してもミサイル・核開発の抑制を求める申し入れを行ったが、インドは5月11日及び13日の二度にわたり核実験を実施した。
 インドによる核実験実施後、パキスタン国内では核実験実施に向けた圧力が高まり、5月16日にバーミンガム・サミットで発出された「G8首脳による声明」にも見られる国際社会の一致したインドによる核実験実施への非難の姿勢や、パキスタンに核実験自制を求める日本からの総理特使の派遣といった外交努力にもかかわらず、5月28日及び30日の二度にわたり核実験を実施するに至った。
 両国による核実験は、南アジア地域の平和と安定に悪影響を及ぼすのみならず、核兵器拡散防止条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)を中心とする国際的な核不拡散体制に対する重大な挑戦であり、また、核兵器のない世界を目指す国際的な核軍縮努力に逆行するものであった。日本は、インド・パキスタン両国に対して両国の核実験実施は容認し得ず、極めて遺憾であるとの日本の立場を伝えるとともに、新規の無償資金協力(緊急・人道的性格の援助及び草の根無償を除く)及び新規の円借款の停止等の厳しい措置を決定した。
 国際場裡においては、6月4日のジュネーヴでのP5外相会合で共同コミュニケが発出されたほか、6月6日には、日本が共同提案国となった国連安保理決議1172が採択され、また同12日にロンドンで開催されたG8外相会合でも共同声明が採択された。これらの一連の声明・決議等においては、インドとパキスタンによる更なる核実験の停止、両国のCTBT締結等、国際社会として両国に求める要求項目が明確化された。
 また、日本独自のイニシアティヴとしては、上記G8外相会合の際、小渕外務大臣より、インドとパキスタンの核不拡散体制への取組と両国間の緊張緩和・信頼醸成のための具体的方策を検討するタスク・フォースの設置を提案し、同会合が2回にわたりロンドンで開催された。また、国内外の有識者の参加を得て核不拡散・核軍縮について提言を行うことを目指す「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」が日本国際問題研究所と広島平和研究所の共催により、8月下旬に東京で、第2回会合を12月に広島で開催された。
 こうした国際社会の動きに対し、核不拡散に対するインドとパキスタンの態度に一定の好ましい変化が現れており、9月の国連総会の一般討論演説においてパキスタンのシャリフ首相が99年9月までのCTBT締結の方針を表明し、インドのヴァジパイ首相もCTBT締結に前向きなトーンの発言を行った。また、両国ともカットオフ条約の交渉に参加する考えを表明している。
 日本は対話を通じた両国への働きかけも重視し、7月末のASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会合の際に高村政務次官とインドのジャスワント・シン国家計画委員会副委員長が会談した。また、9月の国連総会の際に高村外務大臣とパキスタンのアジズ外相が会談するとともに、11月にアジズ外相が訪日し、高村外務大臣と会談した際、99年9月までのCTBTの締結及びより厳格な核・ミサイル関連の輸出規制の法制化の二点につき明確なコミットメントを示した。こうした状況を踏まえ、また、核実験実施後のパキスタン経済の悪化が地域の不安定化を招きかねないことを考慮し、日本は、当時交渉中であったIMFの対パキスタン支援プログラムに必要な国際金融機関の融資への支持を表明するとともに、上記二点のコミットメントに留意しつつ二国間経済協力の部分的な再開を検討し得る旨表明した。
 一方、核実験後、インドとパキスタンの間において対話の再開に向けた動きが見られる。7月の第10回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会合の際に、核実験後初の印パ首脳会談が行われ、9月の国連総会の際に再度首脳会談が行われ、印パ間の次官級協議の再開が合意された。これを受けて、10月に「カシミール問題」及び「平和と安全保障」に関する外務次官級協議、その後、経済、文化等分野毎に両国の担当次官級協議が開催されており、今後の印パ間での対話の進展が注目される。

(2)北朝鮮によるミサイル発射

【事実関係及び日本の対応】

 8月31日正午頃、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した(注1)。31日夜、日本政府は、このミサイル発射は日本の安全保障や北東アジアの平和と安定という観点及び大量破壊兵器の拡散防止という観点から極めて遺憾であり、このような北朝鮮の行為に対して厳重抗議するとの官房長官コメントを発表し、同日中に北朝鮮側に対して、ミサイル発射に対する遺憾の意を直接伝達した。また、翌9月1日、政府は、北朝鮮によるミサイル発射に対する日本の対応について以下のような官房長官発表を行った。

  • 日米韓の間で意見・情報交換を進める
  • 国連において然るべき形で本件問題を提起する可能性を探求する
  • 北朝鮮側に遺憾の意を伝えて厳重抗議し、説明を求めると同時に、ミサイルの開発・輸出の中止を求める
  • 国交正常化交渉の開催、食糧等の支援及びKEDOの進行をそれぞれ当面見合わせる
  • 画像衛星活用についての調査の推進等日本独自の情報収集能力を高める方策を検討する(注2)
  • 弾道ミサイル防衛システム(BaMD)の技術研究につき引き続き検討するとともに、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)関連法案等の早期の成立・承認を期待する。

 これらの措置に加え、2日に北朝鮮の高麗航空に対して与えられていたピョンヤン-名古屋間の貨物チャーター9便の運航許可を取り消し、その後の運航も不許可とすることとした。
 一方、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)については、北朝鮮の核兵器開発を阻むための最も現実的かつ効果的な枠組みであり、これを崩壊させることによって北朝鮮に核兵器開発再開の口実を与えてはならないとの考慮の下、10月21日、政府は、KEDOへの協力を再開する旨発表した。同時に、このことが北朝鮮への誤ったシグナルとならないよう上記のKEDO関連以外の措置については維持する方針を明らかにした。

(注1) この発射については、9月1日、日本の関係当局は、2段式弾道ミサイルの第1段目が日本海に落下、第2段目が三陸沖に落下、弾頭が同じく三陸沖のより遠方に着弾した可能性が高いと発表した。また、10月30日、防衛庁は、北朝鮮のミサイル発射に関する分析結果として、弾道ミサイルの長射程化を睨んでのテポドン1号を基礎とした弾道ミサイルの発射であった可能性が高いとの判断を発表した。
(注2) 日本の安全確保に必要な情報収集を行うため、平成14年度を目途として情報収集衛星を導入することとなった(12月22日閣議決定)。

【国際社会の動き】

 北朝鮮によるミサイル発射に対する日本の懸念は広く国際社会においても共有された。まず、日本の働きかけにより、9月15日に国連安全保障理事会議長による対プレス声明が発出された。この声明は、安保理メンバーが8月の北朝鮮の行為は地域の漁業及び海運活動に危害をもたらし、域内諸国間の信頼醸成に逆行するとして懸念を表明するとともに、この発射が事前通報なしに行われたことへの遺憾の意を表明するものであった。また、9月22日の日米首脳会談において、北朝鮮のミサイル発射が日本の安全保障に直接関わるのみならず、北東アジアの平和と安定にとっても極めて憂慮すべき行為であり、北朝鮮に対してミサイル発射、開発、輸出を行わないよう種々の場において毅然たる態度で働きかけていくことが確認された。その2日後に、北朝鮮問題に関する日米韓三国外相協議が行われ、共同発表が行われた。この共同発表の中で、北朝鮮によるミサイル発射に対する非難が明示され、「合意された枠組み」及びKEDOを維持することの重要性が確認され、今後の米朝ミサイル協議を通じて北朝鮮にミサイルの発射、開発、関連物資・技術の輸出の中止を求めていくとの米国の決意が表明された。さらに、10月8日の日韓首脳会談において、両首脳は、国連安保理議長が安保理を代表して表明した懸念及び遺憾の意を共有するとともに、北朝鮮のミサイル開発が放置されれば、日韓及び北東アジア地域全体の平和と安全に悪影響を及ぼすことにつき意見の一致を見た。なお、9月に開催された国際民間航空機関(ICAO)モントリオール総会において、また、10月に開催されたミサイル輸出管理レジーム(MTCR)ブダペスト総会においても、北朝鮮のミサイル関連活動に関する懸念が共有され、北朝鮮のミサイル発射に関連する議長声明、決議が各々採択された。

(3)アジア及び世界の経済情勢

【アジア経済情勢】

 97年7月のタイ・バーツ下落に端を発した東南アジアの通貨・金融危機は、その後インドネシア、韓国等に波及し、世界経済全体にも影響を及ぼした。タイ、韓国については、IMF合意の着実な実施等により危機的状況を回避したが、その後インドネシアでは、輸出入の停滞、華人系住民に依存した流通システムの崩壊、食糧・医薬品の高騰・不足などの諸問題が深刻化し、次第に社会不安、ひいては暴動にまで発展し、5月にスハルト大統領の辞任に至るという政治不安までもたらす結果となった。このインドネシアの混乱は、進出していた外国企業等に働く外国人の一時的な海外退避を余儀なくさせ、多くの邦人企業が一時活動を停止せざるを得ない状況となった。
 今次アジア通貨・金融危機の特徴としては、まず、大量かつ急激な短期資本の流出から発生した危機であること、また、民間の対外債務の返済圧力が過剰に高まったことが直接的要因となったこと等が挙げられる。さらに、金融システムの脆弱性、政治的不安定、心理的な要因等従来型の経済危機とは異なる要素も指摘されている。
 その後、アジア各国自身の努力とIMF、世界銀行等の国際機関や日本を中心とする各国の支援により通貨・金融市場は落ち着きを取り戻し、経常収支等のマクロ経済指標も一部改善し、98年後半には多くの国が通貨面での危機的な状況を概ね脱したと言える。一方、実体経済面では景気の停滞、失業者の増大が顕著であり、さらに、当初影響が小さかったフィリピン、マレイシア、ヴィエトナム等、他のアジア諸国にも影響が拡がっている。
 こうしたアジア諸国が取り組むべき課題は、危機発生当初の最大の課題であった通貨の防衛から、経済再活性化、構造改革・人材育成、社会的弱者救済、中長期的な通貨安定等に移っている。これらの課題の克服は当事国の努力が前提となるが、国際社会の支援も必要である。このような認識の下、日本は危機発生直後にIMFと協調して総額190億ドルの支援を表明、その後も98年末までに世界最大の総額約800億ドルにのぼる種々の支援策を表明し、これを着実に実施してきている。これらを通じた各課題への日本の取組は次のとおりである。

  • 経済再活性化
     資金不足や信認低下により、民間資本の呼び戻しを含む十分な景気刺激策や雇用対策を独力で実施することが困難な状況にあるアジア諸国に対し、日本は10月に300億ドル規模の新宮澤構想、11月のAPEC首脳会議・閣僚会議の際に米国と共同で発表した「アジアの成長と経済回復のためのイニシアティヴ」、12月はアジア各国の景気回復や雇用確保、構造改革に貢献するための追加的支援策である3年間で6000億円を上限とする特別円借款の創設等種々のアジア支援策を表明し、協力を行っている。

  • 構造改革と人材育成
     アジア諸国は、民間債務処理、不良債権処理を含む金融システム整備、構造調整、法整備、産業育成を進めようとしているが、そのために必要な人材やノウハウが不足している。日本は「日・ASEAN総合人材育成プログラム」や1万人の現地研修、官民合同の技能開発センターへの専門家の派遣等を通じ支援している。

  • 社会的弱者救済
     経済危機によるしわ寄せが最も深刻な社会的弱者に対する救済の問題は、アジア各国の共通の課題として真剣に受け止められている。また、社会的弱者の困窮が引き金となって社会不安が高じて政治不安に至れば、経済危機の解決を一層遅らせることにもなる。日本はいち早くこの問題に注目し、例えばインドネシアに対してコメ支援、医薬品支援等に加え、迅速な資金拠出が可能な円借款を活用した社会的弱者支援策を積極的に実施している。

  • 通貨安定
     今回の危機を通じて、通貨の投機的取引を含む大規模かつ急激な資本移動の問題点が広く認識されるようになり、IMFを中心とした現行の国際金融システムについて改革が必要であることも明らかとなった。マレイシアはヘッジ・ファンド等の影響を封じるための緊急避難措置として、9月に為替管理・資本流出規制措置等を決定した。アジアで他に同様の措置をとった国はないが、資本移動のモニタリングの強化やヘッジファンドに関する何らかの監視・規制を求める声が高まる中、日本は喫緊の課題である国際金融システムの改革に取り組もうとしている。
     今回の危機を通じ、日本の大規模なアジア支援についてアジア諸国から高い評価と期待が示されている。同時に、アジアのGDPの3分の2を占める日本が再びアジア経済の「先行の雁」となり、牽引者としての役割を果たすことについても高い期待が示されており、日本がアジア経済の発展と成長のために積極的に貢献していくことがますます重要となっている。

【世界経済情勢】

 一方、97年のアジア通貨・金融危機は、98年に入ってロシアの金融危機をはじめとして中南米など新興市場諸国にも飛び火した。これは、日本のみならず、欧米諸国の経済にも影響を与え、世界的なデフレ懸念を引き起こした。まず、ロシアにおいて、原油価格下落による経常収支の悪化、財政赤字増大等のファンダメンタルズの悪化を背景とした銀行システムへの不安が深刻化し、外為・株式市場等の金融セクター全般にこれが波及し、8月、ロシア政府・中央銀行はルーブルの切り下げの実質的容認、一部対外債務返済凍結等の一連の措置を発表した。その後、為替・株価の下落は一時収まったが、IMFとの協議不調により融資は凍結されたままで、ロシア経済は依然厳しい状況に置かれている。
 中南米の多くの国は経常赤字や財政赤字に悩まされ、対外債務の返済金まで外資に依存せざるを得ない状況にあるにもかかわらず、大量の資金が国外に流出した。例えば、ブラジルでは8、9月の2か月間で約250億ドルの外貨資金が流出するという危機に瀕した。このような事態に対し、政府は高金利対策や財政調整プログラム等相次ぎ対策を発表、G7、IMF等による総額410億ドル(国際機関を通じた支援を除いた日本の二国間支援額は12.5億ドル)を上回る支援を発表したことにより、大規模な経済混乱は遠のいた。しかし、中南米経済の不安定化は、最も密接な関係にある米国経済等を通じて世界経済をも揺るがしかねず、引き続きその動向に注視していく必要がある。
 また、新興市場諸国の経済・金融危機は先進国にも波及し、株価が一時的に下落するなど、日本のみならず欧米諸国においても景気減速の兆候が現れた。例えば、米国では、8月末にはピーク時(7月中旬)から20%近く株価が下落し、9月下旬には大手ヘッジファンド(LTCM:ロング・ターム・キャピタル・マネージメント)の経営破綻が明らかになるなど、先行きへの不透明感が強まった。このような兆候に対して、先進各国政府は協調利下げ等の対抗措置を講じた。
 今回のアジア経済危機とその世界規模での連鎖反応により、既存の国際経済システムの脆弱性が露呈したが、これを克服するためには金融分野にとどまらず、貿易、投資、開発等の分野における既存のシステムの見直しに早急に取り組む必要がある。また、経済危機は、国によっては政権担当者の交代など政治問題に発展しているのみならず、当該国の社会的弱者層への大きな打撃となっており、社会的側面からの取組が必要である。
 日本としては、アジア経済危機に対する様々な支援策を実施している経験から、危機の回避、危機に直面した国がとり得る対応、迅速かつ有効な国際支援のあり方、被支援国に課すべきコンディショナリティ等について、国毎のきめ細かい対応が必要と考えており、こうした議論に貢献できるよう取り組んでいる。また、社会的弱者に配慮しつつ、マクロ経済政策運営、金融技術、裾野産業の育成等の面での技術協力を強化していく必要がある。

(4)イラク情勢

 97年6月頃から協力拒否や妨害の事例が目立っていたが、98年1月、イラク政府は査察団の国籍別構成が米英に偏っていることなどを理由に、大量破壊兵器廃棄に関する国連特別委員会(UNSCOM)の査察を拒否した。国際社会はイラクに対しUNSCOMとの完全な協力を求めたが、イラク側が応じなかったため、米国政府は武力行使も辞さずとの姿勢を示すなどイラク情勢は緊迫化した。これに対し、2月、アナン国連事務総長が調停のためイラクを訪問し、イラク政府との間でUNSCOM等の査察への協力に関する了解覚書に合意・署名した。これを受けて、3月初めに、この合意を承認し、イラクに対し関連安保理決議に対するいかなる違反もイラクにとって最も深刻な結果をもたらすであろう旨警告する安保理決議1154が採択され、危機は回避された。
 イラクは、アナン事務総長との合意以降夏まではUNSCOMとIAEA(国際原子力機関)に対する協力姿勢を継続した。しかし、8月初め、バトラーUNSCOM委員長がバクダッドを訪問した際に交渉が決裂し、10月末、イラクはUNSCOMに対する全面的な協力停止を決定した。このため危機は再燃し、11月、安保理はイラクの対応は関連安保理決議に対する重大な違反である旨非難する決議1205を採択した。この際、米英はイラクが協力拒否を続ける場合には武力行使をも辞さずとの断固たる態度を示したこともあり、イラクはUNSCOMに対する協力再開に合意し、危機はとりあえず再び回避された。
 しかし、その後もイラクがUNSCOMによる査察に協力しないケースが再発し、12月15日、UNSCOMより、イラクは約束した完全な協力をUNSCOMに対して提供しなかったとの報告書が安保理に提出された。これを受け、同17日、米英はイラクの100ヶ所の軍事目標等に対し巡航ミサイル等による武力攻撃(「砂漠の狐作戦」と名づけられた。)を実施した。この武力攻撃は、4日後の20日、クリントン米大統領とブレア英首相が所期の目的を達成した旨宣言するとともに終了した。米英による武力攻撃後、イラク政府は、UNSCOM及びIAEAの査察・監視に対する協力を拒否するとの立場をとっており、今後イラクに課せられた大量破壊兵器廃棄義務をはじめとする関連安保理決議上の義務の履行をいかに確保していくかが国際社会にとって課題となっている。また、12月28日及び30日の両日、イラクの北部及び南部のいわゆる飛行禁止区域を飛行中の米軍機及び英軍機に対し、それぞれイラクが地対空ミサイルを発射し、米軍機がイラクのミサイル基地に反撃する事件が発生しており、再度イラク情勢が緊迫化することも懸念されている。
 一方、イラク国内では、8年以上に及ぶ国連制裁の結果、物資の不足やインフレなどの経済状況の悪化が進んでいると見られる。この状況に対応すべく、96年12月、食糧や医薬品等の人道物資購入を可能とするためにイラクの限定的な石油輸出を認める安保理決議986(採択は96年4月)の実施が開始された。同決議は180日ごとに更新されてきており、98年6月からは安保理決議1153により、限定的石油輸出の限度額がそれ以前の20億ドルから52.56億ドルに拡大されている。しかし、国際市場における石油価格の低迷等により、98年6月から12月の6か月間においても限定的石油輸出による収入は十分に確保できていないことから、イラク国民の窮状の更なる悪化も懸念されている。

(5)第2回アフリカ開発会議(TICAD II)

 日本は、10月19日から21日まで国連及びアフリカのためのグローバル連合(GCA)との共催により「第2回アフリカ開発会議」(TICAD II:The Second Tokyo International Conference on African Development)を開催した。同会議には、80ヶ国(アフリカ51ヶ国、アジア11ヶ国、北米及び欧州18ヶ国)、40の国際機関、22のNGOが参加し、アフリカに明るい未来をもたらすことは可能だとの信念のもとに、教育、医療、民間セクター開発、女性の社会参画、平和等を通じたアフリカ自身の手による国造りを目指した。
 近年、サブ・サハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南に位置する47ヶ国)の約20か国において年間のGNP成長率が5%を越え、政治面でも複数政党制下での選挙が行われる国の数が増加している等の明るい面が見られる一方、大半の国は、グローバリゼーションから取り残され、同地域の人口の4割は未だに1日1ドル以下の生活を余儀なくされている。また、紛争の多発、難民の問題なども依然として深刻である。
 TICAD IIでは、この両面にわたる現状を踏まえ、サブ・サハラ・アフリカ諸国が「オーナーシップ(自助努力)」及び援助国・機関との「パートナーシップ(協調)」の下で、国造りに取り組むことへの支援を強化するため、日本やアジアの国造りを大きな参考として提示し、教育、保健等を通じた人造り、女性の社会参画、農業、民間セクター支援等に関する21世紀に向けての「東京行動計画」を採択した。また、同会議において、アフリカ開発への支援に弾みを与えるために、日本は例えば次のような新たなアフリカ支援プログラムを提示した。

  • 教育・保健医療・水供給分野で今後5年間を目途に900億円程度の無償資金協力を供与(社会開発/人造り)
  • アジア・アフリカ投資情報サービス・センターの設置、アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラムの開催、債務管理能力を向上させるための人材育成及び債務救済無償資金協力の対象拡大検討(経済開発)
  • 南部アフリカでの地雷除去支援及び国連開発計画(UNDP)、アフリカ統一機構(OAU)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)等の協調でガヴァナンス(良い統治)、紛争分野の支援(開発の基盤)
  • 今後5年間で新たに2000名のアフリカ人を対象にした研修事業(南南協力)
  • アフリカ人造り拠点設置、開発研究機関ネットワーク構想(協調の強化)
     同会議において、アフリカ諸国がその潜在力を最大限生かしつつ自ら国造りに取り組むべきであり、また、アフリカ諸国が援助国・機関と対等なパートナーとして開発を進めていくべきであるとの認識が共有されたことは大きな成果であった。さらに、会議全体を通じて最近のアフリカの経済動向や民主化を踏まえて将来への明るい展望を打ち出せたことは、アフリカに対する悲観的な見方が根強い中で、国際社会に対する重要なメッセージとなった。今後は、オーナーシップとパートナーシップの考え方の下でアフリカ諸国を含む国際社会全体が「東京行動計画」及びTICAD II開催時に作成・配布された、アフリカ開発プロジェクトの中で行動計画を具体化する上で参考となるプロジェクトを集めた「例示リスト」を実際の取組に結びつけていくことが期待されている。


   3.アジア太平洋の安定と繁栄のための取組
 日本の安全と繁栄を確保するためには、日本を取り巻くアジア太平洋地域の安定と繁栄の実現に大きな役割を有する国々との間の協調関係を強化しつつ、この目的に資する様々な多国間の枠組みを整備・強化していくことが必要不可欠である。このような観点から、日本は、米国との同盟関係をはじめ、ロシア、中国、韓国等近隣諸国との二国間関係を重視しており、98年を通じて、これらの国との一連の首脳外交に代表される緊密な関係構築に向けた努力を一層強化してきた。また、日本は、ASEAN諸国や大洋州諸国との関係強化、アジア太平洋経済協力(APEC)やASEAN地域フォーラム(ARF)など地域協力の推進を通じて、同地域の安定強化や発展に努めてきている。こうした努力は、12月に小渕総理大臣がASEANとの首脳会議出席の際に行った政策演説の中で表明した21世紀のアジアのビジョンである「人間の尊厳に立脚した平和と繁栄の世紀」を実現するための基礎となる。

(1)日米関係

【総論】

 緊密な日米関係がアジア太平洋における安定と繁栄に不可欠な基盤を提供しているとの認識の下、日米両国は二国間関係のみならず幅広い事項について協議、協力を行っている。このような日米関係は引き続き日本外交の基軸であり、北東アジア地域の安全保障やアジア及び世界経済の不安定化など困難な問題が山積する中、日米間の緊密な協議及び政策協調がますます重要となっている。
 98年を通じて日米両国は、アジア経済危機、インド・パキスタンによる核実験、北朝鮮のミサイル発射といった重要課題への対応に当たり緊密な連携を保ちつつ、協力して取り組んだ。特に、11月にクリントン大統領が2年7か月ぶりに訪日し、その際の日米首脳会談において、北朝鮮問題や国際金融システムの強化に関する日米の緊密な連携や、中東和平等の二国間関係の枠を越えた世界の平和と繁栄に対する両国の貢献が確認されたことは、こうした日米間の協力推進に弾みをつけるものであった。また、クリントン大統領は訪日の際、「タウン・ホール・ミーティング」へのテレビ出演等を通じて、経済回復に向けた日本の努力を支援するとのメッセージを自らの言葉で日本国民に語りかけた。
 日米間の緊密な対話の一環として、98年前半には、2月にリチャードソン国連大使が、4月と7月にオルブライト国務長官が来日し、それぞれ橋本総理大臣、小渕外務大臣と会談したほか、5月の英国におけるG8首脳会合及び外相会合の際に、日米首脳会談及び外相会談が開催された。こうした一連の会談を通じて、景気対策や金融システム強化策等、日本経済の回復に向けた日本の取組について米国に説明するとともに、アジア経済危機やインド・パキスタンの核実験等への対応が協議された。また、クリントン大統領の訪中が関心を集める中、日米間の緊密なやりとりの中で、日米中のそれぞれの二国間関係の進展は、アジア太平洋地域の安定と繁栄に寄与するとの認識で一致した。
 98年後半には、小渕政権成立直後の8月に高村外務大臣が訪米してオルブライト国務長官、コーエン国防長官と会談したほか、9月にニューヨークにおいて日米安全保障協議委員会(いわゆる「2+2」)が開催された。また、小渕総理は、9月の国連総会出席の機会にクリントン大統領と最初の首脳会談を行い、アジア経済の回復と世界経済の安定に向けて日米両国が連携していくこと、北朝鮮のミサイル発射に関して、日米両国が一致して毅然とした厳しい対応をとり、一層緊密に協議・協力していくこと、及び日米安保条約上の双方のコミットメントが確固たるものであることを確認した。(日米安保体制については第2章第1節(2)参照。)

【日米経済関係】

 98年を通じて、日本経済の早期回復及び世界経済の安定に向けた日米協調が焦点となった。米国は、アジア経済及び世界経済の回復と安定を図るためにも、日本が内需主導の景気回復を早期に実現することが重要であるとして、金融システム安定化、財政刺激策、及び更なる規制緩和の実現を強く期待してきており、10月に成立した金融再生関連法や11月に策定された緊急経済対策などの日本の取組の迅速かつ効果的な実施を重視している。9月と11月の2度の首脳会談では、世界経済及びアジア経済の安定と繁栄のために、世界第一位、第二位の経済力を有する米国と日本の協調が不可欠であるとの認識で両首脳が一致した。また、11月のAPEC首脳会議に当たり、経済的困難に直面しているアジア諸国への支援策として日米両首脳が共同で発表した「アジアの成長と経済回復のためのイニシアティブ」は、多くの国から評価された。
 個別分野における日米経済関係については以下の主要な動きが見られた。

  • 規制緩和
     97年6月の日米首脳会談を受けて開始された「規制緩和及び競争政策に関する強化されたイニシアティブ」の下での日米対話の成果は、98年5月、バーミンガム・サミットの際の日米首脳会談に「共同現状報告」として提出された。「強化されたイニシアティブ」の下での対話は2年目も続けられており、10月には日米両国が互いに規制緩和等に関する要望事項を提出した。

  • 鉄鋼
     米国鉄鋼業界及び労組は、日本、ロシア、ブラジルからの熱延鋼板の対米輸出が急増しているとして、9月30日にアンチ・ダンピング提訴を行い、商務省及び国際貿易委員会(ITC)の調査が行われた。

  • 保険
     96年の日米間の補足的措置に定める主要分野の規制緩和に関する一定の基準が98年7月1日に達成され、2001年1月1日に第三分野での激変緩和措置(日本の保険会社の参入制限)が解除されることとなった。この点を巡り、日米間に見解の相違が存在するが、このような場合に各国は自らの見解に従って行動できることとされている。

  • 港湾運送
     日本政府は、米国連邦海事委員会(FMC)の制裁措置(97年11月無期限停止)に日米友好通商航海条約上の問題があると考えており、日本側の要請により、98年7月に日米政府間の協議が開催された。

  • 航空
     日米航空協議は1月に大筋合意が得られ、4月に書簡の交換が行われ、最終的に決着した。

【拡がる日米協力】

 93年に発足した「地球的展望に立った協力のための共通課題(日米コモン・アジェンダ)」の枠組みの下で、日米両国は、「保健と人間開発の促進」、「人類社会の安定に対する挑戦への対応」、「地球環境の保護」及び「科学技術の進歩」という4つの柱、18分野で様々なプロジェクトを推進している。3月に外務省及び米国国務省の共催で「コモン・アジェンダ・オープン・フォーラム」が開催され、カーター元米大統領、竹下元総理大臣、河野元副総理大臣をはじめ、関係国政府、国際機関、企業、NGOなどから多数の関係者が出席した。この会議においては、「健康」、「保全」というテーマの下で、活発な意見交換が行われ、日米両国政府と民間(NGOや企業)やアジア太平洋諸国を含む第三国との相互対話を一層強化し、相互補完的な形で協力していくことの重要性が強調された。また、広報活動等を通じて両国の国民の意識向上を図り、NGOなどが活動しやすい社会的環境を整備する必要性が提起された。日本においては、96年2月以来、民間有識者によるコモン・アジェンダ円卓会議(会長:平岩外四経団連名誉会長)が日米両国政府に対し助言と指針を与えてきており、11月には円卓会議が主催する初のプロジェクトであるインドネシア環境教育プロジェクトが開始された。
 また、日米間の協力はコモン・アジェンダ以外にも一層拡大・強化されており、電子商取引に関する合意、コンピューター2000年問題や全世界的衛星測位システムの民生利用に関する協力促進、民主主義に関する日米共同の取組等が首脳会談の機会に発表されるなど、日米間の協力は一層拡大・強化されている。

(2)日露関係

 日露関係については、93年のエリツィン大統領訪日の際に署名された東京宣言が両国関係進展の基盤となっている。日本としては、東京宣言に基づいて北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、日露関係の完全な正常化を達成するために最善の努力を払うとともに、ロシアの改革努力を支持しつつ、様々な分野における協力と関係の強化を図ることを対露外交の基本的な考え方としている。また、このような日露協力関係の強化はアジア太平洋地域の安定と繁栄に大きく貢献するものと考えられる。領土問題については、日本は、北方四島の帰属の問題の解決に向けての確実な前進と、四島交流や四島住民支援等問題解決のための環境の整備を「車の両輪」のように同時に図っていくことが重要との立場である。
 97年11月にロシアのクラスノヤルスクで行われた日露首脳会談で「東京宣言に基づき2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすこと」が合意され(クラスノヤルスク合意)、経済分野でも「橋本・エリツィン・プラン」が発表されるなど、幅広い分野で具体的な成果が達成された。この首脳会談の成果を受け、98年には、ハイレベルの緊密な政治対話が進められ、日露関係はあらゆる分野で着実に進展した。平和条約交渉については、条約の締結に向けた作業を前進させるために設置された平和条約締結問題日露合同委員会(両国の外相を共同議長とし、その下に次官級分科会を設置)が活発に活動し、経済分野でも「橋本・エリツィン・プラン」が着実に実施された。
 ハイレベルの政治対話としては、まず2月に小渕外務大臣が訪露し、プリマコフ外相、エリツィン大統領と会談した。エリツィン大統領との会談では、平和条約締結に関するクラスノヤルスク合意を再確認した。また、今後2年間に世界銀行との協調融資の形で15億ドル相当円程度の日本輸出入銀行のアンタイドローンをロシアに対して供与する意向を伝えた。
 4月にエリツィン大統領が訪日し、静岡県川奈で橋本総理大臣と打ち解けた雰囲気の中で「ネクタイ無し」の首脳会談を行った。この首脳会談では、97年のクラスノヤルスク会談で培われた両首脳間の個人的な信頼関係が一層深められた。平和条約交渉については、橋本総理大臣からエリツィン大統領に対して領土問題解決のための日本側の提案が示されたほか、「平和条約が東京宣言第2項に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けて日露の友好協力に関する原則等を盛り込むべきこと」で両首脳が一致した(川奈合意)。経済分野では、ロシアへの投資推進のために両国が協力して投資会社を設立することを検討することで一致し、また、引き続き「橋本・エリツィン・プラン」を拡充しつつ着実に実施していくことで一致した。
 その後も、5月のバーミンガム・サミットの際に日露首脳会談が行われ、5月、6月、7月には、G8外相会合やASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会合の機会にそれぞれ日露外相会談が行われるなど、ハイレベルでの「間断なき対話」が継続された。また、7月にはキリエンコ首相がロシアの首相として初めて訪日した。
 小渕総理大臣は就任直後にエリツィン大統領と電話会談を行い、政権交代後も日露関係の進展に向けた日本の対露政策には変更がないことを確認した。また、9月に橋本前総理大臣が内閣総理大臣外交最高顧問として訪露してエリツィン大統領と会談した。10月、高村外務大臣は、総理大臣訪露に先立って訪露したが、その際のイワノフ外相との平和条約締結問題日露合同委員会の共同議長間会合において、クラスノヤルスク合意及び川奈合意を日露共同発表の形で再確認し、また、就任直後のプリマコフ首相や貿易経済に関する日露政府間委員会のロシア側共同議長に新たに就任したマスリュコフ第一副首相とも会談した。
 11月、小渕総理大臣が日本の総理大臣として25年振りにロシアを公式訪問した。エリツィン大統領との間で行われた首脳会談の結果、両首脳は「日露間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言」に署名した。同宣言では、21世紀に向けて政治、経済、安全保障、文化、国際協力等、あらゆる分野において日露間の協力を一層強化し、日露関係を「信頼」の強化を通じて「合意」の時代へと発展させていくという両国の決意が謳われている。平和条約交渉については、4月に川奈で行われた日本側の提案に対するロシア側の回答が提示され、日本側がこれを持ち帰って検討し、99年の首脳会談までに検討結果を回答することとなった。また、両首脳は、東京宣言並びにクラスノヤルスク合意及び川奈合意に基づいて、平和条約を2000年までに締結するよう全力を尽くすとの決意を再確認し、交渉を加速することで一致した。さらに、平和条約締結問題日露合同委員会の枠内に国境画定委員会と共同経済活動委員会を設置することや、旧島民及びその家族による北方四島へのいわゆる自由訪問を実施していくことで一致するなどの成果を挙げた。また、小渕総理大臣は日露協力に関する以下の新しい施策を表明し、エリツィン大統領はこれを高く評価した。

  • 世界銀行との協調融資による15億ドルの輸銀アンタイド・ローンの枠内で8億ドルの融資を実施する
  • 「改革のための日露パートナーシップ」として知的・技術協力を抜本的に拡充する
  • 国民レベルの人的交流を抜本的に拡充するため、「日露青年交流センター」を設立する
  • 緊急医療協力として約1000万ドル相当の医薬品、医療機材を供与する

 同時に、日露投資保護協定や観光、環境等の分野での日露協力に関する覚書等、経済・実務関係の一連の文書が署名又は発表された。
 98年を通じて、これらハイレベルの政治対話と歩調を合わせつつ、夏川統合幕僚会議議長とクヴァシニン参謀総長の相互訪問や、捜索及び救難に関する自衛隊とロシア軍との共同訓練の実施等、両国間の防衛交流が一層進展した。また、北方四島周辺水域における日本漁船の操業に関する枠組み協定が署名され、同枠組みの下で操業が開始された。さらに、ロシアにおいて「日本文化祭98」が実施されるなど、様々な分野において日露間の協力が具体化され、強化された。

(3)日中関係

【日中間の対話】

 アジア太平洋地域の安定と繁栄の確保のためには、中国が国際社会においてより一層建設的なパートナーとなるよう働きかけつつ、あらゆるレベルでの交流拡大を通じて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和と繁栄にとって極めて重要な意義を持つ日中関係を一層発展させていかなければならない。こうした認識に基づき首脳レベルの交流を一層強化していくことが日中間で一致をみている。98年には、中国国家元首として初めて江沢民国家主席が訪日するなどハイレベルの交流を通じて両国関係の諸課題について率直かつ緊密な意見交換が行われた。
 江沢民国家主席の訪日は、中国国内の洪水対策の影響により当初予定されていた9月から11月下旬に日程が変更されたが、日中双方の努力により、日中平和友好条約締結20周年の記念すべき年に実現した。小渕総理大臣との首脳会談では二国間の政治・経済から国際情勢まで幅広い分野について率直で突っ込んだ意見交換が行われた。会談を踏まえて取りまとめられた日中共同宣言は、「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」に基づき、国際・地域情勢及び日中関係全般についての広範な共通認識に言及した。また、北京・上海高速鉄道、シルクロード文化遺跡の保存、人権、不拡散、治安・警察交流等を含めた幅広い具体的な日中協力の内容(33項目)を明らかにする共同プレス発表が発出され、環境保護や青少年交流を重点分野として日中協力を推進していくことが発表された。なお、江沢民主席は、東京での日程の後、新幹線で魯迅ゆかりの仙台を訪問し、さらに北海道では農業関連の視察等を行い、地元の人々との交流を行った。江沢民主席の訪日は、両国が共通の目標に向けて共に行動する枠組みを形成し、日中関係を長期にわたって安定化する上で極めて有意義であった。今後は、共同プレス発表で示された協力項目の実施等を通じて更に両国関係を発展させていくことが重要である。
 その他の要人往来については、江沢民主席訪日に先立ち、4月に胡錦濤国家副主席が訪日して各界との交流を深め、8月に日本側から高村外務大臣が訪中し、江沢民主席訪日準備を含め外相間で日中関係全般につき幅広い意見交換を行った。2月に遅浩田国防部長が訪日、5月に久間防衛庁長官が訪中、9月に張万年軍事委員会副主席が非公式に訪日するなど、ハイレベルの防衛担当者間の往来も実現している。同分野では、今後とも日中双方の関係者の一層活発な往来に努めるとともに、具体的な信頼醸成措置を積み重ねていくことが重要である。

【日中経済関係】

 日中間の貿易総額は約640億ドル(97年)に達している。中国は日本にとって第2位、日本は中国にとって第1位の貿易相手国の地位を占め、相互依存関係が深まっている。また、アジア経済危機との関連で人民元レートを含む中国経済への関心が高まる中、9月に東アジア経済に関する次官級の日中ハイレベル協議も実現した。日中両国の施策がアジア経済に与える影響は大きく、今後も、緊密な意見交換の継続が期待される。中国のWTO加盟については、97年にモノの貿易について実質的な合意が成立しており、中国は、サービス貿易分野での交渉を進めるべく努めている。
 対中経済協力では、11月に江沢民主席が訪日した際、第4次円借款の「後2年」分(注3)として、99~2000年度に計3900億円を目途とする円借款を供与することで一致をみた。
 漁業分野については、97年11月に署名した新たな日中漁業協定が98年4月末に国会の承認を得た。その後も、早期に同協定を発効させるべく両国間で協議を続けている。

(注3) 第4次円借款は96~2000年度の5年分。これを96~98年度分及び99~2000年度分に分けて、「前3年」及び「後2年」とそれぞれ称している。

【台湾との関係】

 日本と台湾の関係については、72年の日中共同声明に基づき民間の地域的な関係、すなわち非政府間の実務関係として維持されてきている。なお、10月に中台間の対話が再開したが、日本としては、台湾問題が当事者間で平和的に解決されることを希望する旨繰り返し表明してきている

【21世紀に向けて】

 72年の国交正常化から四半世紀余り、日中関係は全般的に急速な発展を遂げてきているが、同時に、両国は歴史的にも関わりの深い隣国であり、政治体制や国情も異なるため、交流が深化していく過程において種々調整を要する問題も生じている。
 日中間の懸案の一つである、中国における旧日本軍の遺棄化学兵器の問題については、早期処理に努めていく必要があり、東シナ海における大陸棚及び排他的経済水域の境界画定問題、海洋調査活動等を含む海洋法の問題については、引き続き解決に向けて協議を行っていく必要がある。また、江沢民主席訪日の際に改めて大きな関心を引いた歴史認識については、日中共同宣言の中で、双方が過去を直視し歴史を正しく認識するとの基礎の下で両国の友好関係を発展させていくことが確認されており、こうした基本的姿勢を堅固に維持していくことが重要である。なお、尖閣諸島をめぐる問題については、尖閣諸島が日本固有の領土であり、現にこれを有効に支配しているとの日本の基本的立場を踏まえて今後とも対処していく方針である。このような日中両国間の諸懸案に着実に取り組みつつ、若い世代を含む種々のレベルの交流を拡大しながら相互理解をより一層深め、国際社会の諸課題についても協力していく。これが日中両国国民に課せられた重要な課題である。

(4)朝鮮半島

【日韓関係】

  • 21世紀に向けたパートナーシップの構築
     過去の長い歴史を通じて交流と協力を維持してきた日韓両国は、65年の国交正常化以来各分野で緊密な友好協力関係を発展させてきた。このような歴史的なつながりを背景に新たな世紀に向けて日韓関係をどのように展望するかということが、98年を通じてハイレベルで模索された。2月に就任した金大中(キム・デジュン)大統領は、10月に国賓として日本を訪問し、天皇陛下とのご会見等皇室関連行事や国会演説を通じて日韓友好関係を内外にアピールするとともに、小渕総理大臣との会談では、過去・現在・将来にわたる日韓関係を鳥瞰した。その成果として、両首脳は「日韓共同宣言-21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名し、また、過去の問題に区切りをつけて21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップを構築することによって、両国関係を更に高い次元の友好協力関係に発展させていくことで一致した。11月に鹿児島で日韓閣僚懇談会が開催され、共同宣言は着実に実践されつつある。今後とも、共同宣言とこれに付属する政治・経済・文化等種々の分野にわたる行動計画の実施を通じ、未来志向の日韓関係が一層発展していくことが期待される。

  • 日韓経済関係
     韓国は、97年来の通貨危機に対応するためIMFプログラムの下で構造調整政策を進めているが、企業倒産や失業率の増加等、厳しい経済状況に直面した。日本はこれを支援するため、5月に日本輸出入銀行による10億ドル相当円の支援を実施したのに続き、10月の大統領訪日時には、更に30億ドル相当円の輸銀支援実施を表明した。また、韓国政府は、通貨・金融危機を教訓として、安定した外貨獲得、雇用機会の創出等のために外国人投資を積極的に誘致しており、種々の規制緩和を行っている。5月に総勢100人を超える日本の官民投資環境調査団が訪韓し、10月の大統領訪日時に官民合同の投資誘致団が来日した。また、12月に、日本から通産大臣、韓国から産業資源部長官が出席して官民合同の投資促進協議会が開催されるなど、日韓間で投資促進のための取組が活発化してきており、また、11月に行われた日韓閣僚懇談会では、日韓投資協定締結のための予備的協議を行うことで意見の一致をみた。

  • 日韓漁業関係
     新たな漁業協定の締結交渉は、4月末に再開され、金大中大統領の訪日までに決着を図るべく、累次にわたり断続的に行われた。その結果、9月下旬基本合意に至り、新協定は、11月28日に署名され、12月11日に国会の承認を得た。
     この協定は、日韓大陸棚北部境界画定協定に定める大陸棚の境界線を漁業に関する主権的権利を行使する水域の境界線(漁業暫定線)とし、その線の北部(日本海)及び南部(東シナ海)にそれぞれ暫定水域を設定することを定めるとともに、両国が、漁業暫定線及び暫定水域の自国側水域においては、漁獲を行う相手国漁船に対して操業許可及び取締りを行い、暫定水域においては、漁船の属する国が取締りを行い、日韓漁業共同委員会の協議を通じ資源管理を行うこと等を定めている。また、この協定の締結交渉を通じて、日韓の漁獲割当量を3年で等量とすること等が申し合わされた。

【日朝関係】

  • 日朝間の懸案事項
     日本は、第二次世界大戦後の不正常な関係を正し、朝鮮半島の平和と安定ひいてはアジア太平洋の安定と繁栄に資するとの観点から、米韓と緊密に連携しつつ北朝鮮との関係に対処していくとの方針である。
     日朝間の懸案事項の一つである日本人配偶者の故郷訪問は、これまでに2回実施されたが、3回目については6月に朝鮮赤十字会中央委スポークスマンが日本側の対応を理由に訪問の申請を取り消した旨発表し、実現していない。日本人拉致疑惑については、4月に国会において橋本総理大臣より北朝鮮最高指導者に対して問題解決に向けた真剣な対応を呼びかけたが、朝鮮赤十字会中央委員会スポークスマンは、日本捜査当局が北朝鮮に拉致された疑いがあると判断している7件10名の日本人は北朝鮮内には存在しないとの調査結果を発表した。このような北朝鮮側の対応は受け入れ難く、遺憾であり、政府としては、引き続き北朝鮮側の真剣な対応を求め、問題解決に向け最大限の努力を払う考えである。

  • 南北関係と四者会合
     2月に就任した金大中韓国大統領の対北朝鮮政策は、南北間の和解・交流を積極的に進めるものであり、同大統領は、「武力挑発は拒否する」、「吸収統一はしない」、「和解と協力を可能な分野から促進する」という3原則を示したほか、91年の南北基本合意書の重視、四者会合や朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)といった国際的なコミットメントの遵守、といった立場を示している。一方、6月に北朝鮮潜水艇の韓国東海岸侵入事件が発生し、7月に北朝鮮武装工作員の変死体がやはり韓国東海岸で発見され、12月に韓国南部に侵入した北朝鮮半潜水艇が韓国海軍により撃沈された。韓国政府は、北朝鮮半潜水艇侵入・撃沈事件発生後、直ちに国家安全保障会議を開催し、北朝鮮に対し、納得のいく説明、金大中政権に対する全ての挑発行為の即刻中止、板門店における将官級会談の速やかな開催を要求した。他方、これらの事件後も、金大中政権の対北朝鮮政策の基本は維持されている。また、6月、10月、12月の3度にわたり、鄭周永(チョン・ジュヨン)現代(ヒョンデ)グループ名誉会長が訪朝し、北朝鮮側に牛計1001頭等を贈与するとともに、北朝鮮南東部の景勝地である金剛山(クムガンサン)の観光開発に関する契約を北朝鮮側と締結した(二度目の訪朝の際には金正日総書記に面会。)。

  • 米朝関係
     米朝関係については、8月-9月に米朝協議が実施された。9月に発表された双方間の合意の主要点は、米朝ミサイル協議と米朝テロ協議の再開、米朝間の「合意された枠組み」の完全な履行の再確認、四者会合第3回本会談の開催及び北朝鮮の秘密核施設疑惑に関する真剣な議論の継続であった。この合意に従い、9月末に、寧辺(ヨンビョン)の実験炉において、北朝鮮による使用済み燃料棒の密封作業が再開され、また、9月末以降、米朝間でテロ協議、ミサイル協議、秘密核施設疑惑に関する協議が実施され、また、10月には四者会合第3回本会談が開催された。秘密核施設疑惑に関する米朝協議において、米側は、金昌里(クムチャンニ)における地下施設への深刻な懸念を表明し、この施設を徹底的に視察する必要があるとしたが、北朝鮮は98年の時点においてこれに応じていない。

  • 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)
     KEDOは、94年の米朝間の「合意された枠組み」を受けて、95年3月に日韓米三ヶ国が設立した国際機関であり、北朝鮮における軽水炉プロジェクトの資金手当て及びその供与、北朝鮮の黒鉛減速炉の運転及び建設を凍結することに伴う暫定的な代替エネルギーの供与等を目的としている。98年7月に、軽水炉プロジェクトの経費負担についてKEDO理事会メンバー(日、韓、米、EU)間で実質的な意見の一致が見られ、8月中にもKEDO理事会決議案が正式採択される予定であったが、8月31日の北朝鮮によるミサイルの発射を受けて、日本がKEDOの進行を当面見合わせることとしたため、採択は先延ばしとなった。日本は、その後KEDOは北朝鮮による核兵器開発を阻むための最も現実的かつ効果的な選択肢であるとの認識の下、10月21日にKEDOへの協力を再開し、KEDO決議案に署名した。同決議において所要経費見積は46億ドルとされ、日本は、1165億円(コミット時の10億ドル相当円)、韓国は「総経費の70%」を負担する意思を表明した。

(5)東南アジア

【ASEAN諸国]】

 東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は、現在深刻な経済困難に直面しているとはいえ、アジア太平洋地域の安定と繁栄の実現に重要な政治的、経済的役割を有している。こうした考えに基づき、98年を通じ、アジア太平洋地域の安定と繁栄の実現を目的として、日本とASEAN諸国の協力関係強化に向けて様々な取組が行われた。
 まず、アジア太平洋地域の平和と安定の確保という観点からは、ASEAN地域フォーラム(ARF)や二国間の安保対話、防衛交流を通じた取組が行われた。98年7月にフィリピンのマニラで開催されたARFの閣僚会合には、小渕外務大臣及び高村政務次官が参加し、インドとパキスタンによる核実験、アジア経済危機、東南アジア各国情勢等について意見交換が行われた。また、二国間の安保対話については、97年12月の日・ASEAN首脳会議で橋本総理がASEAN諸国との政治・安全保障対話を強化することを提案したことを受け、98年にタイとの間で安保対話と防衛定期協議が行われた。
 また、アジア太平洋地域の安定と繁栄のためには、97年の通貨危機以来厳しい経済状況にあるASEAN諸国の経済再生が必要不可欠である。こうした認識の下、7月のマニラでのASEAN拡大外相会議の際に行われた日・ASEAN外相会議、11月のAPEC首脳会議・閣僚会議、12月のハノイでの日・ASEAN首脳会議等の場で、アジア経済再生のための日本の努力として、アジアのGDPの3分の2を占める日本経済の再生への強い決意、並びに、できる限りのアジア支援を継続し、「連帯基金」等を通じた日・ASEAN協力を強化するとの意図を表明した(本章2.(3)参照)。特に、12月のASEANとの首脳会議で小渕総理は、21世紀に向けた日・ASEAN協力のためのイニシアティヴとして以下の4点を表明したが、このイニシアティヴはASEAN各国から高い評価と期待が示され、「小渕・ASEANイニシアティブ」としてその具体化を推進していくこととなった。

  • 21世紀に向けての対話と協力の促進(首脳レベルの対話の強化と「ビジョン2020-日・ASEAN協議会(賢人会議)」の設置)
  • アジア経済危機克服のための協力(新宮澤構想の具体化、3年間で6000億円を上限とする円借款の特別枠の創設等)
  • 人間の安全保障のための協力(ODAを活用した社会的弱者支援の拡充、「人間の安全保障基金」の国連における設置)
  • 知的対話と文化交流の推進(第2回「アジアの明日を創る知的対話」の開催等)

【カンボディア】

 日本は、80年代末以来、カンボディア問題を東南アジアにおける最大の不安定要因と位置づけ、カンボディア和平プロセスに積極的に関与してきた。特に、98年にはカンボディアにおいて総選挙が実施され、新政府が成立したが、この過程において日本は主導的役割を果たした。
 カンボディアは、憲法の規定上からも、また、97年7月の武力衝突後の情勢を正常化するためにも、98年に自由・公正な選挙を実施し、民主的な政府を樹立する必要があったが、同年初頭に国外出国中のラナリット殿下(前第一首相)の参加なしに選挙が行われるのではないかとの懸念が国際的に高まっていた。こうした中、日本は事態打開のための4項目提案(注4)を行い、2月には高村外務政務次官がカンボディア及びタイを訪問し、フン・セン第二首相及びラナリット殿下にこの提案について働きかけた。この結果、両当事者が日本の提案を受け入れたため、3月にラナリット殿下が帰国し、7月の選挙に参加することとなった。日本は、カンボディア政府の要請に応え、投票箱、投票所機材等の購入や投開票スタッフ手当等のための資金協力に加え、短期国際監視員32名と専門家1名を派遣する等、人的支援も行った。
 7月26日に実施された選挙では、人民党(64議席)、フンシンペック党(FU党、43議席)及びサム・ランシー党(15議席)が国会に議席を獲得した。この選挙は、日本を含む国際監視団により、「概ね自由・公正」に行われたと評価されたにもかかわらず、サム・ランシー党及びFU党は、選挙後、選挙結果を拒否する抗議行動を行った。これに対し、日本はカンボディアの全指導者に対し、カンボディア国民の意思である選挙結果の尊重と早期の新政府の樹立、及びシハヌーク国王の下での協力を繰り返し呼びかけた。また、10月には町村外務政務次官がカンボディアを訪問し、人民党指導者に対しては連立政権樹立に向けた粘り強い努力を、またシハヌーク国王に対しては事態打開のためのリーダーシップの発揮を求めた。
 11月、国王によるリーダーシップの発揮によりラナリット殿下が帰国し、国王主宰の下で人民党とFU党との間で連立政権樹立等も合意された。この合意を受け、11月30日に新政府(フン・セン氏が首相)が樹立された。これらの動きを受けて、12月には国連代表権の回復やASEAN加盟の決定等が実現し、カンボディアの国際社会復帰は着実に進展した。また、同月行われたASEANとの首脳会議に出席した小渕総理大臣はフン・セン首相(オブザーバーとしてASEAN公式首脳会議に参加)と会談し、99年2月に東京でカンボディア支援国会合を開催し、その際フン・セン首相を東京に招待したい旨伝達した。

(注4) 4項目提案
-ラナリット殿下とポル・ポト派との軍事協力関係の中止
-政府軍とラナリット派軍との即時停戦
-ラナリット殿下の裁判の早期実施と国王による恩赦付与
-ラナリット殿下の選挙参加


   4.グローバルな取組-国際連合
 冷戦時代には東西対立が国連の場にも現われ、国連はその第一の目的である国際の平和と安全の維持に必ずしも十分な役割を果たすことができなかった。しかし、冷戦の終結に伴い、安全保障理事会が本来の機能を果たし得るような状況が生まれ、また、開発の問題についても、冷戦下の南北対立を脱却した真のパートナーシップに基づく国連の取組が可能な状況となっている。
 冷戦終結後、世界規模の紛争が発生する可能性は低下したが、地域的紛争は頻発しており、紛争発生後の対応のみならず、紛争の防止と紛争後の平和回復のための対策の強化が急務となっている。また、紛争の根底には貧困を始めとする経済的・社会的問題があり、これらの問題を避けては真の紛争解決は望めない。こうした状況の下で平和と開発の問題が密接に関わるものであることに留意しつつ、両者を視野に入れた包括的な対策を国連等の場で講じていく必要がある。また、環境破壊、国際組織犯罪、薬物、感染症といった、「人間の安全保障」を脅かす問題が地球規模でより深刻化していることから、国連を中心とする国際社会の一致した取組の必要性が増しており、国連に対する期待が一層高まっている。
 日本は、56年に国連に加盟して以来、常に国連の目的と原則を遵守し、一貫して国連重視を外交方針の柱の一つに掲げて国連の活動全般に寄与してきた。98年は、引き続き安保理非常任理事国として各種の地域情勢を始めとする安保理での審議に積極的に取り組んできたが、特にイラクの国連査察拒否問題、インド・パキスタンの核実験、北朝鮮のミサイル発射問題に関して安保理における意見の取りまとめにイニシアティヴを発揮した。

【グローバルな取組の強化と国連改革の必要性】

 国際環境が大きく変化し、国連の果たすべき役割への期待が高まるにつれ、国連は21世紀の課題に十分応えるべくその機能強化を迫られている。国連改革の問題については、国連総会の下に設置された各種作業部会などで議論が行われてきているが、日本は、平和と開発の問題が相互に密接に関わることから、安保理改革と開発面での改革、またそれを支える財政面での改革の3つの分野が均衡のとれた形で進められることを主張してきている。また、アナン事務総長は、懸案の国連改革をも念頭に置きつつ、9月の総会での演説の中で、西暦2000年に開催される「2000年総会(Millenium Assembly)」において、21世紀の国連の役割とあり方を見直すことを提案している。日本は、引き続きこれらの議論に積極的に貢献していく考えである。

【安保理改革】

 冷戦後の安保理は、伝統的な安全保障の分野のみならず、紛争の防止や紛争後の状況の安定化に向けて、人道、人権等の分野でも重要な役割を担うに至っている。これは、政治・安全保障面のみならず、経済・社会分野においても幅広く貢献できるような資質が安保理メンバーに求められていることを示しており、安保理改革に当たっては、これら様々な面でグローバルな貢献を行い得る新たなメンバーを加え、安保理の作業方法等を改善していくことが必要となっている。安保理改革については、94年1月以来、「安保理改革に関する作業部会」等の場において集中的に議論されてきている。これまでの議論を通じて、安保理の実効性と正統性を向上させるために常任・非常任理事国双方の議席の拡大が必要であることについては概ね各国の意見の一致があり、運営方法の改善や透明性の向上を図る方法についても議論は進展してきている。また、日独の常任理事国入りについては幅広い支持が得られている。しかし、依然として、拡大後の安保理の規模(現在は15)、新常任理事国への拒否権付与や現在の常任理事国の拒否権維持の是非、途上国からの新常任理事国の選出方法(日独のみが新常任理事国となることについては途上国を中心とした抵抗が強い)などの問題を中心に議論が継続している。日本は、グローバルな責任を担う能力と意思を有する限定された数の国を新たに常任理事国に加え、安保理の機能を強化することや非常任理事国の議席数の適当な増加により安保理の代表性を強化することの必要性等を主張するとともに、既に5年間議論されてきているこの問題に対する各国の政治的決断の必要性を訴えるなど、議論の進展に向けて積極的に取り組んできている。9月の国連総会での演説において、小渕総理大臣は、国連が様々な課題に有効に対処し得るよう、国際社会全体の利益に適う包括的合意の早期成立に向けて各国の英断を呼びかけるとともに、憲法の禁ずる武力の行使は行わないと言う日本の基本的な考えの下で、多くの国々の賛同を得て安保理常任理事国として一層の責任を果たす用意があるとの従来よりの立場を改めて表明した。

【開発分野の改革】

 先進国と途上国の「グローバル・パートナーシップ」に基づく冷戦後の新しいアプローチを通じて開発問題に効果的に取り組む必要があるとの認識の下、日本は「新たな開発戦略」(注5)を提唱してきており、また、国連諸機関間の円滑な連携を図る改革の必要性を主張している。日本は、この戦略を国連において根付かせるため、6月に開発協力に関する国際シンポジウム及び新開発戦略に関する東京会議を開催したほか、10月に日本が国連等と共催した第2回アフリカ開発会議(TICAD II)において、アフリカ諸国の開発問題にこの戦略を活かす方途を探った(本章2.(5)参照)

(注5) この戦略は、第一に、途上国の開発問題への主体的な取組(オーナーシップ)に対して先進国、国際機関、非政府組織(NGO)等が協調して支援を行うこと(パートナーシップ)、第二に、開発のためにはODAだけではなく貿易、投資等様々な手段を総合的に組み合わせるとともに(包括的アプローチ)、国毎の発展段階等状況に最適な政策を策定・適用すること(個別的アプローチ)、第三に投入した資金量ではなく数値化された開発目標(乳幼児死亡率、識字率等)の達成を目指すことを基本としている。

【財政分野の改革】

 財政面では、国連は、米国を始めとする幾つかの加盟国の分担金滞納などにより引き続き深刻な状況にある。日本の分担率は、99年には19.984%、2000年には20.573%となるが、加盟国中第2位の拠出国である日本が国連において果たす役割への期待は高く、国連行財政諮問委員会(ACABQ)選挙でも日本からの候補者が多数の支持票を集めて当選した。一方、滞納金の解消、分担金負担の衡平化は引き続き重要な課題であり、国連の活動を効果的かつ効率的なものとする観点から、日本としては、今後ともこの分野における改革を推進していく考えである。

【国際刑事裁判所】

 国際刑事裁判所は、国際社会にとって最も深刻な罪(集団殺害罪、人道に対する罪、戦争犯罪等)を犯した個人を国際法に基づき訴追し、処罰するための常設の国際刑事法廷であり、その設立は、今世紀の国際社会にとって大きな課題であった。95年以降、国連にて裁判所の設立条約草案につき各国の間で検討が行われてきたが、98年6月から7月にかけてローマで行われた外交会議において、裁判所の設立条約が賛成多数で採択された。日本としては、国際社会における最も深刻な犯罪の発生を防止し、もって国際社会の平和と安全を維持する観点から早期に同裁判所が設立されるよう、起訴手続規則の作成等、今後予定される関連の作業に引き続き積極的に取り組んでいく考えである。