第2章 各論-分野ごとに見た国際情勢と日本外交

第1節 平和と安定の確保
   1.日本の安全の確保

    (1)総論‐日本の安全保障政策の三つの柱

 冷戦後の国際社会には、様々な流動的要素が存在している。また、日本を取り巻くアジア太平洋地域は、政治的・社会的な安定性を高めてきているものの、核戦力を含む大規模な軍事力の存在や、多数の国による軍事力の拡充・近代化、朝鮮半島における緊張の継続等、依然として不透明・不確実な要素が残されている。
 このような安全保障環境の中、日本は、(イ)日米安全保障体制の堅持、(ロ)適切な防衛力の整備、(ハ)国際の平和と安全を確保するための外交努力、という三つの柱からなる安全保障政策を推進している。
(イ)日米安保体制(下記(2)参照

(ロ)防衛力の整備
 日本は、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、節度ある防衛力の整備に努めている。この基本方針に則り、95年11月、「防衛計画の大綱」(76年10月29日国防会議・閣議決定)が19年振りに見直され、「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」(新防衛計画大綱)が安全保障会議及び閣議にて決定された。

(ハ)国際の平和と安定を確保するための外交努力
 国際的な相互依存が深まりつつある今日、日本の安全と繁栄は、アジア太平洋地域、ひいては世界全体の平和と繁栄と不可分一体に結びついている。このような観点から、日本の安全と地域の平和と安定を確保していくためには、この地域における米国の存在を前提としつつ、(a)個々の紛争・対立の解決を図り、地域の安定を図っていくための二国間ないし関係国間の対話と協力、(b)アジア太平洋全域における、各国相互の政策の透明性と安心感を高めるための政治・安全保障対話及び協力、(c)域内各国の経済発展への支援・協力を通じた地域の政治的安定性の増大といった、様々なレベルでの努力を積み重ねていくことが重要である。北東アジアにおける二国間対話としては、94年から日中安全保障対話が開催され、97年12月には北京で第5回会合が開催された。また、この地域の関係国間の協力としては、北朝鮮の核問題解決のための日米韓を中心とする協力があるが、今後は中長期的観点から北東アジア地域の安定に向けた話合いを行っていくことも重要である。また、全域的政治安保対話については、94年からASEAN地域フォーラムにおける対話が進められている(ARFについては、第1章2.(6)参照)。
 以上に加え、平和維持活動(PKO)等による地域紛争への取組、軍備管理・軍縮、不拡散への努力、欧州との安全保障面での対話・協力なども、日本を含めた世界の平和と安定の確保に貢献するという観点から重要であり、引き続き積極的に取り組んでいく必要がある。

    (2)日米安全保障体制

(A)日米安全保障体制の意義
 冷戦終結にもかかわらず、アジア太平洋地域には依然不安定性が存在する。このような情勢の中、日本が必要最小限の防衛力を保持するとの政策の下、平和と繁栄を享受していくためには、今後とも日米安保条約に基づく米国の抑止力が必要である。さらに、日米安保体制は、国際社会における広範な日米協力関係の政治的基盤となっているとともに、アジア太平洋地域全体の安定要因である米国の存在を確保しており、この地域の平和と繁栄にとってその重要性はますます高まっている。
日米間においては、このような認識に基づき、日米安保体制を効果的に運用し安全保障面での協力を進めていくため、様々なレベルで緊密な対話と意見交換を行ってきた。96年4月には、日米首脳により日米安全保障共同宣言(「共同宣言」)が発出され、日米安保体制の重要性が改めて確認されるとともに、防衛協力を強化すること(下記(B)及び(C)参照)、及び在日米軍施設・区域に関連する問題に積極的に対応すること(下記(D)参照)が確認された。

安全保障に関する日米間の協議の場(97年末現在)

日米安全保障協議委員会(「2+2」)(9月) (B)新たな日米防衛協力のための指針の公表
 「共同宣言」では、日米両国間に既に構築されている緊密な協力関係を増進するため、78年に作成された日米防衛協力のための指針(「指針」)の見直しを開始することが表明された。日米両国政府は、96年6月、「指針」の見直しを行うため、日米安全保障協議委員会(SCC、「2+2」)の下部機構である防衛協力小委員会(SDC)を改組した。SDC等における約1年余の緊密な協議の過程においては、透明性の確保が重視され、96年9月に「日米防衛協力のための指針の見直しの進捗状況報告」が、97年6月には「日米防衛協力のための指針の見直しに関する中間とりまとめ」が公表された。日米間の精力的な作業の結果、97年9月23日(現地時間)にニュー・ヨークで開催されたSCCにおいて、新たな「指針」が公表された。
 新たな「指針」は、日米防衛協力の大枠及び方向性を示すものであり、いずれの政府にも立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づけるものでない。新たな「指針」及びその下での取組は、日本の憲法上の制約の範囲内において、日米安保条約の権利・義務や日米同盟関係の基本的枠組みを変更せずに行われるものであり、また、国際法の基本原則及び関連する国際約束に合致するものである。新たな「指針」は、以上のような基本的な前提及び考え方の下、(イ)平素から行う協力、(ロ)日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等、(ハ)日本周辺地域における事態で日本の平和及び安全に重要な影響を与える場合(「周辺事態」)の協力、について、その基本的な考え方や具体的なあり方を述べている。特に、「周辺事態」における協力については、非戦闘員退避活動や後方地域支援等の機能及び分野における協力の具体的な項目例が新たな「指針」の別表に示されている。新たな「指針」については、関心を有する諸国に対し日米両国から既に説明を行っており、おおむね好意的な反応を得ているが、今後もその趣旨や目的について内外に対し必要に応じ説明していくことが重要である。
 9月29日には新たな「指針」について閣議報告が行われ、その際、その実効性確保について閣議決定が行われた。現在、閣議決定の趣旨を踏まえ、法的側面を含めた国内体制の構築に向けて検討が進められている。

(C)技術・装備面での日米の防衛協力
 日米の防衛技術交流を更に進めることは、日米安保体制の効果的な運用を確保する上で重要な課題である。現在、ダクテッドロケットエンジン、先進鋼技術、戦闘車両用セラミック・エンジン、及びアイセーフ・レーザー・レーダーの4案件の共同研究が進められている。また、航空自衛隊の次期支援戦闘機(F-2)については、47機の共同生産についての取極が日米政府間で締結された。  弾道ミサイル防衛(BMD)は、日本の防衛政策上依然重要な検討課題である。その導入の可否についての政策判断を行うため、日米間で事務レベルの検討が続けられている。

(D)沖縄県における米軍施設・区域の扱い
在日米軍の活動が施設・区域の周辺住民に与える影響をいかに小さくするかという問題は、日米安保体制を円滑に運用していく上で大きな課題である。特に、在日米軍の施設・区域が高度に集中している沖縄県民の負担を軽減することが極めて重要であるとの認識に立ち、日米両国政府は、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」における検討作業の結果、96年12月に最終報告をとりまとめ、一定の条件の下で、普天間飛行場、北部訓練場等11の米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めるとともに、地位協定の運用を改善する等種々の措置に取り組むこととした。これが実施されれば、沖縄の米軍施設・区域全体の約21%(約5,000ヘクタール)が返還されることとなり、現在、政府は、この最終報告の実現に向けて最大限の努力を払っている。土地の返還以外の措置については、すでに航空機騒音対策、損害補償手続の改善、事件・事故通報手続の改善、米軍施設・区域への立入り手続の明確化、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練の本土移転、嘉手納飛行場における遮音壁の建設に関する日米合同委員会合意等の措置を着実に実施している。また、SACO最終報告においては、普天間飛行場を返還し、同飛行場の代替施設として海上施設を沖縄本島の東海岸沖に建設することとなっている。これを受けて、政府は、キャンプ・シュワブ沖の水域(名護市沿岸に所在する米軍の施設・区域)において事前調査を実施し、その結果等を基に「海上へリポート基本案」を作成し、地元に提示した。政府としては、この海上へリポート案は、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配慮するとの観点から、現時点における最良のものと考えており、沖縄県を始めとする関係自治体の理解と協力を得るべく努力している。この関連で名護市においては、12月21日に「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」が実施され(投票率は約82%)、ヘリポート建設に対する賛成票が約46%、反対票が約54%という結果であった。一方、12月24日、比嘉名護市長は橋本総理大臣と会談し、海上へリポート建設受け入れを表明するとともに、市長辞任を表明した。
 また、政府は、96年9月に、沖縄地域の振興開発について県の要望を聴取し協議する場として、「沖縄政策協議会」を設置し、全省庁を挙げて基本的な沖縄振興策づくりに取り組んでおり、現在、同協議会において、広範囲にわたる具体的事業が検討されている。さらに、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」が96年11月にとりまとめた、米軍施設・区域が所在する市町村が抱える困難を緩和するための施策等からなる提言については、現在、政府がその実現に向け逐次予算化を図っている。また、外務省は、97年2月に沖縄担当の大使を長とする出先機関を沖縄に設置し、同大使は日米地位協定の運用等米軍の駐留に関する関係市町村の意見や要望を聴くとともに、在沖縄米軍との協議等を行っている。
 沖縄県に所在する米軍施設・区域内の民公有地のうち、駐留軍用地特別措置法に基づき使用している土地は97年5月に使用期間が満了することとなっていたが、同法の手続に基づく沖縄県の土地収用委員会の裁決が使用期限までに得られる見通しが立たなくなった。政府は、施設・区域の提供という日米安保条約上の日本の義務を果たしていくため、駐留軍用地特別措置法の改正案を国会に提出し、97年4月、同改正法が成立した。これにより、5月以降、収用委員会の裁決により使用権原を取得するまでの間、政府が土地を暫定使用することが可能となり、米軍による施設・区域の安定的使用が確保された。

   2.軍縮・不拡散及び対人地雷問題

    (1)軍備管理・軍縮の促進と不拡散体制の強化

 冷戦終結後も、核兵器を始め化学兵器及び生物兵器等の大量破壊兵器の拡散の危険は依然として存在しており、これらの軍備管理・軍縮及び不拡散体制の強化が国際社会全体が取り組むべき課題となっている。

(A)核兵器及びその他の大量破壊兵器

[核軍縮]

 日本は、核兵器のない世界の実現を目指して現実的な核軍縮措置を着実に積み重ねる努力を行っている。
 2000年に予定されている核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けての第1回準備委員会が97年4月にニュー・ヨークで開催され、再検討会議に向けた準備過程が開始された。日本も、「NPT延長後の核軍縮セミナー」(96年12月)を開催するなど、この準備過程の円滑な開始を支援した。
 96年に国連総会で採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)については、97年12月31日現在149か国が署名済みであるが、発効の見込みは立っておらず、日本としても、同条約の発効に向け関係国とともに最大限の努力を行っていく方針である。

大量破壊兵器、ミサイル、通常兵器及び関連物資等の軍縮・不拡散体制の概要

[核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議]

 日本は、94年以来、国連総会に「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議」を提出してきたが、97年の第52回総会でも引き続きこれを提出し、賛成156、反対0、棄権10の圧倒的多数を得て採択された。この決議は、この1年間の核軍縮・不拡散分野における動きを踏まえた上で、96年の決議を更に進め、核兵器の廃棄に関する努力を歓迎するとともに、その結果生じる核分裂性物質の安全かつ効果的な管理の重要性を指摘している。特に97年の総会では、94年以来初めてすべての核兵器国(米、英、露、仏、中)の賛成を得たが、この決議がこうした広い支持を得て採択されたことは、核兵器のない世界を目指して現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要であるとの日本の考えが、広く国際社会に受け入れられていることを示すものである。

[非核地帯をめぐる動き]

 3月27日、カンボディア及びシンガポールが「東南アジア非核兵器地帯条約(95年署名)」の批准書を寄託し、条約の発効に必要な7ヶ国の批准書の寄託が実現したことから同日、同条約が発効した。しかし、核兵器国による同条約議定書への署名の見通しは立っていない。

[米露間の核軍縮と日本の貢献]

 現在、第1次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)に基づき、米露それぞれの戦略核弾頭の配備数を2001年までに6000以下にするための作業が進んでいる。これを更に2007年までに3000ないし3500に削減しようとする第2次戦略兵器削減条約(STARTII)は、ロシアが未批准であるため、これまでのところ発効していないが、97年3月に米露両国は、STARTIIが発効次第、各々の戦略核弾頭の配備数を2007年までに2000ないし2500に削減する等の内容を含むSTARTIIIの交渉に入ることについて、共通の理解に達した。
 日本は、STARTの実施を促進するため、米国とも協力しつつ、ロシアなど旧ソ連諸国による核兵器廃棄等の支援を積極的に進めているところである。

化学兵器禁止機関第1回締約国会議において演説する高村外務政務次官(5月) [化学兵器禁止条約]

 化学兵器の廃絶を目指す化学兵器禁止条約(CWC)は、4月29日に発効した。これを受け、5月にはハーグ(オランダ)において第1回締約国会議が開催され、ブスターニ事務局長(ブラジル)を長とする技術事務局を設立するとともに、予算を始めとする行財政問題、検証手続などを審議した。また、技術事務局は、締約国からの申告を受け、6月より申告を確認する冒頭査察を締約国に対し実施している。なお、11月にロシアなどが批准書を寄託した結果、12月現在の締約国は、国連安保理の全常任理事国を含む105ヶ国となった。

[生物兵器禁止条約]

 生物兵器禁止条約(BWC)は、生物兵器、毒素兵器の開発、生産、貯蔵、保有等を包括的に禁止するが、科学兵器禁止条約と異なり、検証規定が存在しない。このため、91年以降条約を強化するための作業が開始され、94年9月新たに設置された専門家グループが、95年1月以降「検証措置を含めた新たな法的枠組み」の作成作業に着手した。現在、2001年までのできるだけ早期に作業を妥結するよう審議を重ねている。なお、12月末現在の締約国は140ヶ国である。

[大量破壊兵器及びミサイルの不拡散のための輸出管理体制]

 大量破壊兵器等の不拡散のためには、単にその保持を禁止するのみならず、新たな取得を防止するための輸出管理体制を整備することが重要である。このような観点から、核兵器、生物・化学兵器及びその運搬手段となるミサイルについては、これらの兵器の製造に使用されうる関連物資と技術に関する国際的な輸出管理体制の下で協調した規制を行っている。核関連品目についてはロンドン・ガイドライン(注)に基づく原子力供給国グループ(NSG:35か国)が、生物・化学兵器関連品目についてはオーストラリア・グループ(AG:30か国)が、ミサイル関連品目についてはミサイル輸出管理レジーム(MTCR:29か国)が存在している。日本はこれらの国際的な輸出管理レジームに積極的に関与しており、特に、MTCRについては、議長国として、97年11月に全体会合を東京において開催した。

注:原子力専用品についてはロンドン・ガイドライン・パート1で、原子力・非原子力の両分野に使用される品目については同パート2で規制されている。

(B)通常兵器

[国連軍備登録制度]

 国連軍備登録制度は、日本などのイニシアティブにより、軍備の透明性と公開性を向上させることを目的として92年1月に発足した。この制度の下で、毎年90ヶ国以上が、戦車、戦闘機などの7種類の主要な兵器の輸出入数量等を報告している。日本は、この制度に未だ参加していない諸国への働きかけ等を通じ、その運営に大きな役割を果たしている。また、この制度においては、軍備保有や国内生産を通じた調達に関するデータの提供は求められていないが、日本は、これも自発的に提供し、制度の更なる充実に向けて関係国とともに努力している。

[小火器問題]

 自動小銃などの小火器は、紛争地域で大量に使用され一般市民の間にも被害を及ぼしたり、紛争終了後の開発を妨げたりしているにもかかわらず、これまで特段の措置がとられてこなかった。日本はこうした小火器問題に積極的に取り組むため、国連事務総長の下に専門家会合を設置することを求めた決議案を95年の国連総会で提案し圧倒的な支持を得た。この国連決議により設立され、日本の堂之脇外務省参与が議長を務めた国連小火器政府専門家会合は、97年8月、20項目の勧告を含む報告書をアナン事務総長に提出した。97年の国連総会は、この報告書の勧告を承認し、勧告の実施を進めるため日本が提出した決議案を圧倒的多数で採択した。今後はこの国連決議に基づき、新たな政府専門家グループが設置されるほか、小火器に関する具体的な研究や国際会議の開催など小火器問題の解決に向けて更なる取組が行われることとなっている。

[通常兵器及び関連品目の輸出管理体制]

 94年3月にココム(旧共産圏に対する戦略物資及び技術の輸出規制を目的とした輸出規制委員会)が解消された後、2年以上にわたる協議を経て、96年7月、「ワッセナー・アレンジメント」 (注) が、通常兵器及び関連汎用品・技術に関する新たな国際的輸出管理体制として発足した。
 旧ココムが旧共産圏諸国という特定の規制対象を持っていたのに対し、ワッセナー・アレンジメントは、特定の地域を対象とするものではなく、地域の安定を損なうおそれのある通常兵器の過度の移転と蓄積を防止することを目的としている。また、規制対象物資の輸出のために他の参加国の承認を必要としたココムとは異なり、ワッセナー・アレンジメントの下では、管理対象品目の移転等に関する情報交換を行い、各国が責任ある輸出管理を行うことになっている。
 ワッセナー・アレンジメントの参加国は日本、米国、欧州諸国、韓国など33か国であるが、旧ココムの規制対象国であったロシア及び東欧諸国も参加している。日本は、冷戦後の国際社会における通常兵器移転の問題への取組を重視し、ワッセナー・アレンジメントの発展のために積極的な役割を果たしてきている。

注:協議が行われてきたオランダの地名にちなんだ名称

[第三国の輸出管理の整備・強化への協力]

 国際的な輸出管理の実効性を高めるため、上記の輸出管理レジームなどは、レジームの非参加国に対しても、輸出管理制度の整備・強化を呼びかけている。日本も、アジア諸国やNIS諸国に対し、セミナーや研修などの実施を通じて、輸出管理分野での協力、対話を進めている。

    (2)対人地雷問題

 カンボディアやアフガニスタンに見られるように、紛争時に埋設され放置されている対人地雷は一般市民に無差別な被害を及ぼしている。国連によれば、放置された対人地雷は世界で1億1千万個以上にものぼり、毎月2千人以上の一般市民が死傷していると言われている。このような事態は、人道上極めて重大な問題であるのみならず、紛争が終結した後の復興にとっても大きな障害となっていることから、対人地雷問題は、国際的に緊急の課題となっている。
 このような中、97年には対人地雷問題に対する国際社会の関心がかつてない高まりを見せ、対人地雷の全面禁止を達成しようとする規制面での取組と、既に埋設されている対人地雷の除去活動やその被害者への支援を強化するという人道面での取組の両面において、大きな進展が見られた。

【対人地雷の禁止】

 対人地雷の規制の強化は以前から国際的な課題として取組がなされてきており、93年から95年にかけて対人地雷の輸出停止を求める国連決議が毎年コンセンサスで採択されてきたほか、96年5月には地雷の使用制限を強化し移譲制限を導入するために特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の議定書Ⅱを改正する議定書が採択され、日本は97年6月に同議定書を締結した。
 このような規制を更に強化し、全面禁止を達成しようとする国際的世論が一層の高まりを見せる中で、96年10月のオタワにおけるカナダ主催会議により開始されたいわゆるオタワ・プロセスにおいては、国際地雷禁止キャンペーン(ICBL)等のNGOの活発な活動を背景として、対人地雷全面禁止条約の作成作業が急速に進展した。こうして、対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等を禁止し、また、廃棄等を義務付けるいわゆる対人地雷全面禁止条約が、97年9月にオスロで開催された外交会議において採択された。この条約の署名式は12月3日及び4日にオタワにおいて行われ、日本からは小渕外務大臣が出席し、条約に署名した。署名式終了時点における署名国数は121か国にのぼった。  この対人地雷全面禁止条約には米国、ロシア、中国といった主要国が安全保障上の理由等から署名しておらず、引き続き、普遍的かつ実効的な対人地雷の禁止を実現していくことが国際的な課題となっている。今後、この条約の普遍化を進めるとともに、対人地雷の主要な生産、輸出国等を取り込んだ対人地雷禁止の実現のため、日本は、ジュネーヴ軍縮会議においても普遍的かつ実効的な合意文書の作成に向けた交渉を早期に開始するため関係国と協力している。

対人地雷全面禁止条約に署名する小淵外務大臣(12月) 【対人地雷の除去・犠牲者支援】


 日本は、97年3月に、地雷除去及び犠牲者支援といった対人地雷問題の人道的側面への国際的取組を強化する方策を検討する初の包括的な会議として「対人地雷に関する東京会議」を主催した。
 この東京会議では、対人地雷問題が人道問題のみならず、平和と安定の維持、復興開発への障害と位置づけられ、犠牲者ゼロを対人地雷問題への国際社会の取組の目標として掲げるガイドライン(東京ガイドライン)が策定された。具体的には、(A)被埋設国の主体性の重視、並びに、支援国、国際機関及びNGOによる連携の強化、(B)国連の支援調整機能の強化、(C)より安価で安全かつ効率的な技術の開発、(D)包括的な犠牲者支援プログラムの支援等を内容としている。
 東京ガイドライン実践のために、日本は、98年以降5年間を目処に総計100億円程度の支援をODAで行うことを決定し、11月27日の日加首脳会談の際に橋本総理大臣より発表した。今後、地雷除去関連機材の供与、義肢製作や被害者のリハビリ等についての技術協力、医療やリハビリ等にかかわる施設や機材の供与、国連等に対する拠出金を通じた国連の地雷問題担当部門の強化、カンボディアが98年10月に予定している被埋設国間の経験を共有するための会議開催の支援等を行う方針である。また、こうした協力の一環としてNGOを通じた支援も引き続き実施していく予定である。
 この関連で、対人地雷問題への取組を更に強化するための措置の一環として、人道的な対人地雷除去活動に必要な機材等の輸出については、一定の条件の下でこれを武器輸出三原則等によらないこととする旨の決定を行い、12月2日、内閣官房長官談話にて発表した

   3.地域の平和と安定に向けた取組

    (1)国連平和維持活動(PKO)

【PKOを巡る議論】

 国連平和維持活動(PKO)は、旧ユーゴーやルワンダで見られたような大規模な派遣が行われなくなったことや、従来から活動しているPKOが徐々に派遣規模を縮小する傾向にあることに伴い、派遣要員の総数は最大時の約5分の1(97年12月31日現在で14879名)に減少した。また、97年に実施された国連PKOは、グァテマラにおいて人権監視ミッションから派生したPKOを除き、いずれも従来から活動していたPKOを継承するものであり、新たな地域における新規PKOの設立は行われなかった。こうした国連PKOをめぐる環境の変化や旧ユーゴー、ソマリアの国連PKOにおける苦い経験も踏まえ、ここ数年はむしろPKOの質的向上を図る動きが見られる。
 特に、アフリカ諸国のPKO能力の向上については、5月に英、米、仏の三国が、アフリカ諸国及び主要援助国等の間の調整を行うことを目的とする共同イニシアティブを打ち出し、その後国連の場において非公式会合が行われるなど関係国の間で調整が進められている。
 また、PKOの緊急展開能力の向上についても検討が続いている。従来よりあった国連待機部隊制度は、派遣するか否かの最終的決定権は各派遣国に委ねられているため、緊急にPKOを展開又は拡大する必要がある場合の制約要因となっているとの指摘があり、これを補完するための方策として登場したのが「緊急展開司令部」構想である。これは、常時国連に待機している要員と、各国に待機している要員とが、PKO設立時に先遣隊として現地入りし、PKO立ち上げのために必要な作業の中核を担うというものである。しかしながら、要員の経費など財政的手当の問題が解決していないことから、引き続き国連にて検討中であり、具体化されてはいない。

【日本の協力】

 日本は、92年の「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)」施行後、アンゴラ、カンボディア、モザンビーク、エル・サルヴァドルのPKOに参加してきており、現在は、中東地域の平和と安定に向けた包括的取組の一環として96年2月からゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に自衛隊輸送部隊等45名を派遣している。UNDOFへの要員派遣は、当初2年を目途に開始されたが、同PKOの重要性に鑑み、98年2月以降も更に2年を目途に派遣を継続することとなった。その活動ぶりについては現地司令官を含む国連関係者及び派遣先国から高く評価されている。  また、国際平和協力法は95年8月に施行後3年を迎えたことから、同法附則に基づき、いわゆる法律の見直し作業が開始された。この法律見直し作業では、これまでの派遣の教訓や反省を踏まえて、関係省庁により、法律改正案の具体的内容が検討されており、(1)武器の使用を、原則として現場にいる上官の命令によるものとすること、(2)国連PKOとしての選挙監視活動に類する国際的な選挙監視活動に対しても円滑・適切な協力が行えるようにすること、(3)人道的な国際救援活動に対する物資協力につき停戦合意を要件としないこと、の3点に関して改正を図る方向で検討中である。

国連平和維持活動(PKO)(98年2月現在)

    (2)難民問題

 世界の難民数は、冷戦終結後、民族的、宗教的紛争が各地で表面化したことにより、90年代に入って急増し、95年には3,000万人に達したが、その後はインドシナ難民問題の収束、大量のモザンビーク難民及びルワンダ難民の帰還により減少傾向に転じ、97年1月現在では約2,600万人となっている。ただし、世界各地に滞留する難民および紛争などのためにやむなく居住地を離れ流浪する大量の国内避難民の存在は、人道上の問題であると同時に、関係地域ひいては世界全体の平和と安定に影響を及ぼしかねない地球規模の問題であることには変わりない。
 また、97年は、コンゴー民主共和国(旧ザイール)におけるルワンダ難民の大量殺害の疑惑及び強制退去に代表されるような国際的人道諸原則の侵犯等や、ルワンダやタジキスタンでの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)職員が殺害されるなど、難民支援活動もしばしば困難な状況に直面した。特に、人道要員の安全問題は、国連安保理でも取り上げられ、人道要員に対する武力行使等を非難し、関係国政府に適切な措置を採ることを要請する議長声明が発出されたほか、国連総会でも関連の決議が採択されるなど、難民支援における今後の重要課題となっている。
 日本は、難民・避難民に対する人道援助を国際貢献の重要な柱の一つと位置づけており、これら難民等は政治的、民族的、宗教的対立により発生しているという背景から、UNHCR、WFP、赤十字国際委員会(ICRC)など中立的な立場にある国際機関を通じて積極的な支援を行っている。今後の難民問題への対応としては、これまで同様、人道的立場からの支援が必要である一方、紛争の予防や、元の居住地に帰還した難民が再び難民に戻るのを防ぐような支援のあり方が求められている。そのためには、まず政治的な手段による紛争予防措置が採られる必要があるほか、紛争発生後は、緊急人道援助、復興支援、本格的な開発支援がスムーズに展開されることが不可欠であり、それらの支援の主体である各国政府、国際機関、NGOなどが調整・連携を強化していくことが重要である。

世界の難民数の推移

    (3)中東和平

[和平を巡る動き]

 91年に開始された中東和平プロセスは、パレスチナ暫定自治原則宣言、ガザ・ジェリコ先行自治合意、イスラエルとジョルダンの平和条約締結、パレスチナ暫定自治拡大合意などの重要な成果をあげてきたが、96年2月から3月にかけイスラエルにおいて連続テロが発生し二国間交渉が中断する中、同年6月、イスラエルにリクード党のネタニヤフ首相による右派連立政権が成立した。ネタニヤフ政権は和平プロセスを進めるとしつつもイスラエルの安全保障を強調し、パレスチナ独立国家樹立の否定、入植地の存続、ゴラン高原における主権の維持など、労働党政権と異なる立場を主張したため、和平プロセスは停滞した。
 イスラエル・パレスチナ間の交渉については、97年1月にはヘブロンからのイスラエル軍の撤退や暫定自治合意の実施について、いわゆるヘブロン合意が成立するなど一定の前進は見られたが、2月にイスラエル政府が東エルサレムの入植地建設計画を発表し、国際社会の批判にもかかわらず3月には建設工事を開始したことにより、当事者間の対立は深まり、和平交渉は中断された。また、その後もパレスチナ過激派によるとみられる自爆テロが数回にわたり発生したことから、和平プロセスの進展は一層困難なものとなった。
 9月に米国のオルブライト国務長官が現地を訪問したことを受け、9月末にはニュー・ヨークにて米国、イスラエル、パレスチナ暫定自治政府の3者間の外相級会合が行われ、3月以来中断されていたイスラエル・パレスチナ間の交渉が10月から一部再開された。(A)治安協力、(B)入植地建設などの一方的措置の中断、(C)イスラエル軍の西岸からの更なる再展開、(D)最終的地位交渉の扱いの4つの主要な課題について、両者間の話し合いが継続しているが、両者の立場の隔たりは依然大きく、打開への見通しは立っていない。
 イスラエル・シリア間交渉やイスラエル・レバノン間交渉については、96年3月に交渉が中断して以来、交渉再開の目途は立っていない。

中東和平クロノロジー | 中東和平プロセスの枠組み

[日本の役割]

 日本としては、中東和平を支える国際的な協力の一翼を担う観点から、2月のレヴィ・イスラエル副首相兼外相の訪日、4月の柳井外務審議官の派遣、8月のネタニヤフ・イスラエル首相の訪日、11月のハリーリ・レバノン首相の訪日などの機会に、和平努力を当事者に直接働きかけてきている。
 また、和平に向けた環境の整備のために和平当事者に対する様々な経済協力を実施してきている。中でも、パレスチナ支援については、これまで約3億2千万ドル以上(97年末現在)の協力を行っており、日本は主要な支援国となっている。  この他にも、和平プロセスの進展及び地域の安定に向けた貢献の一環として、96年1月にパレスチナ評議会選挙に際し77名の監視要員を派遣し、また、同年2月にはゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に自衛隊部隊等を派遣するなど人的貢献を進めている。さらに、日本が作業部会の議長を務める環境分野のほか、観光、水資源分野などの多国間協議に積極的に参画し知的貢献を行うとともに、中東・地中海観光旅行協会(MEMTTA)や中東淡水化研究センターの設立に当たっては資金協力も含めた協力を行ってきている。中東・北アフリカ経済協力開発銀行に関しては、97年5月、日本は他国に先駆けて同銀行設立協定の締約国となった。

    (4)旧ユーゴー問題

[ボスニア和平を巡る情勢]

 ボスニアでは95年12月に署名された和平合意(デイトン合意)に基づき、96年9月に選挙が実施され、その結果、大統領評議会、議会、閣僚評議会等の共同国家機構が97年初めまでに成立した。
 共同国家機構は、ムスリム勢力、セルビア人勢力、クロアチア人勢力の各当事者が共に参加するボスニアの中央国家機構である。しかし、諸法案の審議などにおいて各当事者の主張はことごとく対立し、上級代表ほか国際社会の支援や強い働きかけによりようやく機能する有様であり、民生面の和平履行は期待よりも大幅に遅れた。
 このような事態に対し国際社会は5月に開催された和平履行評議会(PIC)運営委員会シントラ会合において、当事者が採るべき和平履行の具体的措置の実施を期限付きで要求した。また12月のPICボン会合では、シントラ会合の要求が十分に履行されなかったことを受け、上級代表の権限を強化し、当事者間で合意が達成されない場合には暫定的に上級代表が措置を決定できることで一致した。
 一方、実施の条件が整っていないとして延期されていた市町村議会選挙は、9月に実施され、おおむね平穏裡に終了した。ただし、この選挙は紛争が勃発し、民族浄化が行われる前の国勢調査に基づき実施されたため、現実の民族分布を反映しない選挙結果が出た地域もあった。
 平和維持面では、96年12月より和平履行部隊(IFOR)の後継部隊として展開している安定化部隊(SFOR)の抑止効果もあって、96年に続いて軍事衝突もなく、平和が維持された。
 今後は、共同国家機構の円滑な運営、市町村レベルでの民族融和と難民・避難民の帰還促進、移動の自由の確保等、遅れの見られる民生面の和平履行を巡る当事者の対応、及び国際社会の協力が焦点となる。

ボスニア和平履行メカニズム

[クロアチア情勢]

 クロアチアでは、95年5月と8月にクロアチア軍がセルビア人勢力の支配地域の大部分を制圧した後、残った東スラヴォニアについては同年11月に合意が成立、国連が東スラヴォニア暫定統治機構(UNTAES)を派遣した。
 UNTAESは数度にわたりマンデートが延長されたものの、97年には選挙が実施される等おおむね順調に任務を遂行し、98年1月15日をもって任務を終了した。その後は欧州安全保障協力機構(OSCE)に任務が移管され、再統合に向けての仕上げが行われるが、再統合に伴う東スラヴォニアからのセルビア人住民の流出の懸念は払拭されていない。

[旧ユーゴー問題に対する日本の貢献]

 旧ユーゴー問題は地理的、歴史的に欧州に関わりの深い問題であるが、人道的観点から、また、冷戦終結後の国際秩序の構築にかかわる国際的な課題であるとの観点からも、グローバルな意味合いを有していると言える。このような立場から、日本はボスニア和平履行に積極的に貢献している。97年については、復旧・復興支援として最大1.3億ドルの支援を供与する旨表明し、また、人道・難民支援として、ボスニアを含む旧ユーゴー地域全体を対象に最大約5、800万ドルを拠出する意図を表明している。さらに、9月に行われた市町村議会選挙では計29名の要員を派遣し、OSCEの監理・監視活動に参加した。