2.米国その他諸国及び地域との関係

   (1) 日米関係

[全 般]
 96年は、日米両国が、様々なレベルでの日米対話及び日米協力を通じて、政治・安全保障、経済、地球規模問題についての協力など幅広い分野にわたる日米間の協力関係を一層発展させると同時に、将来の日米協力関係のための強固な基礎を構築した一年であった。
 中でも、4月のクリントン大統領の国賓としての訪日は、日米関係の将来の方向性を示すことに成功し、日米両国関係の発展に特に大きな役割を果たすものであった。この訪問において、橋本総理大臣とクリントン大統領は、「橋本総理大臣とクリントン大統領から日米両国民へのメッセージ」及び「日米安全保障共同宣言」の2つの文書を発表することにより、幅広い分野における日米協力関係の重要性を再確認するとともに、21世紀に向けた日米関係の意義・重要性を両国国民に明確に示した。「橋本総理大臣とクリントン大統領から日米両国民へのメッセージ」は、両国が共有する民主主義や自由主義などの価値の大切さについて確認し、アジア太平洋地域における両国の協力、国連改革や軍縮・不拡散に向けての協力、経済関係、コモン・アジェンダなどに触れつつ、日米関係が両国国民にとっていかに大切か、また、両国が将来の課題にどのように協力していくのかを示している。また、「日米安全保障共同宣言」は、日本の安全及びアジア太平洋地域の平和と繁栄を図る上で、日米安保体制がこれまで同様重要な役割を果たしていくことを確認し、この宣言が将来に向けての両国の協力の出発点であることを謳っている。
 96年を通じ、両国の協力関係は、安全保障分野の関係の強化に向けた共同作業、及び経済分野における種々の課題に両国が協力して取り組む中で、さらに強化された。
 安全保障分野では、両国は「日米安全保障共同宣言」に盛り込まれた日米安保体制の強化のための種々の作業に取り組んでいる。沖縄における米軍施設・区域の整理、統合、縮小の問題等については、沖縄県民の負担を軽減するため、約1年にわたり日米間で精力的に共同作業が行われ、その成果として、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告が12月にとりまとめられた(日米安全保障体制及び沖縄県における米軍施設・区域の取扱いの詳細については第2章第1節1.参照)。
 経済分野でも、8月に半導体、12月には保険分野において決着が見られるなど、両国間の個別経済問題は着実に解決されている。
 橋本総理大臣とクリントン大統領は、96年だけでも5回の首脳会談を行い、率直な意見交換を行うことで、良好な日米関係の基礎となる強固な個人的信頼関係を築いてきた。この両首脳間の信頼関係は、人と人との緊密な対話と交流が国家間の友好にとって不可欠であること、すなわち、日米両国民一人一人がお互いを理解し信頼し合えるよう努力することが、両国の友好関係にとって極めて重要であることを象徴している。

宮中晩餐会にてスピーチをするクリントン米大統領(4月)

宮中晩餐会にてスピーチをするクリントン米大統領(4月)

[日米経済関係]
 96年の日米経済関係は、米国の対日貿易収支赤字が大幅減少したこともあり、基本的に良好であった(96年の米国の対日貿易収支赤字は前年比19.4%減、米国の貿易赤字全体に占める日本の比率は28.6%と91年の65%に比べ大幅減)。この点に関し、日米経済関係の運営に大きな役割を果たしている日米包括経済協議(マクロ経済、セクター別・構造面の協議及びコモン・アジェンダを三つの柱とする経済協議の枠組み)が今後とも重要であることについては日米両国に共通の認識がある。
 セクター別・構造面の協議では、94年8月以降、知的所有権、電気通信及び医療技術分野の政府調達、板ガラス、金融サービス、投資・企業関係、自動車・同部品問題の決着をもって日米包括経済協議の下での優先交渉分野は全て決着した。他方、96年初めより、米側が半導体、保険、航空、フィルムの4分野を提起したが、96年末までに半導体と保険については解決を見ている(個別経済問題の詳細については第3章2.参照)。

[地球的規模に立った協力のための共通課題(「コモン・アジェンダ」)]
 日米包括経済協議の一つの柱であるコモン・アジェンダは、環境、人口といったますます深刻となりつつある地球的規模の問題に対し日米両国が共同で対処するための協力の枠組みであり、93年の創設以来、「保健と人間開発の促進」、「人類社会の安定に対する挑戦への対応」、「地球環境の保護」、「科学技術の進歩」及び「相互理解のための交流の助長」のテーマの下に様々な協力が推進されてきた。4月の日米首脳会談においては、新たに6つの分野(「新興・再興感染症」、「自然災害の軽減」、「市民社会と民主化」、「テロ対策」、「地球的な食料供給」、「21世紀のための教育工学」)が追加され、現在26の分野において協力が進められており、着実な成果を上げている。6月の次官級全体会合においては、各分野の進捗状況が報告された。
 9月には、橋本総理大臣より、コモン・アジェンダを日米両国政府を中心としつつも民間や第三国を巻き込んだより幅の広い協力活動に育てることを目的とした世界会議の開催が提唱された。
 また、コモン・アジェンダに対する国民の理解を更に推進し、官民の更なる連携を促進するため、日本側民間の有識者が中心となって、「コモン・アジェンダ円卓会議」(会長:平岩外四経団連名誉会長)が2月に発足した(97年1月に第4回会合を開催)。

コモンアジェンダ

[国民交流]
 21世紀の世界を担う日米両国の若者が、交流を深め、相互理解を促進することの重要性にかんがみ、日本政府は、より多くの米国の若者に対し、日本を学び、日本を知る機会を提供するとの目的の下に、米国の高校生、大学生、学部卒業生、教職員、若手研究者、若手芸術家等を対象として対日理解促進のために包括的に取り組んでいる。また、米国では、米国の行政官が日本で研修を行うことにより、日本の政治経済文化に通暁した知日家を米国政府内に育成することを目指す、いわゆる「マンスフィールド計画」が開始されている。この第一期研修生は、ワシントンで約1年間の日本語の研修を受けた後、9月より日本国内の各省庁で実務研修を受けている。

[21世紀に向けて]
 かつて戦火を交えた日米両国は、戦後50年の歩みの中で、自由、民主主義、市場原理という基本的制度・価値観を共有し、両国民の信頼に基づく堅固な二国間関係を築き上げた。今や健全な日米関係は、日米両国のみならず、アジア太平洋、さらには国際社会全体の平和と繁栄にとって不可欠な存在となっており、このような日米関係は、日本外交の欠くことのできない基軸である。
 96年、日米両国は、4月のクリントン大統領訪日を一つの契機として21世紀に向けた日米関係のための新たな一歩を踏み出した。この訪日において、日米両首脳は両国民に対し、日米関係の重要性を繰り返し強調した。今後、両国がいかなる困難も乗り越えて強固な関係を保ち続けていく上で重要なことは、両国間の人と人とのつながり、強固な人間関係を構築していくことである。日米両国国民一人一人が、こうした日米関係の重さを踏まえ、自ら日米関係を支えているということを実感し、世界の繁栄に向けたパートナーとしてお互いを理解し合うことは、両国のみならず、世界全体の平和と繁栄のためにも不可欠である。

 

   (2) 日中関係

[全 般]
 96年の日中関係は、台湾の指導者の選挙と同時期に行われた中国の台湾周辺での軍事演習、中国が行った2回の核実験、尖閣諸島を巡る一連の事態、更には歴史認識の問題などにより、困難な局面を迎えたが、様々なレベルでの意見交換を通じて関係改善の努力が行われ、11月の APEC の会合の際の日中首脳会談では、日中関係は両国はもとよりアジア太平洋地域、更には世界全体の平和と繁栄のため重要であり、このような認識に立って日中関係の一層の発展のために共に努力することにつき意見の一致を見た。

[日中間の諸問題]
 3月に台湾で選挙が行われた際に、中国は台湾周辺でミサイル演習を含む一連の軍事演習を行ったため、日本は中国に対し自制を求める旨申し入れた。また、4月のクリントン大統領の訪日時に日米両国が日米安保共同宣言を発出したことに対し、中国が警戒感を表明したため、日本はこの宣言の趣旨につき累次の機会に中国側に説明を行った。
 さらに、96年前半に2回行われた中国の核実験に対し、日本は、核実験の実施は極めて遺憾である旨表明し、中国側に核軍縮促進の努力を要請した。中国は、7月28日に96年2回目の核実験を行った際に、7月29日以降核実験のモラトリアムを実施する旨明らかにし、9月24日には包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名した。
 7月には日本の団体が尖閣諸島に灯台を設置したことを契機として、香港、台湾を中心に日本に対する抗議運動が盛り上がり、領海侵入、不法上陸などが行われたほか、中国からも強い反応が示された。日本は、尖閣諸島が日本固有の領土であり、現にこれを有効に支配しているとの基本的立場を踏まえつつ、日中関係全体の健全な発展に悪影響が及ばないよう冷静に対応した。また、7月以降、中国より靖国参拝を始めとする歴史認識の問題についても強い反応が示された。
 しかし、9月の国連総会の際の日中外相会談を経て、11月の APEC 会合の際の日中首脳会談においては、橋本総理大臣と江沢民国家主席との間で、日中関係は両国はもとよりアジア太平洋地域、更には世界全体の平和と繁栄のために重要な二国間関係であることを踏まえ、関係発展のため両国が努力する点で意見が一致した。
 なお、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の処理に関する問題や国連海洋法条約の趣旨を踏まえた新たな日中漁業協定の締結の問題などの日中間の実務的懸案につき政府間で協議が行われ、また、12月には96年度の対中円借款供与が決定された。

江沢民中国国家主席と会議する橋本総理大臣(11月)

江沢民中国国家主席と会議する橋本総理大臣(11月)

[香港、台湾との関係]
 日本は、香港の97年7月の中国への返還後も香港の繁栄の基礎である法の支配の下での自由な諸制度が維持されることが重要との考えを表明してきており、6月には中国の魯平香港マカオ弁公室主任を日本に招き、日本の考えを中国側に直接伝えるとともに、8月の池田外務大臣の香港訪問、11月のパッテン総督来日などの機会に香港情勢について率直な意見交換を行ってきた。
 台湾との関係については、日本は、これを非政府間の実務交流として処理しているが、台湾問題について海峡両岸の窓口機関による話合いが中断している現状を踏まえ、両当事者間の平和的解決を強く希望する旨種々の機会に表明している。

[97年に向けて]
 日中関係が緊密化する一方で両国間に摩擦が発生することは避け難い面がある。重要なことは、日中関係が両国はもとよりアジア太平洋地域、更には世界全体の平和と繁栄にとり重要であることを両国が認識し、このような日中関係を将来にわたり発展させていく責任が極めて重いものであることを踏まえ、両国が二国間及び地域社会ひいては国際社会の諸問題に建設的姿勢で協力して取り組んでいくことである。
 97年は日中国交正常化25周年という節目に当たり、相互信頼に基づく友好関係を21世紀に向け一層発展させていく重要な区切りの年となることが期待される。

 

   (3) 朝鮮半島

[南北関係を巡る動き]
 朝鮮半島においては、軍事境界線を挟んでの兵力対峙の状況が依然として続いている。4月、韓国と米国は朝鮮半島における永続的な平和達成のために四者会合を開催することを提案した。北朝鮮がこの提案への立場を明確にしない状況が続く中で、9月には潜水艦事件が起こり、朝鮮半島における緊張緩和の重要性が改めて認識された。日米韓3か国は、朝鮮半島情勢について外相会談や高級事務レベル協議の開催などを通じて緊密に協議してきている。

(イ) 四者会合提案と北朝鮮の潜水艦座礁事件
 北朝鮮は、韓国がいわゆる朝鮮軍事休戦協定に署名していないことを理由に、韓国を排除した形で米国と同協定に代わる平和協定を締結しようとの動きを続けてきている。3月29日に人民武力部第一副部長が休戦状態は限界点に到達したとの談話を発表したのに続き、4月5、6、7日と三夜連続して、1個中隊規模の武装兵力を共同警備区域内に侵入させ、2、3時間で撤収するという示威行動を繰り返した。
 4月16日、金泳三大統領とクリントン米国大統領は済州島で首脳会談を行い、朝鮮半島における平和増進のために韓国、北朝鮮、米国及び中国の四者会合をいかなる前提条件もなく速やかに開催することを提案した。この提案は、朝鮮半島問題の直接の当事者である韓国及び北朝鮮に加え、休戦協定に直接関わってきている米国と中国が参加して、現行の休戦協定に代わる永続的な平和に関する合意を達成することを目指すものであり、日本は、同提案に対する支持を直ちに表明した。北朝鮮は、四者会合提案について「検討中」と表明したが、提案に対する明確な態度は明らかにしない状況が続いた。
 そのような状況の中で,9月18日、韓国北東部の江陵(カンヌン)市付近で座礁した北朝鮮の潜水艦が発見された。北朝鮮は、本件を事故と主張し、また、被害者として報復の権利を有するとの声明を発表するなど、誠実な対応を行わなかったのに対し、韓国は、北朝鮮による謝罪と再発防止の約束を求めた。10月16日、国連安保理は、この事件につき「重大な懸念」を表明するとの議長声明を全会一致で採択した。その後、累次にわたる米朝間の協議を経て、12月29日、北朝鮮外交部スポークスマンは声明を発出し、潜水艦事件に関し「深い遺憾の意」を表明するとともに再発防止に向け努力する旨表明した。
 北朝鮮はまた、米韓両国による四者会合の共同説明会を受け入れると表明したが、四者会合自体については依然として姿勢を明確にしていない。

(ロ) 北朝鮮への人道支援
 北朝鮮は、95年夏の豪雨により発生した洪水被害を受け、国連諸機関など国際社会に幅広く支援を要請した。6月に国連人道問題局(DHA)が発出した総額4,360万ドルの緊急人道支援アピールに対し、日本は緊急・人道支援という立場から、国際社会の一員として国連諸機関の援助活動を支援するため、韓国及び米国と緊密に連絡しつつ、600万ドルの資金拠出を行った。

(ハ) 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO
 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は、94年10月の米国と北朝鮮との間の「合意された枠組み」において想定された国際コンソーシアムとして、95年3月に設置された国際機関であり、北朝鮮における軽水炉プロジェクトの資金手当て及び供与、暫定的な代替エネルギーの供与などを目的としている。
 96年には、前年12月に KEDO と北朝鮮との間で締結された軽水炉プロジェクトに関する供給取極の実施細目を定める議定書の交渉が行われ、7月に「法的地位・特権免除・領事保護」、「輸送」、「通信」の3件の議定書が署名され、発効した。また、同96年2月、日本は、KEDO が直面する流動性の危機に緊急に対応するための手段として KEDO に特別の基金を設け、この基金に1900万ドルを拠出した。
 日本の安全保障にとり、北朝鮮の核兵器開発問題が解決に向かうことは極めて重要であり、日本はそのような観点から米韓両国と共に KEDO の政策決定に積極的に参加している。また、日本は、人的貢献として KEDO 事務局に政策スタッフや原子力の専門家を派遣しており、資金面でも軽水炉プロジェクトの全体像の下で意味のある役割を果たす考えであることを表明してきている。

米朝間の合意された枠組みの予定するスケジュール
済州島において金泳三韓国大統領と会談する橋本総理大臣(6月)

済州島において金泳三韓国大統領と会談する橋本総理大臣(6月)

[日韓関係]
 日韓関係では、歴史の教訓を踏まえつつ、未来に向けた安定した関係を築き、更に国際問題にも協力して取り組む努力を積み重ねることが重要である。96年には3月(バンコック)、6月(済州島)、11月(マニラ)の一連の日韓首脳会談が行われ、97年1月には別府で首脳会談が行われた。これら一連の首脳会談においては、二国間関係や朝鮮半島情勢に加え、韓国の OECD 加盟や国連非常任理事国就任などを踏まえ、国際社会における日韓協力についても意見交換が行われた。
 2月には、竹島に関する日韓両国の立場の違いに焦点が当たったが、3月の首脳会談で、この問題が両国民の感情的な対立に発展し、両国の友好協力関係を損なうことは適切ではないとの観点に立って、国連海洋法条約の批准に伴ってとる措置は、竹島問題に関するそれぞれの立場に影響を及ぼすものではないことを前提とすることが両首脳間で確認された。また、6月の首脳会談においては、この合意に沿って領有権問題と切り離して排他的経済水域の境界画定や漁業協定交渉を促進することとなった。さらに、秩序ある操業の確保等、境界画定や漁業の交渉の促進のための環境作りにも互いに努力していくことについて意見の一致をみた。漁業については、11月の首脳会談で、以上の成果を踏まえ、国連海洋法条約の趣旨を踏まえた新たな漁業秩序の構築に向けて双方が努力を加速化するとの認識で一致した。
 また、5月末には2002年ワールドカップ・サッカーを日韓両国が共同開催することが決定され、6月の首脳会談において、これを契機に両国の友好協力関係を一層発展させていくことで両国首脳の認識が一致したほか、青少年交流の更なる拡充についても意見の一致を見た。

プリマコフ・ロシア外相と会談する池田外務大臣(11月)

プリマコフ・ロシア外相と会談する池田外務大臣(11月)

 

   (4) 日露関係

 日露関係では、93年10月のエリツィン大統領訪日の際に署名された東京宣言が、両国関係進展のための基盤となっている。日本としては、東京宣言に基づいて北方領土問題を解決して平和条約を締結し、日露関係の完全な正常化を達成するために最善の努力を払うとともに、ロシアの改革努力を支持し、同時に、各般の分野における協力と関係強化を図ることを、対露外交の基本的考え方としている。
 96年は、1956年の日ソ共同宣言による国交回復40周年に相応しく、政治レベルでの対話が緊密化した。まず、3月には池田外務大臣が訪露し、エリツィン大統領との会談、第6回日露外相間定期協議及び貿易経済に関する日露政府間委員会第1回会合を行い、二つの協議を通じ政治経済両面にわたり日露関係の基盤を拡充することができた。また、4月に橋本総理大臣が原子力安全サミット出席のため訪露し、エリツィン大統領と首脳会談を行い、外務大臣レベルでの平和条約交渉の活性化及びそのための大統領選挙後の次官級の平和条約作業部会の再開、防衛庁長官の訪露、日本とロシア極東地域との関係強化・発展などの諸点で認識の一致があった。これを受けて、同4月に臼井防衛庁長官が訪露し、両国の防衛当局間の信頼を醸成し、安全保障対話の分野においても両国関係を今後発展させていくための道筋をつけることができた。その後、6月のリヨン・サミット、7月のアセアン地域フォーラム、9月の国連総会のそれぞれの場での日露外相会談を経て、10月には第6回日露平和条約作業部会及び第6回日露事務レベル協議が開催され、さらに、11月にはプリマコフ外相が訪日し、池田外務大臣との間で第7回日露外相間定期協議が行われた。この定期協議においては、東京宣言に基づいて両国関係を前進させていくことが改めて確認され、特に領土問題については、日本側より領土交渉と領土問題解決のための環境整備の両面における努力を車の両輪の如く同時に図る必要があるとの考えを強調した。また、ロシア側より、いまだ十分に検討した訳ではないがとしつつ四島の主権に関するそれぞれの立場を守るという原則に立って、四島における日露の「共同経済活動」を進めるという考えに言及がなされた。
 北方四島周辺水域におけるロシア国境警備艇による「取締り」活動は96年も続けられ、10月に国後島付近において拿捕事件が発生した。95年に、双方の立場を害することのない枠組みを設定することにより、北方四島周辺水域において日本漁船による安全操業を可能とすることを目的として、日露両国政府により北方四島周辺水域における日本漁船の操業に関する枠組み交渉が開始されており、この交渉は、96年も引き続き継続され、これまで7回にわたり行われた。
 経済面では、上記の通り94年11月に日露両国間で設置を決定した貿易経済に関する政府間委員会の第1回会合が、前述のとおり3月モスクワで開催され、両国の貿易経済関係の発展の障害除去、対露支援の実施の円滑化、ロシア極東地域との経済関係強化等につき活発な意見交換が行われた。11月の日露外相会談では、政府間委員会の分科会を97年1月下旬に、同97年前半に委員会の第2回会合を開催することで意見の一致をみた。

 

   (5) 日欧関係

 欧州は様々な統合の動きにより、国際社会における発言力を更に増大させている。冷戦終結後の世界における新たな平和と繁栄の枠組みを構築する上で、日米欧三極の緊密な協力は一層重要となってきており、日欧双方において日欧関係強化の必要性が強く意識されるに至っている。また、後述のアジア欧州会合(ASEM)への欧州側の積極姿勢にも見られるように、欧州のアジア全般への意識も高まりを見せている。このような日欧双方の認識を背景として、96年秋は、日本外交にとりまさに「欧州の季節」と言っても良い日欧関係強化の季節となった。すなわち、9月から11月にかけて、リフキンド英外相の訪日に始まり、日・EU 定期首脳協議の実施(ブルートン・アイルランド首相及びサンテール欧州委員会委員長の訪日)に加え、クラウス・チェッコ首相、コール独首相、シラク仏大統領(国賓)、ドラミュラ・スイス大統領、アルベール・ベルギー国王(国賓)、コック・オランダ首相など、欧州諸国より要人訪日が相次いだ。
 橋本総理大臣及び池田外務大臣は、これら欧州各国要人との一連の首脳会談、外相会談において、欧州をグローバル・パートナーと位置づけ、二国間関係の一層の強化のみならず、国際社会の抱える様々な問題の解決のため、日欧が力を合わせていくべきであることを強調した。特に欧州の中核である英、仏、独との間では、行動計画(「新日英行動計画」、「21世紀に向けての日仏協力20の措置」、「日独パートナーシップのための行動計画」)を策定した。また、仏、独とは、今後原則として年一回の定期首脳会談を行っていくことで一致し、英国とも同様に首脳会談を行うこととしている。日本と EU との間では、既に91年の「日・EC 共同宣言」により原則年一回の定期首脳会議の枠組みが設けられていたが、これにより欧州主要国との二国間の首脳協議の枠組みも整備されることとなる。今後はこうした欧州主要国との間の枠組みを基礎としつつ、それ以外の国々との間においても、政治・経済・文化等幅広い分野での友好協力関係の裾野を広げていくことが求められている。
 中・東欧諸国においては、民主化・市場経済化を目指す改革が全体としては着実に進展・定着しつつあり、日本はこのような努力を引き続き支援している。東西対立の終焉を受け、西欧諸国のみならず中・東欧諸国も、日本にとり民主主義及び市場経済という価値観を共有するパートナーとなり得ることが、9月に来日したクラウス・チェッコ首相との間でも確認された。
 欧州の地域国際機構との関係では、11月、民主主義や人権の分野で価値観を共有する欧州40か国が加盟する欧州評議会(CE)のオブザーバー・ステータスが、米国、カナダに次いで日本にも付与されたことが特筆される。また、12月の欧州安全保障協力機構(OSCE)リスボン首脳会議には、「協力のためのパートナー」国として松永政府代表が参加した。

シラク仏大統領と会談する橋本総理大臣(11月)

シラク仏大統領と会談する橋本総理大臣(11月)