核兵器不拡散条約(NPT)は、現在の核問題を全般にわたって討議する基礎であり、それは条約の運用検討プロセスとして継続的に行われている。具体的には条約が1970年に発効して以来、5年ごとに運用検討会議が開催され、1995年に条約が無期限に延長されてからは、さらに運用検討会議の前の3年にわたり、毎年準備委員会が開催されている。
2010年の運用検討会議のための第1回準備委員会が、2007年4月~5月にウィーンで開催され、私は日本政府代表団の一員として参加した。準備委員会では議長に日本の天野之弥ウィーン代表部大使が選出された。日本がこのポストをとったのは、1995年に準備委員会の制度が正式に導入されて以来、初めてのことである。
2005年の運用検討会議が米国対エジプト・イランの対立で、特に議題の内容に関する対立で失敗に終わったため、天野大使は早くから準備を開始し、各国と協議を行い、様々なセミナーに出席して、すべての国に受入れ可能な議題案を準備した。
ところが、準備委員会の初日にイランは議長の議題案に対案を提出し、その変更を要求した。そのため実質的な討議を開始することができず、議長は非公式協議を続けることで事態の打開を図った。会議は3日間空転し、実質的な議論の時間は予定の半分になった。しかし議長は、各国の発言時間を制限しながらも、実質的な討議を可能とするような会議運営を行い、その結果、多くの問題点が明確になり、今後の方向が示された。
準備委員会の最終日になって、イランが再び議長の提案に反対したため、会議の成功が危ぶまれた。しかし、ここでも天野議長は非公式協議を粘り強く行い、ほとんどすべての国が議長を支持していたこともあり、報告書の採択に成功した。
これにより2008年及び2009年の準備委員会の議題は確定し、2010年の運用検討会議に向けていいスタートが切られた。その成功のかなりの部分は議長の会議運営能力によるものと思われるし、このような重要な会議で日本が議長のポストをとったことは、日本の軍縮外交を積極的に進める上でも極めて有益なことであった。
第1回準備委員会議長を務める天野ウィーン代表部大使 |
大阪大学大学院国際公共政策研究科教授 黒澤 満
(2007年に開催されたNPT運用検討会議準備委員会に日本政府代表団の一員として参加) |