第3章 分野別に見た外交


(2)文化事業

 日本の文化・芸術作品や公演を紹介し、外国の文化を日本に紹介することは、従来の代表的な文化交流である。日本には能や歌舞伎、文楽、相撲等の伝統的な文化やスポーツに加え、歴史的建造物や美術、芸能、現代美術、デザイン、音楽、建築、アニメ、マンガ、ファッション等多彩な文化がある。現在、日本文化は「クール・ジャパン」(かっこいい日本)として世界の注目を集めているが、外務省は、日本に対する関心、より親しみやすいイメージを増進するために、民間団体と協力しつつ、在外公館及び国際交流基金を通じて、各国の特性を踏まえた文化交流を促進している。例えば、8月に日・EU市民交流年記念事業として、ワルシャワ等において能公演を行い、日本の伝統文化を紹介したほか、メキシコのセルバンティーノ国際芸術祭(10月5日~23日)では、日本の現代演劇や舞踊等を紹介し、高い評価を受けた。また、国内では、国際交流基金、朝日新聞社、横浜市が共催した横浜トリエンナーレ(9月28日~12月18日)で、内外の芸術作品を展示し、多数の来場者を集めた。

 COLUMN

分かち合う勇気

 悲しいこと、悲惨なことがニュースに毎日流れる。

 それがニュースになるほど、我々は幸福に包まれて生きている…ということなのでしょうか? そう、「幸福」なのかもしれません。

 すべての日本人は、毎日そこそこに暮らしています。一億総中流意識とはそういうことなのでしょう。狭くても住む家があり、冷蔵庫を開ければいつも食べ物がある。それが当たり前となっている我々の生活はまさに幸福なのであり、その事実に皆慣れてしまっているということなのかもしれません。

 経済成長著しい中国でも、奥地へ行けば生活することがやっとという人たちが多くいます。文字が読めない人も多くいます。教育を受けることが特別な出来事で、学校に通う子供たちには勉強ができるという歓びが溢れています。

 日本という国から一度離れてみなければ、日本の形は見えません。他の国から日本が一体どんな形に見えているのかを我々はもっとよく知る必要があると思うのです。これからの日本人に必要なのは、そんな視点をベースにしっかりと持っている、ということのような気がします。日本にとって「あり余るもの、足りないもの」それを分かち合うことが国際関係の原点ではないでしょうか…。この地球上に線を引き、国を作ったのが我々人間ならば、それを消してゆくことができるのも我々人間のはずです。

 もう「日本」よりも「地球」…と考える人が増えてこなければ、未来は見えてこないと感じます。私は今、中国で教壇に立っています。でもそこには「日本」も「中国」もなく、人と人として向き合っているだけなのです。自分を必要としてくれる場所であれば、そこへ行き、大切なことを伝える。一国のエゴが世界をゆがめてゆくことに皆、気付いています。分かち合う勇気を持つことがひょっとすると「徳」という言葉の本当の意味なのかもしれません。品格を失くした国には未来はないと思います。「お天道様が見ているよ」この国にはこんなすばらしい道徳がありました。そのことの意味を我々はもう一度心に問いかけてみる時期なのではないでしょうか。

 

谷村新司(音楽家・上海音楽学院教授)

71年、アリス結成。

72年3月、「走っておいで恋人よ」でデビュー。

「冬の稲妻」、「帰らざる日々」、「チャンピオン」など数多くのヒット曲を出し、81年、活動停止。その後ソロ活動、また楽曲提供と活躍の場を広げ「いい日旅立ち」、「昴」、「群青」、「サライ」など、日本のスタンダード・ナンバーともいえるヒット曲を発表。一方で活躍の場をアジアから欧米へと広げ、88年からの3年間は国立パリ・オペラ座交響楽団等と共演。

04年3月、上海音楽学院教授に就任。

05年9月から、単位取得を目的とした授業を開始。


 COLUMN

自然体のPuffy AmiYumi ~新しい文化を伝えるのは言葉じゃない~

 2004年にスタートしたアニメ番組“Hi Hi Puffy AmiYumi”で一躍その名が、アメリカだけではなく、南米、ヨーロッパにも広まったPUFFYの2人、亜美と由美。実は彼女たちの米国での活動は、このアニメがスタートだったわけではありませんでした。彼女たちの米国デビュー以来、米国でマネージメント業務に携わってきたスタッフの一人として、彼女たちの行動を振り返ってみます。

 2000年、テキサスで行われた音楽イベントに出演して以来、彼女たちのアメリカでのロック・アーティストとしての活動がスタート。北米13都市をツアーバスで回りながら、その土地土地で、現地の若者と触れ合い、その度にファンを増やし続けていきました。今まで米国では、「日本語では売れない」とされてきた日本の音楽が日本語そのままでも伝わっていった瞬間でした。なぜ、PUFFYは当初から好感を持たれたのでしょうか? それは彼女たちの自然体のスタイルにあったと思います。無理をして自分を見せるのではなく、日本でやってきたそのまま、日本そのままを見せたいという彼女たちの自然な姿が、米国の若者たちが今まで持っていた、感じていた日本のイメージとは全く違う新しいポップな世界へと彼らを導いていったのです。

 アニメがスタートして以来、北米でのライブ会場はロックファンと、親に連れられた子供たちでごった返しています。ヘッドバングをしている若者たちが、そばにいる子供たちを踏んでしまわないように、そっと気を遣いながら楽しんだりしています。そして日本語のできない子供たちもPUFFYの歌を日本語で歌っています。お父さんに肩車をしてもらいながら、コンサートを楽しむ子供たちもいます。日本人らしき人を見ると“こんにちは”と覚えたての日本語で話しかけてくれます。PUFFYというアーティストを通じて、彼らの世界観は確実に変化したと思います。子供たちはアニメのおかげでポップアーティストのPUFFYをとても身近に感じています。“お誕生会に来て”とお誘いを受けることもめずらしくないほど、彼らにとってPUFFYは初めての日本人のお友達なのです。アニメの世界の亜美と由美に実際に触れて、日本がどんな国なのか興味を持ったり、“亜美と由美がいるなら日本に行ってみたい”と言ってくれる子供たちもたくさんいます。サムライ、フジヤマ、という日本のかつてのイメージは彼らにはもうありません。PUFFYの2人が音楽を通して「日本はPOPで楽しい国」だと伝えてくれているから。

執筆:野谷 靖子(Antinos Management America)




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