第2章 地域別に見た外交


(1)対アフリカ外交の理念と基本政策 ~なぜ、アフリカか~

(イ)アフリカの重要性

 アフリカに対し、日本は以下の観点から積極的な外交を行っている。

 まず「アフリカ問題の解決なくして、世界の安定と繁栄はない」との考えから、国際社会の責任ある一員として、諸問題の解決に向けて協力するべく、対アフリカ支援を行っている。アフリカは、貧困・紛争等多くの課題を抱えており(図表「数字で見る『アフリカ問題』」参照)、MDGsのいずれの項目をも達成できない見込みの唯一の大陸である。深刻な「アフリカ問題」は、人道上無視できないものであると同時に、国境を越えて影響を及ぼすテロや感染症、環境問題等の問題は国際社会にとって大きな脅威である。

 次に、日本は国際社会の中で、アフリカを自己の理念の実現を目指す際のパートナーとするべく、積極的に協議、働きかけを行っている。世界の国々の約3割に当たる53もの国を抱えるアフリカは、一国一票の投票で行われることの多い国際社会の意思決定において大きな影響力を持つ。特に、AUの設立以降は、アフリカ全体でまとまった投票行動をとることが多くなり、その存在感を増している。

 さらに、日本はアフリカとの経済関係を強化し、安定的なものとするため、貿易投資の促進支援や連携強化を行っている。様々な資源を有すると同時に巨大市場となる可能性を秘めるアフリカは、重要な貿易パートナーとなり得る。例えば、先端産業に不可欠な希少金属(レアメタル)資源はアフリカに偏在しており、日本はこれを大量に輸入しているほか、世界全体の9.4%の埋蔵量を誇る石油も今後の国際石油市場の動きから注目される。また、アフリカは世界の14%に当たる約9億の人口を擁する市場だが、その人口増加率は世界一で、2025年には世界人口の約17%、2050年には約20%を占めるとの推計もあり、今後更に巨大な市場となり得る。

(ロ)「アフリカの年」における日本の基本政策

 国際社会の注目がアフリカに集中した2005年、日本は国際社会と協調しつつ、対アフリカ支援を中心とする対アフリカ外交の推進に努めた。

 アフリカを巡る主要な国際会議としてはアジア・アフリカ会議(1955年)から半世紀を記念し、50年前と同じインドネシアの地でアジア・アフリカ協力をうたったアジア・アフリカ首脳会議(4月)、アフリカ問題への国際社会の取組が主要議題となったG8グレンイーグルズ・サミット(7月)、MDGs達成状況を踏まえてアフリカ問題が中心を占める世界の貧困問題が話し合われた国連首脳会合(9月)、アフリカの国々が大部分を占める後発開発途上国(LDC)の開発問題への対応が主要な論点となったWTO香港閣僚会議(12月)等が行われた。このように、2005年はまさに「アフリカの年」であった。



▲サッカー外交推進議連主催在京アフリカ大使との親善サッカー大会でプレーする逢沢外務副大臣(5月20日、東京・国立競技場)


  このような国際社会の関心の高まりは、世界のアフリカに対する関心を喚起すべく、日本が行ってきた努力の結実とも言える。すなわち、日本は、冷戦終結後から、欧米の援助国のアフリカに対する関心が低下した1990年代を通じて、アフリカ開発に関する世界最大級の政策フォーラムであるアフリカ開発会議((TICAD)下記(2)で詳述)プロセスを推進したほか、2000年のG8九州・沖縄サミットの機会にアフリカ諸国とのアウトリーチ会合(拡大会合)を初めて行った。このような日本の取組には、アフリカ諸国から感謝と信頼の声が寄せられている。

 さらに2005年は、国連・安保理改革に代表されるように、国際的枠組みの再構築に向けた取組において、その行方を大きく左右するアフリカ諸国との協調が鍵となった年でもあった。日本は、アフリカ諸国を日本の理念や哲学を反映した国際的枠組みを構築するための重要なパートナーと位置付け、例えば国連・安保理改革については、具体的な成果は2006年以降に持ち越されたものの、アフリカ諸国と緊密に協議を行い、改革実現の可能性を追求した。




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