第1章 概 観


(国際的な平和環境の構築に向けた取組)

 日本は、世界で唯一の被爆国としての経験と、国際社会における核軍縮を進め、紛争を予防するとの立場から、核兵器廃絶に向けた取組を積極的に進めている。具体的には、核兵器不拡散条約(NPT)の体制強化や包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効に向けた種々の取組を行っており、1994年以降は毎年、国連総会に核軍縮決議案を提出し、多くの国の支持を得て採択されている。通常兵器の分野においても、1995年以降、国連総会に小型武器決議案を提出しているほか、対人地雷禁止条約の未締結国に対する働きかけ、1991年の国連軍備登録制度設置に際しての国連総会決議案作成等、国際社会で主導的な役割を果たしてきている。また、中国、ロシアという核兵器国や、核兵器開発の疑いのある北朝鮮等を近隣に抱える日本にとっては、大量破壊兵器・ミサイル及びそれらの関連物資の拡散を防ぐこと(不拡散)は、自身の安全保障に直結する問題である。日本は、そのような認識の下、外交努力や国際社会との連携を進めてきており、「拡散に対する安全保障構想(PSI)」にも主体的に参加し、海上阻止訓練等を実施している。このほか日本は、不拡散のための国際輸出管理レジームに積極的に参加するとともに、自らも武器輸出三原則等により、武器の輸出を原則として禁止するなど、国際紛争の回避に貢献している。

 1991年に湾岸戦争が勃発すると、日本では、国際の平和と安全のために日本も十分な貢献を行うことが不可欠であるとの認識が広く国民の共有するところとなった。そこで日本は1992年、PKOや人道的な国際救援活動等への自衛隊部隊の派遣を含めた協力を可能とする国際平和協力法を制定した。日本は同法に基づき、カンボジアやモザンビーク、ゴラン高原、東ティモール等において停戦監視や暫定統治等を目的として設立されたPKOに自衛隊や文民警察をはじめとする要員を派遣した。



▲東ティモールで自衛隊要員が整備したタシトル小学校運動場の引渡し式


  また、2001年9月11日の米国同時多発テロを契機として、国際テロが新たな脅威として認識されるようになった。日本は、国際テロ防止等の国際社会の取組に寄与するため、2001年10月にテロ対策特別措置法を制定し、インド洋上で海上自衛隊艦船による給油活動等を実施しており、各国から高い評価を得ている。これに加えて日本は、テロ防止関連12条約のすべてを締結・履行するなど、国際社会の「テロとの闘い」を積極的に進めている。

 また、サダム・フセイン政権崩壊後のイラクの国づくりを支援するため、2003年7月にイラク人道復興支援特別措置法を制定し、同国南部のサマーワで陸上自衛隊が給水・医療、公共施設の復旧・整備等の活動を行うとともに、航空自衛隊がクウェートからイラクへの輸送活動を実施している。自衛隊の活動は、これまで大きな事故もなく地元住民と緊密に連携しつつ行われており、イラクの復興に大いに貢献している。

 加えて日本は、国家単位を基本とした従来の安全保障概念を補完するものとして、人間一人ひとりに対する脅威に着目した「人間の安全保障」の概念を重視してきており、この概念が国際社会に浸透するよう率先して活動している。


 TOPIC

天皇皇后両陛下のサイパン島御訪問

 天皇皇后両陛下は、戦後60年に当たり、6月27日から28日にかけて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼され、平和を祈念されるためアメリカ合衆国自治領北マリアナ諸島サイパン島を御訪問になりました。今次御訪問は慰霊を主たる目的とする初めての外国御訪問でした。

 サイパン島は軍人等のほか、多くの民間人も亡くなられた海外における主要な戦跡の一つです。両陛下は、日本政府により建立された中部太平洋戦没者の碑へ御供花をされました。続いて、スーサイド・クリフ、バンザイ・クリフを訪ねられ、「おきなわの塔」及び「太平洋韓国人追念平和塔」に対しても慰霊の気持ちを表されました。

 さらに両陛下は、米国連邦政府及び現地政府が建立したマリアナ記念碑(現地人戦没者慰霊碑)及び第二次世界大戦慰霊碑(米軍人戦没者の碑)への御供花も行われました。

 これらに先立ち、両陛下は遺族会、戦友会の代表をはじめとする方々とお会いになったほか、海岸で当時の様子について説明を受けられました。

 また、敬老センターを御訪問され、お年寄りの方々の文化活動をご覧になり、ご歓談になると共に、戦中の苦しい時を乗り越え、その後、現地で人生を歩まれた方々とご懇談され、これまでの苦労をねぎらわれました。

 今次御訪問は、米国及び北マリアナ諸島政府による協力により、滞りなく行われ、両陛下は、現地では多数のサイパンの人々より温かい歓迎を受けられました。




<< 前の項目に戻る 次の項目に進む >>