第2章 地域別に見た外交


【湾岸諸国情勢】
 サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、地域の大国であるイランとの政治的・軍事的な均衡をとるため、また、中東地域で米国が一層大きな影響力をもつようになったため、米国との関係を重視してきている。イラクのサダム・フセイン政権の崩壊により、湾岸地域の地政学的状況は大きく変化し、安全保障上の大きな脅威が取り除かれたが、その一方、イラクの分裂と権力の空白化を懸念している湾岸諸国は、イラクの主権、独立、領土保全の必要性、外国による内政干渉の排除を呼びかけている。また、イランの核開発疑惑の動向についても湾岸諸国は懸念をもって注視している。さらに、湾岸6か国が地域政治機構として結成した湾岸協力理事会(GCC:Gulf Cooperation Council)(注14)は、統一市場の実現に向けて、地域経済機構へと発展している反面、各構成国が米国との政治、経済、安全保障面での二国間関係強化を通じて、自らの利益を追求するという動きも見られている。
 湾岸諸国の国内治安状況はこれまで比較的良好であったが、特に2003年5月以降、サウジアラビアでは反政府勢力によるテロ活動が活発化し、サウジアラビア政府は、このような状況を受けて本格的なテロ防止対策をとっている。
 湾岸諸国は、高い人口増加率と石油収入に依存した国内経済を背景に若年層の失業問題に直面しており、各国とも若年層の雇用対策に力を入れている。しかし、依然として、労働力は外国人労働者に大きく依存しており、自国民の労働力の能力向上と労働力の自国民化の推進が課題となっている。また、中国等を中心に経済成長に伴う需要の拡大等を背景として、特に2004年8月頃から原油価格が高騰したことで石油収入が急増し、各国の歳入は増大した。サウジアラビア政府は国民の要望を受け、国内の諸改革を進めていく姿勢を明らかにし、シーア派や女性も参加する「対話のための国民集会」や地方議会選挙の実施等の改革に取り組んできている。2005年2月及び3月にはリヤド州及び東部州等において地方議会選挙が実施された。アラブ首長国連邦では、2004年11月、1971年の連邦結成以来同国の発展を導いたザーイド大統領が逝去し、長男のハリーファ・アブダビ皇太子がアラブ首長国連邦大統領に選出された。

<日本の取組>
 日本は湾岸諸国の進めている若年層の雇用対策を支援しており、例えばサウジアラビアで自動車整備技術面での人材育成を行っている。さらに、日本はGCC諸国との重層的関係を構築すべく、文明間対話や人的交流、環境分野での協力に取り組んできている。イスラム世界との文明間対話は、2002年3月バーレーン、2003年10月東京、2004年11月テヘランで開催した。女性交流では、2003年1月、湾岸諸国相手女性リーダー招聘、同年3月、イラン女性文化人・芸術家招聘、2004年3月、中東諸国女性ジャーナリスト招聘を実施した。環境分野では2001年10月、2004年2月に環境行政、海洋汚染対策等に関する研修を実施した。政府間の要人往来では、2004年1月に川口外務大臣(当時)がアラブ首長国連邦を、5月に高村総理大臣特使がサウジアラビアを訪問、湾岸諸国からは、4月にハムダーン・アラブ首長国連邦副首相兼外務担当国務大臣、6月にハマド・カタール第一副首相兼外務大臣、7月にサバーハ・クウェート首相、11月にジャービル・クウェート副首相兼国防大臣が公式訪日し、二国間関係や中東情勢について意見交換を行った。また、11月のザーイド・アラブ首長国連邦大統領逝去に際しては、川口総理大臣補佐官(前外務大臣)が同国を訪問し、弔意を表した。

 



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