第2章 地域別に見た外交


【主な欧州諸国情勢と日本外交】
 3月11日にスペインの首都マドリードで発生した列車爆破事件は、約190名が死亡、1,700名以上が負傷するという戦後の欧州史上最悪のテロ事件の1つとなり、欧州諸国のみならず、世界中に大きな衝撃を与えた。同事件の直後にスペインで行われた総選挙では、中道左派である野党社会労働党が中道右派の民衆党を破り、7年ぶりに政権交代が行われた。サパテロ首相が率いる新政権は、テロ対策を最優先課題として取り組み、外交政策でもイラクからのスペイン軍の撤退を決定するなど、大きな変化が見られた。
 英国では、2期目の終盤を迎えたブレア首相が率いる労働党政権が、イラクでの武力行使の是非や、医療、教育問題等をめぐり、厳しい国内世論に直面した。野党保守党との支持率の差は縮小し、6月の統一地方選挙及び欧州議会選挙では、労働党が改選議席を大幅に減少させた。その一方、ブレア政権は堅調な経済運営を行い、長年の課題である公共サービス改善についても、公立病院改革を行うとともに高等教育改革法などを成立させた。
 フランスでは、2003年における夏の猛暑への対応や年金制度改革に関連して批判を受けたラファラン内閣(保守中道連立政権)が、引き続き厳しい国内世論に直面した。一方、野党左派陣営は、2004年3月の地方選挙ではほとんどの地域において第一党となり、6月の欧州議会議員選挙及び9月の上院議員選挙でも得票を伸ばすなど、支持を拡大している。こうした中で、ラファラン首相は同年4月に内閣改造を行い、社会政策を優先する姿勢を示し、特に、医療保険制度改革に取り組んだ。


 ドイツでは、失業率が10.3%(2004年9月末)に達する等、引き続き厳しい経済情勢が続いているが、シュレーダー首相の強力な指導力の下、労働、年金、健康、経済、財政、教育の分野にわたる包括的な改革プログラムである「アジェンダ2010」に基づき、失業給付期間の短縮や年金受給開始年齢の引き上げ等の改革が進められている。外交面では、2月にシュレーダー首相が訪米し、イラクに対する支援を行っていくことについて独米首脳間で再確認した。また、日本、インド、ブラジルとともに国連改革の推進に努力した(173ページ参照)。
 リトアニアでは、パクサス大統領が国家機密の保護を確実に行わなかったこと等の憲法違反を理由として罷免され、アダムクス元大統領が後任の大統領に選出された。また、アイスランド、エストニアでは内政上の理由により、また、ポルトガルではバローゾ首相の欧州委員長就任に伴い、首相が交代した。
 このほかの国では、ユンカー・ルクセンブルク首相、ブラザウスカス・リトアニア首相が、総選挙の結果、政権を維持した。また、アイルランドでは、マッカリース大統領が再任された。
 欧州は、EUという地域統合体としての存在に加え、個々の国々という視点からも、政治・経済いずれの面においても国際社会で重要な役割を果たしており、日本は、これら諸国を外交上の重要なパートナーと位置づけ、関係を強化してきている。要人の往来(注18)が特に活発であることもそのような事実を裏付けている。
 また、国際会議などにおいても日本と欧州諸国との協議は活発に行われている(注19)。G8シーアイランド・サミット(6月)の際には、小泉総理大臣はシラク・フランス大統領、ブレア英首相、シュレーダー・ドイツ首相とそれぞれ首脳会談を行った。また、10月のASEM5においては、小泉総理大臣とシラク・フランス大統領との会談が再度実現した。
 こうした往来や協議を通じ、日本は、欧州諸国と、二国間関係のみならず、国連改革やイラク、アフガニスタン復興等の国際的な問題で緊密な協力を進めた。特に、イラクの復興支援に関しては、3月のドビルパン・フランス外相の訪日の機会には、双方が協力してイラク支援に取り組む決意を再確認したほか、12月のシュレーダー・ドイツ首相の来日時には、日独首脳会談において、警察分野や文化遺跡保存の分野において両国がさらに協力を進めていくことで合意した。
 皇室・王室関連では、2004年3月に秋篠宮同妃両殿下がオランダ、5月に皇太子殿下がデンマーク、ポルトガル、スペインを御訪問になり、11月にはデンマーク女王陛下及び王配殿下が国賓として訪日された。また、3月にアンドリュー・英国王子殿下、4月にエドワード・英国王子殿下、9月にマルグリート・オランダ王女殿下が訪日され、寛仁親王殿下及び彬子女王殿下が英国、6月に高円宮妃殿下が英国を御訪問されたほか、4月から承子女王殿下が英国に御留学されている。8月にはアテネ五輪に際し、常陸宮同妃両殿下がギリシャを御旅行された。



▲国賓として訪日されたデンマーク女王陛下及び王配殿下と御会見される天皇皇后両陛下(11月 提供:宮内庁)


<バルカン情勢>
 バルカン情勢は、全体として引き続き安定化と民主化の方向に向かっていると言えるが、依然として一部では民族間の不信・憎悪は修復されておらず、2004年3月にはコソボで大規模な暴動が発生し、800人以上の死傷者を出した。このような情勢の中で、日本は4月に東京において、EU議長国であるアイルランドと共催で「西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合」(注20)を開催した。この会議で川口外務大臣(当時)は、この地域において取り組むべき課題として「平和の定着」・「経済発展」・「域内協力」の三本柱を提唱し、結論文書が採択された。日本としては、民族融和のためのシンポジウムや産業振興のためのワークショップの開催等を通じて、引き続きこの地域の平和の定着に努力していく方針である。 

<ウクライナ情勢>
 ウクライナでは11月に大統領選挙が行われ、第1回投票の上位2候補者(与党のヤヌコーヴィチ首相及び野党のユーシチェンコ元首相)による決選投票が実施されたが、与党候補が勝利したとの結果発表に対して野党陣営は選挙において不正があったと指摘した。ロシアは早い段階でヤヌコーヴィチ候補の当選を祝したが、米国やEUは、この選挙は民主的基準を満たすものではなかったと批判した。その後、国を東西に二分する大規模な抗議行動に発展し、EUを中心とする国際社会の仲介により事態の打開のための努力が行われ、最高裁判所は投票のやり直しを命じた。その結果、12月に行われたやり直し投票においてユーシチェンコ元首相が勝利を収め、2005年1月に大統領に就任した。日本は、投票のやり直し等を通じてウクライナ国民の意思が公正に反映されることと、ウクライナの一体性の維持を求める町村外務大臣談話を発出し、延べ38名の選挙監視要員を派遣したほか、公正な選挙を訴えるポスターの作成・配布のため、現地のNGOに対する草の根・人間の安全保障無償資金協力を行った。

 



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