第4章 外交の広がり 

1 日本のNGOの活躍

 欧米社会においては従来から市民社会(シビル・ソサイエティ)が発達しており、NGOが様々な分野で活発な活動を行ってきたが、近年、日本のNGOも開発援助はもとより、環境・自然保護、軍縮・不拡散、経済等の分野で、国際社会において活躍するようになってきている。NGOは、元来、地域社会や住民に密着したきめ細かい活動や迅速かつ柔軟な対応に適しており、近年は日本のNGOも国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や世界食糧計画(WFP)等の国際機関と積極的に連携して支援プログラムに取り組んでいる。
 政府としても、このようなNGOによる活動の利点とNGOの存在と役割の高まりを認識し、「開かれた外務省のための10の改革」において、NGOとの連携の強化が方針の一つとして掲げられた。また、NGOとの関係強化は、一連の改革において常に論点となっており、「変える会」や「第2次ODA改革懇談会」の提言においてもその必要性が指摘されている。
 このような動きを踏まえ、外務省はNGOとの連携を推進するために、2002年11月よりNGO担当大使を設置した。NGO担当大使はNGOと外務省の意見交換・情報交換の機会に外務省を代表して参加するとともに、NGOとの対話・協力の機会が多く予定される国際会議等に関しても、NGOに対する側面支援を行っている(注1)

 開発援助分野
 NGOによる国際協力活動は、開発途上国・地域の多様なニーズに応じたきめ細かな援助や、迅速かつ柔軟な緊急人道支援活動を実施できるという観点から、また、日本の顔の見える支援という観点からも、極めて重要である。NGO・外務省定期協議会については、1996年以来、基本的に年4回実施されていたものを、2002年度より全体会議に加え、政府開発援助(ODA)政策協議会と連携推進委員会の2つの小委員会を設立した。
 「ODA大使館」については、日本のNGOが比較的多く活躍する開発途上国において、日本大使館、国際協力機構(JICA)や国際協力銀行(JBIC)の海外事務所とNGOとの間で2002年度より開始し、これまでに、カンボジア、バングラデシュ、ケニアなど12か国において実施している。
 NGOの活動を支援するための資金協力形態としては、従来NGO事業補助金、草の根無償資金協力などがあったが、2002年度には日本NGO支援無償資金協力(2003年度予算額22億円)及び草の根技術協力(同10.9億円)を新設し、NGO支援の充実を図ってきている。同時に、日本NGO支援無償資金協力においては、従来認められていなかったNGO本部経費も一部支援対象として含めるなど支援対象経費を拡充したほか、資金の適正使用の確保のため全対象事業について外部監査を義務づけている。
 また、NGOが行う緊急人道支援活動については、ジャパン・プラットフォーム(JPF)(注2)の枠組みを通じて、政府とNGOとの連携を深め、日本のNGOが迅速かつ効果的な活動を行うことができるよう2001年度より政府資金を拠出している(政府は2003年度には計27億円を拠出)。米英軍による対イラク武力行使開始に際しても、JPFに参加する複数のNGOで構成する合同チームが、いち早くイラク・ヨルダン国境地帯で難民等に対する緊急医療体制を整えたほか、イラク国内においても、戦争中から現在に至るまで、傘下のNGO数団体が国内避難民支援(生活必需品等の配給)、病院、学校の修復などの活動を行っている。
 また、8月には、第3回アフリカ開発会議(TICADIII)に向けた「NGO国際シンポジウム」が国連大学において外務省等の後援で開催された。同シンポジウムでは、アフリカの開発について現状を把握し、NGOとしてアフリカの開発にいかなる貢献が可能かを主要なテーマとして、アフリカから9人のNGO代表を招待するとともに、日本のNGO関係者、学生、一般市民の方々約300人の参加者を得て、活発な議論が行われた。具体的には、紛争予防、HIV/AIDS・感染症、農村開発、債務等アフリカの直面する課題について話し合われ、同成果は「NGOからの提言書」としてまとめられ、TICADIIIでも発表された。

  <その他の分野>
 経済面では、例えば、9月にカンクン(メキシコ)で開催された第5回WTO閣僚会議に先立つ2月及び8月に、外務省はWTO新ラウンド交渉に関する説明会を開き、カンクン閣僚会議で予想される議論の焦点について議論の現状を説明するなど、民間団体等の理解と協力を得るとともに、様々な意見を収集した。また、同閣僚会議の終了後の11月には、カンクンでの交渉全般の経緯と今後の方向についてのNGO主催の報告及び意見交換会が開かれ、外務省、農林水産省、経済産業省から担当者が出席した。さらに、同月、外務省主催で民間団体等を対象にWTOカンクン閣僚会議に関する説明会を開催するなど、WTOドーハ・ラウンドにおいてもNGOとの連携をとってきた。
 環境面においては、特に3月の第3回世界水フォーラム開催に際して、その準備段階からNGOとの対話と連携を重視してきた。さらに、最終日23日には、日本水協力イニシアティブにおいて、安全な飲料水の供給と衛生、農業生産性の向上、災害対策などの分野において、国際、現地、日本の多様なNGOとの連携を強化することが公表された。
 軍縮・不拡散面においても、外務省は、核廃絶を目指すNGOと核軍縮の進め方について意見交換しているほか、地雷除去や小型武器の回収への取組にあたってはNGOと緊密な連携をとって行っている。
 一方、日本のNGOの多くは、先進主要国のNGOと比べ財政的・組織的基盤が脆弱であることから、NGOが国際協力においてより一層の活躍をするためには、その専門性や組織運営能力の強化が必要である。このような観点から、NGOの組織強化や人材育成などを支援するために、外務省やJICA、国際開発高等教育機構(FASID)により、様々なプログラムを実施している。

 
 被災地の背景に配慮できる緊急救援体制
Column

 2003年12月26日午後、イランで地震発生の第一報が飛び込んできました。すぐに情報収集を開始し、現地活動協力者や民間団体との情報交換にとりかかりました。
 翌27日朝、緊急医療救援チームの派遣を決定、ほぼ同時にアフガン難民の医療支援プロジェクトを実施しているパキスタン・クェッタ事務所に出張中の緊急救援事業部長がイランに向けて出発しました。クェッタから被災地・バムに到着したのは28日、外国団体の中ではいち早く調査と医療支援を開始し、まさに地の利を活かした初動でした。
 31日、本部からの医師、看護師、調整員の3名及びイラン人医師は先遣隊と州都ケルマンで合流、同日より現地行政機関からの要請で、ケルマン州立総合病院の集中治療病棟(ICU)での救急救命医療支援を開始しました。病院ではバムから搬送された多数の重症・重傷患者が手当を受けていました。AMDAはICUの混乱がほぼ収束する1月3日まで、医療機材の整備と医療職の支援とを継続しました。
 並行して、バムと隣接するバラヴァトにて巡回診療を開始しました。震災直後には航空機を用いた救急・重症患者の搬送が迅速に進められましたが、AMDAによる被災地の医療調査で、慢性疾患を患っている方が通常の医療サービスが途絶えてしまったことで治療を受けられなくなっていたり、混乱状態の病院で充分な手当が受けられなかった人が、市街に多数残されていることがわかったからです。そこで、1月1日から車にスタッフと機材を搭載して、ケルマンからバムに通うことにしました。イラン国内の医療職との合同によるAMDAチームは、11日までの10日間、被災地の1~2か所に拠点を設け、合計300人余りに対して診療を行いました。
 バムの市街は、高くそびえるものといえば電柱と特産のナツメヤシばかりという有様で、建造物のほとんどが踏み潰されたように崩落し、塵埃が舞っていました。日本と同様、イランも地震多発地域にありますが、耐震建築などの災害対策は浸透していません。ほぼ無防備の状態で罹災した住民は、元の住居のそばにテントを張り、配給品や自宅から辛うじて持ち出したらしい物品を置いて、なんとか暮らしをつないでいます。あまりの出来事にテントで鬱々とうずくまっている人、病院に行く気力が出ずケガを放置している人が多いように見受けられました。
 事態が収束に向かって町の雰囲気も変わり始めた頃、本部から派遣した医療チームはいったん現地協力者に後事を託し、帰国しました。一方、AMDAインドネシア支部から派遣された医師たちは主にジロフとバムで医療支援を実施し、また、岡山県・イラン政府・AMDAの連携により、岡山空港に備蓄されていた岡山県民から寄せられた救援物資も空輸されました。
 AMDAは、現地主義(ローカル・イニシアティブ)を貫いています。プロジェクトを実施する上で現地の文化、政治、経済社会的背景を考慮し、現地住民の選択を重んじることが重要です。日本人スタッフに関して、現地情勢に通じたスタッフを派遣し、現地社会で受け入れられる、現地の人々に迎えていただけることを心がけています。今回もイラン社会、イスラム社会に造詣の深いスタッフが揃い、イラン政府との折衝、物資調達、そして医療活動についても現地の人々に誤解されることなく進めることができました。日本国内より多くの団体・個人の方から被災地を気遣うお気持ちをお預かりし、今後の復興支援についても、地元住民の意向をよく聞き取りつつ、実施して参ります。
特定非営利活動法人AMDA


 

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