【日本の取組】
<TICADプロセス>
冷戦終結後、先進諸国がいわゆる「援助疲れ」に直面し、国際社会のアフリカに対する関心が低下する中、アフリカは急速に進展するグローバル化の潮流から取り残されようとしていた。こうした状況の重大さをいち早く認識した日本は、国際社会のアフリカ問題への関心を再喚起するために、国連、アフリカのためのグローバル連合(GCA)とともに1993年にTICADを開催した。その後、国連開発計画(UNDP)、世界銀行を共催者に加え、1998年にTICADII、2001年にTICAD閣僚レベル会合を開催した。TICADプロセスは、オーナーシップとパートナーシップを基本哲学とし、アジアの開発経験に基づく南南協力の推進などをその特徴として、国際社会におけるアフリカ問題への取組をリードし、アフリカ自身の手によるはじめての開発戦略であるNEPADの成立などアフリカ自身の積極的な取組にも大きく貢献した。
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第3回アフリカ開発会議(TICADIII)>
TICADプロセスの10周年である2003年、9月29日から10月1日に東京で第3回アフリカ開発会議(TICADIII)が開催された。同会議には、89か国(アフリカ50か国)及び47機関が代表団を送り、アフリカ23か国の首脳やコナレAU委員長(元マリ大統領)をはじめとする関係国・機関の長、アフリカのみならず先進諸国やアジアを含む各国から多数の閣僚級の参加者、NGO関係者を含む1,000人以上の参加を得て、日本の外交史上稀にみるレベルの参加者と規模の国際会議となった。
TICADIIIでは、アフリカのオーナーシップの具体化であるNEPADに対する国際社会の支援の結集とアジア諸国などを含むパートナーシップの拡大を目標として議論を行った。その結果として、平和の定着や人間の安全保障の重視やアフリカの多様性の尊重など国際社会の対アフリカ協力の方向性を示す「TICAD10周年宣言」を採択し、TICADIIIの議論の結果をまとめた「TICADIII議長サマリー」を発出した。日本は、
小泉総理大臣が開会式の基調演説において日本の対アフリカ支援イニシアティブを発表し、また、日本の現職総理大臣として初めてアフリカを訪問した森前総理大臣が政府代表として議長を務めるなど主催国として存在感を示すことに成功した。TICADは10年の継続を経て、アフリカ開発問題についての世界最大級の政策フォーラムとしての地位を確立し、国際社会におけるアフリカ問題への取組の推進において大きな役割を果たすことができた。また、出席各国・機関からの高い評価と継続の要望を受けて、今後TICADプロセスをより制度化していくことが新たな課題とされた。同会議は、世界が様々な脅威への対応を求められる中で、アフリカにおける諸問題の解決が世界全体の安定と繁栄にとり不可欠であるとの認識を再確認する上で有意義であった。
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日本の対アフリカ支援イニシアティブ>
TICADIIIで小泉総理大臣が表明した日本の対アフリカ支援イニシアティブは、2003年5月に同じく小泉総理大臣から発表された「
日本の対アフリカ協力イニシアティブ」を具体化したもので、「人間中心の開発」、「経済成長を通じた貧困削減」、「平和の定着」を三本柱としている。また、分野横断的な目標として、「南南協力」の推進、「人間の安全保障」の追求を掲げている。
「人間中心の開発」については、日本はTICADIIで表明した基礎生活分野での7.5億ドルの支援をTICADIIIまでに達成したのを受け、さらにHIV/AIDS対策を含む保健医療、教育、水分野や食糧支援において、今後5年間で10億ドルを目標に無償資金協力を実施することを表明した。
「経済成長を通じた貧困削減」については、日本は農業生産性の向上、インフラ整備、貿易・投資の促進への取組を重視している。貿易・投資分野では、TICADIIIで小泉総理大臣は、2004年秋に「TICADアジア・アフリカ貿易投資会議」を開催することを表明した。また、農業分野におけるネリカ米の開発・普及の協力は、アジア・アフリカ協力の成果の具体例である。
「平和の定着」については、日本はアフリカにおいて特に求められる人間の安全保障の視点も踏まえつつ、アンゴラ、シエラレオネ、コンゴ民主共和国、リベリア等における平和の定着や、DDR(元兵士の武装解除、動員解除、社会復帰)、難民支援等を二国間もしくは国際機関を通じて実施してきている。また、AU、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、南部アフリカ開発共同体(SADC)等、近年積極的に紛争解決に乗り出している地域機関との協力を進めている。また、2003年4月には、「アフリカにおける紛争及び難民問題担当大使」が任命され、エチオピア、エリトリア、スーダン、タンザニア等を訪問し、紛争問題解決に向けて積極的に関与すべく努めている。
<日・アフリカ間の対話交流の促進>
「対アフリカ協力飛躍の年」
(注)である2003年には、首脳レベルを含む多くの日・アフリカ間の対話・交流が行われた。3月にはアフリカにおける「良い統治」の代表国であるボツワナのモハエ大統領が、「第3回世界水フォーラム」への参加のために来日、5月にはNEPAD創設者の一人であり、アフリカを代表する政治家の一人であるワッド・セネガル共和国大統領が日本を公式訪問し、それぞれ小泉総理大臣と首脳会談を行った。さらに、TICADIIIの機会には、小泉総理大臣が出席した23人のすべてのアフリカ首脳及びコナレAU委員長と個別に首脳会談を行うなど、2003年には日・アフリカ間の協力関係が大きく前進した。
一方、矢野外務副大臣はTICADIIIに向けた協力について協議すること等を目的として、3月にエチオピア、ケニア、アンゴラを、8月に南アフリカ共和国、モザンビーク、タンザニア、スーダンを訪問した。また、2004年1月、田中外務大臣政務官は、ガーナ、コートジボワール、ベナン、ブルキナファソを訪問し、各国要人とTICADIIIのフォローアップや平和の定着に関する意見交換を行った。また、2003年7月にモザンビークで開催された第2回AU首脳会議及び8月のSADC首脳会議には、佐藤アフリカ難民・紛争問題担当大使が出席、小泉総理大臣のメッセージを発表した。さらに、8月、11月にはそれぞれ日・南アフリカ、日・ナイジェリア間の二国間ハイレベル政策協議が行われ、実務レベルでも協力関係が強化された。その他にも、日・AU友好議員連盟の発足、アフリカン・フェスタ2003の開催等、日・アフリカ間の幅広い関係促進が図られた。