【日韓関係】
1998年の金大中大統領訪日を契機に、日韓国民間の交流は飛躍的に拡大した。特に、2002年には、ワールドカップ・サッカー大会の共催及び850件近く行われた「日韓国民交流年」関連行事を通じて、日韓両国民の相互理解・相互信頼はかつてないほど深まった。
2002年12月に行われた韓国大統領選挙の結果、盧武鉉政権が発足し、引き続き日韓間の緊密な協力関係が進められてきている。新政権発足前の2003年1月に川口外務大臣が訪韓したのに続き、2月25日には小泉総理大臣が大統領就任式出席のため訪韓し、盧武鉉新大統領と首脳会談を行った。両首脳は、日韓関係を一層発展させることを確認するとともに、北朝鮮の核開発問題が国際社会にとっての大きな懸案となっている状況の下、対北朝鮮政策についても率直な意見交換を行った。
6月6日から9日には、盧武鉉大統領が国賓として訪日した。その際、日韓首脳会談を通じて日韓首脳間の個人的信頼関係が強化されたほか、テレビを通じた国民との対話等により盧武鉉大統領及び韓国に対する日本国民の親近感が一層増した。両首脳は、会談後、「
日韓首脳共同声明」を発出し、日韓関係について、今後引き続き、交流の拡大を通じ両国民間の信頼と友情を絶え間なく深化させ、両国関係を一層高いレベルへと発展させていくとの決意を共にした。また、北朝鮮問題については、問題を平和的、外交的に解決するために、今後とも日米韓が緊密に連携し、中国、ロシア等関係国を含む国際社会と引き続き協力していくこと等を確認した。
続いて8月22日から23日には、川口外務大臣が訪韓し、盧武鉉大統領及び尹永寛(ユンヨングァン)外交通商部長官と会談、六者会合に向けての対応を中心とした北朝鮮の核問題、日韓間の具体的な協力策等につき意見交換を行った。
日韓両国民の交流に関しては、2002年7月の日韓首脳会談において、ワールドカップ・サッカー大会の日韓共催の成功とその精神を継承するため、「
日韓共同未来プロジェクト」の実施に合意した。本プロジェクトは、日韓両政府が、青少年、スポーツ交流等につき、年間1万人超を目標として支援するものであり、2003年1月より実施している。また、本プロジェクトを推進する方法につき協議するため、日韓で共同プロジェクト・チームを結成し、半年に一度を目途に共同プロジェクト・チーム会合を開催している。
また、2004年3月より、中・高校生の交流を促進する目的等から、日本を訪れる韓国人修学旅行生のビザを免除する措置がとられることとなった。
韓国政府は、日本文化開放政策の一環として2003年9月及び12月に第4次大衆文化開放を発表し、2004年1月より映画、レコード及びゲームソフト販売をすべて開放した。また、放送分野についても、制限は残っているものの大幅な開放措置がとられた。
2003年6月の日韓首脳会談で、両首脳は、日韓国交正常化40周年にあたる2005年を「ジャパン・コリア・フェスタ2005」(愛称:「日韓友情年~進もう未来へ、一緒に世界へ~」)とし、日韓両国で各種交流事業を実施することに合意した。
なお、日韓間の諸懸案事項として、
竹島をめぐる領有権問題、
日本海呼称問題などがある。竹島は歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本の領土であるというのが日本の一貫した立場である。この問題は平和的に解決されるべきであり、政府としては外交上の経路を通じて粘り強く本件紛争の解決を図り、諸般の情勢を勘案しつつ効果的な方途を探求していく方針である。2004年1月には、韓国において竹島を意匠・主題とした切手が発行されたが、日本は韓国に対して厳重抗議するとともに、万国郵便連合事務局を通じ、この切手が万国郵便連合憲章前文及び諸決定の精神に反するものとし、同連合全加盟国に対して回章の形で訴えている。また、日本海呼称問題については、「日本海」は地理学的、歴史的に広く定着した呼称であり、国際社会に対し、日本の立場への理解と支持を求めていく方針である。