第1章 総括:2003年の国際情勢と日本外交 

(2)三者会合から六者会合へ
 周辺関係国間では、北朝鮮の核問題の平和的解決に向けた活発な外交努力が行われ、それが4月の米中朝三者会合、8月の六者会合へと繋がった。

【米中朝協議】
 4月の三者会合の実現に当たっては、中国の仲介努力が一定の建設的役割を果たした。北朝鮮は、従来より、米朝間での交渉を求めてきており、2002年10月の核危機再燃後も、米朝間の不可侵条約の締結と引き替えに核問題に関する交渉に応じる、核問題については米国とのみ対話するとの立場をとった。これに対し、米国は、「合意された枠組み」に北朝鮮が一方的に違反したこともあり、米朝二者間での交渉には応じないとの立場を堅持していた。結局、中国の介入もあり、北朝鮮が、米国、北朝鮮、中国の三者による会合への参加を受け入れたため、同会合が実現した。
 4月23日から25日にかけ北京にて開催された三者会合では、米国は、北朝鮮によるすべての核計画の完全、検証可能かつ後戻りのできない形での廃棄が必要である旨改めて述べるとともに、日韓の参加した会合の早期開催の必要性を指摘した。これに対し、北朝鮮は、核、ミサイル問題の解決等に関する包括的な案を提示しつつも、使用済み核燃料棒の再処理をほとんど終えている等、緊張を高める発言を行った。結局、こうした北朝鮮側の言動もあり、三者会合では協議の実質面で目に見える進展は得られなかったが、多者間での外交努力を通じた問題の解決に端緒をつけたという意味で一定の意義もあった。

 
朝鮮半島をめぐる情勢

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