第1章 総括:2003年の国際情勢と日本外交 

【治安情勢】
 治安面では地域により大きな差があるものの依然として流動的な状況が続いている。4月にフセイン政権が崩壊すると、圧政下で厳しい生活を強いられてきたイラク国民の多くはこれを歓迎した。その一方で、治安維持を担う警察組織は政権の崩壊によって機能せず、各地で市民の略奪行為が相次ぐとともに、主としていわゆるスンニー・トライアングルを中心に旧体制支持勢力等による連合軍等への散発的な攻撃が発生するなど国内秩序の混乱が大きな問題となり、早急な治安改善が課題となった。米軍等は、イラク国内の治安の維持のため、フセイン政権の残党、外国人武装勢力やその他の過激派・破壊活動分子等を制圧しながら、フセイン元大統領の元側近等の捜索や大量破壊兵器の捜索活動を進めた。
 加えて、電気・水道・ガソリンの供給などインフラ整備もフセイン政権の残党等による襲撃等のために遅滞したため、なかなか市民の生活環境に改善が見られず、イラク国民の不満の高まりに一層拍車をかけることとなった。8月以降、襲撃の標的は米英軍から次第に拡大していった。デ・メロ国連事務総長特別代表を含む19名の犠牲者を出したバグダッドの国連本部への爆弾テロ攻撃(8月19日)は国際社会に大きな衝撃を与えた。これによりイラク復興プロセスに乗り出しつつあった国連は、イラクにおける国連職員の国外退避を余儀なくされ、イラクにおける国連の活動が当面困難となった。
 また、赤十字国際委員会現地本部に対する自爆テロ(10月27日)、ナーシリーヤにおいてはイタリア軍警察基地を標的とした自爆テロ(11月12日)、さらにはイラク復興のためCPAとの調整に努めてきた日本人外交官、奥克彦在英国大使館参事官(当時)、井ノ上正盛在イラク大使館三等書記官(当時)及びジョルジース在イラク大使館職員の殺害(11月29日)、スペイン国家情報局員7名の殺害(11月29日)、韓国人技師2名の殺害(11月30日)など、米英軍以外の軍や非武装の文民、国際人道機関等従来は標的とされてこなかったソフト・ターゲット(警備の緩やかな標的)が標的となる傾向も見られた。また、ムハンマド・バーキル・アル・ハキームSCIRI議長を含む100名以上が死亡したイスラム教シーア派聖地ナジャフにおける爆弾テロ(8月29日)、アキーラ・ハーシミー統治評議会メンバーの殺害(9月20日)、イラク各地の警察署に対する爆破事件(11月22日、12月14日等)など、復興に協力するイラク人自身も攻撃対象となることもあった。11月には一時的に被害状況の急増が見られたが、12月13日にフセイン大統領がティクリート付近で米軍により拘束されて以降、米英軍その他の連合軍の被害は11月以前の水準に戻ったものの、攻撃は断続的に続いている。2004年に入っても、バグダッド、カルバラにおいてイスラム教宗教行事中に大規模なテロが発生(ともに3月2日)するなど、情勢は全般として予断を許さない状況にある。
 なお、日本の働きかけもあり、2003年12月8日、国連安保理において、日本人外交官を含む人々への攻撃を非難し、犠牲者、家族への哀悼の意を表し、犯人処罰への協力と国際社会の包括的取組を促す安保理決議1511の完全な履行の必要性をすべての国に改めて訴える内容の安保理議長声明が発出された。

 

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