【主要な地域情勢】
日本周辺諸国では、韓国と中国で2003年に入り指導部が交代した。韓国では、盧武鉉(ノムヒョン)大統領の下で、北朝鮮に対し金大中(キムデジュン)前政権の太陽政策を継承した「平和・繁栄政策」が進められた。北朝鮮は依然として核問題をめぐり挑発的な外交を続けているが、中国をはじめとする関係国の働きかけに対し、4月には米国、中国、北朝鮮による三者会合、8月及び2004年2月には日本、米国、韓国、中国、ロシア、北朝鮮による六者会合に応じている。北朝鮮情勢には大きな進展は見られていないが、関係各国には事態の改善に向けて引き続き粘り強い外交を行うことが求められている。
中国は胡錦濤(こきんとう)新国家主席の下で、経済発展の推進に向けて安定した周辺環境を確保すべく、特にアジアにおいて積極的な外交を展開している。東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係では、10月のバリ島における中・ASEAN首脳会議の際に東南アジア友好協力条約(TAC)に加入するとともに、「中・ASEAN戦略的パートナーシップ共同宣言」に署名し、連携の強化を図っている。また、北朝鮮の核・ミサイルをめぐる問題について、国際社会と北朝鮮の仲介役として米国、中国、北朝鮮による三者会合や六者会合の開催を実現させるなど積極的な役割を果たし、国際社会の注目を浴びた。
軍政が続くミャンマーにおいては、2003年5月30日にアウン・サン・スー・チー女史が地方遊説の途次に拘束され、当初は居場所も不明という状況が続いた。その後、キン・ニュン首相が民主化に向けたロードマップを発表するとともに、スー・チー女史も自宅に移された。さらに、12月にバンコクで開催されたミャンマー関心国会合において、ミャンマー外務大臣が国民会議の早期開催に向けた取組について説明する等、同国の状況には一定の変化が見られており、すべての関係者が参加する民主化プロセスの具体的進展が期待されている。
インド・パキスタン関係は、2001年12月のインド国会議事堂襲撃事件以降、緊張が高まったが、日本を含む国際社会の働きかけもあって緊張緩和に向かい、特に2003年4月以降、両国により関係改善に向けた具体的な措置がとられた。7月の大使の交換やバス運行の再開、11月にはカシミールの管理ライン沿いにおける停戦、2004年1月には航空、鉄道再開等が行われた。また、2004年1月にイスラマバードで開催された南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議の際に、約2年半ぶりにバジパイ・インド首相とムシャラフ・パキスタン大統領の間で首脳会談が実現して対話の再開に合意したことは、両国関係の改善と地域の安定にとり重要な進展であった。
スリランカでは、2002年2月の政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の停戦合意後、9月から2003年3月にかけて6回の和平交渉が行われたが、2003年4月にLTTE側が一方的に和平交渉の中断を表明した。その後、政府、LTTE双方から北・東部の暫定統治に関する提案がなされるなど和平交渉再開に至るかと思われたが、2003年11月以降の大統領と首相の衝突による政治的混乱のため、交渉の再開には至っていない。
中東和平問題については、和平への道筋を定めたロードマップにイスラエル、パレスチナ双方がコミットし、過激派が停戦に合意するなど中東和平の進展に向けた期待感が高まった。しかし、イスラエル・パレスチナ間の和平交渉が進展しないまま、イスラエルが過激派の暗殺を継続したこと、パレスチナ側も過激派の取締りに成果を上げられなかったことから、ロードマップは再び停滞し、4月に就任したばかりのアッバース・パレスチナ自治府政府首相は9月6日、首相職を辞任した。以後、パレスチナ過激派によるテロ、イスラエルによる「分離壁/フェンス」建設が続行し、イスラエル・パレスチナ間のハイレベルの対話は実現しないまま、事態の大幅な改善は見られなかった。そうした中で、2004年3月22日、イスラム過激派ハマスの精神的指導者であるアハマド・ヤシン師がイスラエル空軍の攻撃により殺害され、中東和平問題は混迷の様相を呈している。