1855年、全く平和的、友好的な形で締結された日露通好条約は、当時自然に成立していた択捉〔えとろふ〕島とウルップ島の間の国境をそのまま確認し、北方四島(歯舞〔はぼまい〕群島、色丹〔しこたん〕島、国後〔くなしり〕島、択捉島)が日本領であることを確定しました。北方四島は、それ以降も外国の領土となったことのない日本固有の領土です。
1945年、ソ連は、当時有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後に千島列島の占領を開始しました。そして8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領し、1949年までに1万7,000人すべての日本人を強制退去させました。北方四島では、今日まで、ソ連、ロシアによる不法占拠が継続しています。
1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島を放棄しましたが、その中に北方四島は含まれていません。なお、ソ連はこの条約の締約国ではなく、この条約の起草国である米国は、日本の立場を一貫して支持しています。
1956年の交渉では、歯舞・色丹を除いて領土問題について日ソ両国の意見が一致する見通しが立たなかったので、日ソ共同宣言によってまず国交を回復し、平和条約交渉は継続することとなりました。1960年代以降、ソ連は領土問題は存在しないとの立場を取り続けていましたが、1993年の東京宣言において、四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結すべく交渉を継続することで合意し、2001年のイルクーツク声明に至っています。