第3章 > 第3節 > 3 人権
【総論】
世界各地で宗教や民族の違い等に起因する紛争・事件が頻発し、多数の人々、特に一般市民が被害者・犠牲者となっている。また、国民の生命・自由にかかわる深刻な人権侵害の事案が、引き続き国際社会の懸念事項となり続けている。人権問題への対応は、日本を含む国際社会が取り組むべき重要な課題である。
日本は、
人権は、文化や伝統、政治経済体制、発展段階のいかんにかかわらず、尊重されるべきものであり、その擁護は各国の最も基本的責務であること、
人権は、普遍的な価値であり、かつ、国際社会の正当な関心事項であって、こうした関心は内政干渉ではないこと、
自由権、社会権等すべての権利は、不可分、相互依存的かつ相互補完的であり、均等に擁護・促進する必要があること、の三つの基本原則を踏まえ、国連人権委員会等の国際フォーラムで、また、各国との二国間対話を通じて、国際的な人権規範の発展・促進を始め、各国の人権状況の改善に向けた取組を進展させるため努力している。
【人権】
〈人権に関する国連の政府間フォーラムの動き〉
2002年3月から4月にかけて、ジュネーブにおいて開催された国連人権委員会第58会期では、採択された決議・決定・議長声明数、投票回数ともに過去の記録を更新した。今会期は、中東情勢の悪化を受け、中東問題が全会期を席巻し、例年採択されてきた「チェチェン人権状況決議」や「イラン人権状況決議」が否決されるなど、対決色の濃い会期となった。
日本は、上述した基本原則を踏まえ、これまでと同様、カンボジア人権状況決議案の主提案国として、決議案の作成に積極的な役割を果たしたほか、他の決議案の審議において、アジア諸国やアフリカ諸国と他の地域諸国との間で橋渡しの役割を果たすなどの貢献を行った。
2002年の国連総会第三委員会(注)では、「人種主義に反対する世界会議フォローアップ決議案」や「発展の権利決議案」等において、引き続き、西欧諸国と開発途上国との立場の違いが鮮明となった。このような中、日本は、二国間における人権対話の結果を踏まえ、関連の決議案の審議に建設的な貢献を行った。また、従来から主提案国として提出してきたカンボジア人権状況決議案に加え、新たにフランスと共に共同提案国として、クメール・ルージュ裁判の立ち上げに関する話合いの再開を求める決議案を提出した。これら決議案は、関係国との困難な調整の末、採択された。また、北朝鮮による拉致問題を含む強制的失踪の問題に関する決議が全会一致で採択されたが、日本は共同提案国としてこの決議の作成に貢献した。
〈二国間人権対話〉
人権の擁護・促進を図っていくためには、国連などのフォーラムを通じた取組に加え、二国間の対話を通じた相互理解を図ることが重要である。この観点から、日本は、2002年2月に、テヘランでイランとの間で第2回目となる対話を行ったほか、3月及び5月には、タイとの間で、それぞれ東京とバンコクで2回の人権対話を行った。さらに、7月には、スーダンのハルツームで人権対話を実施した。このほか、要人の往来等の機会を活用し、諸外国との間で人権に関する意見交換を行っている。
〈人権条約に基づく政府報告書の提出〉
主要人権6条約に基づく各委員会による活動は、政府間のフォーラムの活動としてのみならず、国際社会において人権を擁護し、促進していくためのメカニズムとしても、いわば車の両輪として重要な役割を果たしている。これら6条約は、各締約国に対し、条約の国内実施状況に関する定期的報告を国連事務総長に提出することを求めており、日本は、2002年9月、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に関する第5回報告を提出した。2003年7月の第29回女子差別撤廃委員会においては、1998年に提出した第4回報告とともに一括して審査が行われる予定である。
〈各種人権フォーラムでの選挙〉
日本は、1982年以来連続して国連人権委員会のメンバーとなっているが、2002年4月に実施された国連人権委員会選挙において再選を果たし、引き続き2003年から2005年までの期間、同委員会メンバーとして活動を行っていくことになった。また、8月及び9月に、女子差別撤廃委員会選挙、市民的及び政治的権利に関する国際規約委員会(B規約委員会)選挙がそれぞれ行われ、日本の齋賀富美子候補(国連代表部大使)、安藤仁介候補(同志社大学教授)がそれぞれ当選した。
〈国連人権高等弁務官事務所(UNHCHR)〉
2002年9月にデメロ新人権高等弁務官が就任したが、国連による人権分野での技術協力等の活動は、各国の人権状況の改善努力を側面支援するものとして大きな役割を果たしている。日本は、UNHCHR等の活動を支援しており、UNHCHRが運営する諮問サービス基金を始めとする各種基金に対し、約7,100万円を拠出した。
【児童】
2002年5月、ニューヨークの国連本部にて子ども特別総会が開催され、総計187か国の政府、700の非政府組織(NGO)が参加した。日本からは、遠山文部科学大臣を首席代表とし、有馬真喜子総理大臣個人代表のほか、子どもやNGO、国会議員等を含む45名の政府代表団が出席した。この特別総会は、1990年の「子どものための世界サミット」のフォローアップ会合であり、1990年以降の国際社会の取組、特に、同サミットで採択された設定目標の達成状況についての確認・検討が行われた。また、同特別総会では、残された課題と新たな課題の達成に向けた行動について協議が行われ、国際社会に対して、今後の具体的な取組を呼びかける文書である「子どもたちにふさわしい世界(A World Fit for Children)」を採択した。遠山文部科学大臣は、本会議にて演説を行い、ポリオ撲滅等の子どもの健康のための日本の国際協力や、2001年12月に横浜で開催された第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議の開催等、児童の権利の保護・促進のための日本の取組を報告し、今後の課題の達成に向けた新たな決意を表明した。
また、同特別総会の期間中に、日本は「児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書」及び「武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書」に署名した。
【障害者問題】
2002年7月及び8月、ニューヨークの国連本部において、障害者権利条約に関する国連総会臨時(アドホック)委員会が開催された。日本は、同委員会へのNGO参加を促進するため、関連総会決議の共同提案国となった。日本からは、政府関係者に加え、障害当事者団体関係者が参加した。
【民主主義閣僚級会合】
2002年11月、ソウルで第2回民主主義閣僚級会合が開催された。日本からは川口外務大臣が参加し、日本が世界の民主主義確立のためにとっているリーダーシップについて説明した。同会合では、2年前のワルシャワでの第1回会合で確認された民主主義への約束(コミットメント)を再確認し、民主主義の強化に向けた協力につき議論が行われた。その結果、世界的規模で民主主義を保護・強化し、テロを始めとする21世紀における新たな脅威に対して、民主主義を維持するための協力を促進する方策を示した「ソウル行動計画」と「テロに関する声明」の二つの文書が採択された。