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第4節 欧 州



【総論】

 2002年は、欧州では、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の拡大が決定されるなど、「一つの欧州」に向けて、歴史的にも大きな意義をもつ年となった。特に、EUは、年初の単一通貨ユーロ貨幣の流通開始に象徴される統合の深化を着実に進展させた。また、中東欧諸国を中心とする加盟候補国との間で加盟の交渉を推進し、12月のコペンハーゲン欧州理事会(EU首脳会議)では、10か国との加盟交渉の完了を宣言し、2004年5月には25か国、人口4.6億人、日本の約2倍の国内総生産(GDP)を擁するEUが誕生する予定である。

 EUは、国際的なルール作りを始め、国際社会が直面するグローバルな諸課題への取組に対し大きな影響力を有している。今後、EUは統合の深化と拡大が進展し、ますます政治・経済両面において国際社会での重要性を増すものと考えられる。EUとの間で幅広い協力を推進し、戦略的なパートナーシップを構築していくことが、国際社会における日本の立場を強化し、外交の幅を広げる上で極めて重要である。

 また、このようなEUとの関係のみならず、国際社会で大きな役割を果たしている欧州主要国との関係を強化することも重要である。特に、国連安全保障理事会(安保理)常任理事国である英国やフランス、G8メンバーであるドイツやイタリアは、国際社会において主要な役割を果たしており、引き続きこれら各国との関係強化・拡充を図る必要がある。

 欧州との間では、このように、統合の深化と拡大を続けるEUとの関係強化及び欧州各国との二国間関係の拡充を、いわば車の両輪として進めていく必要がある。その際、日欧関係を真に強固なものとするためには、政治・経済両面での取組はもちろんのこと、幅広い人的・文化的交流を深めることが重要である。


【EU情勢】

〈EUの統合の深化と拡大〉

 2002年には、フランス、ドイツ等欧州の数か国で相次いで国政選挙が行われた。その際、各国が国内問題を背景に自国の利益を優先させることにより、欧州の統合の深化及び拡大をめぐる交渉が難航するのではないかと懸念されたが、結果としては、EU議長国(前半はスペイン、後半はデンマーク)の努力もあり、EUの統合の深化と拡大に向けたプロセスは着々と進められた。また、EU拡大の前提となるニース条約については、注目された10月のアイルランドでの条約批准の是非を問う2回目の国民投票も賛成多数となり、同条約は2003年2月に発効した。

 統合の深化については、ユーロ貨幣の流通開始を始めとする経済分野、社会改革、移民・難民政策等の司法・内務の分野等で取組が進められた。また、共通外交安全保障政策(CFSP)の分野でも、ソラナEU理事会事務総長兼CFSP上級代表を中心に取組が進められており、一定の成果を上げている。ただし、外交・安保政策は各国の主権事項でそれぞれの立場が異なる問題もあり、引き続き各国別に対応している事項もある。なお、特に欧州安全保障防衛政策(ESDP)については、2001年12月のラーケン欧州理事会で一定の危機管理作戦が実施可能であるとする宣言が出されて以降、NATOとの間で、軍事能力の使用についての協議が続けられた。その結果、12月のコペンハーゲン欧州理事会の際に合意が得られ、今後マケドニア等で具体的な作戦が展開される見通しとなっている。

 また、EUの拡大については、中東欧諸国を中心とする加盟候補国との加盟交渉が精力的に行われ、コペンハーゲン欧州理事会では、ポーランド、チェコ、ハンガリー、エストニア、スロベニア、キプロス、スロバキア、ラトビア、リトアニア、マルタの10か国との加盟交渉の完了が宣言された。今後は、2003年4月にアテネで加盟条約署名式が行われ、その後各国の批准手続を経て、2004年5月には25か国を擁するEUが正式に誕生する予定である。




EU拡大の現状と欧州経済通貨統合(EMU)

EU拡大の現状と欧州経済通貨統合(EMU)

〈欧州の将来像〉

 EUの統合の深化と拡大は、同時に、EUを欧州市民にとっていかに開かれたものとするか、また、効率的な運営のためにいかなる組織とすべきかなどの問題を伴う。欧州では、こうした今後の欧州のあり方を議論するためにコンベンション(注)が招集され、2002年2月末以来、精力的に議論が行われている。コンベンションは、2003年後半にも開催予定の政府間会合(IGC)の準備として、欧州憲法条約のあり方を含む欧州の将来に関する諸論点について考え方をとりまとめた文書を2003年半ばに提示することになっている。




〈EU経済〉

 EU経済は、2002年初から、米国経済の回復に伴い、輸出主導の緩やかな回復に入った。しかしながら、年央以降、米国経済の回復の遅れなどにより生じたユーロ高とそれに影響を受けた輸出の伸び悩みや個人消費の低迷等から、回復のペースは鈍いものとなった(2002年GDP成長率予測:EU1.0%、ユーロ圏0.8%)。

 通貨面では、EU加盟15か国のうち、英国、デンマーク、スウェーデンを除く12か国において、1月1日からユーロ貨幣の流通が大きな混乱もなく開始された。ユーロは、4月以降一貫して増価し、7月には1ユーロ=1米ドルを達成、その後もこの付近で推移している。将来的にはユーロ圏は、現在不参加の国や新規EU加盟国等に広がる可能性がある。

 2001年から長引く景気の低迷により、EUの一部の国においては、財政状況が悪化している。ユーロ参加国においては安定成長協定の下、財政赤字を対GDP比3%以内に抑える必要があるが、2001年にポルトガルがこの比率を上回った(4.1%)のに続き、2002年は、ドイツが3.75%、フランスは2.7%と見込まれ、2003年1月、EU財務相理事会はドイツに対する過剰財政赤字の是正勧告、フランスに対する早期警告勧告を採択した。こうした状況の中、安定成長協定の運用の見直しも提案されている。

 欧州中央銀行(ECB)は、インフレ率がECBが参照値とする2%を上回っていたこともあり、2001年11月の利下げ以来政策金利を据え置いていたが、景気回復の遅れから、2002年12月に0.50%の利下げを行い、2.75%となった。


【日・EU関係】

 2002年には、日・EU間で、2001年12月の第10回定期首脳協議において採択された「日・EU協力のための行動計画」の実施を通じて、多様な分野での協力が進展した。 

 4月にプローディ欧州委員会委員長が来日し、小泉総理大臣と会談を行ったほか、欧州委員会委員長として初めて日本の国会で演説を行った。また、7月に東京で開催された第11回日・EU定期首脳協議において小泉総理大臣は、EU議長国デンマークのラスムセン首相及びプローディ委員長との間で、テロ対策や中東、アフガニスタン、北朝鮮等の地域情勢、環境問題、世界貿易機関(WTO)等について幅広く意見交換を行い、日本とEUが、国際社会の主な関心事項について、戦略的パートナーシップに基づく協力を深めていくことで合意した。また、同日に開催された日欧のビジネスリーダーの会合である第4回日・EUビジネス・ダイアログ・ラウンド・テーブルからは、日・EUの首脳に対し経済関係強化に向けた提言書が提出された。

 7月の首脳協議では、行動計画の実施のための運営グループの設置についても合意し、以後、行動計画は着実に実施されている。特に経済分野において、日本にとり第二の貿易相手、第一の直接投資先であるEUとの貿易・投資(注)を一層促進するため、1月に日・欧州共同体(EC)相互承認協定(MRA)が発効したほか、日欧のビジネス環境を改善するために1994年から開催している日・EU規制改革対話を充実させてきた。また、6月に仮署名された日・EC独占禁止協力協定は、発効後には企業活動の国際化に対応した競争当局間の協力関係を構築することが期待されている。このほか、川口外務大臣とソラナCFSP上級代表やパッテン欧州委員会対外関係担当委員との間では頻繁に電話会談等が行われており、国際情勢について随時情報・意見交換が行われている。

 日欧関係は、長い歴史と伝統を有しているが、日本と米国やアジア諸国との関係に比べると依然として希薄であると言え、行動計画においても、「人的・文化的交流の促進」が四つの重点項目の一つと位置づけられた。その具体的措置の一つとして、11月に、東京において日・EU交流促進シンポジウムが開催された。日・EU双方から、ビジネス、学術、教育、メディア、文化交流団体、自治体交流等に従事する有識者等の参加を得て、両地域の交流の現状と問題点及び今後の交流促進のあり方について活発な議論が行われた。今後は、2005年の日・EU市民交流年に向けて、具体的な取組を検討していくことになる。



第11回日・EU定期首脳協議後の共同記者会見に臨む小泉総理大臣、プローディ欧州委員会委員長(左)及びラスムセン・デンマーク首相(中央)(7月 提供:内閣広報室)

第11回日・EU定期首脳協議後の共同記者会見に臨む小泉総理大臣、プローディ欧州委員会委員長(左)及びラスムセン・デンマーク首相(中央)(7月 提供:内閣広報室)


【主な西欧諸国情勢と日本外交】

 英国ではブレア首相率いる労働党が引き続き安定して政権を運営してきた。ドイツでは、9月に連邦議会選挙が行われ、僅差〔きんさ〕ではあるが社会民主党と緑の党がかろうじて議席過半数を獲得してキリスト教民主・社会同盟に勝利し、社会民主党/緑の党の連立によるシュレーダー政権が2期目に入った。スウェーデンでも、9月の総選挙の結果、社会民主党が政権を維持した。

 このように概して安定的に政権が維持される国がある一方、景気の低迷を受けて、移民問題・雇用問題等の国内問題が深刻化したことから、抜本的解決策を打ち出せない既成政党に対する不満がエスカレートし、一時期、極右勢力の台頭が懸念された国もあった。例えば、フランスでは、4月の大統領選挙第1回投票で、極右政党党首のルペン候補が社会党候補で現職首相であったジョスパン候補を上回る票を獲得した。また、オランダでは、5月の下院選挙で、極右的発言の見られたピム・フォータインが極左の青年に暗殺されるなどの混乱の末、同氏の率いていたピム・フォータイン党(LPF)が躍進して政権に参画することとなった。

 しかし、フランスでは、5月の大統領選挙第2回投票において、保守派のシラク大統領がルペン候補を大差で破って再選された。続く6月の国民議会議員選挙でも保守中道派が圧勝し、ラファラン内閣が発足、保革共存(コアビタシオン)状態が解消され、結果的には政局は安定した。また、オランダでも、LPFは連立に取り込まれて全体としては中道右派のバルケネンデ政権が誕生した。その後、LPFは閣内の足並みを乱し、11月に内閣が総辞職に追い込まれ、2003年1月に総選挙が行われた結果、LPFは大きく後退した。さらに、オーストリアでは極右的とされる自由党内の内紛で国民党と同党の連立が解消され、11月に総選挙が行われた結果、自由党は大幅に議席を失ったが、2003年2月28日に国民党と自由党による連立政権の継続が決定された。

 日本との関係では、1月に、田中外務大臣が、ポルトガル、英国及びスペイン等を訪問し、各国の要人と会談を行った。4月には、川口外務大臣が、アフガニスタン訪問の途次、英国及びベルギー(EU)を訪問し、英国、EUの要人と会談し、アフガニスタン・中東和平問題等の地域情勢に関する討議を行った。また、5月から6月に開催されたワールドカップ・サッカー大会の期間中、欧州からラウ・ドイツ大統領を始め多数の政府要人が来日した。特にドイツのシュレーダー首相は、G8カナナスキス・サミット後、決勝戦観戦のために小泉総理大臣と日本の政府専用機に同乗して訪日し、話題となった。また3月にはギリシャのシミティス首相が訪日した。7月にはストロー英外相が来日して川口外務大臣との間で共同ステートメントを発表し、日英間の一層の協力関係強化を約束した。

 このほかにも、G8カナナスキス・サミット、持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)、第4回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合等の多国間国際会議の際にも、G8を始めとする欧州各国要人との間で、首脳会談や外相会談が実施され、双方が関心を有する国際情勢や課題等について議論が行われた。2003年1月には、川口外務大臣が、2003年のG8議長国であるフランスを訪問し、シラク大統領やドビルパン外相との間で、緊急の課題となっている北朝鮮やイラクをめぐる問題を議論したほか、2003年3月の第3回世界水フォーラム、6月のG8エビアン・サミット、さらには9月の第3回アフリカ開発会議(TICADIII)の成功に向けて日仏で協力していくことを確認した。2003年2月には、ソラナCFSP上級代表が訪日し、小泉総理大臣、川口外務大臣と北朝鮮、イラク情勢等について意見交換を行った。なお、日欧間では、事務レベルで様々な分野における情報・意見交換が行われており、産業界から要望の強い社会保障協定についても、ドイツ、英国に続き、フランスやベルギーとの間で交渉及び情報交換等が開始されている。

 また、2002年1月には、皇太子殿下がオランダを御訪問し(オランダ皇太子の結婚式に御出席)、ワールドカップ・サッカー大会の機会には、英国のアンドリュー王子、ベルギーのフィリップ皇太子等が訪日した。7月には、天皇皇后両陛下がチェコ、ポーランド、オーストリア及びハンガリーを御歴訪され、さらに、9月には、国際児童文学基金(IBBY)設立50周年記念大会御出席のために皇后陛下がスイスを御訪問された。



G8カナナスキス・サミット後、日本の政府専用機に搭乗する小泉総理大臣とシュレーダー独首相(6月 提供:内閣広報室)

G8カナナスキス・サミット後、日本の政府専用機に搭乗する小泉総理大臣とシュレーダー独首相(6月 提供:内閣広報室)


【中東欧諸国等の情勢と日本外交】

 2002年には、中東欧、バルト諸国のEU及びNATOへの加盟について大きな進展が見られた。EUについては、12月のコペンハーゲン欧州理事会で中東欧諸国を中心とする10か国の加盟交渉終了が宣言され、2004年5月の加盟に向けて国内手続等を進めることになったほか、交渉が遅れているブルガリア及びルーマニアについても、2007年の加盟を目標として交渉を継続していくことが確認された。また、トルコについては、コペンハーゲン欧州理事会において、加盟交渉を開始するための政治的な規準を満たしていると決定される場合には遅延なく交渉を開始することとされた。また、NATOについても、11月のプラハ首脳会合において、7か国(バルト3国、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア)に対する加盟招請が決定されるとともに、これら7か国以外にも門戸が開かれていることが確認されており、特にマケドニア、クロアチア、アルバニアといった「加盟に向けての行動計画(MAP)」参加国は今後加盟に向けて様々な改革を進めていくことになる。

 このほかにも、中東欧諸国は、域内諸国間においても、独自に自由貿易協定(FTA)や政策協調等の取組を行っている。

 これらの中東欧諸国に対し、日本は欧州統合の深化と拡大を見越しつつ良好な関係の構築に努めている。冷戦終結後より、中東欧地域の民主化・市場経済化のための支援を実施してきたほか、日本からのこの地域への直接投資も増加傾向にある。

 このような状況を受けて2002年には日本と中東欧諸国間における要人の往来も活発に行われた。2月には二国間の交流100周年を迎えたルーマニアのイリエスク大統領が訪日し、日本からは前述のとおり、7月に天皇皇后両陛下がポーランド、ハンガリー、オーストリア、チェコを御歴訪され、また10月には紀宮清子内親王殿下がルーマニア、クロアチア、イタリアを御歴訪されるなど、人的交流の上でも関係が深まっている。

 また、バルト3国との間でも、5月に植竹外務副大臣がエストニアを訪問し、6月にはオユランド・エストニア外相が来日するなど関係が深まった。



日本の南東欧への二国間支援実績(1991~2001年度の累計)

日本の南東欧への二国間支援実績(1991~2001年度の累計)


【バルカン情勢】

 2002年を通じて、バルカン情勢は全体として引き続き安定と民主化の方向に向かっている。

 ユーゴスラビアではモンテネグロ共和国による一方的独立という事態が懸念されたが、EUによる仲介の下に3月にユーゴ連邦再編協議が妥結し、同合意に基づいて2003年2月4日、緩やかな連合国家であるセルビア・モンテネグロに再編された。

 コソボにおいては、3月に暫定自治政府が発足し、10月には、セルビア系住民による一部ボイコットが見られはしたものの、無事に地方選挙が実施された。

 ボスニア・ヘルツェゴビナにおいては、10月に、1995年のデイトン合意による紛争終結後初めてのボスニア当局自身による選挙である国政・地方選挙が実施された。

 マケドニアにおいては、2001年8月のマケドニア系代表とアルバニア系代表との間で結ばれた枠組み合意成立後、憲法改正や地方自治法改正など安定化への努力が続けられ、2002年9月には、議会総選挙が平和裏に実施された結果、両民族が参加した連立政府が発足した。

 民主化・安定化の方向に進みつつあるとはいえ、これらのバルカン諸国では長年の紛争の傷跡が癒えたとは言えず、国内復興のためには引き続き諸外国が援助していくことが不可欠である。日本はこうしたバルカン地域に対し、バルカン紛争は欧州のみならず、国際社会全体に影響を与え得る問題であること、バルカン紛争への取組は、国際社会の新たな規範・仕組みの形成過程への参画につながるものであること、いずれ欧州の一員となるバルカン諸国との間で長期的視点から関係強化を図ることが将来の日欧関係という観点からも有益であることなどの理由から、選挙監視要員の派遣といった人的貢献や経済協力を通じて、バルカン地域の安定化に向け積極的に関与している。


【NATO】

 NATOは、2001年9月11日の米国同時多発テロ以降、ロシアとの間でテロとの闘いを中心に協力を強化していく機運が醸成されたことを受け、5月には、NATO加盟国とロシアが平等の立場で協議・決定を行うNATO・ロシア理事会(NRC)設立を決定し、ロシアとの新たな協調的メカニズムを発足させた。さらに、11月にチェコのプラハで開催された首脳会合においては、中東欧7か国に対する加盟招請が決定されるとともに、NATOが引き続き存在意義をもった機関として存続していくため、NATO自身の変革に焦点があてられた。具体的には、NATO即応部隊(NRF)の創設決定、指揮命令系統(コマンド・ストラクチャー)の合理化、軍事能力の向上を目指したプラハ軍事能力コミットメント(PCC)の発表、テロへの対応強化等につき方向性が示され、今後詳細が検討されていくことになっている。日本との関係では、10月にブリュッセルを訪問した竹内外務事務次官とリッゾNATO事務次長との間で会談が行われたほか、2003年2月には、同事務次長の訪日の機会をとらえ、日本とNATOとの間の高級実務レベル協議が実施された。


【その他の地域機関】

 欧州には、EU、NATO以外にも、安全保障分野で、欧州安全保障協力機構(OSCE)、また、人権や法などの分野で欧州評議会(CE)といった地域機関があり、活発な活動を展開している。

 OSCEとの関係では、日本は「協力のためのパートナー」として、各種協議への参加はもちろんのこと、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ等の各種ミッションへの要員派遣といった人的貢献や、東欧における選挙関連経費の負担等の資金的貢献を行っており、12月にポルトガルのポルトで開催された外相理事会でも、引き続きOSCEと日本を始めとするアジアとの協力・対話を深めていくことが重要であることが確認された。

 また、CEとの関係では、日本は閣僚委員会のオブザーバーとして、各種会合に出席する等積極的にその活動に参加しており、2002年にも様々な会合に出席した。また、3月には、シュビマーCE事務局長が来日したほか、議員交流も行われている。なお、CEは、日本及び米国の死刑制度の廃止を主張し、この点で前進が見られない場合にはオブザーバー資格を問題とするとしている。このため、日本は、世論の動向を含めた日本の死刑制度について説明を行うなど、CEとの対話を深める姿勢をとっている。5月末には、国会の死刑廃止推進議員連盟が、CE議員会議との共催で、東京において死刑廃止に関するセミナーを開催した。



NATOの拡大

NATOの拡大



欧州の主要国際機構

欧州の主要国際機構


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