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JET青年として…必要とされるありがたさ


 私は1997年から3年間、三重県国際交流財団の初ブラジル人国際交流員(CIR)として勤務しました。「ブラジルはサンバ、カーニバル、アマゾン、サッカー、コーヒーだけではない!」と母国を、日系である私にとって第二の母国日本の方々にもっと広く理解してもらいたいと思っていました。JETプログラムへの参加は自分自身への新たな挑戦でもありました。

 CIRは地域のニーズにより仕事の内容も異なります。三重県はサンパウロ州と姉妹都市提携を結んでいるほか、「出稼ぎ」と言われている日系ブラジル人が急増しています。自分自身が新しい生活に慣れる前に、日本滞在ブラジル人の相談窓口となり、最初は全く役にも立たず、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」との両親の言葉を胸に、恥を恐れず上司や仲間に色々と教えていただき、勉強させていただきました。また、県の各地域の公民館や学校などを訪問し、多くの方々と交流する機会を与えられ、日常生活の身近な話題や食文化などを通してブラジルを知ってもらい、それを通して互いの接点や違いを語り合いながら文化交流に専念できました。

 滞在2年目にブラジルにいた父親が病気になったと知り、心の中ではすぐ帰国を考えましたが、父は一言「富士山を登ったと喜んで電話してきた時を覚えているかい?苦しくても頂上まで頑張って登ったからこそ味わえた景色があっただろう!? 何事も最後まで役目を果たしてこそ充実感を得ることが出来るのだ…」。

 3年のJET青年の経験で掛け替えのない出会いやエピソードが心に刻まれ、真の心で向い合えば必ず伝わると、国籍や言葉の違いはバリアーではないと実感させていただきました。

 現在JET元参加者同窓会ーJETAAブラジル支部の代表を務めています。今後とも、多くのブラジルの青年がJETプログラムという広い空で羽ばたけるよう、できる限りの努力を尽くし頑張っていきたいと思う次第です。


執筆:JETAAブラジル支部代表

相良 クリスチーナ 泉



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