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 北 米

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(1) 米国



【米国内政】
 2001年1月20日、ジョージ・W・ブッシュ前テキサス州知事が、米国の第43代大統領に就任した。2000年の大統領選挙では、フロリダ州の選挙結果をめぐり36日間もの混乱が続き、政治的に分断された国民をいかにして統合していくかが新政権の最初の課題であるといわれていたが、ブッシュ大統領は、就任演説の中で、米国の諸問題の解決には、国民全体が一丸となり取り組んでいく必要があるとの考えを米国民に訴えかけた。
 ブッシュ大統領は、政権発足後6か月間の主な政策課題として、減税、教育改革、医療保険改革、国防(軍人給与引き上げ、防衛力見直し)を掲げた。減税については、10年間で1.35兆ドル規模の所得税減税を実施する法律が6月に成立した。教育改革については、学力試験の毎年実施や学校の結果説明責任を重視する等、ブッシュ大統領の提案内容をおおむね取り入れた初等中等教育改革法案が最終的に12月中旬に議会両院を通過した。これらは任期1年目の大きな実績となった。
 一方で、共和・民主両党間の勢力がほぼ拮抗する連邦議会(2001年初めの段階で上院は50対50で同数、下院は共和党が10議席差で多数党)では、ブッシュ政権の二酸化炭素削減に関する公約の撤回といった環境政策や、カリフォルニア州の電力危機の発生及び国内ガソリン価格の高騰を背景に、国内開発による安定供給をより重視するエネルギー政策などに関して、ブッシュ政権の姿勢は過度に企業寄りであり、また、政権は党内支持の基盤固めをするために保守的傾向を強めつつあるとして、民主党が批判を強め始めていた。そうした中、6月初旬、ブッシュ政権や共和党指導部との考えの相違を理由に、ジェフォーズ上院議員(バーモント州)が共和党を離党した。そのため、上院において多数党は民主党に移行し、民主党が法案審議の主導権を握ることになった。
 ブッシュ大統領の支持率は就任以来漸減傾向を示し(8月末の時点で50%台前半)、また、議会上院の主導権を民主党が握るという状況の中で、議会の夏季休会明け以後の国内政局は、ブッシュ大統領にとって厳しいものになると見られていた。この情勢を一変させたのが9月11日の同時多発テロであった。
 ブッシュ大統領は、テロ対策を主管する国土安全保障局を設置し、国境警備や空港警備の強化等のテロ対策を陣頭指揮するとともに、議会に対してテロ対策関連の立法提案を積極的に行うなど、大統領としての指導力を発揮した。議会も超党派の協力により大統領の要請に応え、包括テロ対策法、航空運輸保安強化法などを矢継ぎ早に成立させた。国民も、こうしたブッシュ大統領のテロ対策面での指導力を高く評価し、大統領への支持率は、一挙に90%近くにまで跳ね上がり、2002年初頭時点においても4か月連続で80%台の高い水準を維持している。
 しかし、2002年11月には中間選挙が予定され、また、米国経済については、2001年3月以降、景気が後退局面入りしており、これらを背景に、テロとの闘いには直接関係のない経済対策等の国内政策について、民主党がブッシュ政権への攻勢を強めつつあり、議会における党派的対立が再燃しつつある。


 米連邦議会の勢力比較

米連邦議会の勢力比較



【米国の対外関係】
 ブッシュ大統領は、外交の基本方針として、日本を含む同盟国や米州諸国との関係重視及び米国の国益重視を打ち出した。新政権の外交スタッフには、ブッシュ(父)政権時の要職経験者や知日派と呼ばれる人々が多く起用されている。
 ブッシュ政権が、米国の国益を重視し、京都議定書、包括的核実験禁止条約(CTBT)等に否定的な姿勢を示していることから、米国のいわゆるユニラテラリズム(一国主義)的傾向に対する懸念を示している国もある。
 ブッシュ政権は、北朝鮮、イラクとの関係を含む多くの分野で政策の見直しに着手し、北朝鮮に関しては6月にこの見直し作業を終了し、前提条件なく北朝鮮との協議を開始する用意があるとの考えを表明した。イラクに関しては、より効果的な対イラク制裁の実現に向け国連などの場で各国への働きかけを行った。
 9月に同時多発テロが発生したことを受け、テロ対策がブッシュ政権にとって最優先事項となり、米国の内外政策や国際情勢に大きな影響を与えた。ブッシュ大統領自ら、対テロ行動への参加及び支持を諸外国に働きかけ、ロシア、中国、アラブ諸国を含む幅広い反テロの国際的な連帯の形成に成功した。一方で、テロ行為を非難しつつも、米国に対して軍事行動の自制や中東和平問題へ一層の取組を求める国や、また、アフガニスタン以外の国への米国による軍事行動の拡大を牽制する国もある。
 ロシアとの関係については、連邦捜査局(FBI)捜査官のスパイ疑惑を受けて3月に米露両国が相手国の外交官の国外退去措置をとり、二国間関係が緊張する場面もあったが、首脳レベルを始めとして二国間会談が重ねて実施され、また、同時多発テロ以降、反テロに向けての協力を通じ、米露両国関係は大幅に改善した。11月にはプーチン大統領が米国を公式訪問し、ワシントン及びブッシュ大統領の私有牧場で行われた首脳会談では、米国が大幅な戦略核削減の意図を表明した。12月、米国が対弾道ミサイル・システム制限(ABM)条約からの脱退を表明した際には、米国の決定があらかじめ予想されていたこともあり、ロシアは冷静な対応を見せた。米露両国は、戦略核弾頭の削減やミサイル防衛といった関連のある問題について、何らかの文書の作成を目指し、協議を継続している。
 中国との関係は、4月に発生した軍用機接触事故で一時的に緊張が高まったものの、その後の外交交渉により解決が図られた。同時多発テロ以後は、テロとの闘いで米中両国間に協調が見られ、10月に上海で行われたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際には、米中首脳会談が実現した。

【米国経済】
 米国経済は、1991年3月に始まった10年間にわたる史上最長の景気の拡大に終止符を打ち、2001年3月に景気が後退局面入りした(注)。景気の後退局面入りが3月と認定された理由は、鉱工業生産、卸・小売売上高、雇用者数の3指標が景気後退を裏づけたためである。
 2000年後半から景気の減速が鮮明になったことを受けて、2001年には積極的な財政・金融政策が実施された。まず、財政面において、ブッシュ大統領は、大統領就任直後から景気刺激策として大型減税を主張し、議会に対して減税法案の早期成立を促した。その結果、10年間で約1.35兆ドル規模の減税法案が2001年6月に成立し、減税措置の第一歩として7月から小切手による所得税の払い戻しが実施された。また、金融面では、連邦準備制度理事会(FRB)が9月までに7回の利下げを行い、景気を回復させるため急激な金融緩和を実施した。
 2001年9月、既に減速していた米国経済は、同時多発テロの発生によって多大な被害を受けた。ニューヨーク証券取引所の閉鎖や航空・保険・観光業界等への打撃等の直接的影響のみならず、消費者心理の冷え込みによる個人消費の減少、企業収益の悪化による設備投資の減少、海外経済の減速による輸出の減少等の間接的影響を通じ、米国経済の先行きに対する不透明感が一層強まった。特に、多大な被害を受けた航空業界や観光業界等において相次いでレイオフ(解雇)が実施された影響などにより、9月以降の失業率は大幅に上昇した。また、2001年に入ってから1万500ドルを挟んで推移していたダウ平均株価は、テロ後1週間で8200ドル台まで大幅に下落し、2000ポイントを挟んで推移していたハイテク株中心のナスダックも、テロ後1週間で1400ポイント台まで大幅に下落した。
 同時多発テロの発生を受けて、議会では総額400億ドルの緊急歳出法案及び航空業界を支援するための150億ドルの緊急支援法案が異例の速さで成立した。さらに、ブッシュ大統領は、消費者心理の回復、企業の設備投資の促進、失業者支援を目的とした600~750億ドル規模の追加景気刺激策を議会に求めていた。減税を主張する共和党と雇用対策として財政支出を求める民主党との対立から上院における審議が難航したが、2002年3月、失業保険給付期間の延長及び法人向け税制優遇措置を盛り込んだ景気刺激策法案が成立した。また、金融面において、FRBは、テロ直後の緊急利下げを含めて4回の利下げを実施し、2001年を通じた利下げ回数は過去最多の11回(年初来の利下げ幅は4.75%)となった。こうした一連の経済政策の実施を背景に、同時多発テロの米国経済に対する打撃は予想されていたよりも深刻なものにはならず、在庫調整の進展や消費者信頼感指数の改善など一部で明るい兆しも見られた。また、株価についても、年末にはダウが1万ドル、ナスダックも2000ポイント近くまで回復しており、同時多発テロ前の水準を上回った。
 なお、景気回復を目指して2001年中に実施された積極的な経済政策による財政収支の悪化や低金利の結果、今後の財政・金融政策の余地は狭まった。具体的には、2001年度(2000年10月~2001年9月)に1270億ドルの黒字と、1998年度以降4年連続で黒字を記録した連邦財政は、景気後退による税収減と一連の財政支出により2002年度には赤字に転落する見通しである。また、米国の政策金利は実質ゼロ金利の領域に入っている。
 米国経済は、テロの影響もあって、2001年第3四半期(7~9月)に1993年以来のマイナス成長となったが、積極的な経済政策の効果もあり、第4四半期(10~12月)には大幅なプラス成長に転じた。景気の底入れは近いと見られており、景気回復の持続力が焦点となっている。

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