第2章 > 第2節 > 1 世界経済の情勢
2001年の世界経済は、同時的に減速した。2000年後半から見られた減速の兆しは、米国経済の景気後退、世界的な情報通信技術(IT)需要の減退により、2001年に入って本格化した。さらに、9月11日に発生した米国における同時多発テロにより、米国株式市場の閉鎖等といった経済活動の一時停止、主要国における消費者心理の悪化等の間接的影響が生じたことから、一層減速の程度は深まり、先行きについての不確実性が高まった。こうした世界経済の減速を背景に、2000年に大幅増加となった世界の貿易量についても、2001年の伸びは僅かなものにとどまったと見られる(注1)。また、新興市場諸国・地域への資本流入は、アジア通貨・金融危機以来減少傾向が続いていたが、投資家が引き続きリスクを回避する傾向にあることから、2000年同様2001年も低迷した(注2)。
米国では、1991年3月以来、景気の拡大が続いていたが、2000年後半から企業収益の悪化、設備投資の鈍化等の減速の動きが見られ、2001年3月にはついに景気は後退局面に入った。さらに、同時多発テロの影響により、それまで比較的堅調だった個人消費の動きが弱まり、雇用情勢が悪化するなど、経済は極めて弱い状況となった。連邦準備制度理事会(FRB)は、2000年12月に政策方針を金融緩和に転じ、2001年に入り、積極的に利下げを行った(通算11回、計4.75%の利下げ。(うちテロ後は、通算4回、計1.75%の利下げ))。財政面では、同時多発テロによる悪影響を回避するために、9月に緊急歳出法、航空業界に関する支援法が成立した。株価は、同時多発テロ直後は急落したものの、米国政府の積極的な財政・金融政策による早期回復の期待から、以前の水準に回復した。
ユーロ圏経済は、米国経済の景気後退及び同時多発テロの影響により減速した。景気の減速及びインフレ懸念の低下を背景として、欧州中央銀行(ECB)は、2001年に通算4回、計1.5%(同時多発テロ後、通算2回、計1.0%)の利下げを行った。単一通貨のユーロは、1999年1月の導入以来の安値傾向が2001年もおおむね続いた。また、2002年1月1日にはユーロ貨幣の流通が開始された。なお、英国経済では、景気拡大の鈍化が見られるものの、他の主要国に比べれば底堅く推移した。
東アジア経済は、米国等の景気後退、世界的なIT需要の減退等による外需の低下を主な原因として減速し、米国同時多発テロの発生後は、対外環境が一層悪化したために、減速傾向が加速した。特に、輸出依存度及びIT製品の輸出割合が高いシンガポール、台湾、香港の悪化が顕著であり、韓国も減速した。一方で、中国経済は、輸出の伸びが低下しているものの、世界貿易機関(WTO)の加入等の影響により海外からの直接投資が好調であるほか、積極的な財政政策の継続等が内需を支えていることもあり、年7%を超える経済成長を維持した。
新興市場国の中では、特に経済の低迷が深刻化したアルゼンチンとトルコといった国々において経済不安が増した。アルゼンチンでは、財政赤字等に起因する経済不安の深刻化が社会的混乱、政権の交替、対外債務支払いの一時停止、2002年初頭の通貨制度の変更(兌換制の廃止)という事態に至った。しかし、1997年のアジア通貨・金融危機に端を発した一連の通貨・金融危機とは異なり、アルゼンチンの場合は長引く経済不安の過程で、市場が不測の事態をある程度想定して対策を講じる時間的余裕があったこと、また、財政の持続可能性、兌換制、政治的脆弱性というアルゼンチン固有の事情による側面もあり、アルゼンチンと他の新興市場国の経済状況を短絡的に同一視する理由も特になかったことなどから、これまでのところ、他の新興市場諸国への危機の伝播はなく、世界経済への影響は限定的と見られている。
2000年に高水準で推移した原油価格は、2001年前半は、石油輸出国機構(OPEC)の一定油権のバスケット価格でOPECの価格帯(22~28ドル/バレル)内で推移したものの、米国同時多発テロ後は、世界経済の減速による石油需要の減退から、低水準で推移している。