第1章 > 3 > (5) インドネシア・東チモール
【インドネシア】
インドネシアは、1997年以降アジア通貨・金融危機による経済的打撃と、これに伴うスハルト長期政権の崩壊を経験し、それ以後、様々な分野で改革に取り組んでいる。しかし、分離・独立運動などによる地方情勢の悪化を始め、政治・経済分野で、引き続き大きな困難に直面している。2001年においても、内政面では、アブドゥルラフマン・ワヒド大統領の汚職関与疑惑及び政治姿勢などをめぐって大統領側と議会勢力側との政治対立が深刻化し、7月23日国民協議会(MPR)は、特別総会において同大統領の解任とメガワティ副大統領の新大統領への昇格を決定した。8月16日の就任後初の国政演説において、メガワティ大統領は政治危機の克服を宣言しつつ、今後の改革と民主化への取組姿勢、国家の統一性の堅持、新内閣の作業プログラムなどにつき包括的に表明した。
地方情勢は引き続き不安定で、2月に中部カリマンタン州サンピットで新たな住民間抗争が発生したほか、アチェ特別州及びパプア(イリアンジャヤ)州における分離・独立運動、マルク地方における住民間抗争はいずれも解決の目処がたっていない。一方、中部スラウェシ州ポソの住民間抗争は12月に和解が成立し、解決に向かっている。
経済情勢については、経済危機時の状況からは回復傾向にあり、2001年の実質国内総生産(GDP)の成長率は堅調な国内消費に支えられ、3.3%を達成した。しかし、市場の信認は依然として弱く、本格的経済回復のためには各分野での改革の進展が課題となっている。
日本は、インドネシアの安定は地域の安定と繁栄にとって極めて重要であるとの認識に立ち、その改革努力を支援してきている。2001年は2回の首脳会談と1回の外相会談が行われ、このような機会に日本の基本的立場を繰り返し表明するとともに、インドネシアの諸課題への取組に対し、両国間の信頼関係を基礎とした友人としての助言を行ってきた。例えば、メガワティ大統領が訪日した9月の首脳会談の際には、小泉総理大臣よりメガワティ大統領の改革努力への取組を高く評価するとともに、領土の一体性への支持や債務繰り延べへの柔軟な対応、テロに対する国際協力の重要性などを表明した。また、あわせて、日本は、当面の対インドネシア支援の基本方針として、
経済の安定のための支援、
各種改革の推進に対する支援、
経済ボトルネック(注1)の解消等緊急ニーズへの対応を三本柱とすることを表明した。
11月7日、8日の両日、ジャカルタで対インドネシア支援国会合(CGI)が開催され、インドネシアの経済情勢・構造改革の状況を始めとする諸課題について議論が行われた。各国政府・国際機関からはインドネシアの更なる構造改革の努力を要望しつつ、2002年度の資金需要を満たすための支援として総額約31.4億ドルに及ぶ援助の供与が表明された。日本からは自らも厳しい財政状況にあるものの、インドネシアの改革努力支援の重要性に鑑み、2002年度の資金需要のみならず中長期的視点に立った支援表明を行った。
来日したメガワティ・インドネシア大統領夫妻と御会見される天皇皇后両陛下(9月)(提供:宮内庁)

日本の対インドネシア支援

インドネシア地方情勢

【東チモール】
東チモールでは、国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)の下、2002年5月20日の独立に向けた国造りのプロセスが進んでいる。
日本は、東チモールの独立と国造りのために、できる限りの支援を行うとの基本方針であり、1999年12月に第1回東チモール支援国会合を東京で開催し、支援国として最大の3年間で約1億3000万ドルの支援を表明した。その後、日本は、積極的な復興・開発支援を行ってきており、2002年1月までに1億2000万ドルの拠出を決定した。2001年12月にオスロで開催された第5回東チモール支援国会合において、日本は、今後の支援の基本方針として、
持続可能な経済・社会実現のための支援、
平和を構築するための支援、
独立を祝福するための支援、の三本柱を打ち出した。また、国連からの要請を受け、2002年3月、東チモールの国連平和維持活動に対し、680名の自衛隊施設部隊及び司令部委員10名を派遣することになった。日本としては、今後とも、東チモールの自立に向け、国際社会とも協力し、可能な限りの支援を行っていくことが必要とされている。
日本との要人往来も活発に行われ、2001年4月に望月外務大臣政務官が東チモールを訪問し、8月には杉浦外務副大臣が憲法制定議会選挙を視察するために東チモールを訪問した。また、12月にはマリ・アルカティリ東チモール行政府首席閣僚兼経済・開発担当閣僚、ラモス・ホルタ外務・協力担当上級閣僚らが訪日、さらに、2002年1月には、シャナナ・グスマン前チモール抵抗民族評議会(CNRT)議長が訪日し、独立後の東チモールと日本の友好関係の基礎を固めた。
こうした中、東チモールの独立に向けたプロセスは着実に進展しており、2001年8月30日、日本を始めとする各国の監視の下、91.3%の高い投票率で憲法制定議会選挙が平穏に実施された。開票の結果、全88議席のうち、フレテリン(注2)が、過半数を超える55議席を獲得した。9月15日、第1回憲法制定議会が開催され、ル・オロ・フレテリン党首が議長に選出され、また、9月20日、初の東チモール人のみからなる内閣である東チモール行政府(ETPA)が発足し、マリ・アルカティリ首席閣僚兼経済・開発担当閣僚らが就任した。今後は、憲法の採択、2002年4月14日の大統領選挙を経て、5月20日の独立を予定している。ただし、独立後も、自立可能な国家建設のためには、国際社会が引き続き協力して支援していくことが必要である。
1999年の騒乱以来西チモールに残留する東チモール難民の問題については、2001年6月の難民登録、グスマン前CNRT議長が中心となった「真実和解委員会」の設立など、旧統合派の元民兵と独立派・東チモール住民との対話・和解を進める努力がなされている。日本としても、難民問題の包括的解決に向けて積極的な支援を行うため、2001年12月に発表されたインドネシア政府・国際機関による共同アピールに対し、2002年1月、インドネシアを訪問した小泉総理大臣が、西チモールからの難民帰還及び再定住のため、これまでの約3000万ドルの人道支援に加え、約539万ドルの支援を行うことを表明し、東チモールから高い期待と謝意の表明がなされている。
日本の対東チモール支援

東チモールを訪問した望月外務大臣政務官とグスマン民族抵抗評議会(CNRT)議長(左端)及びノーベル平和賞受賞者でもあるホルタ同副議長(4月)
