第1章 > 3 > (4) 朝鮮半島情勢
【総論】
2001年の北朝鮮をめぐる動きは、前年に南北首脳会談の開催や米朝間での高官の相互訪問などが実現したことに比べると、目立った動きに乏しい一年であった。
米国のブッシュ政権は、政権発足後これまでの対北朝鮮政策の見直しを行い、6月初めに見直しを終了して北朝鮮に協議再開を呼びかけたが、北朝鮮は、通常兵力が議題に含まれていることなどを理由に交渉に応じなかった。また、南北関係では、9月に南北閣僚級会談が再開されたが、11月の第6回会談以降開催されなかった。さらに、日朝関係においても、2000年に再開され、3回行われた国交正常化交渉は、2001年には開催されなかった。
一方、金正日(キム・ジョンイル)総書記は、8月にロシアを公式訪問し、プーチン大統領と会談した。また、9月には江沢民中国国家主席と平壌で会談するなど、首脳外交により中国及びロシアとの親密な関係を内外に印象づけた。さらに、北朝鮮は、2001年に数多くの欧州諸国と国交を開設したほか、EU首脳が訪朝を行うなど、欧州諸国との間では活発な動きを見せた。
しかし、9月の米国同時多発テロ以降、米国を中心としてテロ対策に関する国際社会の連携が強化され、北朝鮮は国際社会で孤立感を深めた。
日本は、韓国及び米国との緊密な連携を維持しつつ、今後とも日朝国交正常化交渉の進展に粘り強く取り組むとともに、こうした努力を通じて、北朝鮮との安全保障上及び人道上の諸問題解決に向け努力していく考えである。
【日朝関係】
日本の対北朝鮮政策は、韓国及び米国と緊密に連携しつつ、北東アジア地域の平和と安定に役立つような形で、第2次世界大戦後の正常でない日朝関係を正すよう努力していくことを基本方針としている。
2000年4月に、約7年半振りに再開された日朝国交正常化交渉は、2000年10月の北京での会談において、双方の準備が整ったところで次回交渉を行うこととされたが、その後、交渉は開催されていない。
日本は、深刻な食糧不足に直面する北朝鮮に対し、人道上の考慮及び地域の平和と安定という大局的見地から、2001年に世界食糧計画(WFP)を通じて50万トンのコメの食糧支援を実施した。9月、北朝鮮における支援米の配布・使用状況を把握するため北朝鮮に派遣された視察団は、各視察先において日本の支援米の配給が目的どおり行われていることを確認した。また、北朝鮮の受け入れ機関、各視察先からは、日本の支援に対する謝意が表明された。
日本国内の北朝鮮系金融機関の相次ぐ破綻とこれらの金融機関による不正融資問題を受けて、11月、日本の捜査当局は朝鮮総連への強制捜査を行った。これに対し、北朝鮮は強く反発し、対日非難を強めた。
日本人が拉致された疑いがもたれている事案に関し、12月、北朝鮮赤十字会が、「日本側が要請した「行方不明者」の消息調査事業を全面中止する」と発表し、これに対し、日本は遺憾の意を表明した。政府としては、拉致問題は日本国民の生命にかかわる重要な問題であるとの認識の下、北朝鮮の真剣な対応を粘り強く求めていく考えである。
朝鮮半島をめぐるクロノロジー

【南北朝鮮関係】
韓国は、北朝鮮に対し、1998年2月の金大中(キム・デジュン)大統領の就任以来、
武力挑発は拒否する、
吸収統一はしない、
和解と協力を可能な分野から促進する、との三原則を掲げる「包容政策」をとっている。
南北関係では、2000年6月に、平壌で史上初の南北首脳会談が行われ、南北共同宣言が発表されたが、2001年は、大きな進展は見られなかった。北朝鮮は、3月に予定されていた閣僚級会談の延期を一方的に通報し、南北関係は一時停滞した。9月になり北朝鮮は、南北当局間対話の再開を提案し、9月15日から18日にかけて、ソウルにて第5回南北閣僚級会談が開催され、離散家族訪問団の交換、京義線(注1)の連結、第6回南北閣僚級会談の開催等について合意された。しかし、その後、北朝鮮が、離散家族訪問団の交換の延期や、第6回南北閣僚級会談を金剛山で開催すること等を提案したため、南北間で対立した。11月9日に金剛山で第6回南北閣僚級会談が開催されたものの、北朝鮮は、米国の同時多発テロに伴い韓国がとっている非常警戒措置は北朝鮮に向けられた敵対的なものであり、非常警戒措置を解除することが南北合意事項の履行の前提条件であると主張した。このため、議論は平行線となり、日程を延期したものの最終的に何ら合意に至らず終了した。
南北首脳会談の合意事項である金剛山観光事業をめぐっては、9月の第5回南北閣僚級会談で、陸路観光を始めとした金剛山観光活性問題を協議し解決していくことに合意した。この合意を受けて、10月3日から5日にかけて、金剛山で金剛山観光事業活性化のための南北当局間協議が行われたが、韓国が求める陸路観光をめぐり対立し、その後第2回協議は行われていない。
【米朝関係】
ブッシュ政権は、政権発足以降、同盟国である日本及び韓国との協議を踏まえつつ、対北朝鮮政策の見直しを行ってきたが、6月6日にその見直しを終え、北朝鮮に対して、いかなる時期及び場所でも前提条件なしに対話を行う用意があるとの基本的立場を表明した。これに対して、北朝鮮は、通常兵力の問題は在韓米軍の撤収前には議論の対象になりえず、また軽水炉建設の遅延に伴う電力損失補償問題が優先的な課題として設定されるべきであるとして反発し、協議の再開に応じていない。
米国で同時多発テロが発生した直後の9月12日、北朝鮮はあらゆる形態のテロに反対する声明を発表し、また、11月には、テロ防止関連条約のうち、人質行為防止条約を締結、テロ資金供与防止条約に署名するなど、テロに反対する姿勢を示している。しかしながら、米国に対しては、アフガニスタンで軍事行動を行ったこと等に関し、非難を続けている。
【北朝鮮のその他の対外的な動き】
北朝鮮と日本、韓国、米国との関係では2001年には目立った進展が見られなかったが、北朝鮮は、欧州諸国との間で積極的な外交を展開した。北朝鮮は、2001年に、オランダ、ベルギー、スペイン、ドイツ、ルクセンブルグ、ギリシャ、EUと外交関係を開設した。また、5月には、当時のEU議長国であったスウェーデンのパーション首相を団長とするEU代表団が北朝鮮を訪問し、金正日総書記よりミサイル発射を2003年まで凍結する旨の約束を引き出すなど、一定の成果があった。
ロシアとの関係では、金正日総書記がシベリア鉄道を利用して陸路で大陸を横断し、7月26日から8月18日にかけて同国を公式訪問した。プーチン大統領との露朝首脳会談においては、モスクワ宣言に署名し、露朝間の友好・協力関係を再確認するとともに、南北朝鮮及びシベリア鉄道連結事業の推進等に合意した。
また、中国との間では、年初に金正日総書記が上海を訪問し、9月初めには江沢民国家主席・共産党総書記が北朝鮮を公式訪問した。中国首脳が北朝鮮を訪問するのは、国家主席としては1992年4月の楊尚昆国家主席の訪朝以来9年振り、共産党総書記としては1990年3月の江沢民総書記の訪朝以来11年振りのことであった。
【北朝鮮内政】
金正日総書記は、2001年も精力的に軍隊を視察し、軍事優先の政策を印象づけた。一方で、経済事情は依然として厳しく、特に電力不足が深刻になっている。食糧事情についても、国連食糧農業機関(FAO)及びWFPによれば、2000年6月中旬から8月にかけて降雨に恵まれたこと、肥料等の国際支援が行われたこと等により、2001年の穀物生産量は前年比38%増となったが、2001年11月から2002年10月における穀物必要量は約501万トン、穀物生産量は354万トンと見込まれ、商業輸入を加味してもなお、約136万トンの穀物が不足する見通しであり、依然として需要を満たせない状態が続いている。11月末、WFPは61万トン規模の対北朝鮮緊急食糧支援アピールを発出し、これを受けて、12月、米国が10.5万トン、韓国が10万トンの対北朝鮮食糧支援を発表した。
また、2001年初めの共同社説で「新思考」(注2)が打ち出されたことから、北朝鮮も経済改革に乗り出すのではないかとも見られたが、依然として北朝鮮が本格的な経済改革を実施するとの兆候は見られない。
【朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)】
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は、1994年の米朝間の「合意された枠組み」を受けて、1995年3月に日米韓が設立した国際機関であり、北朝鮮が核開発を凍結することと引き替えに、軽水炉プロジェクトの資金手当及びその供与、暫定的な代替エネルギーの供与を行うこと等を目的としている。
軽水炉プロジェクトについては、1999年、KEDOと韓国電力公社(KEPCO)間の主契約及び韓国輸出入銀行とKEDO間の貸付契約、2000年、国際協力銀行(JBIC)とKEDOとの間の貸付契約が署名され、これを受けて、主契約が発効し、プロジェクトは本格工事の段階に入った。2001年9月には、北朝鮮が建設許可証を発給し、掘削工事が開始された。
日本は、KEDOが北朝鮮の核兵器開発を阻むための最も現実的かつ効果的な枠組みであると認識しており、KEDO理事会のメンバーとしてKEDOの政策決定に積極的に参画している。また、KEDO事務局に事務局次長を始め政策スタッフや原子力の専門家を派遣しており、事務局経費等として2001年末までに約4700万ドルを拠出している。さらに、1999年のKEDOとの間の資金供与協定に基づき、軽水炉プロジェクトに対して、JBICを通じ、これまでに計約317億3800万円(約2億7700万ドル)の資金供与を実施し、この貸付の利子補給として約7億4700万円を拠出している。