第1章 > 3 > (3) バルカン情勢
【総論】
2001年を通じ、バルカン情勢は一部になお不安定要因は見られるものの、全体的には安定化に向かった。2000年10月に民主化を達成したユーゴスラビア連邦共和国(以下「ユーゴ」)では、2001年6月末、過去約10年間にわたり南東欧地域最大の不安定要因となってきたミロシェビッチ前大統領を旧ユーゴ国際刑事裁判所に送還し、ミロシェビッチ氏は国際的な裁きを受けることになった。コソボでは、11月に暫定自治政府設立のためのコソボ議会選挙が平和裡に実施され、2002年3月にようやく暫定自治政府が成立し、和平プロセスに進展が見られた。
一方で、マケドニア情勢や、ユーゴ連邦を構成するモンテネグロ共和国のユーゴ連邦からの独立問題、コソボ問題、セルビア南部地方におけるアルバニア系過激派武装勢力の活動等、なお不安定要因も見られる。
【バルカンに対する日本の立場】
日本は、こうしたバルカン紛争に対し、
バルカン紛争は欧州のみならず、国際社会全体に影響を与える問題であること、
バルカン紛争への取組は、国際社会の新たな規範・仕組みの形成過程への参画につながるものであること、
いずれ欧州の一員となるバルカン諸国との間で長期的視点から関係強化をはかることが、将来の日欧関係という観点からも有益であること、
バルカン紛争への取組は、日欧協力の強化につながるものであり、欧州のアジアの諸問題への取組を促進する契機となること(クロス・サポートの考え方)等の理由から、これまでも積極的な取組を行ってきた。日本は、G8や国連等での国際的な紛争解決努力に積極的に参画するとともに、1992年度から2000年度までの10年間で1000億円を超える経済協力をバルカン諸国に行い、また、選挙監視要員の派遣等の人的貢献も行ってきている。
2001年には、一昨年に民主化を果たしたユーゴに対し、その改革を支援するために6月末にブリュッセルで開催されたユーゴ支援国会合において、日本は5000万ドルまでの無償支援等を表明したほか、11月にはバルカンの安定におけるユーゴの重要性を踏まえ、改革を進めるユーゴの経済的負担を軽減するために、パリ・クラブにおいてユーゴが抱える債務の66%削減に同意した。2月にはユーゴのスビラノビッチ外相が訪日し、7月には田中外務大臣がユーゴを訪問して、ユーゴの改革、コソボ、モンテネグロ問題等について協議を行うなど、ハイレベルでの取組を行った。
【マケドニア】
2001年2月末、アルバニア系武装勢力である民族解放軍(NLA)は、マケドニアのアルバニア系住民の地位向上などを要求し、マケドニア警察などに対する攻撃を繰り返した。北西部を中心にマケドニア政府の治安部隊とNLAによる激しい武力衝突が起こり、一時はNLAが首都スコピエ近郊にまで迫った。この戦闘により、マケドニア系、アルバニア系双方に難民及び避難民が発生し、その数は約13万人に及んだ。安保理は、3月、過激派によるテロ活動を含む暴力行為を強く非難し、マケドニア情勢に関する決議1345を全会一致で採択した。日本も、マケドニア外相を始め周辺国の外相に対し、暴力行為を憂慮し、テロや暴力に反対する内容の書簡を送付し、国際社会が一致してマケドニア問題の解決のために取り組んでいく姿勢を表明した。
5月、危機的状況を打破するために、マケドニア系及びアルバニア系主要4政党による大連立内閣が組閣され、7月5日、北大西洋条約機構(NATO)及び欧州連合(EU)の仲介により、マケドニア政府とNLAとの間で初めて全国的な停戦合意が成立し、政治対話が開始された。
8月13日、トライコフスキー大統領と連立与党を構成する主要4政党党首は、憲法や地方自治法の改正を含む、アルバニア系住民の地位を改善するための措置などが盛り込まれた枠組合意に署名した。枠組合意に基づき、NATOは部隊を派遣し、NLAが自主的に放棄した武器の回収を行った。その後、NLAは自主解散を表明したが、不安定な状況が継続したため、安保理は、マケドニアに駐在している欧州安全保障協力機構(OSCE)やEU監視団の護衛を目的とする新たなNATO部隊への権限付与などを内容とする安保理決議1371を全会一致で採択した。
枠組合意によって規定された憲法や地方自治法の改正手続は、マケドニア系政党の反発が強く大幅に遅延したが、憲法改正が11月に、地方自治法改正が2002年1月になって可決された。一方で、アルバニア系武装組織による攻撃は依然継続しており、治安状況はなお予断を許さない。このように、マケドニアの状況は、国際社会の努力もあり、恒久的和平に向け、相当の前進が見られるものの、なお多くの問題と不安定要因が残されている。
日本は、マケドニアの安定と発展が南東欧地域全体の安定にとって極めて重要であると認識しており、EUや米国とも緊密に協力しつつ、マケドニアが政治対話を基調とする多民族社会を構築するため、積極的に支援を行っている。2002年3月12日には世界銀行及び欧州委員会主催で対マケドニア支援国会合が開催され、日本は、1000万ドルの無償支援等を表明した。各国・機関からも支援表明がなされ、総額3億ユーロを超える支援が表明されることになった。
南東欧地域におけるアルバニア系住民分布図

【コソボ】
コソボでは、1998年2月末からアルバニア系武装勢力とユーゴ当局の間で紛争が激化したが、NATOによるユーゴ空爆を経て、1999年6月に安保理決議1244が採択されて紛争が終結した。それ以来、国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)を中心に和平履行が進められている。UNMIKは、2001年5月にコソボにおける暫定自治のための法的枠組みを公布し、国連安保理決議1244と法的枠組みに基づいて、11月17日にコソボ議会選挙を実施した。120名の議員を選出するこの選挙は、セルビア系住民を含む全民族が参加し、民主的かつ公正に実施された。選挙の結果、ルゴバ党首率いるアルバニア系穏健派が47議席を獲得して第1党となり、これに、サチ党首率いるアルバニア系急進派の26議席、セルビア系唯一の選挙連合である「帰還のための連合」の22議席が続いた。3か月以上に及び難航した連立協議の末、2002年3月にアルバニア系を中心とする暫定自治政府がようやく成立し、民主的な多民族社会のための基礎がつくられた。
日本は、コソボでの議会選挙に対して、国際平和協力法に基づき、10名以上の選挙監視要員を派遣した。また、1999年以来、難民・避難民のための人道支援(7700万ドル)、公共放送、住宅、電力、教育等の分野を中心とした復興支援(約1億ドル)等、総額約2億4000万ドルのコソボ関連支援(対周辺国支援を含む)を実施している。
コソボ議会選挙のクロノロジー及び選挙結果
