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第1章 総 括 2001年の国際社会と日本外交


1 概 観




【2001年の国際情勢】
 国際社会は、これまで、二度の世界大戦の経験を踏まえ、基本的人権の尊重、民主主義、市場経済、自由貿易という基本的価値観に基づく開かれた政治経済体制を築き上げ、その下で安定を確保し、繁栄を遂げてきた。日本も、自らの平和と安全を確保し、更なる繁栄を達成していくために、先進民主主義国の主要な一員として、このような開かれた政治経済体制の更なる発展に向け積極的に貢献してきた。
 2001年は、国際社会の安定と繁栄に向けたグローバルな取組が強く求められた年であった。国際社会が今後とも安定を維持し、一層の繁栄を実現するためには、以前にも増して、グローバルな諸課題への対応が重要であり、こうした課題に適切に取り組むことによって、開かれた政治経済体制に基づく国際秩序をますます発展させる必要がある。こうした認識の下、国際社会は、テロ、世界経済、地球環境、感染症、軍備管理・軍縮・不拡散といったグローバルな諸課題の解決を目指し、積極的に取り組んできた。
 2001年に起きた出来事の中で、9月11日に米国で発生した同時多発テロは、国際情勢に対して最も大きな影響を与えた、衝撃的な出来事であった。
 ウサマ・ビンラディンを首謀者とする国際テロ組織アルカイダによる無差別テロは、国際社会がこれまで築き上げてきた、基本的人権の尊重、民主主義、市場経済、自由貿易という基本的価値観を基調とする開かれた政治経済体制に対する挑戦であり、あらゆる文明、人種、宗教に対する攻撃であった。こうした挑戦に対し、国際社会は、テロの防止・根絶のために、米国を中心とする国際的な連帯を形成し、様々な取組を包括的に行ってきた。特に、アルカイダ及び同組織を支援してきたアフガニスタンのタリバン政権への米国及び英国を中心とした軍事行動に対しては、イスラム諸国を含む国際社会がこれを支持し、支援するとともに、テロ防止関連条約の締結を始めとする国際的な法的枠組みの強化、テロ組織への資金の流入を防止するための対策等の取組を積極的に行ってきた。
 また、今後の展開を見極める必要があるものの、このようなテロ対策に関する国際的連帯の形成に向けた流れの中で、米国を始めとする各国の外交政策にも変化が見られた。具体的には、今回のテロを契機として、アフガニスタンでの軍事作戦の遂行に重要な役割を果たす南アジアや中央アジアの周辺国と米国との関係が緊密化した。また、ロシアは米国への支持をいち早く打ち出し、米軍の軍事作戦にも協力的な姿勢を明確にした。米国は5月にミサイル防衛を含む新たな戦略的枠組みを提唱し、12月には対弾道ミサイル・システム制限(ABM)条約からの脱退をロシアに通告したが、両国関係の緊密化の流れは変わっていない。さらに、ミサイル防衛構想や、4月の中国海南島沖における米中軍用機接触事故等により一時冷却化していた米中関係についても改善が見られた。
 さらに、国際関係という視点から見て、今回のテロが明らかにした点は、従来、国家を中心に展開されてきた国際関係に対して、テロ組織という非国家主体が、これまで想像もできなかったような影響を一瞬のうちに及ぼしたということである。国家間の交流の増大や相互依存の深化、国境の開放や規制の緩和による人・モノ・サービスの自由な移動といった現象に代表されるグローバル化が進展する現在の世界では、国際関係に影響を与える主体は、国家のみならず、国際機関、非政府組織(NGO)、多国籍企業等多様化しており、そうした国際関係の主体の多様化に伴い、国際関係自体が多様化し、複雑化している。例えば、アフガニスタンにおける軍事行動は、従来の戦争のような国家対国家という構図ではなく、米国及び英国等を中心とした国際的に連帯する国家と、国際テロ組織及びこれを支援する現地の軍事勢力の対決という非対称的な構図で行われている。その意味でも、国際社会としては従来の戦争とは異なる対応が求められている。
 また、グローバル化の進展は国際社会に一層の繁栄の機会を提供するものである一方で、今回のテロ事件により、グローバル化の進展に伴う「陰」の問題と呼ぶことができるような諸問題、具体的には、グローバル化の恩恵の偏在、貧富の差の拡大、情報格差(デジタル・ディバイド)、文化的・社会的同一性(アイデンティティー)に関連する問題等の解決に向け、国際社会が適切に対応する必要性が改めて強く認識された。テロはいかなる理由によっても決して正当化されないが、こうした問題が未解決であることが国際テロ組織に活動の口実として利用されうるのであり、国際社会は、テロ対策に関する国際的連帯を維持し、強化するためにも、テロ対策への直接的な取組にとどまらず、グローバル化の進展がもたらす問題の解決に向け、一層積極的に取り組むことが必要である。

【日本の取組】
 日本が戦後、未曾有の繁栄を達成することができたのは、日本国民の不断の努力によることはもちろんだが、これに加え、基本的人権の尊重、民主主義、市場経済、自由貿易という開かれた政治経済体制に基づく国際秩序の存在に依拠するところが大きい。日本が自らの平和と安全を確保し、一層の繁栄を享受していくためには、こうした国際秩序を一層発展させることが不可欠である。そのためには、日本は、先進民主主義国の主要な一員として、テロ対策を始めとするグローバルな諸課題の解決や国際社会に大きな影響を与えうる地域情勢の安定化に向け積極的に取り組むことによって、国際社会の安定と繁栄の実現に努める必要がある。同時に、こうした取組を行う上で、日本外交の基軸である米国との関係を一層強化し、主要国等との協力関係を促進することが必要である。
 このような基本的考え方に基づき、2001年、日本は、主として以下のような取組を行ってきた。

 〈グローバルな諸課題の解決に向けた取組〉
 米国における同時多発テロの発生を受け、喫緊の課題となったテロ対策では、テロとの闘いを日本自らの問題と捉え、テロ対策特別措置法を成立させ、同法に基づき米軍等のテロと闘う軍隊等に対する協力支援活動及び被災民救援活動を積極的かつ主体的に実施してきた。さらに、テロの防止・根絶に向けた取組は、軍事行動のみをもって終了するものではなく、息の長い取組が必要であるとの認識の下、国際的な法的枠組みの強化に向け、爆弾テロ防止条約を締結し、テロ資金供与防止条約に署名するとともに、同条約及びテロ資金対策のもう一つの要である国連安全保障理事会決議1373を誠実に履行するための法整備に向けた準備を着実に進めてきた。また、核・生物・化学兵器などの大量破壊兵器がテロ組織の手に渡ることを防止するという観点から、軍備管理・軍縮・不拡散分野での取組はテロ対策の文脈でも極めて重要であり、日本は、引き続き輸出管理体制の強化等の取組を実施してきた。
 また、日本は、アフガニスタンの恒久的な平和と安定を実現するためには周辺国の協力が不可欠であると認識しており、テロとの闘いに取り組む中で困難に直面しているパキスタンを始めとするアフガニスタン周辺国への経済支援を行ってきたほか、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)等を通じ、アフガニスタン難民・避難民に対する人道支援を行ってきた。さらに、日本は、アフガニスタンの安定と復興を支援し、平和な新政権への移行を促すため、2002年1月に米国、EU、サウジアラビアとの共同議長の下、アフガニスタン復興支援国際会議を東京にて開催し、同会議において各国・機関からアフガニスタンの当面の復興に必要とされる資金のプレッジを得るとともに、アフガニスタン和平に向けての国際社会の政治的支持を示すことに貢献した。
 2001年は、テロ対策だけでなく、国際経済分野における世界貿易機関(WTO)新ラウンド交渉の立ち上げ、また、地球環境分野における気候変動枠組条約第7回締約国会議(COP7)での京都議定書の実施にかかわるルールについての基本的合意の達成など、他のグローバルな課題への取組においても大きな前進が見られた。
 国際社会が持続的な経済成長を達成していく上で非常に重要な意味を持つWTOの新ラウンド交渉の立ち上げについては、1999年のシアトル閣僚会議での失敗を踏まえ、日本は、多様な加盟国の関心に応えるような、十分に広範な交渉議題の下での新ラウンド交渉を立ち上げるため、各国と協調しつつ様々な取組を行ってきた。その後、11月にカタールで開催されたWTO第4回閣僚会議において、新ラウンド交渉の開始が合意された。
 地球環境問題では、特に、気候変動問題において進展が見られた。日本は、7月の気候変動枠組条約第6回締約国会議(COP6)再開会合、11月のCOP7において、京都議定書の2002年発効を目指し、合意に向けて最大限の努力を行った。最終的に、京都議定書の実施にかかわるルールの詳細が実質的に合意され、先進国等の京都議定書批准が促進される見通しとなり、日本は京都議定書の2002年締結に向けた準備を本格的に開始することとなった。また、日本は、京都議定書への不支持を表明した米国とも協議を継続している。
 国際社会の安定と繁栄には、アフリカを始めとする開発途上地域における貧困削減、開発支援に対し、国際社会が積極的に取り組む必要がある。こうした認識の下、特に、貧困や武力紛争に苛まれているアフリカに関し、日本は、12月にアフリカ開発会議(TICAD)閣僚レベル会合を国連等と共催で東京にて開催し、アフリカ問題に対する積極的な取組を示した。
 また、特に途上国において深刻な問題となっているエイズ、結核、マラリア等の感染症対策は、感染症に苛まれている国々だけの問題ではなく、国際社会全体が早急に取り組まなければならない課題であり、日本は、官民を含めた国際社会全体による積極的な取組を進めるため最大限の努力を行ってきた。2001年には、6月の国連エイズ特別総会などの場において、日本が議長を務めた九州・沖縄サミットのフォローアップがなされ、7月のジェノバ・サミットにおいて、国連事務総長とG8首脳により世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)を2001年内に発足させることが発表され、2002年1月に正式に設立された。
 国際社会の平和と安定に対して直接の脅威をもたらす核・生物・化学兵器等の大量破壊兵器とその運搬手段である弾道ミサイルの拡散問題は、テロ対策の文脈のみならず、それ自体として引き続き国際社会が取り組まなければならない深刻な課題である。11月の包括的核実験禁止条約(CTBT)発効促進会議では、日本は、同会議がCTBTの早期発効に一層の弾みをつける強いメッセージを発出できるよう、積極的に働きかけた。また、11月の国連総会では、日本の提案による「核兵器の全面的廃絶への道程」決議が、例年同様、圧倒的多数で採択された。生物兵器禁止条約(BWC)を強化するために長年続けられてきた検証議定書交渉は、その有効性を疑問視する米国の反対のため8月に中断された。BWC強化の課題について、日本は他の締約国と共に積極的に取り組んできており、2002年に再開される運用検討会議において引き続き議論される予定である。ミサイル不拡散問題に関しては、日本は、アジア諸国との対話を実施してきている。また、対人地雷、小型武器等の通常兵器の軍縮に関しては、「行動する軍縮」として実践的な取組を進めることが重要であると認識しており、小型武器については、7月の国連小型武器会議で最終文書採択のためのコンセンサス形成に積極的な役割を果たした。

 〈主な地域情勢への取組〉
 国際情勢に大きな影響を与える中東和平情勢については、5月にいわゆるミッチェル報告書が提出され、6月中旬にはテネット米中央情報局(CIA)長官の仲介によりイスラエル・パレスチナ間の治安協力の方途を含む作業計画が合意された。6月末に現地に赴いたパウエル米国務長官の仲介によりミッチェル報告書の実施に関し合意が成立したものの、その後も衝突は継続した。10月のゼエビ・イスラエル観光相暗殺事件、連続自爆テロ事件を受けて、衝突は更に激化し、緊張状態が継続することになった。日本は、当事者及び周辺国に対し、現在の衝突が収拾し、和平交渉が再開されるよう累次働きかけを行う一方で、経済的困難にあるパレスチナ人に対する支援を行ってきた。
 インド・パキスタン関係では、7月にムシャラフ・パキスタン大統領がインドを訪問し、約2年半振りの首脳会談が行われるなど緊張緩和に向けた取組が行われていたが、12月にインド国会襲撃事件が発生し、両国関係は著しく緊張することになった。日本は、本襲撃事件をいち早く非難するとともに、両国間の緊張は、地域の安定のみならず国際社会全体の安定に悪影響を与えかねないと認識しており、対話による問題の解決を働きかけるなど、事件後急速に高まった両国間の緊張の緩和に向けた取組を行った。
 バルカン情勢については、マケドニアでは、2月頃から始まったアルバニア系武装勢力(NLA)の武力行使が首都近郊まで拡大し、緊張状態が続いていたが、7月になってアルバニア系住民の地位改善を求めるNLAとマケドニア政府との間で停戦が合意され、11月には懸案となっていた憲法改正が実施された。また、国連の暫定統治の下、民主的な多民族社会に基づく実質的自治を構築するための取組が進められているコソボでは、11月に議会選挙が行われた。日本は、コソボでの議会選挙に対し国際平和協力法に基づき選挙監視要員等を派遣したほか、マケドニアを始めとするバルカン地域の平和と安定のため、難民・避難民への人道支援を含む種々の貢献を行ってきた。
 国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)の統治の下、自立に向けた国造りの取組が行われてきた東チモールでは、8月に憲法制定議会選挙が実施された。日本は、東チモール独立に向けたプロセスを支援すべく、国際平和協力法に基づき憲法制定議会選挙に対して選挙監視要員を派遣したほか、復興開発支援等を積極的に行ってきた。また、2002年3月以降、東チモールの国連平和維持活動(PKO)へ自衛隊施設部隊等が派遣されている。

 〈主要国・地域との関係強化に向けた取組〉
 日本が国際社会の諸課題への取組を進めるにあたり、主要国・地域との関係を強化することは不可欠である。なかでも日米関係は日本外交の基軸であり、サンフランシスコ平和条約署名50周年を迎えた2001年、日本は、政治、安全保障及び経済を含む幅広い分野での両国関係の一層の強化に努めてきた。2月にはハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船えひめ丸が米海軍の原子力潜水艦に衝突されて沈没し、9名の死者・行方不明者を出すという痛ましい事故が起こったが、日米両国は、3月の日米首脳会談に続き、小泉政権成立後初めて行われた6月の日米首脳会談においても共同声明を発表し、戦略対話の強化、新たな経済協議の立ち上げ、地球的規模の課題についての一層の協力で一致した。アジア太平洋地域は依然として不安定かつ不確実な要素をはらんでおり、日米安全保障体制を基礎とした日米同盟は引き続きアジア太平洋の平和と安定の礎であるとの共通認識の下、日米両国は、様々なレベルでの安全保障協議を強化していくと共に、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告の着実な実施を始めとする在日米軍に関連する諸課題への取組を含め、日米同盟の一層の強化に努力してきた。経済面では、6月の首脳会談で、日米経済関係の新たな基礎となる「成長のための日米経済パートナーシップ」の立ち上げが決定され、その下で、両国と共に世界の持続可能な経済成長を促進するために、次官級経済対話を始め、各種フォーラムにおいて建設的な対話を行ってきた。
 日本にとって最も重要な二国間関係の一つであり、アジア太平洋地域の安定と繁栄の確保にとって極めて大きな影響を持つ日中関係では、歴史教科書問題、李登輝台湾前「総統」の訪日、小泉総理大臣の靖国神社参拝等をめぐり、中国から厳しい反応が示されたが、10月の小泉総理大臣の訪中を機に改善の方向に向かった。経済関係は、貿易、投資とも昨年に引き続き好調に推移したが、一方で農産物をめぐるセーフガード問題のような貿易摩擦が発生し、12月の閣僚級協議で解決が図られた。中国への政府開発援助については、日本の厳しい経済・財政状況や中国の経済発展等を背景に日本国内において厳しい見方が存在している。こうした事情を勘案し、日本国民の理解と支持の下で政府開発援助が行われるよう、10月に今後の指針となる対中国経済協力計画を策定し、今後、同計画に基づき援助を実施していくことにしている。
 基本的価値を共有し、政治、経済上極めて重要な隣国である韓国との間では、歴史教科書問題、小泉総理大臣の靖国神社参拝及び北方四島周辺水域における韓国漁船の操業問題等の問題が生じたが、10月の二度の首脳会談において両首脳は率直な意見交換を行い、未来志向の関係を発展させるため、具体的かつ積極的な協力を行っていくことで一致した。その後、両国間の緊密な調整の結果、査証の大幅緩和や投資協定について基本合意が得られるなど諸課題の解決に向け大きな進展が見られた。朝鮮半島情勢については、2000年には南北首脳会談等の前向きの動きが見られたが、2001年は、北朝鮮と中国、ロシアとの首脳外交、北朝鮮と欧州諸国等との外交関係の開設などの活発な動きが見られたものの、北朝鮮と日本や韓国、米国との関係においては特段の進展は見られなかった。日本は、引き続き韓国及び米国との緊密な連携を維持しつつ、日朝国交正常化交渉に粘り強く取り組む方針である。また、こうした対話の中で北朝鮮との安全保障上及び人道上の諸問題の解決に向け努力していく必要がある。
 日本は、真に安定的な日露関係を構築することは、日露両国のみならず、北東アジア地域の平和と安定に寄与するものであると認識しており、ロシアとの平和条約の締結、経済分野における協力、国際舞台における協力という三つの課題を同時に前進させるべく、幅広い分野において両国関係の進展に努めている。このうち平和条約締結問題については、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した方針の下、7月及び10月に行われた日露首脳会談において、イルクーツク首脳会談を含め、これまでに達成された成果を踏まえ精力的に交渉を行っていくことが確認された。経済関係では、6月に今井敬経団連会長を団長とする経済使節団がロシアを訪問し、経済交流の拡大について話し合うなど、一層の促進に向け積極的な努力が展開された。
 さらに、アジア太平洋地域では、日本は、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との二国間関係の強化に加え、二国間関係を補完する地域協力の枠組みを重層的に発展させることに貢献してきた。11月の日・ASEAN首脳会議、ASEAN+3(日中韓)首脳会議、日中韓首脳会合では、テロ、海賊、麻薬といった国境を越える問題等の課題に対する協力を強化していくことで一致したほか、アジア太平洋経済協力(APEC)首脳・閣僚会議では、貿易・投資の自由化及び円滑化、経済・技術協力を更に促進するため活発な議論が行われた。また、7月のASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会合において、朝鮮半島やインドネシア等の地域情勢や軍縮・不拡散といったグローバルな諸課題について議論が行われた。このほか、日本は、日・シンガポール新時代経済連携協定の締結に向け、1月より政府間協議を開始し、10月の上海APEC首脳会議の際に行われた日・シンガポール首脳会談において交渉を成功裡に終えたことを発表した。その後、2002年1月の小泉総理大臣の東南アジア訪問の際、ゴー・チョクトン・シンガポール首相との間で同協定の署名が行われた。
 アジアの主要な民主主義国であるインドとの関係では、12月のバジパイ・インド首相の訪日の際に、日印両国首脳の間で、二国間関係及び地球規模の課題に対するグローバル・パートナーとしての両国の取組の指針となる日印共同宣言を発出し、経済分野のみならず、政治・安全保障分野においても両国の交流を一層拡大し、協力関係を緊密化していくことで一致した。
 欧州連合(EU)の深化・拡大が進展し、国際社会においてますます存在感を増している欧州との関係強化も重要である。2001年は、1991年に日・EU関係の基本文書である日・EC共同宣言が発出されてちょうど10年目、また、「日欧協力の10年」の最初の年に当たる節目の年であった。12月には小泉総理大臣がEU議長国であるベルギーを訪問し、日・EU定期首脳協議が開催され、今後の日・EU協力を更に具体化する方策を記した「日・EU協力のための行動計画」が発表されるなど、日欧関係の強化に向けた進展が見られた。
 以上、2001年の国際情勢を振り返りつつ、様々な分野における日本の外交努力を簡単に概観してきた。
 このような外交を実施していく上で重要なことは、外交が国民から理解され、支持されなくてはならないということである。外務省は、松尾元大臣官房総務課要人外国訪問支援室長による事件を始めとする不祥事により失われた信頼を回復すべく、2001年5月、民間有識者からなる外務省機能改革会議の提言を踏まえ、外務省改革要綱を作成した。外務省は、これに基づき、会計・予算決裁手続の見直し・改善や本省監察制度の創設、従来の査察制度の強化などによる再発防止策を講じるとともに、人事制度、領事業務、情報サービスの拡充などの改革作業も進め、12月21日、一連の検討結果を発表した。さらに、2002年2月に就任した川口外務大臣の下、従来の改革作業を一層加速するため、今後の改革の方針として「開かれた外務省のための10の改革」を発表した。これを受け、3月、第三者からなる「変える会」が発足した。「変える会」は、具体的な改革措置を検討し、5月中旬までに中間報告を、さらに7月中には最終報告を作成し、川口外務大臣に提言として提出することになっている。外務省としては、「変える会」を含め各方面の幅広い意見を聞きながら、国民の信頼を一刻も早く回復するため、外務省改革に積極的に取り組んでいく考えである。
 2001年の日本外交とそれを取り巻く国際情勢並びに外務省改革については、以下の項目において更に詳細に述べることにする。


 外務省職員に対し訓示を行う川口外務大臣(2002年2月)

外務省職員に対し訓示を行う川口外務大臣(2002年2月)



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