前頁  次頁


国家主権と国連PKO


 国連PKOにいると肩身の狭い思いをすることが多々ある。一部のNGOから煙たがられることが多い。我々と一緒にいるところを目撃されただけでも、彼等の「中立性」が損なわれるそうなのだ。
 10年間の内戦を経たシエラレオネで展開する国連シエラレオネ・ミッション(UNAMSIL)の主な使命は、通称DDR(Disarmament, Demobilization & Reintegration:武装解除、動員解除及び元兵士の社会復帰)である。内戦の主役である反政府勢力と親政府勢力(伝統的首長制の下、反政府勢力に対抗するために蜂起した元々狩猟グループの集団だが、反政府勢力と同じく凶暴な民兵と化した)の武装解除とそれら動員解除された武装勢力の社会復帰である。殺戮とその復讐の世界で生きてきた4万5000余の兵士たちにとって唯一の生存の道具である銃を差し出させるには、この両勢力の真ん中に入って利害調整する「中立性」が必要だ。もし一部のNGOが指摘するように我々が中立的でないとすれば、DDRの達成は不可能になる。
 平和の構築に向けた作業では、国連PKOが終了した後の平和維持の主体は誰が担うのかという命題を常に考えなければならない。シエラレオネのように主権国家に反政府勢力が敵対する状況では、その平和維持を担う主体は主権国家にある。反政府勢力が蜂起の口実とする現政権の腐敗があったとしても、平和の構築は主権国家の自助努力の下になされなければならない。教条的な「中立性」は何の効力も持たない。現政権の主権を重んじながら、反政府勢カとの間を調停していく。矛盾しているようであるが、中立に見せかける工夫も必要である。反政府勢力に、現政権下で武装解除しても、報復措置が取られることはなく、さらに民主化プロセスへ政治参加できる保証があると納得させる手腕が必要なのだ。だから、圧倒的に優位な現政権にどちらかと言うと辛く当たらざるをえない。例えば、停戦合意に違反する事件の調停などの場面で、意図的に反政府勢カの方の肩を持ったりすることもある。
 私は、内戦が始まる前のこの国に勤務経験がある。賄賂がまかりとおり、主権とは名ばかりの無政府状態、そして内戦に突入する現実を見てきた。しかし、国連PKOにとって、そういう性格の主権を二度と復活させないための強制介入は、「主権」の建前上、行使することはできない。大いなるフラストレーションである。
 私の前任地、東チモールでの国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)では、国連が行政をゼロから立ち上げた。国連がすべてやった方が手っ取り早い、とは現場の人間の本音でもあるが、主権国家への支援という形の方が失敗時の責任を軽減できるというのも、もう一つの本音である。この二つの本音を行き来しながら、「主権」との葛藤は続く。

執筆:シエラレオネ国連担当事務総長副特別代表上級顧問兼国連
シエラレオネ・ミッションDDR管理部門部長
   伊勢崎賢治


武装解除に集まった親政府勢力


前頁  次頁